運命の子Ⅲ 初戦と思惑
「失礼致す。」
ガラリと一般人に扮した枢機卿親衛隊5名が塊になって宿の扉を開ける。
「いらっしゃい!! 旦那方、宿泊ですかい?」
キーンから襲撃の話は聞いているが、それを露にも出さずに宿主が対応する。親衛隊の1人が首を振る。
「それじゃどんな御用で?」
「あんたの客に知り合いがいてね。少し上げさせてもらうよ。」
そう言って親衛隊の面々が玄関に上がろうとした次の瞬間、宿主はキーンと打ち合わせた通りに一階の奥に向かって声を張り上げる。
「お客さま!! お知り合いがいらっしゃっています!! お通ししてよろしいですか?」
「奥だ。行け。」
大きな声で存在を伝えられたことに刺客は焦りを抱いたのか、建物の奥へと走ってゆく。
1人残された宿主は1階奥へと進んでいく親衛隊を見てニヤリと口角を上げると首から下げた狼笛をこっそりと鳴らす。
1階がもぬけの殻であることに気付き、にわかに宿の外が騒がしくなったことで奥に進んだ刺客が玄関へ戻ってくる。既に玄関に宿主の姿は無く、キョロキョロと周りを見回した後、刺客達は外の光景を見て大慌てで街の方へと駆けだしてゆく。宿主は駆けていく刺客達の背中を眺め、キーン達の無事を祈るのだった。
◆
キーン達は宿の2階にある大部屋にて待機をしていた。
「用意!!」
というキーンの合図とともに閉じられたままの東西の2つの窓の前でそれぞれ2人の天狼族の青年が弓を引き絞る。
「お客さま!! お知り合いがいらっしゃっています!! 通してよろしいですか?」
下で宿主の声が響く。キーンとコウは閉められた窓扉に手をかけ、いつでも開けられるように準備をする。しばらくの静寂が大部屋を支配し、下から何人かの足音が聞こえてくる。緊張感の中で、一階から狼笛の音が聞こえてくる。
刺客の誘導成功を意味する笛の音が聞こえた瞬間、キーンとコウは頷き合うと扉窓を一気に開け放ち、それと同時に向かいの屋根に待機する弓兵に対して矢が放たれる。放たれた4本の矢は全て弓兵の喉元を貫き、敵の身体がぐらりと傾く。
「いくぞ!!」
キーンの一言を契機に弓兵の身体が地面に落下するのを待たず天狼族の青年たちはそれぞれキーンとコウに続いて向かいの屋根に飛び移ると集団になって一気に街の家々の屋根の上を駆け抜けていく。弓兵の落下により敵方の動きに気づいた宿の外を囲っていた親衛隊は大急ぎで近くに止めていた馬に飛び乗り鞭を打つ。馬が駆け出し、親衛隊は地上から屋根の上を駆けていく集団を追う。
しかし夕時になり賑わってきた街では路地に多くの人が溢れ出し、親衛隊の追跡はままならないでいた。
◆
「宿での襲撃失敗!! 現在敵方は2グループに分かれて東西の街門に向けて建物上部を移動中!!」
部下からの第一報にドーリーは目を細める。ドーリーにとって宿への強襲の失敗は正直想定内であった。それよりもドーリーが注目していたのは彼らの逃走する方向であった。
「東西に分かれたか…」
…東西どちらか一方に逃げれば門に待機した兵と反対に待機した兵での挟み撃ち、さらにここで待機する精鋭部隊での先回りが可能になったが当てが外れてしまった。それよりも重要なのが彼らが東西に分かれた以上、恐らく北か南のある地点で合流する可能性が高いといえることだ。東西の門に多くの兵力を割いているため南北どちらもを先回りでカバーすることができない。その上、敵が屋根の上を移動しているため想定より早く街門に達するのは明白だと言える…
「屋根の上!!」
ハッとしてドーリーは立ち上がる。
「北…そうだ、北だ!! 恐らく奴らは霧の森方面へと逃げるぞ…!!」
1人興奮したように叫ぶとドーリーは大慌てで馬に飛び乗って陣を出ていく。それを見て部下達も慌ててドーリーに続いて続々と陣を駆け出していくのだった。
…よく考えれば答えは明白だった。出所不明の獣人の一団、強いチームワークと弓の腕前、そして高所の移動これらは未開拓地域出身かつ森での狩猟生活という要素に結びつく。そのような場所は近くに霧の森しか存在しない。霧が立ち込め別称“迷いの森”とも呼ばれる霧の森だが、そこに住む原住民の噂は絶えず流れている。部外者の我々が霧の森に入れば到底太刀打ちできないことが分かり切っている以上、森に入る前に決着をつけなければならない…
切実な思いを胸にドーリーは精鋭部隊を引き連れて北へと馬を走らせるのだった。
実はこの時点でドーリーは二つの勘違いをしている。一つは天狼族は霧の森ではなくその先にそびえる大星山で生活していること。もう一つは天狼族の脚力は断崖絶壁の岩場において鍛えられたものであり常人のそれを遥かに凌ぐものであるということである。
しかし、ドーリーは彼らが逃走を試みる方角という目下最大の問いに、見事正解した。
◆
キーンの率いる東方面への逃走班5人は問題なく街門に辿り着いた。キーンは少し振り返り全員が付いてきている事を確認すると、脚に力を込め一気に石造りの東街門の一番上まで跳び上がる。4人の仲間もそれに続くと街門の上に着地する。
「騎馬兵が8に歩兵が30か。」
街門の上から下に待機する敵兵の規模を把握すると、仲間に矢を取り出すように指示すると青色の液体が入った瓶を手渡す。
「これは効果の強い麻酔薬だ。これを血液に混ざれば人であれば丸1日は起き上がれない。」
そう言うとキーンは見本を見せるように自らの持つ矢の
「逃走において最も厄介なのは敵の機動力だ。今回の場合は騎馬がこれに該当する。馬防具で急所を守られている馬を矢で殺すのは不可能に等しい。あいにく今は毒薬も持っていないから、今回は眠ってもらうことにしよう。」
そう言うと皆に弓を構えるよう指示する。
「一人二頭だ。私は打ち漏らしを狙う。とはいえ撃ち合いにはなりたくないので、一撃づつで片付けてくださいよ。では、、、放て!!」
キーンの一言で一斉に街門上部から矢が放たれ、間髪おかず第二矢も放たれる。結果、8本すべてが騎馬の装備の隙間を射抜く。騎馬は大きく痙攣するとその場に死んだように倒れ眠り込む。麻酔薬の効果は抜群のようだった。
「流石。」
キーンは軽く微笑むと街門の屋根部分から一気に跳躍し、狼狽する敵兵を飛び越えて着地する。キーンは振り向き他の4人も付いている事を確認すると、置き土産と言わんばかりにこちらに気づいた敵方の方向に向けて仲間の弓の腕前によって無駄になった麻酔薬付きの矢を放ち、街門に背を向け東方面へと駆けだす。
「敵はあちらだ!! 追え!!」
東街門での迎え撃ちをドーリーから任された親衛隊員はそう叫びキーン達を追おうとするが、次の瞬間、彼の喉元をキーンによって放たれた矢が貫き、鏃やじりに塗られた麻酔薬が効果を出す前に彼は絶命する。キーンの放った矢で絶命した仲間とグングンと遠ざかるキーン達の背中、そしてピクリとも動かない騎馬に東街門に残された37名の親衛隊は絶望とともに立ち尽くすのであった。
◆
キーン達はしばらく東へと疾走すると後ろに敵兵が見えないことを確認して、北へと方向転換をする。敵方の大将であるドーリーの予想通りキーンの狙いは霧の森である。
実は霧の森には天狼族にのみ伝承される“攻略法”がある。伝承による攻略法は霧の森を「彼の森は来訪者を望む場所へと導く。望む場所へと至りたければ、
しかし、伝承により分かっている通過方法はこれのみであり、裏返せば、目的地がなければ迷子になり、目的地を間違えれば全く違う地点に出る。そしてなにより、一度でも霧の森に足を踏み入れたならそこからは直進しか許されず引き返すことはおろか進路を変えることも許されないという大きな難点を抱えている。
◆
キーン率いる東方面組は無事合流地点となっている霧の森入口に到着した。彼らの移動速度はドーリーの予想を遥かに超え、誰よりも早く霧の森へと到着した。キーン達が入り口で待機をしていると遠くから土煙とこちらに向かって騎馬を走らせる武装した一団が見える。
「敵のようだ。隠れよう。」
そう言うとキーンは仲間と共に近くの岩場に身をひそめる。キーンの目撃した騎馬の一団はドーリーの率いる精鋭部隊であった。その数はドーリーを含めて19名、その全てが騎乗している。ドーリー霧の森の前まで来ると周囲を見渡す。キーン達は岩陰で息を潜める。
「周囲に注意しつつ待機!!」
どうやらドーリーは隠れるキーン達に気づかなかったようである。しかしドーリーの部下達が常に周囲を警戒する態勢になりキーン達は岩陰から身動きが取れなくなってしまう。キーン達は見つかるかもしれないという強い緊迫感に長時間耐得ざるを得なくなるのであった。
緊張でどれだけ時間が過ぎたかわからない。
キーンが仲間たちの顔を見ると皆それぞれが置かれている状況に疲弊しきった様子である。どうにかしなければ、そうキーンが思っていると遠くで土煙があがり、それに続いて大きな音がこちらに迫ってくる。キーンが岩陰から音のする方を覗くと遥か彼方からコウを先頭に西方面への逃走班が駆けてくるのが見えた。仲間の無事にホッとしたキーンだが彼らの後ろに続く騎馬兵を見て顔を青ざめる。
「最悪だ。」
そう呟くと、天を仰ぎ見る。
「天狼王さま、もしも我が祈りが届くならどうか彼らに力をお貸しください…。」
天に願いを込めると、キーンは気を引き締めるように大きく深呼吸するのだった。
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