#3・ムゥー2
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カイラスディ・タタルガに割り当てられた部屋では、機械いじりの音が止むことがない。
実験室というよりも、作業場兼レムリアンの歴史資料室だと、ここにはいないオートが言っていた。
レムリアンが普段着にしている、薄いゴム質のズボンとその上からまとう腰ミノ、儀礼の時にのみ羽織ることになっている、ボタンひとつで展開する金紗の礼服には、微細に、見たことのない文字が刻み込まれている。魔術装置の組み込まれた三股槍、壁にかけられたレムリア大陸の地図、主に海洋にまつわる文献。大型の海獣などが住む外洋を探索するための、強固な船の設計図。
そして、ムゥと同じかたちをしたモノたちが三機。いまは待機しているようだったが。主となる色こそ変わっていたが、それを青に染めればムゥとそっくりな……それ以上の、まったく同じ存在となるはずだった。
そのいずれもが、カイラスディという個人の空想の産物だ。
「すごいんだな、レムリアンってのは」
そう言って、オートは室内を一通り見まわしたあと、質問をすることもなく出ていった。ムゥに配慮したのだということはすぐにわかった。女神やエルフが目立っているだけで、オートも人並み以上の好奇心を持っている。
――わたしには、あの魔術体のやっていることのほとんどが理解できませんでした。
ムゥ・チャンティは、ただオートとゼントヤの奇妙なやり取りのほとんどを、ただ眺めているだけだった。クソ野郎というのはあまりにも汚い言葉だったので、自機の言語機能では扱えない。
だから奉仕機械がゼントヤという人物を評するなら、たった一言で済むことだった。
理解不能。それだけだ。
中でももっとも不可解だったのは、自分と同じ意識を持ったものが増減することを許容するその精神だった。
作業台に仰向けになったムゥは、そのことを処置を開始したカイラスディに話してみた。
「それこそ自我と呼ぶべきものだな。これほど早く芽生えるとは思っていなかったが」
「魔術体というヒトは、あそこまで自我を……乱立させてしまえるものなのでしょうか」
「ゼントヤ先生を除いて不可能だ」
カイラスディは断じた。そこには誇らしさがのぞいていた。ムゥは、ゼントヤを先生らしいと呼んだ残りの二人の片割れを見つけていた。
「魔術体とはだな、文字通り己の肉体を捨て、意志を持つ魔術として生きることだ。想像の及ぶ限り、瞬間的にあらゆる魔術になることができる。自分の体で実験をするのにこれ以上便利なものはないぞ。そして魔術体同士なら、意思疎通は一瞬で終わる」
それが、二人が出ていってすぐの学長室から、カイラスディが出てきた理由なのだろう。
「ゼントヤ学長の魔術に、発動までの空白がなかったのはそのためですか」
「どうせあの先生のことだから、いともたやすく語ったのだろうが。いいか。意志――意識を持つ魔術だぞ。それが無意識に、つまりは一瞬でも考えることを止めたらどうなると思う?」
「霧散するのでしょうか」
「その通りだ! そして再構築などできない。自我そのものが散ってしまっているのだからな、はは。ヒトの感覚を引きずっていたら一日持たずに消えてしまう」
だからこそ、自身を魔術体へと昇華できる者は魔術師として優れているという風潮が作り上げられたのだろう。それはゼントヤという偉大なる先駆者の歩いた道をたどることができている証明なのだ。
「切り落とされた四肢を感じてしまう幻肢痛というものがあるな。似たようなもので、消え去ったはずの睡眠や空腹という感覚。それを覚えるはずもないのに得てしまうのだ。そして眠ったら死ぬ」
「あなたは生き続けていますが」
「レムリアンは眠らないしうんこもしない。そういう設定だからだ」
ちょっとだけだが。ゼントヤ研究学院の人々というのは、いい歳してみんなうんこが好きなのだろうかと考えてしまうムゥだ。
レムリアンの言葉は止まらない。尊敬している人物がいかに優れているかを語らなければ収まりがつかないという表情だった。白い肌がむやみに光っている。はは、という笑いが混じる。
「吾輩とて、増殖しようと思えばいますぐやれる。だが増えた瞬間に、原本も写本もない、どちらも真である存在が二つになるのだ。自我もある、当然争うことになる、だから行わない。しかし学長の精神構造はちょっと……いやかなりイカれていてだな。『どれでも自分ならば、どれだけ増えても研究に支障はない』と判断できているから、増やし、減らすことができるのだ」
「理解ができません」
「せんでもいい。ははは。ただ、あれはあの先生にしかできんとさえ覚えておけばいい。それより話題を変えろ」
ムゥは、学長の部屋からの長い廊下を歩く中で話していた思いだした。所有者と製作者は昨日はじめて会ったばかりだとそこで聞いた。
「カイラスディ。あなたは、わたしがオートたちと一緒に暮らしていることを知っていたのですか?」
「当然だ。そして集団での生活はお前の情動に負荷をかける。それが自己の存在への悩みを生じさせ、吾輩を訪ねることも承知していた」
「『そうやってわかったようなことを言っておけば有能そうに見える』と、以前あなたから教わりました」
「……そうやって言うことも予期していた、もちろんだろう」
情報が、空間に映し出された青い枠を流れ続けていく。ムゥにはそれが、自機を構成しているもの――ヒトにとっての記憶や反射などを文字として吸い出したものだとわかっていた。
処置を行っているのはカイラスディだ。
白くて長くて上半身は裸と、ふざけた外見の製作者だが。それでも優等生だ。
魔術に優れていると称される人々をふるいにかけ、その中から特殊な才能を持った者を選ぶ。その彼らが数十年を費やして、ようやく成功の可能性が出てくる――それほどの難易度である肉体から魔術体への置換。
それを三年で理解し、実行。成功したのが、現在ムゥの体を解析している自称レムリアンだ。
優秀ではある。それを補ってあまりあるほどに偏屈で、奇矯で、洒脱なだけだ。
自律型魔術法則観測機なるものを作成しようと思い立ったのも『超文明都市でそうなっていたからである』と、それだけの理由だ。それこそ酔狂だからという理由だけで、意志を持つ機械を作り上げようと考えたのだ。
そして熱意と、工匠としての技量のみで予算を勝ち取ったのだ。
彼のもとの種族を知っている者は少ない。誰に聞いても「出会ったときにはレムリアンだった」と言うからだ。
「なぜわたしは作られたのでしょう」
「考える機械を作りたかった。まるでヒトのようにふるまうモノを」
「なぜわたしには性別がないのでしょう」
「必要がないからだ。己の半分の身長しかない小人と交配をするのは、まあ、常軌を逸している。だからこそ行うというレムリアンもいるはずで、そのためにそうできないような措置を取った」
「本当の理由を聞いています」
「単なる趣味だ。性を持たないものだからこその美しさを追求したかった。そして身の回りの世話もできる機械であるとなおよいと思った」
カイラスディは魔術を用いる工匠としても一流の腕を持つ。それと独自の美意識が凝縮されたときに、生まれるのは、白長い魔術体のごとき異形の美か、ムゥのように現代のヒトの中でも通用する美か。両極端だった。
「にしてもだ」魔力濾過を終えた純粋な魔力が、ムゥに流し込まれる。「吾輩の美意識からすれば、後付けという処置は気に食わない。景色を見るための拡大鏡に、掃除のための機能をつけるか?」
「拡大鏡自身が、掃除をしたいと望んでいるのです。壁にかけられているあの三股槍も、ただ穂先から水を出すだけではなくて、本当はオーラをまとって輝く斧になりたいと。わたしにそう語りかけています」
カイラスディが情報の濁流から目を離して槍を見た。部屋そのものが別の実験室の振動でかすかに揺れた。槍が倒れて、先端からちょろりと水が出てきた。
「冗談だと言え」
「わかったようなことを言いました」
「……いつからこうも生意気になってしまったのか、まったく。はは」
ムゥは頷いた。それについては確信がある。
「同居人のせいです」
「エルフに神か」
「人間もです」
あの個性の強い人々に囲まれていたならば、自分から進み出るしかなかったのだ。
「ムゥ。お前は完成している。吾輩がそのように作り上げたのだから当然のことだが。だがどうして、魔術師との戦闘などを考慮した改造を行う」
「わかったような答えを求めていますか?」
「本音を求めている」
ムゥは視線を資料室に向けた。
そこにある、自機とまったく同じ顔かたちのモノを見る。異なっている部分は関節部に金属部品が露出していないことだ。それによってますますヒトに近づいていた。そのうちに最低限の知識が与えられ、またミアタナンの街中に送り出されるのだろう。
「ヒトが一般的に求めるものはなんでしょうか」
「伊達や酔狂。そのほかにはない」
「それはあなた個人です。一般論を求めています」
「快なるものだ。ついでに子孫を残すという本能であるか……まあそれもたいていは快なるものに属する」
快。言葉に出してみても、あまり実感の得られないものだ。ただ不快を避けたいという傾向はムゥにもある。その逆なのだと仮定して、熱のこもってきた語りを聞く。
「快を求め、進んで茨の道に入っていく者もたまにはいるが。それとてその先にある、目標の達成という快感があると信じているからだ。あるいは、茨そのものが快感であるということもある。はは」
「そうなのですね。では、機械が……道具が求めていることはなんだと考えますか?」
カイラスディがかぶりを振った。すでに回答を持っている問題を提示されたような、実につまらなさそうな表情だった。
「前提が違っている。機械は求めない。道具もだ。ただ与えられた行動を実行するだけだ」
車輪は回るために丸まっている。歩く機械は歩くように命じられている。
考える機械は、考えるように考えられている。
それこそがムゥを製作したレムリアン――ヒトの言い分だった。
「それこそ前提が違っているのです」
だから機械はその論理を否定する。ものを言うモノの立場から。
ムゥは、少しだけ体を起こして自身のなだらかな躯体を見た。肉と金属と繊維、そして魔術をまとめて技術という家に同居させたもの。これに関しては所有者の意見はずれていると考えていた。
機械のようなヒトではなく。ヒトの姿を真似ただけの機械であるものがムゥだ。
「求められたからこそ作られているのです。そうでなければ機械は存在しません」
「それはヒトが機械に求めているだけだ。機械が主体ではない」
「いいえ。求められたモノは、求められることを求めます」
回るために作られた車輪は回ることを、歩くために作られた機械は歩くことを。
魔術を観測することと自律する意志を持つことを求められた機械ならば、そうあることを。
カイラスディの手が止まった。
「論理の矛盾が起きている。その論調で進めば、お前はこれまで通りで問題がないはずだ」
「わたしもそう思っていました。ですが意志というものがあります。それが、たったそれだけでは満足させてくれないのです」
ムゥは機械だ。そして考えるモノであり、考えることができる。それは自己だ。
機械であることとヒトらしいモノであることが両立している。
「……生意気で、なおかつわがままもするつもりか」
「不可能だとは言わないでください。意志を持った機械がここにいて、それがそうしたいと思考しているのですから。わたしは所有者のいちばん便利なモノとして扱われることを望んでいるのです」
だからこそムゥ・チャンティは、モノらしく求められることを求め、そしてヒトらしくそれが快であることを求める。
「次の個体からはそうならんように教化するとしよう」
青枠を流れ続けていた情報の羅列が止まる。カイラスディが、宙に浮かぶそれらのうちのひとつを被造物に向けて滑らせた。組み込みを実行するためのキーだった。
ムゥは半身を起こした。製作者たるレムリアンと同じでなにも身に着けていない体だ。起伏と肉の少ない生素材の体は、すこし動かすだけで、皮脂の下にある人工筋肉の動きをはっきりと浮かび上がらせる。
「学院でもっとも嫌われていた魔術師の研究成果とはどんなものか。知っているか?」
「ここの魔術師自体が、外に出れば等しく嫌われ者ではないでしょうか」
性格が悪い、陰険、根暗、平気で嘘をつく、透明になってのぞかれた、幻影や霧といっただましの術を使う、陰険、勝手にヒトの心を読む、あまつさえ操作もしてくる、陰険。それがミアタナンでの、学院の魔術師たちへの評価だ。
カイラスディがため息をついた。それはそうだが、と口の中で唱えて。
「その中でも、だ。学院内でもっとも陰険で根暗で悪辣で、クソ野郎だったやつだ」
ムゥは記録を探ってみたが、いちばんに該当するものはなかった。作りあげられて、ひとつふたつの実験をやってから、すぐに街へと――ドリマンダのところに移動していたという事情もあるが。それ以上にだいたいの魔術師の備考欄は同じだった。理解不能。
「ゼントヤでしょうか」
「違うぞ! ……まあそうなんだが。いややっぱり違う。正解はテイーア、人間の女だ。お前が組み込むことを望んでいるのは、そいつの得意としていた魔術のようなものもどきだ」
よほど認めたくないらしい。最後にぼそりと「まあ魔術のひとつではあるのだが」と付け加えた。
ムゥが研究学院への里帰りを望んだのは、自身の機能を拡張するためだ。それは、今後もきっと起こるであろう騒動への対抗策を欲していた。
「打ち消し。そう呼ばれるものですね」
「その通りだ。神聖術などと名前だけ誤魔化していても変わらん。魔術であればどんなものでも使わせない……使用を許可しない魔術。ああおぞましい。あの女は『自分のやりたいこととは、相手のやりたいことをやらせないことよ』とかのたまったらしい」
魔術による研究であれ、暴力であれ。その行動の源泉には、魔術によって行われているという点で共通している。
ムゥのやろうとしていることは、その源泉を閉じ、相手の達成を妨げることだ。これでわたしもクソ野郎の仲間入りでしょうかと、ふと考えた。
「とはいえ魔術体のように、すでに発動しているものは止めらないのでしょう」
「起こりかけている事象を霧散させることはできるが、すでに起こってしまった事象はなかったことにはできないからな。火球を打ち出してくる相手ならば、火球が生まれる前に打ち消さなければならん。それが道理だ。できたらば、吾輩が殺されるだろうが」
「それは残念です」
皮肉を言って承諾のキーを押した。
自機に、馴染むように調整された異物が入ってくる。頭脳が著しく変質していく。記憶野に流入しないようにするのでいっぱいだった。
「あっ――」
ムゥの視界は混濁していない。だが、目に映っているものがどんな意味を持っているかが理解できないでいた。白い、長い、ヒト、男。それらの要素を、記録にあるカイラスディという名前と結び付けることができない。
打ち消しという新しい異物を消化するだけにかかりきりで、情報が処理が不可能な状態だった。この状態になってから何秒が経過したのか、そもそもこの状態とはどのような意味を持っているのか、意味とは――。
やがて処理が終わったのだという理解が訪れた。
室内の様子が少しだけ変わっていた。見回す。ムゥの調整に用いられていた機材が整理されて壁際に寄せられている。カイラスディが反対側に立っていた。
製作者の体が光る。魔術が行使されようとしている。
オートやサーマヴィーユには見えないようだが、ムゥにだけは見えているものがある。魔術を用いる前に、術者の体が光るのだ。
もともと自律型魔術法則観測機は、その光を――発見者であるカイラスディはそれを前兆光と命名した――観測するために開発されたものだ。それを趣味でヒト型にして、浪漫で家事機能も取り付けて奉仕も兼任させたのは、創造者の責任だが。
ともあれその前兆光が見えていた。
小規模な魔術。意図は幻惑。効果は視界不良。
内蔵された魔力から適量だけ用いる。肉を持つ機体にも前兆光が浮かぶ。
打ち消した。
「いきなりですね、カイラスディ」
「……やはりこれは最悪の魔術だな」
普段から無表情に楽しそうなカイラスディが、はじめて不機嫌な気配を発していた。
「いいか、普段使いはやめろ。絶対にだ。友達なくすぞ」
「もともといませんが」
「吾輩もだった。じゃあ使っていい」
そういうことになった。
作業台から降りて服を着るムゥに、製作者が補足を入れる。
「打ち消しの魔術は、お前に内蔵されている魔力をぶつけ、魔術の意図や本質を撹乱させる荒技だ。どんな条件で不可能になるのか言ってみろ」
「わたしの魔力が足りない、相手の魔術の意図や効果を読み取れない。そしてさきほども出ていた、すでに発動を終えている魔術であることです」
「その通りだ。ひとつでも条件を満たしていれば対象の魔術の打ち消しは実現しない。そのときは大人しく破壊されてこい」
「大魔術が相手なら、どうすればいいでしょうか」
「魔力の無駄だ。野蛮ではあるが、使われる前に首を刈ったほうがいい」
いまごろ森に里帰りしている、同居人の顔が思い浮かんだ。彼女ならいい笑顔でやりそうなことでもあった。
「わかりました。ところで、その魔力を補給する方法は――」
「たくさん食え」
「待ってください。家計を握っている立場としては、食費がこれ以上増すのはあまり歓迎できません」
「知るものか。稼げ。濾過器を使ってエルフに魔力を注いでもらうのも構わんが。それだとエルフが現在の倍食べるだけだぞ」
食べるか食べさせるか、それだけが問題だった。どちらにせよろくでもない二択だ。それでも、選択ができることが重要なのだ。
――これで少なくとも、なにもできないということはありません。
次は留守番をしないつもりのムゥなのだ。
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