#3・オートー2




 ミアタナンの北西の端に位置するゼントヤ研究学院と、街をつなぐ大橋。

 オートもそのたもとまで近づいたことはあったが、こうして渡るのははじめてだった。奇特な縁のあった毛深いダグ・フェイルディナリアは育児に専念するとして衛兵の職を辞しているから、顔見知りはいない。

 薄甘焼きの鉤鼻店主がちらりと彼を見て「今日も買っていくかい」と尋ねてきた。オートは無視した。

 顔見知りは、いない。


「知り合いでしょうか」

「まったくの誤解で知らないヤツだ。ついでにムゥ、命令だ。絶対にあいつの屋台でモノを買ってこないでくれよ」

「なんということでしょう。オートに、はじめて命令されてしまいました。しっかりとこの日のことを覚えておきます」


 あまりにもくだらない命令ではあったが。それでもいいのか、ムゥは嬉しそうだった。

 今日の同行者はムゥ・チャンティだ。晴れた空の元、滝壺の落差を眺めながら浮島へ向かって歩く。

 性別を持たない奉仕機械は、家で動くときよりも広い歩幅を取っていた。年ごろの子が一所懸命歩いていると、思わずなごんでしまいそうな歩き方をしている。


「考えてみれば、なんだかんだムゥと遠出するのはこれが最初かもしれないんだな」

「その通りですね。そして、お泊りをするのも初の体験です」


 特別な名前のない、ただ大橋とだけ呼ばれる石造の上を歩いていく。日中の往来は多い。多様な種族が両脇を歩くか飛ぶなどして、中央には魔術的な機械のための道である専路が通る。

 学院は用件のない者には閉ざされているが、隣接するアーマティハ大図書館は一般に開放されている。そのためか、島へと歩く市民らしき姿もそれなりに見かける。


「私は昨日、寝る間も惜しんで八時間ほど詠唱と集中を続け、ついに魔術による時間を跳躍することに成功した。それで今日というこの日にたどり着いた。途中トランスに入って意識が朦朧としたが、そのはずだ。しかしそれは寝て起きたら翌日になっているのとどう違うのか……」


 だがそれ以上に、ぶつくさと独り言をしながら歩いていく姿が多い。

 五つの異なった紋様を、それぞれ五角形の頂点の位置に配した絵柄を背中に刺繍してある、青いローブのいでたちが大橋のあちこちに散見された。また彼らは、ここが自分たちの領土だと隠そうともせず、肩で風を切って歩いている。


「学院の紋章です。時計回りに、変化・精神・魔術・複雑さ・自己実験を意味しています」


 ムゥがオートの視線を読み取って説明してくれた。


「ここで生まれたのなら、そりゃ知ってるか」

「そういうことです。また、このゼントヤ研究学院には、ほかの学校とは異なっていて、卒業というものがありません。学年が果てしなく積み重なっていくのです」

「ずっと留年してろってことなのか?」


 奉仕機械はかぶりを振った。水気を多く含んだ風が吹いた。肩口で切りそろえられた青い髪が揺れて、白いうなじと、首と胴体を繋ぎ合わせている金属部が見えた。


「学問や研究に終わりがない、それが学長にして最上級生のゼントヤの考え方です」

「立派なことを言うんだな。どんな姿をしてるんだ」

「わかりません」


 あっさりと言われて、オートは肩透かしを食らった気分になった。


「わからないって……そりゃどうしてだよ」

「おそらく、見るたびに姿が変わっているからです」

「魔術は便利だ」


 二人は大橋の終点まで歩いてきていた。

 街の岸とは違い、こちらには衛兵がいなかった。

 面倒事が起こらないためか、起こったとしても対処できる人々がいるためか、それとも問題はすでに起こっていて、それを治めるために出払っているのか――オートにはまだわからない。


「左手側が学院、反対が大図書館です」


 浮島の中央あたり、学院と図書館をわかつように広がる中庭がある。管理の行き届いている芝に花壇が作られ、そこには等間隔に規則正しく花が植えられている。彼が見たことのない形状のものばかりだった。

 そして花壇の中央には、大きな、色のない石像がそびえていた。


「動きますよ」


 ムゥの言葉に対して、なにがだと聞く余裕もなかった。

 石像だったはずのものが華やかに色づき、いくつもの特徴を持った生物として存在していた。ヒトの――おそらくは人間の女の顔、そこに誇張された動物の耳が上向きに伸び、マントのように梟の翼を体躯へ巻き付けてある。そこから伸びているのはしなやかな猫類の手足だ。体こそ覆い隠されているが、女性的な丸みを帯びているのだとわかった。


「問おう、小さき人間よ――」オートも、本でその存在は知っていた。スフィンクス。知恵ある獣。「我にそなたを生かしておく理由がありやなしや?」


 そして、答えられなければヒトを喰らうこともある。

 どれだけの猶予があるのか、答えをどうすべきか……オートが悩んでいると。スフィンクスが俯いた。肩を震わせている。それから天を仰いで、思い切り笑った。


「くくっ……あぁーはぁーはぁ!」


 体が大きいものだから、特徴的な笑いもよく響いた。中庭を歩く人々は慣れているのか、そう驚きもせずに通り過ぎていく。


「なんだこれ。本当になんなんだ」

「冗談というものであるよ。いやぁ、すまぬな人間よ。ついついからかってしまった」


 笑いすぎたのか、目の端に涙すら浮かべていた。それを前足ではなく、梟の翼で器用に掬い取って花壇に落とす。その雫ですらオートの顔よりも大きかった。


「ここにはじめて来る者にはな、こうすることにしているのだよ。もちろん食べはせんさ、安心せい。我は名をウティメナという。さて、自律型魔術法則観測機の隣に立つそなたの名はなんであろうか」

「オート・ダミワード。いまの問いかけっていっつもやってるのか?」

「では問おうか。我が『改心した。このからかいはそなたで最後となろう』と言えば、そなたはどう答える?」


 なるほどと得心がいった思いだった。


「……俺で終わりなんて不公平だろって言う」

「それが答えであるよ! あぁーはぁーはぁ!」


 そしてまた、ウティメナは笑いすぎで出た涙を花壇に落とした。放っておかれたムゥが、ひそやかにオートの袖を引く。


「約束の時間があります、オート」

「ああ、そうだったな。じゃあウティメナさん、俺たちはもう行くからな!」


 梟の翼が大きく広げられた。寝そべった、いわゆる香箱座りの体勢から、前足をしゃんと伸ばした、犬猫がそうするような置物座りに変わる。


「待つのだ。機械の子供よ、問いを与えよう」

「わたしたちは急いでいます」


 苦手なのか、ムゥの態度はいつもよりそっけないものだったが。かまわずにウティメナが言葉を続ける。


「なに、我は問いをやって生業とする者ゆえな。問いとは『おぬしという機械はヒトであるか?』と、それだけである。いますぐに答えは求めぬよ、今日はもう会わぬのだろうし、明日でよいぞ」

「すごいな、やりたい放題だ。スフィンクスっていうのは、もっと神秘的なものだと思ってたけど」

「あぁーはぁーはぁ! それでは差別化ができんで、この場所も奪われてしまうであろうなぁ! 我は親しみやすい、人生相談だってやってみせるスフィンクスを称しておる」


 まるで街角の占い師のような言い草に、オートはつい笑ってしまった。そうして交流していれば満足なのだろう、ウティメナが再び体を伏せた。


「うむ、ではまた会おうぞ。出ていっただけで訪れたのははじめてである機械の子供と、通算で十四万二千五百三十七人目の来訪者、オート・ダミワードよ! 我は問いをもちろん好むが、謎かけを受けるのも好んでいるぞ!」


 スフィンクスが翼をはためかせた。巻き起こった風は花をまったく揺らすことなく、オートたちの背中を押す追い風になっていた。歩く速度を少しだけ早める心地よい風だった。


「あのヒトはまさか、来た連中を全員覚えてるのか?」

「そのくらいをたやすくこなすのが、スフィンクスのウティメナという存在なのでしょう」


 旅人への道標をもたらすものであると主張するためか。わざとらしいくらいに『こちらへゆけ』と言わんばかりの、触れることのできない矢印が伸びていた。オートが振り返ってウティメナを見ると、翼で体躯を包み、また石像に戻ろうとしていた。最後にその横顔に笑みが浮かんだように彼には思えた。


「俺、ああいうの結構好きだな。面白い」

「……そうなのですか?」


 隣を歩いている人間が、いつの間にか別人とすり替わっていた――そんな目でムゥに見られてしまった。


「次から所有者に接するときには、あのように笑ったほうがいいでしょうか。あーはーはー」

「迫力が足りないな。それだとバカっぽくかわいらしいだけだ」


 こう笑うのだ――そう主張するかのように、笑ってばかりのスフィンクスの、あの特徴ある笑い声が聞こえてきた。




 遠くから眺めて、すでにそうだと知っていたが。近くで見ると一段と異様だった。

 ゼントヤ研究学院は風変わりな建築物だ。

 まず、ミアタナン風の住居と共通した部分がまるで見られない。曲線も斜線もない、タテ、ヨコの二つの要素だけで構築された、大小とりどりの箱。それがところかまわず、積み上げられたそばから融合を繰り返して成長した、そんな異形だ。


「待ち合わせはここの玄関口なんだから、ここだよな。まだ誰もいないけど……」


 オートはあたりを見回した。出入りをする青いローブの生徒たちは、この学院の姿に慣れきっているようだった。むしろ、街では埋没するはずのただのやせ男が悪目立ちしていた。

 侮蔑の視線――ではない。好奇の視線すらも、街のそれとは変質していた。どんな技能や魔術があるのかを推し量られているような気がした。

 開け放たれたままのガラス戸の入り口からは薄暗い廊下が伸びている。照明も間接的なもので、四六時中その状態が保たれているのだと知れた。

 その廊下の暗がりから、単体では意味を持たないものが流れてきていた。


「線か、これ」

「そのようですね。魔術的ではありますが、これ単体ではなんの意味も持たない、ただの線としか呼びようのないものです」


 魔術を解析するムゥにも不明瞭なものが、二人のそばにうずたかく積まれていく。やがて廊下からの供給が止まると、線たちが持ち上がりはじめた。次々に接合部を見出して繋がり、ひとつの形を成していく。

 オートは直感した。


「あなたがゼントヤさんですか?」

「やあ。待たせてしまったようだ。すまない、少し手を離せない実験をやっていたのでね。意識が回らなかった」


 声が響いた。喉を使わず、しかし魔術的な――あの肉声とは異なる響きを一切伴わずに。どのようにしたらそれがなしえるのか、彼にはわからなかったが。ムゥが代わりに答えを出した。線が積みあがっていく。


「魔術で声を届けるのではなく、空気を震わせて音を作っているのですか」

「いい目を持っている。性能通りだね」


 空気の振動が終わったときには、形が完成していた。それはわかりやすく常人とは異なった姿だった。

 小さな――それこそ子供くらいの大きさだ――老人のかたちをしている。それだけならどうということはない。だが、その老人には肉がない。骨もない。ただ、老人という形を線だけで組み上げててしまい、現実に素描したらこうなる。そう言わんばかりの代物だった。

 ゼントヤらしき線が口を開いた。喉はこう動く、その結果として発声があるのだと教授するように生々しかった。

 当然のことではあるが。魔術というものは複雑になればなるほど制御が困難になる。サーマヴィーユがあれほど上手に植物を操れるようになったのにも(本人は絶対に歳をごまかすが)百年か二百年かの歳月がかかっているというのに。


「こんな姿で失礼をしている。けれども手が離せないのは本当なのでね。これはちょっとのコツさえ掴めば簡単に再現ができる、まあ大道芸のようなものだよ。ああ、それとオート君。きみの同僚の森の民が使う魔術は、生命に関わるものだから、これと同じ系統として考えないほうがいい。魔術の門に入れぬ者は、ただ『それ即ちかくありけり』とだけ覚え、あるがままを受け入れたほうが精神によろしい」


 オートは動揺した。心を読まれているのかと考えた。


「それは読むことができるものだよ。あまりにも簡単なことであるがね。これはただ、会話に費やす時間を省くためにのみ行使していると理解してほしい。それより、ここで話してもいいのだけれども、そうすると小心者の副長がなにかとうるさい。移動しよう。その場を動かないでくれるかね」

「なにを――」


 口を挟む間もなかった。ごく自然に、オートとムゥは別の場所に立っていた。

 浮遊感も、バランスを崩すこともない。所作もなく魔術が発動して転移が行われたのだと理解できたのは、あたりを見渡せない暗がりの中、彼が気づきまでにどのくらいの時間を浪費するのか観察しているゼントヤを見た瞬間だった。


「そうだった、体があるのだから視覚を持っている。『我々』とは違う。当然のことだな。明かりをつけよう」


 入り口から眺めた廊下と同じ、薄暗い照明が灯された。

 研究室だと一目でわかる部屋だ。あるいは私室も兼ねているのかもしれなかったが、どんな服や本もなく、飾りなどが壁にかけられていることもなかった。当然のように休むための寝台もない。ただ深い青に沈んだ床と壁が広がり、いくつかの台の上に、必要なだけの実験器具が出現しては消えていた。

 広い研究実験室に、二人と、ゼントヤたちがいた。

 複数形なのだ。そうであるならば、己を指して我々と呼ぶことも納得できた。

 たくさんの、線でのみ構成されたゼントヤが部屋のあちこちに偏在し、ときどき研究について意見を交わしている。線で構成されたヒトが、彼の視界の直線状に数人も並んでしまうと、必要以上の重なりができてしまう。結果、線からヒトという意味を奪ってしまっていた。混乱を引き起こす光景だった。

 これがすべて魔術なのだとしたら、ただ便利なだけの技術ではない。その深奥には、途方もないものが潜んでいるとしか思えなかった。


「我々のような存在を魔術体と呼ぶのだけれども。まあ自分でこしらえた名称だよ。研究を続けるうちに、ふと肉体が邪魔だと思う瞬間があった。だから肉体を捨てて研究と実験を続ける方法を研究して、それが実を結んだ。体を魔術で作り、その瞬間ごとの連続性を持たせるだけだ。それだけのことなのによく驚かれる。きみがそうしているようにね」


 魔術の素人であるオートには、線の老人がなにを言っているのか理解できなかった。

 二人を連れてきたゼントヤが話している間にも、大勢のゼントヤたちは各々の研究を続けている。

 近くで、手術台に寝かされた肉のあるゼントヤを線のゼントヤが解剖して、助手のゼントヤが内臓に薬品を注入して反応を観察している。やがて被検体、肉のゼントヤがあらゆる動きを止めた。死んだのだ。ひとりのゼントヤがぶつくさと唱えるとその死体は消えた。記録のために文字が刻まれていく。

 これまでにも不可思議な光景をそれなりには見てきたつもりのオートだったが、これは桁違いだった。


「これを……すべてあなたが制御してるんですか?」

「ふむ、制御では語弊が生まれかねないね。魔術が体になるのだから、あとはそれを複製して、それぞれに『ゼントヤ』という意識を持たせればいいだけのことなのだよ」


 うまく言葉にできない感覚をオートが持て余しているうちに、ムゥが食ってかかった。


「それでは自分という唯一性がありません」

「それは必要なものなのかね?」


 ゼントヤが首をかしげた。本当になにを言っているのかわからないという風だった。


「ふむ。うん……ああ、なるほど! 自分が複数同時に存在することが耐えられないのかな、かわいらしい悩みだ……こういう言い草はよくないのだったかな、オート君はどう思うだろうかね」

「まあ、かわいらしいことに間違いはないですけど。そういう言い方はあんまりですね」


 やっぱりか、と手が打ち鳴らされる。念動力で見るからに重たい実験器具が運ばれていた。運搬の邪魔になっていた、オートたちと話していたゼントヤが砕け散って、通り過ぎたあとに再構築した。何事もなかったかのように――本当に、ゼントヤにはなんともないのだろう――会話が続いていく。一方的なものだったが。


「副長からはよく『せめてうわべだけでもヒトらしくふるまうように』と言われているのだけれども。ゼントヤというものは、もはやヒトのまがいものだよ」

「教える立場なのに、そういう物言いをしちゃっていいんですか?」

「我々はあくまで最上級生だよ。教師ではない。ある時『あなたにはヒトの気持ちがわからない』と言われたことがあった。だから我々の肉体から赤ん坊を作り出し、母親らしい母親の人格を投影した肉のゴーレムを添えて、育てた。子供のゼントヤはゴーレムを母と呼び慕った。死別の瞬間にはとても悲しんでいたよ」

「最後はどうなったんです?」


 ――きっと、いや間違いなく、ろくでもない結果だな。

 オートはまだ聞いてもいないのに、そうなるのだと決めつけた。


「一通り観察が済んだので処分した。あらゆる瞬間の感情を数値化できたよ。もちろんその時の感情もしっかりと記録してあるから、今すぐにでも再現ができるとも。あれを絶望と最初に名付けたヒトは、言葉の当てはめ方が実に巧みだったと考えている。言葉の通りに、最後の一瞬まで無駄にはしていない。そのはずなのだけれども、これを副長に話したら『他の者には絶対に話すな』と叱られてしまった」

「いまこうして聞いちゃってるんですけど?」

「この話を聞いたときの反応と、その数値を観察したかったからだよ。こればかりは自分でできないことだからね。害もない」

「うんざりはしますけど」


 思わずオートは天井を見た。薄ぼんやりとした明かりが、ちらつきもせずに続いているだけだった。ゼントヤと出会ってからまだ間もないが。それでもある程度は把握できたつもりにもなれた。

 ――このゼントヤっていうヒトは生き物じゃなくて、魔術が意識を持って、あれこれ研究や実験をしてるんだな。ヒトのふりをしているから、礼儀正しく丁寧に話したほうが円滑に進むって結果を見て、その通りに実行する。成果の一部だけをすくい取ってみせれば、立派な人物のような気もしてくることがあるのかもしれない……。

 学長がオートの肩を叩く仕草をした。


「その通りだよ」心を読まれたのだ。物質的ではない線で構成された体なので、なんの感触もない。「きみは察しがいい。魔術の素養があれば、実にいい才能を示しただろう」


 ムゥが眉を下げた。


「そんな機能を持っていないはずなのに、くらくらしてきました。オートとわたしは、ここになんのために連れてこられたのでしょうか」

「ああ、それならもう終わっているよ。一部で光神騒動と呼ばれている、あの光の日に起きた出来事はすべて記録してある。そして信仰がほぼ無尽蔵の力になる仕組みも把握した。いつでも自力で人造の神を作り出すことができる。もちろん、だからと言って実行するわけではないよ。効率が悪いし、いまのところ用途も思い至らないから。我々が総動員しても、クベルナという存在にはあっけなく処理されてしまうだろうね」


 オートはクベルナが話していたことを思いだした。ミアタナン全域が白く染まったときもなお、自らの色を保ち続けていた場所があったと。

 そのひとつがこの浮島――ゼントヤ研究学院だ。

 魔術とはまったく異なっているはずの神の力だが。それすらも解析して、魔術でもって干渉することに成功したのだろう。

 どうやって、とは聞かなかった。理路整然とした説明が返ってくるに決まっているからだ。ゼントヤが頷いた。オートの内心を見透かしたように……ではなく、見透かしているのだ。


「女神クベルナが発揮していた力の源泉はきみにあるのだとわかったから、それを知りたかった。だが質問をして、答える。それを繰り返しているだけでは退屈だろうと思い、こうして会話を行いながら読み取らせてもらったのだよ。楽しめているかね?」


 オートはわざわざ挙手をしてみた。どうやったら心を読まれないか試行錯誤をしながらだ。もっとも、ゼントヤの表情を見る限り、その試みは成功していなかった。


「学長、質問です」

「なんだろうか、オート君」

「クソ野郎とか、それに準ずることを言われた回数はどれだけです?」


 これまで会話の相手だったゼントヤに肉色がついた。学院生とまったく同じローブを身に着けた、矮躯の老人の姿だ。どこかゴブリンにも似ていた。オートははじめて、生きた魔術であるものが笑うのを見た。それはこの人物が持つ数ある側面のひとつで、好奇心の塊としてのゼントヤだった。

 髭をなでつけて、学長が考える仕草をした。

 それはどのように答えればいいか、無数の切り口の中から、もっとも適したものを見つけ出すための時間だった。

 角度を変えてみれば、孫ほどの年齢の相手に上手な切り返しを考える、老人の茶目っ気――というようにも見えるものだ。


「きみがいま思っている数よりもずっと多くだよ」




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