#3・ムゥー1




 朝早くのことだ。

 奉仕機械の所有者が、近ごろ日課になっているサーマヴィーユを相手取った訓練に出る前に言っていた。

 今日はきっと大事な手紙が来る。

 虫の知らせなどというものはまるで信じていないムゥだから、オートの言には理由があるのだと推測した。具体的には、昨日の夜、酒場に寄ったと話していたからその時だろうと。

 訓練を横目に野菜を摘み、泥を落として家に裏口から入った。まだ静けさを保っている空間だ。手紙受けが軽い音を立てた。

 玄関扉を開くと、三軒向こうの家に手紙を投げ入れたケンタウロスが走り去っていくところだった。飛脚が天職のように思える種族なのだ。

 オート・ダミワード宛の手紙だ。役所からの税金どうこうではない、青色の封筒だった。精査してみると魔術が複雑に固着していた。魂を識別する魔術だ。宛名の人物であるという自覚を抱いていない者が封を開くと、手紙が燃え落ちるか、最悪ではヒトが燃えることもありえる。

 それを食卓の上に乗せてから、ムゥは食事の用意をはじめた。


「ふぁ……あんただけなのね」

「おはようございます、クベルナ」


 女神からは、ひらひらと適当に手を振る以外の返事はない。それもいつものことだ。


「ちょっとポンちゃん。アレないの?」

「何度も言いますが」ムゥは四回目の説明をすることにした。ヒトであれば、こういう時にため息が出るのだろうと考えながら。「牛乳はあくまでバターやチーズの原料です。なぜあなたはそれをそのまま飲料にするなどと言っているのか、理解ができません。料理で例えるならば、生のお肉をそのまま食べているようなものです。ついでに、アレという代名詞ではなんのことだかわかりません」

「はいはい、まったくやかましいったら。……なんでわからないのかしらね。おいしいんだけど」


 この件に関してだけは、オートですらクベルナの味方をしなかった。それでも故郷の味なのか、小遣いでこっそりと加工前の生乳を買って飲んでいることをムゥは知っている。それはそれでいいのだが、せめて容器は洗ってほしいとも思う。


「貯蔵室の戸を開けたのなら、芋と卵を持ってきてください」


 情けない所有者と違い、機械は神を甘やかさない。


「女神さまをこき使うっていうの?」

「あなただけ食事をとらないのならば、それでもかまいませんよ」


 舌打ち。このやり取りも三度目だ。

 だからムゥには次にどうなるか、その極めて正確な予想がある。クベルナは持ってきた食材を食卓の上に置く。だが一個ずつしかないのだ。


「ほぉら。持ってきてあげたのだから、感謝しなさいな」


 まったくその通りの展開だった。土が布の上に散っているところまで含めて。洗濯物が増えてしまった。

 女神が自慢げに語ったところによると。

 神人という種族には、生存のための飲食は必要ないのだという。だがそれだと気分が下がるしやる気も出ない。だからおいしいものを作ってあたしに捧げなさい、という論理を展開していた。


「はあー。はあーあ」

「ちょっと、なんなのよその露骨に失望したって溜息はっ」


 わざわざ手を洗ってから水気を拭き取って、それから両手で顔を覆う仕草をする。

 露骨に失望しているからこそそうしていると、そのことをわかってもらいたいムゥだ。


「きょうは訓練を見に行かないのですか」

「いきなりね。サーマヴィーユが『きょうはひたすら走るぞ。体力の限界を理解して、それを超えながら走るのは楽しいぞーふふふ』ってきらきらしてたから、嫌な予感がしたのよ。なんでヒトって生き物は、長距離を走っただけで感動するのかしらね?」


 それは純粋なヒトではないムゥにも理解ができないところではあったが。

 クベルナは、本人がいないところでのみ、同居しているエルフのことを名前で呼ぶ。反対にサーマヴィーユも同じことをしているのだから、好きにやってほしいと思ってしまう。


「きょうはいつもより朝食が遅くなりそうですね」


 えー、と不満の声が出た。ちょっと音がくぐもっていたのでどうしたのだろうと確認すれば、クベルナがチーズをくわえていた。食事前の、無許可でのつまみ食いはお約束条項に反する行いだ。


「あっ。やば」


 それでも食べるのをやめないあたり、他の二人よりも反骨の気質が強い。


「わたしがこの家の法則です。クベルナ。法に従うのは住人の義務です」

「あたしは絶対にっ、法ごときに縛られたりなんかしてやらないわ!」


 自由と法をめぐる高度な論争の様を呈してきた。まったく気のせいだが。

 チーズを取り返すために、女神の腕に触れる。機械と神の相性は、どちらにとっても最悪なものだ。

 奉仕機械の感覚器が『まったく存在していないものに触れている』と告げる。光の日より前だったのなら、クベルナにもやけどのような痕跡が残っていたが、現在はそうならない。


「いたっ。ぴりぴりするからやめなさいよっ」


 傷ができるそばから再生しているのか、本当に痛みが消えたのかは本人でないから明確ではない。だがムゥが触れることで目に見える傷が残らなくなったのは確かだった。

 そして女神も、多少は嫌がるそぶりを見せるが、拒絶はしないのだ。


「わたしの手は静電気を帯びているわけではありませんが、あなたの髪を自在に操ることができます。そーれ、えいさーほらさーどっこいしょー」

「なんなのよその掛け声、鏡見せるな、あたしの髪がひどいことに……もうイヤ元に戻して!」

「神の髪が雷を受けたようになってしまいましたカミ。どうでしょう」

「なにがどうなのよ、このぽんこつ!」


 朝食はだいぶ遅くなりそうだった。




 代行請負事務所の朝食は、ミアタナンの一般家庭よりも遅い時間になる。今日はその『いつもの遅い時間』よりも遅れていた。

 オートとクベルナの二人が居間のソファでぐったりしていた。女神に定位置を取られてしまったサーマヴィーユは、隅でしょぼんと三角座りだった。


「なんだってあんなに走るんだよ……最後のほうなんて紐で結んで走らされたぞ。それも手とか首とかじゃなくて足首。脚がもう動かないのに動かさないと転ぶとかっておかしい。サヴィも『市中引き回しですか?』って聞かれて普通に『うん、その通りだぞ』って答えるし……」

「あのぽんこつも絶対イカれてるわよ。『わたしは遊ぶことなど決してありません』とか言いながらあたしの髪をいじくっちゃって。なによ三つ編みって。なんで眼鏡なんてものをかけなくちゃいけないのよ……造った奴が知れたら男も女もなく丸坊主にしてやるわ……」


 両側のソファに寝そべった男女が顔を見合わせる。


「その両側で髪をまとめるやつ、似合ってるんじゃないか」

「べつにねー、あんたのためにやったわけじゃないわよー……。今回は特に」

「いつものにもキレがないな……」


 ムゥよりも身長が高いサーマヴィーユがすがりついてきた。


「ムゥ、あのねっサヴィね、あの子におきにのソファ取られちゃたよぅ……」


 ここは地獄の託児所なのでしょうか、と機械は考える。ありえないことだった。地獄それ自体も、二百を越えたアレが幼児退行を起こすのも。枯れ枝ァという言葉が想起された。言わなかった。今はまだその時ではない。訪れることも望んでいない。


「みなさん、しっかりしてください。オートは手紙を読む。サーマヴィーユは芋のシャツを着替える。それぞれやるべきことがあるはずでしょう。昨夜はばらばらだったので、ここで情報を統一しておかなければいけません」


 全員がのろのろと動いて、とろとろと身なりを整えて。

 再び居間にそろった時は、少なくとも見た目はまともだった。


「サーマヴィーユ。あなたは今日、どうするのですか?」


 司会進行こそは公平かつ公明正大な自分の役割だと、ムゥは一点の疑問すら持つこともなくそう思っている。


「なんだか釈然としないけれども……私は今日と明日、一度だけ月をタルモー=スケィル大森林で眺めてくる」

「里帰りして、一泊二日ってことだよな」

「そういうことだぞ。私は兄の嫁探しもしていてな。ようやく、奇跡的に、これ以上ないほどの婚姻相手が見つかったから、兄のもとへ連れていくんだ」


 それに食いついたのは、派手好きで祭り好きなクベルナだ。婚儀も興味を惹起するらしかった。


「ふぅん。エルフ流っていうのも興味があるけど……」

「だめだぞ。絶対に荒らすから」

「でしょうね。じゃあ、せめてどんな嫁を連れていくのかだけでも教えなさいな」

「肉付きがよくて乳と尻がでかくて年上の処女でなおかつ未亡人」

「なんですって?」

「肉付きがよくて乳と尻がでかくて年上の処女でなおかつ未亡人」


 サーマヴィーユの目が濁っていた。オートが噴出した。ムゥも、顔にこそ出さなかったが、ひっそりと論理矛盾を引き起こして震えていた。彼女が言っている意味がまるで理解できなかった。


「おまえ、自分がなに言ってるのかわかってないみたいね?」

「かわいそうなものを見る目やめろよー……かわいそうなのは兄の頭なんだぞ」

「そう。身内の恥ね」


 直截な言葉を受けて、エルフが、顔面からソファにぽてりと落ちた。断末魔は「でも存在しちゃったんだぞ」だった。


「さすがにお兄さんの結婚に、見ず知らずの人間がついていくわけにもいかないしな」

「……そんなことを言ってると、オート。お前はずっと大森林に来ることがないままだぞ」

「だよなぁ。だから帰ってきたら、しっかり日取りを決めておこう。何があっても行くんだ、そこで」

「そういうのって、たいがいうまくいかないわよね」


 クベルナが茶々を入れたが、サーマヴィーユはそれに噛みつかなかった。エルフはオートに「そうだな」とだけ言った。それで通じ合うものがあるように。

 ドリマンダ・チャンティの最後の一日に起きた騒動は、ムゥ、オート、サーマヴィーユの三人に関係性を生じさせた。

 だがその中で、奉仕機械は受動的で、人間とエルフの『特別』な関係にあとから付け足したような存在……すなわち蛇足であると、そのような感覚が、生素材の人工脳にうごめいていた。陽性に属するものではないことだけがわかっていた。


「つぎです。ゼントヤ研究学院の学長であるゼントヤから招聘の手紙がありましたので、オートとわたしは北西地区の浮島に行ってきます。こちらも泊まりになります」


 ゼントヤ直筆のものらしい手紙は、達筆で、なおかつ科学者らしからぬ情緒に富んだものだった。ムゥも会ったことのない人物だから、記憶野にそれ用の空間を作っておいた。ヒトらしい言葉に直すなら『興味があって待ち遠しい』ということになるのだろう――ムゥはそう考える。


「オートはわかるけれど。ポンちゃんに行く用事があるのかしら」


 これも予想された質問だった。

 理由も明確で、ムゥが誰にも事情を話していないからだ。


「オートの要件とは異なり、わたしもサーマヴィーユのやることに似ています。里帰りです」


 女神が露骨なしかめっ面をした。自分の同型機や、そのほかにもからくり細工と呼ぶべきものがたくさんある場所だと想像したのだろう。正解だった。


「これはわたしにとって必要なことなのです。ご理解を求めます」

「ムゥがわがまま言うなんて珍しいな」

「これが、わがままなのでしょうか」


 人間とエルフが顔を見合わせて笑った。子供扱いを敏感に察知する感覚器が働いた。


「むぅ」

「ついにムゥがむぅとか言っちゃったよ。俺はたまに思っても言わないようにしてたのに」

「ふふ。かわいらしいなーもう」

「やめてください。お腹が内側からこしょぐられているみたいです」

「ふんっ。内臓をひっかいて出てくるのは悲鳴だけだってわかりなさい」


 ひねくれたクベルナが、わかりやすくそっぽを向いていた。だからムゥはにまりと笑ってみせたのだ。サンプルはいくらでも記憶野に入っていたので、普段女神がそうしている笑い方を真似するのは簡単なことだった。


「あっ、このぽんこつ」

「おいこの坦々平野。なにもしてない子を相手に、それはいくらなんでもひどいぞ」

「真の邪悪はアレだって気づきなさいよっ」

「それで……クベルナは、留守番になるのか?」

「まあ、そうねぇ。あたしのことを聞くために、あたしがいないっていうのも変な話ではあるけれど。そういうこともあるわ」


 ムゥとサーマヴィーユが、まじまじとクベルナを見つめる。浮かんでいた女神が、少し後方に動いた。


「なによっ、あたしじゃないモノを見る目してくれちゃって」

「なんというか、だぞ?」

「端的に、四六時中オートにべたべたくっついているあなたが、そのような選択をするのが不思議なのです」


 ふんっと思い切り鼻を鳴らして、クベルナがオートの頭の上に乗ろうとして――サーマヴィーユの蔓草がそれを防ぐ。そのまま拮抗して、女神の不可思議な態度はうやむやになった。


「いいですかクベルナ。留守番というのは、その名の通りに家を守るということです。好き勝手にしていいということではありません」

「わかってるわよ」

「いいか? 知らないヒトが尋ねてきても、まずはこう聞くことを忘れるんじゃないぞ。『あなたは依頼人ですか、それとも泥棒ですか?』だ。さあ、一回言ってみるんだっ」

「おまえ、あたしを馬鹿にしきっているでしょ」

「……まあ、頼んだ。土産は買ってくるから」


 ムゥの見たところ、女神が目にかけている信徒はオートだけだ。だからだろうか。二人のあいだには、奇妙な、それでいて強固な『特別』があるように思える。この瞬間にも、お互いにだけ通じ合う暗号が飛び交っている。

 それは自律型魔術法則観測機――機械である自分には本来観測できないもので、ドリマンダとの一対一の関係の際にはありえなかったものだ。


「あたしをとびっきり喜ばせなさいよ。でないと承知しないって、心に留めておきなさいな」

「はいはい。あっちこち出歩くんなら、代行請負の宣伝でもついでにやっておいてくれよ」


 クベルナが笑い、オートがさらりと流した。


 奉仕機械のムゥは、おおむね快適な日々を過ごしている。

 借金取りの家に押し入りがあった日(もっと端的に言えば集団強盗だ)からこちら、奉仕機械の世界は……関係性は広がる一方だ。交流する相手も増えた。子供たちは、買い物帰りの自分にちょっかいをかけてくる。それもまた快に分類された。

 だが、己がいちばんに優先されるものではないこともわかっていた。。

 光神騒動においても、当初ムゥはクベルナを観測することができずにいて、可能になったあとも別段ない。ただ留守番をしていただけだ。

 戻ってくることを考えて、手当と、夕食の用意をしていたら終わっていた。とはいえ所有者はオート・ダミワードなのだ。「留守番をしててくれよ」と命じられたのなら、それに従うのが機械というものだ。

 便利な道具であることが存在意義だ。芸術的な工芸品などとうそぶかれ、使われずに死蔵されている同族を目にするたびに、使われていないことを当の機械はどう思っているのかと考える。

 だけれど、と思考が深く進む。

 ――この家にいて、家事をして世話をする。それは『わたし』でなければできないことではありません。

 いっそ冷徹なまでに断じた。ムゥは機械だ。生素材も使われているが、現行の魔技術で複製、転写が可能だということを知っている。

 生産費用こそ高額ではあるが、金銭と時間で解決する問題でもある。まったく同じ顔かたちに機能、記憶を搭載した機械を作り、入れ替えてしまえば、唯一の自己など存在しなくなる。それがモノであるということだ。

 もっと言えば、家事をできる機械であれば用足りるのだ、と結論づけた。ムゥがこの家で会計や製作などの細々とした仕事をやっているのは、ドリマンダに引き取られて、そのままこの家に存在したという偶然にほかならない。それだけなのだ。

 だからムゥ・チャンティは、わたしは『特別』ではないのでしょうかと考える。


 視界いっぱいに肌色が広がっていた。掌紋でオートだと判別できた。


「具合……でいいのか、機械は。調子が悪そうだけど大丈夫か」

「問題ありません。ただ少しだけ、家に帰ってきたとき、どのくらいの荒れ方をしていて、どうやって片づけたらいいのだろうかと、そのことを考えていました」


 ムゥは虚偽を述べた。

 真実を口にした場合よりも、場の平穏が保たれると判断したためだ。嘘をつくなと命じられたことはなかったので、そうすることができた。だが作り話を発したのは、これがはじめてだった。


「あたしが神殿を汚すこと前提にしてるだなんて、とっても無礼なこと」

「まずここは神殿じゃないぞー」


 準備するもののない留守番のクベルナが二階から降りてきた。続いてサーマヴィーユも。


「いってきます」


 最初にそれを言ったのはエルフだった。続いて人間が、最後に機械が。

 三人でじっと留守番を見る。催促するように。


「なによ。言えっていうの、あたしに……まあ、いってくるといいわ」

「上から目線だぞ」

「まあまあ、言えたっていうことを喜ぼう」

「おりこうへの第一歩を踏み出しましたね、おめでとうございます」

「なんなのもうっ、さっさと行っちゃえ!」


 なまぬるい視線に耐え切れなくなって、クベルナが叫んだ。

 道行く人々が何事かと怪訝そうにしているのをよそに歩き出した。ムゥの隣を歩いているオートは、しばらくにやにやしたままだった。



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