運命の子Ⅵ 運命の子


歩いて、歩いて、歩く。とにかく歩くしかない。


帰る場所が、待ってくれる人がいる限り、歩き続けなければならない。


キーンは朦朧とした意識の中で、ただひたすら歩き続けている。どれだけ時間が経ったかわからない。抜き切れなかった毒は少しずつ、しかし、確かにキーンを蝕んでいる。集落の出立に際して5日分用意した食料も既に尽き、水分の多くは毒抜きに使ってしまった。


「それでも…。」


それでも帰らなければならない。


何があろうとも帰る、とタマモに言ったからには帰らなければならない。

たとえ何が起きようと、必ず彼女の待つ場所へ帰らなければならない、、、。


キーンは既に重くなった身体に鞭打ち、ひたすらに歩き続けるのであった。





タマモの出産は胎児が逆子さかごであったことで長引いていた。


昨晩から始まった出産は翌日の正午になっても続いている。

ローズも一晩中祈りを捧げており、不安そうなローズを見かねたローズの弟が捜索隊長を引き受けローズは集落に残ることとなった。午後になり、夕方になっても変化はない。ローズは祈るように娘のいる我が家を見つめ、立ち尽くすのだった。




夜になったが、いまだに変化はない。


ローズが夜空を見上げるとちょうど東から大星天狼星が北天に向かって昇ってくるところであった。藍色と金色を混ぜたような紫金色しきんいろをした天上で最も輝くその星はいつもより大きく見え、ローズが思わず目を奪われていると、家の方から歓声が聞こえた。





もうどれだけ歩いただろう。


毒は完全に身体を侵し、もはや立つこともままならない。


意識は完全に薄れ、どこに向かっているかも、歩く目的も思い出せなくなっている。

キーンはそれでも足を踏み出そうとする。

そして、、、倒れる。


深い、濃い霧だけが彼の周りを漂い、キーンを見下ろしている。

もはや視界も定まらずキーンの意識が霞んでいく。身体の感覚は麻痺し世界が真っ白になる。そんな中で一人の女性の顔が浮かぶ。強く、優しい瞳がキーンを見つめる。


「タマモのもとに、、、ぼくは、、、、、。」


キーンの口から声が絞り出される。




突如、キーンの意識がハッキリする。


キーンが立ち上がり下を見ると倒れ込んだ自分と一匹の巨大な狼の姿が見える。

その狼はどこまでも深い藍色の毛をしており、深い藍色は月明かりに照らされると時折鮮やかな金色こんじきを映す。

その瞳はオーロラのように赤、緑そして青とその色を変化させており光を帯びている。キーンは直感的に目の前に佇たたずむ狼が伝説の天狼王であると理解し、膝を着く。


天狼王の瞳は優しさを帯びており、キーンが恐る恐る顔を上げると天狼王の深く美しい瞳と目が合った。


「「お前を必要とし、お前を待つ人のもとへ行こう。」」


キーンの脳内にそんな声が響いた。





ローズが家に駆け込んだとき、室内は異様な雰囲気であった。


問題はすぐに発覚した。

生まれてきた赤子が産声を上げないのである。赤子は苦しそうに丸くなっている。クロエが異常を探すように赤子を取り上げると背中から心臓の鼓動が感じられる。



ちゃんと生きている、とタマモはホッと安堵するが、それが異常である事にすぐ気づく。その赤子は鼓動が“強すぎる”のだ。クロエは急いで弱体魔法を使える女性を呼び赤子の鼓動を弱めるように頼むが、女性は力なく首を振る。



「駄目です。赤子に対して弱体魔法など行えば即座に命まで奪ってしまいます。術者と被術者に決定的な繋がりがなければ、魔法の力を抑えて発動させることはできません、、、。」



クロエが絶句しているとタマモが声をかける。


「お母さん、私がやるわ。」


タマモは才能にあふれた魔法使いである。

しかし、母体に負担の大きい長丁場になった出産によって身体的にも精神的にも摩耗しきっている。本来ならすぐにでも安静にしなければならない状況であるのに、魔力マナと精神力を要する魔法を発動するのはタマモ自身を危険に晒す行為である。


「わかるのよ。母親であり、血の繋がりのある私でなければこの子は救えないわ。」


疲労困憊しやつれた娘の意思のこもった瞳に両親のローズとタマモは何も言えない。


「しかし、それじゃ君が、、」


意を決してローズが声を出すが、タマモに遮られる。


「わかっているわ。それでも、やらなきゃいけないの。私、おかあさんだから。」


クロエの瞳から涙が溢れる。クロエは魔法が使えない自分を恨む。

「娘と変われるなら変わってやりたい。娘と孫のためなら自分の命などいくらでも投げ捨てたい。」そう思っても何もできない無力感と悔しさが涙となって溢れる。ローズとクロエはタマモの邪魔にならないように部屋の外へと出てゆく。



「お父さん、お母さん、親不孝者でゴメンね。」



部屋を出ていく両親の背中に小さく呟くとタマモは意識を我が子に集中し始める。




〝チェイン〟




赤子の背中をさする手に白い光が灯る。


タマモは自らの魔力を手繰るように操作する。

タマモの額に汗が浮かぶ。己の精神をすり減らしながら、魔力の鎖をゆっくりと我が子の心臓に巻き付ける。

少しずつ、少しずつ魔力を込めてゆき鎖が心臓を一周する。タマモの魔力がゴッソリと失われた感覚がし、手足が痺れる。


しかし、赤子の鼓動は依然強いままであり、産声も挙げられず苦しそうにしている。



「もう少し待ってね。」



優しく我が子に声をかけるとタマモは再び意識を集中させていく。




〝チェイン〟





気が付くとキーンは天狼王の背に乗って霧の森上空にいた。


上空に出て、初めて外が夜だったことに気が付く。天狼王はグングンと高度を上げると大星山の頂上よりも高くへと至る。


「私は妻のもとに行かなければ、、、」


そう言いかけると天狼王はキーンに瞳を向け、一気に大星山中腹に見える天狼族の集落へと空を駆けてゆく。集落がグングンと近づいていく。天狼王は何も言わず、キーンもまた何も言わなかった。


ただ、彼を待つ人のもとへ。




ローズは泣き崩れるクロエを支えながら祈るように夜空を見上げる。


突如、南の空から翡翠色に輝く彗星が夜空を横断するかのように北の方へと流れるのが見える。

その星は天上を分断し大星山の上空、ローズたちの真上まで流れてくる。光はグングンと明るさを増す。遂に集落が昼のように明るくなったところで、パッと翡翠色の光が消える。再び真っ暗になった外でローズは何が起きたか理解できずに、ただ立ち尽くすのみであった。





タマモは二つ目の魔力の鎖を我が子の心臓に巻くことに何とか成功していた。


しかし、既に自分自身の体力の限界を迎えていた。

手足の感覚はなくなり、視界もぼやけて見える。何とか意識は保っているが、精神力も魔力も尽きようとしているのがハッキリとわかる。

しかし、赤子はまだ産声を上げることができないでいる。


「あなただけは、何としても、、、」


タマモが優しく胸元に抱える我が子に声をかけると、辺りが一瞬まばゆく光り、タマモの手に感覚が戻る。

タマモの手を覆うように暖かな感触が触れる。



「キーン、遅いわ。心配しながら待っていたのよ。」



タマモは自分と子供を後ろから包み込む感覚に声をかける。



「ごめんよタマ。 君と僕ら子供の所には帰らなければならないからね。」



暖かな感覚に触れタマモの目に涙が溢れる。



「帰ってくると信じていたわ。」


「ああ。 約束は破らないよ。 さあ、僕たちの生きた証をこの子に託そう。」



キーンとタマモの感覚が溶けあう。二人の暖かな愛マナが赤子へと注がれてゆく。


溶け合った魔力がゆっくりと赤子の心臓に触れると、魔力は心臓を、生命を、ゆっくりと包み込んでゆく。



「オギャァァァァァ!!」



赤子の産声が上がる。


それを聞いたローズとクロエが家の中に入ると黄金と翡翠色の光に包まれたタマモが赤子を抱いている。


「タマモ!!」


ローズは思わず声を出す。


タマモは慈愛に満ちた表情で両親に目を向ける。


「お父さん、ごめんなさい。私達はここまでみたい。天狼王さまが呼んでいるわ。」


そう言ってタマモは視線を向けた先にはキーンをここまで連れてきた天狼王が鎮座している。

ローズとクロエには天狼王の姿もキーンの姿も見えず、ただ言葉を発せないでその場に立っている。



「私達で話し合って、この子の名前を決めたの。〝オド〟。〝オド・シリウス〟。これがこの子の名前。この子の成長を近くで見守ることができないのが心残りだけど、どうか立派な子に育ててください。最後まで頼ってばかりでごめんね、お父さん、お母さん。」



タマモはそう言うとオドと名付けられた赤子の額にキスをして小さく囁ささやく。


「愛しているわ。 あなたは私達の宝物。 どこにいてもキーンと2人で見守っているわ。」


タマモは呆然と立ち尽くすローズに赤子を授けると光の粒子となりゆっくりと消えてゆく。


「待ってくれ。私達を置いていかないでくれ、、、」


ローズは宙を仰いで叫ぶ。



「親不孝な娘でごめんなさい。私達の宝物を、、、お願いします、、、。」



その言葉を最後に部屋が暗くなり、静寂だけが残る。

ローズは静かに眠る赤子を抱きながらクロエと2人涙を流すのであった。

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