剣契(後編)Ⅲ 胡蝶の夢、そして、目覚め
柔らかな木漏れ日の中を
そこには荒廃した遺跡があった。
かつての面影を残す石床には倒れた白い石柱やモニュメントが転がり、それを生い茂った芝と水溜まりが
暖かな陽だまりの中に、ふと一人の少女が現れる。
7、8歳くらいだろうか、短い前髪に、陽に反射して煌めくレモンイエローの髪をなびかせた少女はくるくると楽しそうにその場で踊っている。弾けるような眩まばゆい少女の笑顔に僕は思わず彼女のもとまで飛んで行く。
「あら、ちょうちょさん。
少女は僕に気が付くとそう話しかける。
僕は同意するように彼女の指にとまりキスをする。
「
僕らは一緒に踊る。君の明るい歌声が響き、僕は、ただ願う。
この時間がいつまでも続くように。
しかし、時は無常に過ぎていく。日が暮れて、僕らは別れる。
「さようなら、ちょうちょさん。いつかまた会えたなら、今度は
そういって彼女は去っていく。
旅にでる僕が、
ならせめて君との美しい思い出だけは忘れないでいよう。
僕は北に行かなければならない。本能的に知っている。
僕は海を越え、砂漠を越え、山を越えて、至るべき場所に行かなければならない。
せめてこの命尽きるまで、君を思おう。
◇ ◇ ◇
僕はどれだけの距離を飛んできただろうか。
海を越え、人々の織り成す営みを見た。
砂漠を越え、一面に広がる草原を見た。
山々を越え、この憩いの森に至った。
しかし、ここが至るべき場所ではなかった。もしかしたら、至るべき場所など最初はなからなかったのかもしれない。ならば、高い場所へ。どこよりも高い場所へ。思い出の場所から遠く離れた北の大地でも、愛しい君を見えるように。
もっと、高い場所へ。
いつかの山よりも、雲よりも、高い場所へ。北端にそびえる山を登って、一番高くまで。
苦しい。羽が重い。上を見ると2つの
せめてこの命尽きるまで、君を思おう。
僕の羽が動いている間は。
◆ ◆ ◆
落雷の音に夢が破れる。
オドは登山の疲れもあってか、瞑想中にいつの間にか眠ってしまっていたようだった。
オドは慌てて周囲を見渡すが、下祭壇は霧に覆われ周囲の景色がはっきりしない。どうやら大星山の山頂部は雲に覆われているようで、オドの座る岩から窪みの様子を確認することはできなかった。オドが周囲を見渡していると、キラキラと光る何かがオドの方へと近付いてくる。
「、、、ん?」
霧の中から一匹の蝶が現れる。
その蝶はフラフラとしながらも、命を燃やすかのように羽をはためかせオドがの真の前まで飛んでくる。
オドは何故か懐かしいような気持ちになり、ただ目の前で残り少ない命を燃やす蝶を見つめてしまう。蝶はオドの胸元にとまり、遂に動かなくなる。
瞬間、蝶は淡い金の光を放ち、光の粒子は天へと昇っていく。
オドは自分の見た夢が、きっとこの蝶の一生であったのだと何となく悟る。
もしかしたら、蝶の一生もまたオドがオドとして生き、歩んだものだったのかもしれない。少なくとも、夢の中のオドは蝶としての一生を過ごしたのだから。
オドはそんなことを思いながら目を閉じ、再び瞑想の中へ入っていくのだった。
◇ ◇
オドは瞑想を続ける。
深い霧のせいだろうか、日は昇っているはずなのに周囲は暗い。
最初は身体に付く水滴や空腹感などに気が向くが、一日も経つと徐々にそういった雑念は消えていき心臓の鼓動と血液が身体を巡る感覚だけが残った。オドがそんな感覚に身を任せていると、どんどんと感覚、特に聴覚が研ぎ澄まされていき、最初は静寂と思われていた中にも様々な音が聞こえてくるようになった。
風の音、どこかで岩が転がり落ちる音、遠くの雷鳴や、雨の降る音。更には、大地の震動や海の波の動きまでも音となってオドのもとに届く。まるで世界が、大地や大海でさえも常に移ろい、変わるものだと言うかのように、大自然は己の儚さをオドに囁きかける。
◇ ◇
どれくらい経っただろうか、もはやそんな感覚も薄れた頃に、どこからかパタパタと羽音が聞こえてくる。オドはすぐに羽音の主が、自分が夢の中で一生を過ごした蝶のものだと分かる。
「君のなかにも、僕がいるのかい?」
無意識のうちにオドが呟く。
今、羽ばたいている蝶の持つ人格も、瞑想するオドの身体に宿る人格も、どちらも確かに自分のもののはずだ。
むしろ、実はオドのこれまで歩んだ人生は羽ばたいている蝶の夢の途中なのかもしれない。そんな感覚すら、オドには感じられた。
「僕の一生も、君が目を覚ましたら消えてしまうような、儚いものなのかもしれないね。」
それでも、とオドは微笑む。
「君がそうだったように、僕は、与えられた僕の人生を
蝶の羽音が遠ざかっていく。
この場所よりも高い所へと、羽音は軽やかに登っていくのだった。
◇ ◇
蝶の羽音が完全に聞こえなくなった時、突如、大きな音が下祭壇に響き渡る。
雷鳴だ。
オドの視界も真っ白になり、ビリビリと身体に落雷の衝撃が響く。しかし、それよりも、落雷の直後オドは違和感を抱く。何者かが目の前にいるような感覚がしたからだ。
オドが恐る恐る目を開けると、そこには伝説の生き物である龍が現れ、オドのことを見ていた。
雷を身体に帯びたその龍は青く長い胴体に茶色の角を生やしている。
「我は青龍。お主のせいで不完全な姿だがな。本来は鷲の鉤爪かぎづめがあるはずなのだが、、、。」
不満そうに龍にそう言われてオドは初めて角鹿、海蛇、大鷲を仕留める必要性に気が付く。それぞれが青龍を構成する要素を持ち合わせているのだ。
「すいませんでした。」
思わずオドが謝ると、青龍はフンと鼻を鳴らす。
「まあ、よい。我が召喚されるのも随分と久しぶりだ。許そう。」
青龍はそういうと、自分の真下にあるキーンの剣を見下ろす。
「さて、リオが我を呼び出したということは、きっとお前さんとこの剣には与えられるべき天命があるのだろう。さて、、、」
青龍はジッとオドと剣を見比べると、徐々に小さくなり、キーンの剣に巻きつく。
「見えたぞ。其方の背負っているもの、背負うべきもの。」
そんな言葉と共に青龍はキーンの剣もろとも輝きだす。光が収まると、そこには青龍の姿はなく剣が岩に突き刺さっているのみであった。
「この剣の銘は『コールドビート』。せいぜい課された天命に抗うんだな。きっとこの剣が助けてくれるだろうよ。」
どこからか青龍の声が響く。
オドは瞑想をしていた岩を降り、剣のもとへ歩み寄ると、柄に手をかけ岩から剣を引き抜く。
かつて父親の剣であったその剣は、姿を変え息子のものとなった。
青黒い刀身に光を映して金色のツヤを輝かせる、いわゆる紫金色をした刀身の付け根には確かに『コールドビート』と銘が刻まれている。
キーンが使用していた時に比べて柄が長くなり、刀身が太くなっている。柄には『その血、その涙、その痛みこそ糧なれば、其方の歩みに実りが訪れん』という天狼伝説に出てくる一節が刻まれていた。
しかし、変化はそれだけであり、かつてのキーンのような魔剣への進化はなかった。
オドは少し落胆しつつも気を取り直して、第二の儀式の場である上祭壇を目指し、一礼をして、下祭壇を後にするのだった。
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