#3・オートー3




「それで、解析が済んだのなら俺たちはもう用済みですか?」


 ゼントヤたちばかりが音を立てる室内で、オートの口調は投げやりだった。彼が丁寧な物言いをするのは、たいてい立場のある年長者に対してだ。学長にもそうしているが、どこかに「コレには遠慮しなくていいや」という考えが生まれていた。


「その通り、必要ないよ。ああ、いまのは心への返事だった。きみのかわいい所有物がびっくりした表情をしている。現実の会話にはこちらだ――我々はそれでもよいのだけれどもね。オート君、それだときみは、この研究実験室までわざわざ心を読まれにやって来ただけということになる」


 ――頭痛をもらいに遠出したようなものか。あんまりの展開だったから、正直なところ目的も忘れかけてた。


「問題ないよ。我々はあらゆることを忘れないからね。ああ、忘れるということがどういう感覚だったか、それだけは忘れてしまっている。すぐに『忘れる機能を持った私』を作らねばならない」


 そしてまたゼントヤが増えた。

 当たり前のように心を読み進めるゼントヤが相手だと、彼は口を開く必要さえなくなってしまいそうだった。


「スフィンクスのウティメナに、この人物に……きょうはむつかしい一日です、オート」


 ヒトとどこか現実の受け止め方が違うのか、ムゥは少し息苦しそうだった。金属の継ぎ目に、魔力の光が薄ぼんやりと浮いている。

 この研究室に紙や書籍の類が極端に少ない――見当たらないと言ってしまってもいい――のは、その特質さゆえなのだ。記録はあくまで他者のためにのみ行っているから、魔術によって筆記や転写を終えたら、すぐに伝送管に入れてしまえるのだ。


「忘れる……きみは記憶を失っているのだね。なおかつ、いまだに取り戻せていない」

「そうです。恩人が言うには『お前は学院からシミラビー河を流れて漂着した』ということだそうで」


 見つかるのか、という挑発的な態度を取ってみた。その理由すら見透かされていた。ゼントヤがその心の動きを興味深そうに見ている。

 彼は、多くの知識を有する者たちの頂点に立ち続ける、学長ゼントヤという存在。それがどこまでのものなのかと試してみたかったのだ。この人物はきっと、他人に物事を委任することが少ないだろうと踏んでのことだった。


「実行者も、どのような手段を用いたのかも判明しているよ」あまり驚いていない様子を、魔術体の老人はじっくりと観察していた。「また、きみの以前の家族や名前も把握してある」

「そこまでやってあるんですか」

「我々は、交渉というものをするにあたって、必ずすべてを揃えておくことにしているのでね」

「それこそがゼントヤ流ってやつなんですね。この世でもっとも複雑な研究をやっているいるってヒトの行動原理は、案外単純だ」


 モノを受け取る。対価としてその人物の欲しているモノを渡す。

 毛皮を渡し、その代わりに肉を得るのと大した違いのない、原初の論理だ。


「理解が早くてよろしい。わからないことがあるからそれをわかるようにする。それだけだよ、突き詰めれば。あらゆる存在の欲求というものは原始的だ。それを虚飾するか、秘めるか、認めるか。それだけの違いが、ヒトの生き方を大きく変える」


 ゼントヤが断言するのは、己で実験済みだからなのだろうとオートは思った。


「オートの記憶は、取り戻すことができるのでしょうか」


 ムゥが、大切なのはそのことだけなのだという口調で尋ねる。


「可能ではないが可能だよ」


 謎かけのようだった。自分が不明瞭なことをもたらしているのが許せない性質なのか、すぐに補足が入った。


「まったく同じ記憶を取り戻すことはできない。それはすでに消失しているからだ。だが、きみが望むような記憶を、きみ自身に『それが真である』と認識させたうえで定着させることはできる、そういうことだよ」


 まぎれもなく洗脳だった。本人が好きな記憶を作り上げられるというあたり、もっと悪いかもしれない。

 オートとムゥが顔を見合わせていると、突然ひとりの魚人が転移してきた。


「オート。理想の自分になれるそうですよ」

「……いや、いらないですけど」

「そうか。それも選択なのだから尊重するよ。では当事者を連れてこよう」


 二人が学院の玄関から転移したときと同じことが起こった。本当になんの前触れもなく、彼らの近くに魚人が立っていた。


「学長、これはいったい――」


 困惑した様子の魚人は、すぐに喉を押さえ、口を指さし、音もなくゼントヤに抗議をはじめた。三人の線でできた魔術体が近寄ってきて、手際よく拘束していく。


「十五年生のダシス・ザムザムヤ君だ。この男が、オート君を犯罪組織スプルドグルフトから最安値で購入し、被検体として利用した人物だよ」


 ゼントヤには無理筋ではない展開なのだろうが。オートとムゥ、ついでにダシスなる魚人にとっても、心の準備はなにひとつできていないのだ。ゼントヤがきょとんとした様子で見まわし、ようやくただのヒトの感情の運動性を把握したようだった。


「薬物を使うかね?」

「あんた心読めるのに、どうしてその結論を持ち出したんだよ」


 いいかげん、オートの口調も雑になっていく。非合法な人身売買の場においてであっても、自分の価値がもっとも安かったと言われるのは、それなりに悲しいのだと知った。知りたくもなかったことだったが。


「残念だったね、安くて。我々はヒトの価値は金銭で決まるものではないと考えているがね」

「どれだけ利用価値があるかって言うんでしょうが」

「ふむ、その理解の速さ。価格査定で有利になるはずと思うのだけれども」


 なにかを言わなければいけないとでも思ったのか、ムゥがオートの袖を引く。


「安心してください、わたしにとっては、オートには金銭的にも利用の面においても、かえがたい価値があります」

「……ありがとうな」


 ヒトであればためらいや照れを覚える言葉であっても、機械には関係ないとばかりにしっかりと口にしてくれるのがムゥだ。


「ダシス君、聞こえているね。声に出す必要はないよ。そう、読んでいるからだ。我々のそばに立っている人間が誰だかわからない? ああ、なんてことだ……」


 線の手で額を押さえる仕草。突き抜けていたが。それは間違いなく、ゼントヤの嘆きだった。


「忘却を備えているのだとしても、自分の実験試料にした相手を覚えていなければ駄目じゃないか。倫理感の欠如と言われてしまうよ。まったく最近の若い者は」

「怒るのそこかよ」

「我々であれば、細胞の一片とて浪費することなく試料とするからね。そもそも『自分』にできないことは少ないわけだが」


 壁一面に映像が出された。シミラビー河の流れにほど近い場所だから、浮島の下層部なのだとわかった。

 そこにはダシスと、大きな筒の中に入っている全裸のオート自身と、よくわからない、ぬめぬめした肉塊のようなものが映っていた。


「あれは脳食いという生物だよ。言葉の通りに、ヒトの脳みそを食べる」ゼントヤが補足を入れた。自分のことのはずなのに、オートの内側にはまるで実感がわかなかった。「食べ終わったら生物らしく、排せつ物になる。つまりはうんこだ」

「なんでそれ言ったんです?」

「きみくらいの年齢だったら、そういうものは好きなんじゃないのかね?」


 真顔で聞いてくる。彼は、このジジイどうしてやろうかと本気で悩んだ。クソ野郎だった。


「……そういうのは、たぶん俺の半分の年齢くらいまでですよ」

「なるほど。ダシス君に意見があるそうだよ。ふむ。世界ではじめての研究、学長すらなしえていない結果を記した論文が提出されている、もう一度再現させてもらえれば……そういうことを言っているが。オート君、どうかね?」


 ゼントヤにしては具体性のない言葉だったが、オートはその意味をしっかりと理解していた。医者が病人の腹を切るための台の上にはひとりの魚人が乗っかっている。どう料理するのも自由、ということだ。

 差し出された供物。

 彼は以前にも似た経験をしていた。借金取りの、夜見世通りのポルインだ。


「特になにもしませんよ。そっちの好きになさってください」


 オートはもう、その魚人になんの感慨もなかった。

 代行請負を始める前、自分というものがしっかりしていない頃であったのなら、責めていたのかもしれないと思ったのかもしれなかったが。いまとなっては特別やらせたいこともなかった。

 連れ去られて、最安値で売られて、記憶を消された。だが、それらのどれか一つが欠けても、いまのオートは形作られていないのだとわかっていたからだ。

 ――これも欠かさず読んでくださいよ。


「なるほど。それがきみらしさだと宣言するのだね」

「そういうことです」自信をもってそうだと口にできた。「これが俺です」


 ゼントヤが深く頷いた。きっとこの人物は、自分の短い道のりをすべて覗いたのだろうと思った。それでもあまり不快でないのは、ゼントヤがあまりにも超越した精神性を有しているのと、もう一つ、自分もそれを受け入れるだけの余裕を手に入れたからなのだとわかった。


「ダシス・ザムザムヤ君。我々はこういうものを……ヒトの成長を見るのが好きなのだよ。誰にも言ったことはないから初耳だろうけれどもね。よく考えてみるといい、そうでなかったら、どうして我々は学院などという形式を作った?」


 通常の学校とはいくぶん違った形式を取っているが、ゼントヤ研究学院は学び、究める場所なのだ。それはどれだけ増えたとしても、個人で行えることではない。あるいはこの魔術体であれば、自己実験として可能なのかもしれなかったが。

 それをしていないことこそがひとつの答えなのだと、オートにはそう思えてならない。


「傲岸不遜で独立独歩、誰を顧みることなく、世のすべてを己で構成することも厭わぬ変人ゼントヤ。なるほどそれも一面ではある。だがね、それだったら我々は学長という立場での社会参画などこれっぽちも考慮せずに、秘境にこもってひとり研究を続けるよ。今日こそ意外な面白さもあったけれども、普段は面倒ばかりの立場なのだからね」


 魚人のダシスが揺れる。映像は記憶を映し出しているのか、下層の研究者の目から、オートが河に放流されていく光景だった。その中で彼は、現在ダシスがそうしているようにもがいていた。


「ゼントヤ研究学院の規則は非常に緩いけれども、破っていけないこともある。うち一つが『人生に影響を与えるものほど、まず己で試せ』だよ。自己実験だ」

「お言葉ですが、学長!」沈黙が解かれて、ダシスが声を高く張り上げた。「自分が記憶を失ってしまったのなら、それからどうすることもできませんでした! この実験には被検体が必要だったのです! 自分が忘れてしまえば誰にも成し得なかった!」

「記憶結晶というアプローチには目を見張るものがあった。だがきみの意見を問いとして中庭で暇をしているウティメナに投げかけたところで……きっとあくびしか返ってこないことだろう。退屈がより深くなったという嫌味なら貰えるかもしれないがね」

「であれば!」


 どうすればよかったのか――その答えは、魔術の門外漢であるオートにすらわかっていた。合理的に物事を考えるムゥにも。

 正解を彼の心に確認したゼントヤが、手招きをした。


「オート君、答えてみてくれるかね」


 ダシスは束の間、呆然としていた。魔術体が働きかけたのではなく、己がすべてを失わせたはずの者が、把握できない問いの解答を持っている。それこそが信じられないといった表情だった。

 オートは手術台の魚人に近づいた。やはり見覚えはなかった。同情も、敵愾心もなかった。ただの、人生を一変させただけの他人がそこに寝かされていた。


「誰かに頼ればよかったんですよ、あなたも」


 自分がすべてやろうとすると失敗する。そのことはもう身に染みていた。

 すべてのゼントヤたちが彼を見ていた。答えを聞いて注目を解いた。拍手も賛辞もない。だがそれでよかった。有頂天になることもなく、いまの自分はこうなのだと理解できていた。

 再び口を封じられたダシスが、どこかに運ばれていく。出入り口は一つだけしかなかったはずだが、そこは開いていない。一瞬の意識の間隙を縫って消え去っていた。

 見届けてから。ずっと話してきた線のゼントヤが指を振った。物語に出てくる老魔法使いのように。


「それでは」扉が自動で動き、研究室と同じくらいに薄暗い廊下が姿を見せた。「ここまでとしようか」

「それじゃあ、ありがとうございました」

「礼を言われるとは思っていなかったよ。瞬間的に心に浮かんでくるものまでは読めないからね」


 オートは笑った。

 ――まあクソ野郎なところもあったけれども。学長っていうのは校長のようなもので、それならあなたは先生なんでしょう。校長先生だ。


「そう思ったのは、きみで三人目だよ」

「そりゃ光栄なことです……ムゥ、行こうか」


 学校ではそうするのだと聞いたことがあったから、彼はその通りに動いた。


「失礼しました、先生」

「失礼しました――」


 出入り口での礼だ。つられてムゥも同じように動く。ゼントヤは面白そうにそれを見守っていた。

 閉じられた研究実験室からは、再び絶えることのない音が鳴りはじめた。

 ――自分の用事が済んだのだから、次はムゥのことを見てやらないとだな。

 ムゥは機械だが、感情を持っている。そして、それを隠すことがあまり上手でもない。里帰り以上に求めるものがあることを、オートはわかっていた。

 さてそれをどのようにして切り出そうか――彼が悩んでいるあいだに扉が開いた。ゼントヤが伝え忘れでもしたのかと一瞬考えたが、もちろん違っていた。

 ごつんという鈍い音。向き直っても顔は見えなかった。あまりにも高い位置にあるため、隠れてしまっているのだ。

 白くて長い、上半身裸の男。そこまでわかれば、当てはまる人物はひとりだけだ。


「カイラスディか?」

「そういうお前はオートか。隣には、おお、吾輩が作りし最高傑作も。久しいな、ムゥ」


 自称レムリアン。ゆうべ酒場で見たカイラスディ・タタルガが、長すぎる体をかがめて学長の研究実験室から出てきた。



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