第2節 剣契(前編)

剣契(前編)Ⅰ 日常と、変化の気配



大星山の麓近く、切り立った断崖絶壁の急斜面に飛び出した岩場に1人の少年が立っている。


長髪で細身の少年は手に弓と短剣を持ち、背中には少年には少し大きすぎる剣を、腰には矢袋を装備している。彼は突き出た岩の先端に立ち、長く伸びた前髪から覗く瞳は自然に耳を傾けるように閉じられている。




しばらく経って、少年は口角を上げて微笑むと、そっと瞳を開ける。


少年の身体がぐらりと傾く。そのまま斜面の方向に向かって身体を傾けて落下するかに見えたが、少年は寸でのところでに足を踏み出し、そのまま真下に向かって斜面を走り出す。少年は軽々と斜面を跳躍しながら瞬く間に移動し、100メートルほど降りたところで、まるで知っていたかのようにお目当ての獲物を見つける。


「いた。」


少年は走りながら矢を構えると急斜面を沿うように登る鹿に向かって矢を放つ。


鈍い音と共に、放たれた矢は鹿の脳天を貫き、獲物は一撃で絶命する。


鹿の身体が力なく傾向いていき、斜面の下へと落下しそうになるが、少年により再び放たれた矢が鹿の首を貫き岩にまで突き刺さることで固定される。少年は鹿のもとまで降りると胸元から取り出した笛を吹いた。






「おーい。待たせたなー。」


少年が笛を鳴らしてから少しのち二人の天狼族の青年がオドと呼ばれた少年のもとまで岩場を降りてくる。少年は手を振って2人を迎える。


「カイ、ムツ。こっちこっち。」


少年は双子で瓜二つの容姿をしている兄貴分達を呼ぶと、自らの仕留めた獲物を見せ、胸を張る。カイとムツの二人は少年の見せる子供っぽい仕草を笑いながら優しく声をかける。


「流石だな。今日もお前が一番の大捕り物じゃないか? なぁムツ。」


「そうだな。俺らも今日はヤマウサギを3匹仕留めたけど、1人で鹿1匹か、、。今日も敵わなかったな。」


2人が少年を褒めると、まんざらでも無さそうに少年がはにかむ。


「当然だよ!!」


2人の青年は少年の仕留めた鹿の手足を縄で縛る木の棒に括り付けると二人で鹿を抱える。


代わりに少年は2人の青年が持っていたヤマウサギ3匹を持つと3人で岩場を登っていくのだった。


この少年こそ約11年前、星の降る夜に誕生した運命の子、キーンとタマモの息子、オド・シリウスである。



◇ ◇



「そういえばオドは儀式にはどっちの剣を持っていくんだ?」


3人で岩場を登り集落に向かって歩いているとカイがおもむろに尋ねる。

儀式とは天狼族が成人に際して経験する剣契けんきつという儀式であり、この剣契という儀式は読んで字のごとく剣に対して契を結ぶということをするもので、通常はみな普段の狩りで使用している短剣を使うのが一般的である。しかし、オドは幼少より肌身離さず持っているキーンの形見の剣があるためオドにとってもこれは悩ましい問題であった。


「まだ迷っているんだ。できれば形見の剣にしたいけど、契ちぎりは切れてるとはいえ本来はお父さんと契約したものだから、どうしようかなと思って。それに普段お世話になってるのはこっちの短剣だからね。」


ムツが少し考えてるように口を開く。


「そうだな、、、俺もカイも魔力が付与できるかもしれないから普段使いの短剣にしたけど、狩りに魔力の要らないオドならお父さんの剣でもいいかもな。」


ムツが言うように、剣契には稀に剣に自分の魔力を流せるようになるケースがある。


キーンの持つ剣が魔剣であったのも剣契の効果によるものであるが、これは本当に稀なケースであるといえる。オドはもしかしたら剣契の際に自分にも魔力が宿るのではないかと密かに期待しているため、より判断に迷っていた。


「まあ最後はオド自身が決めないとな、、、おっ、そろそろ集落に着くぞ。今晩は鹿汁かな。晩飯が楽しみだ。」


夕日に照らされる天狼族の集落が遠目に見え、3人の足はにわかに早まるのだった。



◇ ◇ ◇



「3人ともお帰り!! 今日も大捕り物だね。オドのおかげかな?」


3人が集落に着くと、カイ、ムツと同世代でオドの姉貴分であるルナが出迎える。


「そうなんだよルナねえ。この鹿は僕が仕留めたんだ。」


オドは二人の兄貴分にもしたように自慢げに鹿を指さす。そんなオドを見て年長3人にほんわかとした雰囲気が流れる。


「それじゃ、オドはローズさんに報告しておいで。解体は俺達でやっておくよ」


カイがそう言うと3人は仲良さげに集落の中央に向かって歩いていく。

兄弟や同世代の仲間がいないオドにとって3人の関係は羨ましいものであり、遠ざかる3人の影をなんとなく眺めてしまう。


「爺ちゃんのとこに行かなきゃ。」


オドはハッと我に返るとローズの待つ我が家へ走っていく。


オドが産まれた時に父親のキーンと母親のタマモが亡くなり、オドがまだ幼い時に祖母であるクロエもやまいに倒れてしまったため、現在オドは祖父のローズと2人で暮らしている。


「ただいま!!」


オドが元気よく扉を開けるとローズが返事をする。


「お帰り、オド。今日はどうだった?」


「今日は岩場で鹿を仕留めたよ。そろそろ解体が終わるんじゃないか、、、」


そういってオドがローズのいる奥を覗くとローズに来客が来ていた。


「コウさん。こんばんは。」


ローズの来客はコウだった。


コウはかつてキーンと共に下山隊に加わってから11年、今ではかつてのキーンのように集落の若手のまとめ役を担っている。ちなみに彼はルナの兄であり、カイとムツの剣の師匠でもある。その為、カイとムツのどちらか先にコウを倒したものがルナとの結婚が認められるという謎ルールの下、日々壮絶な稽古が繰り広げられている。


「おお、オド。ちょうどお前さんの話をしていたところだよ。」


「そうなんだ。コウとオドの剣契の儀式について、、、」


ローズが話をしようとしたところでオドが恥ずかしそうにお腹を抑える。オドのお腹が鳴ったのだ。


「はっはっは。それよりも飯だな。オドはただでさえ細いんだからいっぱい食わなきゃな。」


そういってコウがオドの頭を乱暴に撫でる。


「細くたって狩りはできますよ!! 今日だって鹿を仕留めました!!」


子供扱いをされて拗ねたように返すオドにコウは笑う。


「そうか。やはりオドは筋がいいな。それじゃオドの戦果を貰いに行こうか。」


コウはそう言うとオドを連れて家の外に出る。


「ローズさん。肉を受け取ってきますよ。話の続きはオドも交えて夕食時に。」


コウの言葉にローズは静かに頷くのだった。






天狼族の集落では狩りで仕留めた獲物は集落の中央で解体し、その場で配布されるようになっている。


今日の成果はオドの仕留めた鹿と双子の仕留めたヤマウサギ3匹、ほかにヤマウサギ6匹と鳥4羽である。コウとオドが着くころには大体の人が肉を受け取った後だった。


「コウさん、こんばんは。」


カイとムツがコウに挨拶してから、オドの方を向く。


「オド、シカ肉の一番いい所とっておいたぞ。」


「オドはもっと食べなきゃいけないからな。」


そういって双子はオドに切り分けられたシカ肉を差し出す。


オドは自分のために肉をとっておいてくれた二人に感謝し、肉を受け取る。コウもルナから肉を受け取ると、若者3人に声をかけてからオドのもとに戻ってくる。


「それじゃ、戻ろうか。それにしても肉の状態がいい。オドも狩りの腕を一段と上げたな。」


コウに褒められオドはいい気になる。


「やろうと思えば何匹だって仕留められますよ!!」


「そうかもな。だがオド、君のお父さんが良く言ってたよ。“”を超えないようにってな。」


そういうとコウはオドを促し歩き出すのだった。






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