#3・オートー1




 くるぶしから刈り取られた。意志に反して視界が流れていく。

 手を触れることすらできなかった。

 背中がやわらかい土に沈み込むので、息が詰まる衝撃はなかったが。首に手刀が軽く添えられていた。

 すぐにそれは除かれ、やわらかい肉の手に転じてオートを土から引きあげた。


「……もうさ。勝ち負け以前にほんと相手になってないな、俺」


 手の主であるサーマヴィーユは、弓矢も、蔓草をはじめとするあらゆる魔術を使っていない。オートは体術だけでいいようにあしらわれていた。


「ふふ、当然だぞー」


 オートを転ばせた相手であるサヴィは誇らしげだった。訓練のあいだは、普段着の伸びた芋シャツではなく、戦士の衣装を身にまとっている。外套と二張の弓はさすがに置いてきていたが。

 チャンティ家、あるいはギフルア代行請負事務所の裏庭には、近くの家々を三軒積み重ねたほどの高さの樹木――封天樹がそびえている。その根元に充分な広さの洞があることを知っている者は少ない。

 家庭菜園が端に追いやられて、訓練のための空間がつくられたのは、光神騒動が終わってからだ。

 近所の人々が近寄ることはない。近寄れば、エルフと神によって野蛮に育てられた問題児……家庭菜園の植物どもによる手荒い歓迎があるのだから、その選択は間違っていない。立ち上がったオートの肩が叩かれた。『まあ元気出しなよ。ぼくらはいっつも応援しているんだよ』という風に、一本の植物が葉っぱを上手に使って撫でてくれた。

 サヴィが命じてそうしているのか、それとも植物が意思を持っているのか。いまいち判然としないオートだ。


「最初よりは少しずつよくなっているから、この調子で続けていけばいいんだ。私はこれで食べているんだからな。二百はち……じゃなくて、うん、百五十七歳まで鍛錬してきたんだから、絶対に負けないぞ」

「さすが、頼もしいよ」


 ――生きてる間には勝てそうにないな。

 ことここに至れば、オートも気づいていた。サヴィは歳をサバ読んでいる――それもかなり大胆に。けれども女性の年齢について触れるのはとても危険な行為だとわかっていたのでそうしていない。


「まずはたくさん叩きのめされることだぞ。それが生き残るためにいちばん手っ取り早い方法だから」


 いい時間だからそろそろ終わろう。サヴィが手を叩いた。

 ようやく人々が朝食を終えて、仕事のために動き出す時間だ。ギフルア代行請負の朝は早いが、朝食は遅めだった。

 サヴィには、オートを打ちのめすことで関係の上手に立ちたい、という思いがない。

 訓練は純粋に、荒事に巻き込まれた際に少しでも生存の目を高めるために行われている。この洞で多く死ぬ経験をしておけば、本番でその悪手を取ることがなくなるということだ。それは巡って、彼女が気を配るべき部分を減らし、戦闘を優位に立ち回らせる――だから必要なことなんだぞと、彼女は語った。

 その誠意があるとわかっていて、なおかつ理屈が正しいと感じているから、彼にも不満はない。だからこそ何度も転ばされて、敵わないとつきつけられても、立ち上がろうという気にさせてもらえるのだ。


「ふんっ。そんなの必要ないってことがまだわかっていないみたいね、オート。あたしの信徒なのだから、いつでも見守ってあげてるのに」


 女神でありながら自らをヒトだと宣言しはじめたクベルナが、自分で出した丸い岩に座って、不機嫌そうに鼻を鳴らした。そういう態度を取っていても、模擬格闘が行われている間はずっと見ていたのだから、複雑なものだとオートは思う。


「夜、いきなり胸が苦しくなったと思ったらでかい猫が乗っかってたんだけどさ。見守るっていうか物理的に寝られない」

「ふふんっ。教えられないからって拗ねてみせるのが、利いた風平野のやり方なんだってことだな」

「お黙っていなさいな痩せ老木。この樹齢二百八十三年輪」

「んなっ」


 オートは、ヒトが絶句するところをはじめて見た。サヴィが一瞬、本気で弓矢を取り寄せようか迷っていたのがわかった。

 サヴィとクベルナは仲が悪い。やせぎすの、事務所に暮らす唯一の男が絡んでいると、より拍車がかかる。彼は原因なので突っ込んでいきづらい立場だ。


「おつかれさまです、オート。背中を払いますね」


 言い争いを続ける二人を尻目に、ひょこりと現れたムゥがオートの身なりを整えていった。性別のないこの奉仕機械は「わたしは訓練をしません」と言い張って、それを押し通したのだから、だいぶヒトのわがままさを習得している。


「自分でやれるからいらないっての」


 オートがタオルを持とうとしてもムゥは譲らない。どこかで歯止めをかけなければ、将来的には、ただ口を開いて食べ物を噛むだけの生物になってしまうような気がしているのが怖かった。


「そういうのが男らしさであるように、世話をするのが奉仕機械のらしさなのです」


 なにかを言おうとすると。後ろから冷たい視線が二対、差し込まれた。エルフと女神の仲は良好ではなかったが、こういうときだけは結託する。じめっとした木の洞にいるから、まるできのこだった。


「ねー?」「ねぇ?」

「なんでそれだけで意味が通じてるんだよお前ら」




 円のように拡張されていくミアタナン。その広大な街を、四方の中心を伸びる中央十字通りを基準として、四分割した地区として呼称する向きもあった。

 北東地区には光導教会があり、王城に関係する人々や兵士の宿舎などが広がる。

 北西地区にはゼントヤ研究学院とアーマティハ大図書館を乗せた浮島がある。

 南西地区にはオートたちが暮らすギフルア代行請負事務所や、ひときわ大きな貧民窟と歓楽街がある。

 似た者が集う、ということではないが。地区で日々を送る人々も、どこかそれらの施設や勢力や環境に適応している向きがあると、オートは考える。

 そして、オートとクベルナの歩いている南東部には……特筆すべきものは別段ない。いまのところは。

 とはいえそれが、地区の特色が薄いということと同義ではない。


 ざっけんな角ブチ折ってケツに入れたるぞ手前。やれるもんならやってみやがれ、手前の一つ目をぶっ潰して失明させたらぁ――。

 そう言い合って、ミノタウロスとサイクロプスがそのまま通り過ぎていく。道行く人々は誰も気に留めていない。

 極端な例だったが、あれも挨拶の形なのだという。


「なぁにここ、面白いとこね。十字通りから少ししか離れてないってのに、もう三軒も喧嘩を見せて楽しませてくれるなんて」

「飛び入り参加はやめろよ、絶対だぞ」


 返事の代わりに、クベルナが宙へと浮かんだ。ヒトのかたちをしたものがそうしているのだから、当然目立ってしまう。

 飛んでいるから撃ち落とす。そのくらいの単純さで、猛り声をあげた大工のミノタウロスが、レンガを女神に向けて投擲した。


「獅子よ暴け」


 女神が、振り向きもせずに言葉を紡いだ。一頭が迫るレンガを口にくわえて噛み潰す。そのまま距離を詰めて、前足で牛頭をはたいた。歓声があがる。どちらが勝ってもそうなのだろう。

 南東地域は他のところよりも男女や種族の区別が薄い、そんな話を小耳に挟んだことを思い出すオートだ。

 ――つまりは、誰でも気に食わなかったら殴りかかるってことか。

 男も女も関係なく、ただの個人として見られるということだ。平等といえばそうなのだが、それ以上に腕っぷし主義だった。

 南東地区は目立った施設や勢力はない。個人主義と、そのアクが強すぎるのがその理由だ。ゴブリンやミノタウロス、サイクロプス、火にまつわる精霊と、対応を間違えるとすぐに喧嘩になりかねない種族や、性格の持ち主が多く暮らしている。

 王家が主導して、導火線の短い人々を一か所に集めたという陰謀論も出たことがあるが、すぐに否定された。国民の生活をすべて把握するなど現実的ではないし、そもそも他者に従うことを良しとしない連中なのだから、素直に命を聞くはずがない。そういう論調だ。


「ちっこいのが、このあたりのあちこちにいるわね」

「ゴブリンだよ。あんなナリでも人間より力強いし、予想もしないようなことをやるんだ。良くも悪くも」


 待ち合わせの場所には、すでに目当ての姿があった。依頼主はゴブリンだ。

 ひとりのゴブリンの自己完結を――人差し指と中指の二本で指さし確認もついていた――適当にはぐらかす。実は違うんだよとは言わない。きっとややこしいことになるからだ。


「ハグキ知ってる! おまえ人間だ!」

「うん、そうだね」


「ちっこくてあまり賢くないみたいね、この生き物どもは」


 クベルナが、すかさずハグキと名乗ったゴブリンを小馬鹿にする。


「すかさずヒトの上に立とうとするなよ」

「ハグキ・ゴブリン馬鹿じゃない! おれ、モノゴトがよくわかってる!」


 ハグキがすぐに噛みついた――物質的にではなく、反論として。オートは目を見張った。ゴブリンが、自分の名前のほかにも『おれ』というものを一人称として認識している。のみならず、『賢くない』ということを『馬鹿』と結びつけることもできている。さらには『物事』という単語すら使ってのけた。

 尋常のゴブリンというものは、まずクベルナがなにを言ってるのかもわからずに、気にも留めないだろう。そのことを考えると、天才と呼んで差し支えなさそうだった。


「ハグキ・ゴブリン。ひょっとして、本も書いてたんじゃないかな……『ゴブリンでもわかる家庭医学』」


 著者の名前は、目の前のゴブリンと同じだったはずだ。

 ゴブリンの姓はほぼ全員が同じで『ゴブリン』という。自分の名前ともう一つ……種族名くらいなら、まあ、なんとか覚えているだろうと。そんなはかない希望がそう名付けさせたという。

 ときどきゴブリンの中には、自分の名前すら言えないこともあったが。もちろんその場合、他の連中がそいつの名を記憶しているわけもなく、ナナシ・ゴブリンと呼ばれることになる。

 ナナシは、ゴブリン種族のうちでいちばん多い名前だ。


「おまえ知ってるか! インゼーもらえた! 肉ウジ一匹と泡ないエール!」


 ぼったくられているのか、それともそれを望んで得たのか不明なあたり、実になんともゴブリンだと思った。


「俺も同居人も楽しく読んでるよ。今日の依頼は、交渉の代理ってことでいいんだよな?」


 今日のオートの仕事は、工房の使用権をめぐる問題を、ハグキ・ゴブリンに有利な条件で解決することだ。相手はサイクロプス。手先が器用で、武器やからくりなどを作ることを生業としている者が多い種族だ。自分の作るものに少しでも納得がいかない部分があれば、すぐに叩き壊すのだという。


「そう、ハグキは、ゴブリンだから馬鹿だって思われてる! こっちをそう思ってる馬鹿につけるクスリない! オゼゼ出して、頭よさそうなの雇う、これ正解!」


 ミアタナンにおいて、ゴブリンという種族の社会的な地位はかなり低い。貧民窟の住人よりは少し上、といったところだ。モノを作ることができない、剣の刃の側を持って柄で殴ることがあるなどと、そういう面もあるのだが。ときどき、常軌を逸した発想によって超越した創造を展開することもあるのだ。

 ――俺よりもずっと頭がいいのかもしれないな。

 そう思う――あるいはそれこそが、クベルナと同じ上から目線なのではないか。だとしたら女神は意識してそれをやっているのかもしれない――オートを見て、女神が内心を見透かしたように笑い、彼の頭の上で腕を組んだ。


「いちいち悩んじゃって、おかしいったら」

「……上に乗ったのは無視していいから。雇われ者だけど、おぜぜ貰うんだからしっかりやるさ。ハグキは期待しててくれ」

「よろおつ!」


 頭のいいゴブリンが、ぴっと五本指の手を上に伸ばしていた。


「なんだそれ」

「よろしくとおつかれ、一緒にした! ショーリャク、ジタン!」


 成功すると思っていてやるのだからしっかりやれと、そう言われているのだ。







 交渉はそれなりにうまくいった。最後には圧倒的な力で蹂躙する役割の(断じて制圧ではなかった)クベルナが、本人なりに軽めに暴れてカタをつけていたが。それでも女神は満足そうにしていた。

 一応は法が敷かれているはずのミアタナンでも、南東地区ではより強い力のほうが説得力を持っている。

 ハグキ・ゴブリンは週に四回、住居の近くにある工房を使うことができるようになった。『爆発や危険物による建造物への被害は自己負担』ということになったので、ハグキが不満そうにしていた。爆発や薬品をむやみに使わなければいいんじゃ、とオートは素人考えをする。


 ひとまずは成功といっていい結果をおさめて、帰路についたころには夕食の終わりごろだった。

 代行請負では、仕事のない日はできる限りそろって食事をするようにしていた。だが依頼が入っていれば別だ。どれだけ時間がかかるか判然としないことも多いので、その場合は待たずに、家にいるヒトのみでさっさと食べる。そういう決まりになっていた。


「クベルナ? ……あいつ、またなのかよ」


 隣を歩いていたはずのクベルナが姿を消していた。

 かつて女神が住んでいたギフルアという土地には、それほど娯楽がなかった。オートはそれを当の本人から聞いている。だからだろう。いつの間にか店の中で商品を眺めているということが何度もあった。

 日が長くなってきていた。

 薄暗闇の路地に、一軒だけ明かりのついた建物がある。扉が取り払ってあって、誰でも入ることのできる構えだ。賑やかな騒ぎ声が響いてくる。クベルナは神らしく、騒がしくて明るい場所――祭りなどを好む。きっとここだろうと入ってみると、彼が思ったとおりそこにいた。酒場なのだろう、ジョッキやグラスを持った雑多な種族の人々の輪、その中心だ。

 ――さっきは暴れたんだから、そういう気分なんだろうな。

「興が乗らないの」と言うときは、そのやかましさを少し離れた位置から見守ることもある。そういう二面性が、彼の信じる女神にはあった。


「あははっ、バッカみたい。おまえ、男に逃げられてからどうしたっていうのか、もう一回言ってみなさいな。大声で。恥をかきなさいっ!」

「捨てないでくれって男のズボンに縋り付きましたっ! 脱げました! 馬鹿野郎って言われてそのまま逃げようとしたから、もう一回、今度は下履きを――」


 笑いがさざめくなか、クベルナがオートに視線を投げた。気に入ったからここで時間を潰すということだろう。盛り上がっている途中から参加する気力もなかったので、カウンターに腰かけた。


「いらっしゃい。どの酒だいアンちゃん。タルモー=スケィルの酒なんて珍しいものから、酔うためだけの安酒もあるぜ?」


 店主なのだろう、貫禄のあるトカゲがカウンターの中から話しかけてくる。


「飲むなって家族に言われてるんだ。ひたすらうっとうしく絡み酒するらしくってさ」

「なに、そういうのだっていいんじゃないかね。おれじゃない誰かにからんで、喧嘩になってくれりゃ楽しめる。あとモノは壊さんでほしいがね」

「食べ物はあるの?」

「トカゲの尻尾肉の輪切りステーキならいつでもあるぞ!」


 すぐ生えてくるからな、と豪快に笑うトカゲ店主だ。オートはそれを頼んだ。

 ミアタナンでは、己とは別のヒト種族をどう扱うか、個人の裁量によるところが大きい。魚肉は魚人の肉であるかもしれないし(両方食べたことのある『美味求め』の著者いわく、そんなに味の違いがないという)、チーズの原料はミノタウロスの乳から出たものかもしれないのだ。

 肩をすくめるだけにして、彼は水を受け取った。食ったらうまい。それだけでいい。あとのことは深く考えないに限るのだ。

 板場で油音をたてるステーキを待っているあいだ、暇つぶしにと店を見回してみる。ひとりの男が立ち上がったのが目についた。ただの男ではなかった。全身から色がすべて吸い取られてしまったかのように白い体の、やたらと細長い人物だ。

 ムゥを縦に二人分積んで、ようやく同じくらいの高さになるほどの背丈をしていた。

 人間でも魚人でもない。とはいえ巨人は家くらいならひとまたぎで超えてしまう大きさなのだから、それとも異なる。これまでに彼が見たどんな人物とも違う風体をした男だった。上半身が裸だった。

 オートが見ていることに気づいたのか。その長身がカウンターに向かってくる。歩くだけで、体と同じくらいに白くて長い髪が、蛇のようにうねる。

 がん。天井を支える梁に思い切り頭をぶつけていた。赤くなった額をさすりながら再び歩き出す。

 ごん。一歩目で、長すぎる髪を自分で踏んづけて仰向けにひっくり返った。


「ははは。額も首も痛いな」


 男が、オートの隣の席に腰をおろす。無表情のまま笑うものだから、彼はびくりと震えた。


「あー、その……頭大丈夫か?」


 二つの意味でだったが。

 通常ならヒトにとって足を垂らすための高い椅子のはずだったが、白い男にはちょうどいい高さらしい。がっしりと座った。


「レムリアンだ」


 機能的な響きのある声の内容は唐突なものだった。やっぱり大丈夫じゃないのか、と内心で溜息をついた。そんなのに絡まれるのだから、それなりにはついてない日なのだろう。


「なんだっていうんだ」

「吾輩だ。種族としてはレムリアンで、名前はカイラスディ・タタルガという。三歳だ。ついでにこの酒場には今日はじめて来た」

「俺はオート。見ての通りの人間。そっちは聞いたことない種族だけど?」


 当然だろう、という風にカイラスディが頷いた。オートはいちいち見上げないと、彼と目線を合わせることもできない。


「かつて――魚人たちが海に発生する前の時代がある。レムリアンはそこであらゆる海を支配していた種族だ。九つの海の底にそれぞれ特色を持った超文明都市を建設し、それらは緊急時には合体してひとつの浮遊大陸・レムーリアとなる……。そこではあらゆる生命の研究が行われていた。人々は己すら改良していった。そうして研ぎ澄まされていった種族がレムリアンで、吾輩はその最後の生き残りだ」

「そうだったのか。知らなかったよ」


 そのような話はまるで聞いたことはなかったが、もっともらしい語りには引力があった。


「という設定を作ったのだ。以来、それに準じて生活している」

「んんっ?」


 いきなり胡乱な気配が漂ってきた。

 三歳だとのたまうカイラスディが、我関せずとばかりに酒を勢いよくあおった。トカゲ肉の輪切りがオートの前に置かれる。尻尾が短くなったせいか、歩き方が微妙に変わっている店主が、またしても笑った。


「この白長いアンちゃんの言うことはね、名前以外はみんなウソっぱちさ。こないだも来てくれてたさ。言うことが振り切れてて面白いからいいんだけどね」

「あのなぁ」


 視線の温度を下げたオートが睨むものの、はっはっはと無表情のまま笑っているカイラスディにはまるでこたえた様子がない。


「ひとつだけ訂正がある。名前と、年齢は真であるのだ」

「お前みたいにでかい三歳がいるかよ。ついでに酒も飲んでるし」

「理想の自分というやつだからな、なんだってアリなのだ。はっはっは」


 その肉は美味であると見た、証明したいので一口くれ。やだよ。そうか残念だ……ところで唐突に腕を光らせてみたんだがどうか。ウチにも目が光るのがいるから新鮮味はないよ。ふむんなるほど。ていうかさ、なんだってそんなにでかくなったのさ。注目を集めることができる、他人と異なった視点を獲得した、なにより玄関などで頭をぶつけることができる。いちばん重要なのは三つ目って言うんだろ。まったくもって正解だ、お前は酔狂を解してるな!


 酔っ払いばかりで与太話のやりがいがなかったのか、カイラスディは席を立つこともなくオートに絡み続けてきた。


「お前と共に来たあの赤毛の女性形。あれがお前の神なのだろう?」


 クベルナ。彼はそう叫びそうになった。女神はタンバリンを鳴らし、狂騒じみてきた興奮をさらに大きな炎にしている。


「超古代文明の科学って言っておいて、神さまを信じてるのか?」

「そうでもない。オート・ダミワード、お前よりは信じていない」


 当然のように、彼が名乗っていない姓を知っていた。他人から調べられているという薄気味悪さが、思考を悪いほうへと傾けていく。

 ――ダミワードは家を調べられて焼かれたんだ……。


「だがその存在があることは知っている。このあいだの宗教的祭日……光の日だったか。ゼントヤ研究学院ではあの日、魔術ではない、それでいて大がかりな術法を観測していたのだ」


 腰を浮かしたオートを、白長い男は身振りだけで制した。彼の頭くらいの位置に腕があるので、そのまま伸ばせば充分なのだ。


「争うつもりはない」


 唐突に腕が光った。それだけだった。彼の精神が落ち着くとか、洗脳されるとか、そういった効果はまるでない。


「いいだろこれ。お前も光らせてみるか? 安くしてやれるが」

「ひたすらいらない」


 ただ気が抜けたオートだ。腰を落ち着けた。トカゲ店主は争いの気配が去ったのを察してつまらなさそうにグラス磨きに戻った。


「一方的に解体するつもりはあるってか?」


 カイラスディがゆるやかに否定した。身長差もあって、子供扱いをされているようだ。


「実行可能であることと現実的であることには大きな差異がある。吾輩はそう思っている。魔術師は市井にも暮らしているが、騒ぎはそれほど起きないだろう?」


 オートにとっての魔術師は、大森林からやってきたおのぼりエルフのサーマヴィーユだけだ。街に暮らしている魔術使いたちがどういう生活をしているのか、ほとんど知らないでいる。せいぜいが『魔術で金銭を作ってはならない』という決まり事くらいだ。


「倫理とか協定とか、そういうものがあるって?」

「ないな。まったくない。暴れる者は暴れるぞ、はは」


 表情の変化に乏しく、声だけで笑う白長い男はそれなりに不気味だ。


「だったら、出っぱったやつだけが討たれるのか」

「その通りである。学んだわけではない、家系や、先祖返りなどの遺伝などもある。生まれつき魔術を使える連中だ。彼らはあまり自制をせずにふるまうことも多い。やりすぎることもな。そうなったら王家の勅命が出て処理されるか、あるいは研究学院にお鉢が回ってくるのだ。資料としての価値のみが残されたものとして、あとは好きにしていいと」


 グラスが干された。隣の席までにおいたつ、澄んだ緑の液体がもう一度注がれる。それをひと舐めして、カイラスディがもう一度口を開いた。


「嘆かわしい話だな。他人をさばくよりも、まず自分で試せというものだ」

「嘆くのそっちかよ」


 魔術は便利な能力で、しばしば暴力にも転じる。

 その一方で、単純な物理的な力のみでは実現不可能な事象を達成するための技術として、銀線細工獣車や奉仕機械、街路灯に義動肢、代理臓器といった、生活や生存をより高い水準に押し上げる技術を生み出すこともある。

 同居人で、魔術を使うサヴィが、もっと端的に評していた。


『棒きれを持って暴れる。刃物を持って暴れる。魔術でもって暴れる。それだけだぞ』


 ものは使いよう、ということだ。間違ったこと、危険なことをしたら目をつけられる。容赦なくその場で命を止められるか、研究学院に送られて考えるのを止めることになるのかは、しょせん程度と運の問題なのだろう。


「そうじゃなくて……クベルナが神だって知ってて、どうするつもりなんだ」

「一度だ。一度だけゼントヤから声がかかるだろう。とはいえ拘束してすぐ解剖、ということはない。あの女神をそうしようと思ったら、学院すべてが壊されることも覚悟しなければならんだろうからな。オート、お前だけでいいそうだ。もちろん報酬は出る」

「俺だけだって?」

「そのようだ」


 大地を自在に操る、何百匹もの獅子を出す、蜂の多様な毒、稲妻、その他もろもろ。それを、決して死ぬこともない存在が際限なく行使するのだ。

 オートでもわかる。クベルナは、凡百の魔術師たちがどれだけ束になってかかったところで、まるでお話にならないほどの強者だ。


「ゼントヤ学長は、来歴などを質問して、信仰が力へと転じるメカニズムを調査したいと言っていた。あとは自分でやれるのだしな」

「それだけの才能があるってことか……」

「だけでなく、熱意もある」


 ひとしきり騒いで気が済んだのか、当の女神が賑やかな渦の中心から抜け出してくる。


「あぁ、楽しかったわ。それなりにだけど」


 上機嫌なままオートの隣に座って、ごく自然に肉の残りをつまんで食べた。最後の一切れだった。


「お前なぁ……」


 油のついた指を舐めとる――その前に、さっと手拭きを渡した。見とれてからかわれるなどと、そんな失敗は二度繰り返さないつもりだった。


「神に捧げものができるってこと、光栄に思いなさいな。そっちの白くて長いのと――ほんとに長いわね。いいけど。あたしのことを話してたみたいね。刈り取る?」


 やめろと言い含めるオートだ。クベルナはごく自然にカイラスディを処理しようとしていた。女神は害する可能性のある他人の生死の状態について、驚くほど無頓着だ。


「女神クベルナ。明日と明後日、このオート・ダミワードをお借りしたい」

「ふぅん。こいつがあたしのものだってわかってるのはいいところよ。だけど従ってあげる道理がないわ」

「なんで俺のことをおまえが決めてるんだ……乗るなよ、手がまだべたついてる」


 女神の、椅子に膝立ちになってまで人の頭を抑えようという執念には目を見張るものがあった。


「むろん無償ではない。そちらがひと月は暮らせる額と、女神にとっても、オート、お前自身にも損のない条件を用意してある」

「言ってみなさいな。つまらないことだったら、おまえのそのまがいものの体、粉々に砕いてあげるわ」

「いいだろう。意外だろうが……こう見えて吾輩は自意識とプライドの塊なのだ。自分が注目されていないと気分が悪くなる」


 カイラスディが無駄に光った。今度は虹色に。

 見ればわかる、とは誰も言わなかった。クベルナですら呆れていた。レムリアンが光ったまま、オートの顔を見た。


「オート・ダミワード。ゼントヤ研究学院では、お前の失われた記憶を補填することができるぞ。ははは」


 やはりレムリアンが、意味もなく笑った。無表情のまま。

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