剣契(前編)Ⅵ 青蛇の教え



「だめだぁぁぁぁ」


洞窟にオドの声が響く。


オドが北洞窟に足を踏み入れて今日で5日目、海蛇の手がかりは一切得れていなかった。


前回は3日目に角鹿と遭遇したが今回は更に時間がかかっている。オドには天狼族の誰よりも自分は短期間で海蛇を仕留めるという自信があった。これは生まれつき感覚的に敏感で武器を上手く扱うという器用さを持ち合わせており、かつ、天狼族の最年少として可愛がられて育ってきたオドが無意識のうちに抱いていた他人への優越感である。それと同時に、オドは皆の期待に応えなければならないという焦燥感も抱いていた。


「クソッ」


今日で5日目。


ルナとコウが過去に6日目に海蛇を仕留めたため、オドにとっては今日が心理的な最終ラインだった。オドは足元に転がっている小石を思いっきり水場に放り投げる。


「    」


静寂が周囲を支配、オドの投げた石が水に入る音はしない。


オドが不思議に思い、石の飛んだ方向を凝視すると、一匹の蛇が水面から顔を出しているのが見える。蛇とオドと目が合う。オドはこんなにも近くにいた蛇の存在に気付けなかったことにショックを受ける。


「「何をそんなに焦っている。」」


そんな声がオドの頭に響く。


「イラついてなんかない!!」


そういってオドは矢を番つがえ放つが、矢が蛇の身体を貫くことはなかった。蛇は身体をくねらせ巧みに矢を避ける。オドはありったけの矢を立て続けに撃ちこむ。


「「では、恐れているのか。」」


「恐れてなんかもいない!! お前なんか直ぐに倒せる!!」


矢を避けながら水面を滑るように近づいてくる蛇にオドは必死に矢を放つ。


「「俺が言ったお前の恐れているものは俺じゃないよ。」」


オドの目の前まで蛇が迫る。オドは咄嗟に戦槌を構えて蛇に振り下ろす。


「何を言って、いるんだ!!」


オドの戦槌が蛇を捉え、海蛇は光と共に消滅する。オドはやったとばかりに拳を握るが、喜びは束の間であった。


「まあ、俺を恐れていない時点で自らを過信しているか、判断力が落ちているな。判断を誤るなと何処かのヘンテコな鹿に云われなかったのか?」


オドの背後から声が聞こえる。


オドが振り返ると巨大な蛇が大きく口を開けてオドを丸吞みにしようと迫っていた。


二本の鋭い牙が光り、オドは己の不覚を悟る。オドの視界が真っ暗になり、オドは巨大な蛇に丸呑みされるように、吞み込まれた。




◇ ◇ ◇ ◇




オドが目を覚ますと、そこは教会のような空間だった。


アーチ状の青い天井、その付け根には二本の白い柱が通り、それに向かって白い円柱型の石柱が伸びる。青い壁は光を通し、ステンドグラスのよう細かく分かれて外の光を分散させ、キラキラと輝く。白い石の横長な椅子が整然と並んでおり、中央には通路がある。


「目は覚めたかい。」


そんな声がしてオドは声の主を探す。


1人の男性が椅子に腰かけているのが見えた。

オドが少し警戒しながらも近づくと男性は笑う。


「別にとって食べたりはしないさ。既に君は私に食べられているんだから。」


そういうと男性は立ち上がってオドに向き直る。

男性は細身で長身であり、全身真っ黒なスーツを着ている。軟弱そうなイメージはなく、むしろ何か不思議な力を秘めているような、そんな怪しさがあった。


「そう、君は私に食べられた。君自身の不注意でね。」


そういって男性はにっこりと笑う。


「少し混乱させてしまったかな。端的に言えば、ここは私の腹の中だ。まあ、座るといい。少年。」


男性は混乱しているオドに微笑むと、椅子の方へと手招きする。オドは警戒を緩めずにゆっくりと椅子の方へ向かう。


「戦利品を忘れているよ。」


突如、目の前から男性が霞むように消え、後ろから声をかけられる。


オドが振り向くと男性はオドが巨大な蛇に呑み込まれる直前に倒した蛇のドロップ品である海蛇の脱け殻をニコニコと笑顔で差し出している。

オドは恐る恐るそれを受け取る。


「この蛇は貴方の配下だったのにいいんですか?」


「緑鹿の奴に云われなかったかい。彼らはすぐ復活するよ。それにこれは君自身の戦利品だ。たとえ、その直後に致命的なミスをしたとしてもね。取り上げる理由がないよ。」


そういうと再び男性は消え、再び元居た場所に出現する。


「ここは僕自身の体内だ。そう驚かないでくれ。そもそも君が見ているこの姿は僕の思念でしかないから攻撃しても意味がないよ。さあ、座って。」


オドが椅子に座ると、男性は中央の通路の最前、台になっている部分に立ってオドを眺める。


「僕は青蛇せいだ、名前は無いのであしからず。さて、少し僕とお話をしようか、少年。」


男性は再び怪しげに笑う。


「まず僕に質問はあるかい? あるなら挙手を。」


そういわれオドは手を挙げる。


それを見た青蛇はにっこりと頷いて、話してよしとばかりにオドに手を向ける。


「あの、僕はまだ生きているってことでよろしいですか?」


「うん、生きているよ。いや、正確に言うと死んではいない、かな。」


意味ありげな回答にオドは背筋を伸ばす。


「では、集落に生きて帰ることはできますか?」


「それは僕次第だ。実質、君の生死は僕が決められる。まあ、今は君の生死は問題じゃない。ほかに質問はないかな。」


青蛇せいだ様と言われましたが、天狼伝説に登場する、青蛇様ですか?」


「そうだよ。君は緑鹿の奴にも会ったんだろう。僕も奴と同じ八神獣の一柱、あの青蛇で間違いない。」


「数々の無礼、申し訳ありませんでした!!」


オドは自分の無礼が呑み込まれるという結果に繋がったと思い咄嗟に頭を下げる。


「ふふふ、そんなことは気にしなくていいよ。君の投げた石はちょっと痛かったけどね。」


青蛇は声を上げて笑いながら手を振る。


「そもそも君の持っている弓からあの鹿野郎しかやろうの魔力を感じたから配下の目を通して観察していたんだ。」


「青蛇様は緑鹿様とは仲が悪いのですか?」


青蛇の物言いにオドは思わず質問をする。


その質問に青蛇は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。


「まあ、仲は良くないね。僕と奴とは謂わば恋敵こいがたきというヤツだったんだ。まあ奪い合った女性は僕にも奴にも振り向かなかったんだけど。」


そういって青蛇はオドを見つめる。


「今はそんな昔話はどうでもいい。本題に入ろうか。」





「とは言っても主題は変わらず、あの鹿の話なんだけどね。奴は選択に関して何と君に言ったか覚えているかい。」


そういって指名するように青蛇はオドを指さす。


「ええと、、、選択をする時には、選ばれなかった選択の持つ可能性を考えなければいけない、でしょうか?」


「その通り。よくできました。」


そういって青蛇はうんうんと頷いた後、視線をオドに向ける。


「そして君は選択を誤った。だから、君はここにいる。それはなぜだろう?」


「僕が苛立っていたから、です。」


「うん。よく認めた。君はあの時、確かに苛立ち、焦燥感を抱いていた。それはなぜかな?」


青蛇は見透かすような目でオドを見つめる。


「今日を過ぎれば、ルナねえとコウさんと海蛇を仕留めるのにかかった時間が一緒になるから、、だと思います。」


「その通り。よくわかっているじゃないか、君。優秀、優秀。」


そういって青蛇は指をパチンと鳴らす。


「では、なぜ君はそんなにも天狼族の中で最も早く海蛇を仕留めることに拘ったんだい?」


「それは、、、わかりません。」


オドが逃げるように目をそらす。


「いや、君にはわかっているはずだ。別に恥ずかしがることはない。ここには君と僕しかいないし、僕は既に答えを得ている。君自身が認めることが必要なんだ。」


台の上を歩き回りながら、青蛇が言う。


「みんなの期待に応えたいからです。」


「違う、そうじゃない。君自身の心に素直になるんだ。君が隠そうとしている感情こそ、君がこんな場所に落とされた理由であり、君が克服しなければならない物なんだ。」


青蛇は台を降りてオドの方へと向かう。


「別に、隠そうとしているものなんてありません。」


オドは依然として食い下がる。


「、、、そうか。ならばそれまでだ。君は死体になって洞窟で発見され、皆に失望されることになる。」


「、、、」


青蛇の言葉にオドは黙り込む。


「そして、悲しみが過ぎ去った頃に、キーンとタマモの息子なのになんだ、それほどでもなかったのかもな、過大評価していたと皆に言われるんだ。違うか?」


挑発するように青蛇が言葉を紡ぐ。


「違う!! 僕は特別だ!! 僕は特別じゃなきゃいけないんだ!! 特別だからこそ、皆が僕を認めてくれるんだ。それの何が間違っているんだ!?」


立ち上がってオドはそう言い返すと青蛇を睨む。


「よく言った、少年。その言葉を待っていた。君は常にある強迫観念にさらされている。君が特別でなければ、君自身が特別といえる価値を持っていなければ、皆が君に失望し、そっぽを向き、離れて行ってしまうのではないかと思っている。それを心の奥底で恐怖している。違うかい?」


「、、、、。」


オドは何も言えずに黙り込む。


「うん。両親や祖母を早くに亡くした君の生い立ちを見ればそうなるのは頷ける。確かにこの感情は君の向上意欲を下支え、君の成長に寄与してきた。しかし、いや、だからこそ、君は本能的に全員に愛されていたい、自分の価値を常に認められていたい、という欲求に飢えている。そうでなければ、まるで君自身の存在意味が全く無くなってしまうのではないかと危惧する程に。」


そういうと青蛇はオドの下へと歩み寄る。


「少年。よく認めた。」


そういうとオドの肩を軽く叩く。




「では、話を変えよう。再びあの鹿野郎しかやろうの話に戻る。」


青蛇はニコリと笑うと身体を翻し台へと戻る。


「奴は君に選択をする時には、選ばれなかった選択の持つ可能性を考えなければいけない、と言った。しかし、君は感情的になっていて、そのことを失念していた。それはなぜか。それは君が本能的な欲望、さっき君自身が認めた欲求に執着し、駆られていたからだ。ここまではわかるかい?」


青蛇は台上からオドを見つめる。


「つまり、感情に囚われず常に冷静に判断しなさい、ということでしょうか?」


オドが質問すると青蛇は首を横に振る。


「それは違う、少年。人は往々にして感情に支配されるものだ。本人が合理的に判断しようと思っている時ですらね。常に鹿やつの言うような合理的な判断を下せるほど人類は完璧にはできていない。では、なぜ君はあの時に感情に支配されていたのだろう?」


「他の皆より優れてなければいけないと思っていたから、です。」


「その通り。君は強迫観念に駆られていたため感情的になってしまっていた。君にとっては自分自身の価値に関わる事態だ。感情的になるのも頷ける。しかし、結果その強迫観念が君の身を滅ぼした。君のその「皆にとって価値あるものでいたい」という欲望には欠陥がある。それは君自身の価値を決める判断者が君ではないということだ。そこに矛盾が生まれる。」



青蛇が肩をすくめる。



「すこし視点を変えよう。話が難しいことには変わりないが、君はよいと“正しい”、“美しい”、またはそれらを表現する“価値がある”という意味でのの違いはわかるかな。」


「、、、、。」


「多分わからないだろうけど、これらには決定的な違いがある。“正しい”、“美しい”、“良い”といったものは行動の結果に付着する要素であって、それを判断するのは結果をみた他者だ。つまり、君は皆にとって“良い”人であろうとしていたわけだ。ここまではわかるかな?」


「僕が“良い”人かは他の人たちが決めるから僕は焦っていた、ということですか?」


「その通り。それに対して善い、ここではぜんとでも言おうか、は少し違う。善は自分の行動の根拠として自分の内面に宿やどるものなんだ。君が何かをするときに、その行動が自分にとって「まさに今この時に、しなければならない行動」だと考える根拠になるのが善なんだ。その行動の結果がどうあろうとも君がそれがいと思って行動したという根幹は揺るがない。君が善だと思って行動を実行した段階で、その善は永遠のものとなり、これが覆ることは二度とない。」


青蛇は再びオドの方へと歩み寄る。


「他者の評価は気まぐれに変わり、そしてそれに囚われた者を追い込む。そんなものを行動の基準にし、感情を奪われてはいけない。その欲望は君自身に宿った善を搔き消して、見えなくしてしまう。」



青蛇は椅子に座るオド前に立ち、ジッとオドを見つめる。



「行動の根拠を自分自身に求めるんだ。叶うのなら君が善いと思った行動をするんだ。その積み重ねは君に揺るがない自尊心を与えてくれる。」


青蛇はオドに青い短剣を一振り取り出すと言葉を続ける。


「自分への尊敬は君をきっと悪から遠ざけてくれる。僕が君に伝えたいのはそれだけだ。」


青蛇の言葉がスッとオドの心に入ってくる。



次の瞬間、オドの視界をいくつもの泡が下から上へと昇っていき、オドは初めて自分のいた場所が水中だったことに気が付く。


「ここでの出来事は泡沫うたかたの夢だ。それでも、もし君がこの出来事を意味があるのもだと思ってくれたなら、僕は嬉しい。この短剣は僕からの餞別さ。鹿が弓を与えたのに僕が与えないのもしゃくだしね。」


オドの目の前に短剣が差し出され、オドはそれを確かに受け取る。


「老いぼれの長話に付き合ってくれてありがとう。君の幸運を祈っているよ。」


そういうと青蛇は最初そうだったようににっこりと笑う。


「さあ、お別れだ。」


オドの意識が霞む。オドは静かに薄れゆく意識に身を任せるのだった。





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