#2-15




 それは光でできた巨人だった。名前も持たない光神は、上体を起こすようにして膨張を続け、見える範囲でもっとも大きな存在になっていた。クベルナには巨大化する術などないので、巨体のすべてが質量であるならば物質面においての不利は否めない。

 ――とはいえ、父さま母さまほどじゃないわ。

 天と太陽に比べれば、ただの光などその従属にすぎない。負けてやる気もさらさらなかった。


『回答の期限がやってきました。選択を』


 白ばかりに染められた街はその一面が光の海だ。代行請負事務所の上空のちっぽけな青空が女神のもので、それ以外のすべてが光神の領域だった。

 クベルナと光神はミアタナンの中央十字通りで、事務所のある南西と光導教会のある北東にそれぞれ浮かんでいた。


「答えてあげるわよ。その前に聞かせなさい、おまえ、これからどうするの?」

『クベルナ。あなたはまるでヒトのような質問をするのですね。光神はあまねく世界を救済します。差異があれば関係が生じ、関係が軋轢を生み、軋轢が争いの親となります。すなわち万人が万人へ争いを挑む状況です。そうはならないように、たったひとつの存在が世を統べるのです』

「ふぅん。それってあまねく民をそうするつもり?」

『差異があってはいけませんので』


 自由意思を奪い、たったひとつの存在を妄信させる。

 ――神っていうより、王のふるまいね。

 心の灯を、いちばんの信徒を奪う行為を許すわけにはいかなかった。気に食わない相手ではあるが、こちらでの唯一の同族だ。

 自己を確立するまでの長い期間と、それまでに捧げられた祈りのことを思えば、少しだけ同情のようなものが芽生えないでもなかったが。


「決裂よ。支配はさせない」


 いまのクベルナはわがままな、少数のための女神だ。己の欲しいもの、すでに己のものとなっている存在を奪われるつもりはなかった。


『支配などしません。行うのは教化と統治です』


 その三つには通ずるものがあると理解していない純粋さは、ヒトの個を把握しようとしていないところに由来するのだろう。生まれたばかりの神なのだ。それが力を持ち、理想を押し通そうとしている。


「最後にもうひとつだけ聞いてあげるわ。おまえは神かしら?」

『間違いなく。光神は、神にほかなりません』

「なら、神のごとく死になさいな!」


 異教の神と人造の神による討滅戦、その開幕の言葉だった。もう後戻りはできない。

 光神の体躯が輝いた。次の瞬間、無数の光線が弧を描きながらクベルナへと迫る。その一本ずつが、ヒトのはかない肉体を消し飛ばすのには充分な熱量を保っていた。


『神は不滅のものです』

「神も死ぬものよっ、獅子よ弾め!」


 クベルナが呼び出した獅子は、これまでで最も大きな一頭だ。それは女神を守護することなく、宙を駆けて光神へと食らいついた。光線が女神の身体を貫いていき、極大の一筋が飲み込んでいくが。光が突き抜けた跡にはそのままの姿の女神が浮遊を続けている。前回とは違い、傷を負った様子はない。


『どれほど持つのでしょうか。クベルナ、あなたは愚かな選択をしています。光神はいまからでもそれが撤回されるものだと期待しています』


 獅子が光神の首筋を噛みちぎる。だが神の肉片――光片が輝きを増すと、そのあぎとからなます切りにされ、獅子だったものは毛の一本すら残さずに散って消えた。


「期待だなんてずいぶんと弱気なことを言うわね……霹靂よ灯れ!」

『それでは力強く、要求と言い換えましょう』


 稲妻と光線が衝突し、白い街がより濃い白に塗り替えられた。余波で祈りを捧げる人々が傷つかないようにと、光神が影響の強い箇所に光膜を張っているのを、クベルナは見逃さなかった。


「群れなさいな」


 クベルナのその一言だけで、ミアタナンの全域の、光神への礼拝を続けるすべての者のもとに獅子が現れた。ヒトを食い殺すのには充分な大きさと獰猛さを備えている。


『民を守ることは、光神の役目のひとつなのです』


 光神の対抗手段は単純だった。人々へと己を憑依させ、すべて管理する。獅子に襲われているすべてのヒトを操作したのだ。巨獣をいなし、銀線細工獣車をはじめとする工匠の品や魔術で撃退していく。クベルナにとっての弱点は、そのままその従属にも適応されていた。

 もちろん光神は、喧嘩をふっかけてきた女神を屈服させるための攻撃を欠かすこともない。

 光線をはじめ、存在そのものの圧迫、亜空間への追放、全方位から防御術で固めることによる疑似的な消滅といった、あらゆる攻撃手段を用いる。そのいずれもが命中し、効果を発揮するのだが、それが終わったあと、そこにはまだ嗜虐の笑いがそのまま残っているのだ。

 だがその一方で、女神からの干渉もすべて無意味に終わっていた。

 下方からの樹木による拘束、力の衰滅、焦熱による抹消、光神の体内へ直接獣を顕現させる荒技。すべて意味を成さなかった。

 千日手だ。不滅の存在同士がお互いを損ないあってもなにも起こらない。周囲が被害を受けるだけだ。狙うべきは、神という存在を支えるもの――ヒトだ。


『オート・ダミワードという者はどこにいますか』

「答えると思ってるのかしら。おまえのお大事なでぐのぼうの居場所はわかってるけど。それに、あちこちにいる信徒どももね?」


 光神は動じなかった。挙動もないままに光線が一筋、路地へと注がれる。岩が傘のように広がり、それは防がれた。


『あなたは防がねばならない。その確信がありました』

「わかってることを聞くんじゃないわよ、鬱陶しい」

『大礼拝堂へと向かっているのですね。光神を誰よりも信じていた信徒のもとへ』


 光神は、はじめに神の依り代となったテクーについて語るときに過去形を用いた。それもまた、クベルナにとっては気に食わないことだった。

 短い時間で立てた作戦は単純明快だった。最大戦力となった女神が光神を止め、オートがその間にテクー・アウストロスをなんとかする。なんとかの部分は自己裁量だ。


「滑稽なものじゃないかしら。これだけ大きな力がぶつかり合ってるのに、ここでは何一つとして決まらずに、いたずらに時間だけが費やされてる。ただのヒトたちが趨勢を決めるのよ。どっちが勝つか、祈ってみたらどうかしら」

『神は祈られるものでしかありません』


 クベルナは笑った。かつての己が見捨てられたように、常日頃は神にすがっているというのに。いざというとき、ヒトは自分たちの力で事態を決定することがある。

 過去と異なっていることは、望まれてここにあるということだ。光神もまた、誰かの望みであるように。


『たどり着けなくなれば、それは光神の勝利となるでしょう』

「あら、それなら勝ちを譲ってくれるってことかしら」

『この閃光でもって返答とします』


 再び光線が降り注いだ。直前のものより重かった。







「神々ってのはどいつもこんな出鱈目なのかよ!」

「ヒトの間でも、命がけのいくさはこんなものだぞ!」

「人間が、あんな光を撃てるわけないだろ!」


 オートは叫んだ。走っているからそんな余裕はないはずだったが、それでもそうせずにはいられなかったのだ。

 命の危険が白熱した光線の形をとって降ってきたかと思えば、無骨な岩がそれを防ぐ。そうしているうちに光神の信徒たちが襲い掛かってくる。それはサヴィが蔦で拘束して無力化した。ムゥは留守番だ。

 二人とも、それほど方向音痴というわけではないが。蜘蛛の巣よりも細かく路地が通っているのがミアタナンだ。彼らはまだ、大通りを進まないと目的地までたどり着けそうもなかった。


「こっちの道でいいのか? あの薄甘巻きの屋台はうまそうだからあとで買ってくれ!」

「道はあってるけど屋台は変えといてくれ! ……いやでも芋虫食べるんだし、人間の卵くらいならいいのか」

「いま深刻なエルフ差別があったぞ。私にはわかる」

「こんな時まで遊んでるんじゃないわっ!」


 上空で戦っているはずのクベルナが、二人のもとへ降りてきた。

 その姿が揺らぐ。この世界から亜空間へと転送する神聖術だ。傷をつけるのではなく、ただ消滅させる。尋常の魔術ではない。隣をゆくサヴィが、消えるのかと険しい目つきをするが。オートはその心配をしていなかった。

 彼が信じている限り、女神は不滅なのだとわかっていた。


「広場を突っ切ったらあの神もどきの本拠よ、道を狭くするから気を付けておきなさい!」


 それだけ言ってまた舞い上がる。太ももがまぶしかった。オートは肘でつつかれた。


「とんでもないものを受けてた気がするぞ。あれ、やせ我慢じゃないのか?」

「アレがそんな我慢すると思うか?」

「ないな」清々しいほどの断言だった。「こないだ私の焼き菓子を食べてた。森の民は獲物を取られたことを一生忘れない」

「都合で森に戻るよな、お前も……クベルナも生菓子取られたって怒ってたんだが」


 別の大陸からやってきたらしい女神も菓子の恨みを忘れない女だ。

 こんな時だというのに、森の民はそっぽを向いて口笛を吹いていた。それでも襲撃には対応しているのだから、理不尽がまかり通っているなとオートは思う。抗議のためか、路面からサヴィへ届かないくらいの長さをした槍が突き出される。横槍だった。


「広場だぞ。道が狭くなるって言ってたが……きゃあっ」


 ときどき、同居しているエルフはかわいい悲鳴をあげる。無理もなかった。

 地震が滅多に起きないミアタナンでは極大の揺れだろう。立っていられないほどの振動というものを、彼ははじめて経験した。

 ついさっき、法王と談笑した広場だ。二人の前に狭まった道が一本だけ残っているのを除けば、その上に乗っている人々もそのままに広場全体が浮き上がっていく。動揺や悲嘆の声がひとつもないのがかえって不気味だった。


「あのクベルナは、ここまでやれるのか」珍しくサヴィが戦慄していた。

「あんな力を使い放題なんだから、そりゃ上からな性格にもなるな」


 そんな地上での会話を知ってか知らずか、超越者たちが言葉を交わしていた。下々にまでよく響く声だった。


「さぁて、どうするのかしら。いまあたしを害したのなら、この小さな浮島ふたつだって落っこちちゃうかもしれないわね?」

『なんと卑劣なことをするのでしょう。神とはヒトを助けるものであるはずなのに』

「ああっと。おバカな言葉で浮島が滑っちゃたぁ」

『光神の民よ。安心するのです。光神はいつでもあなたたちを守る存在であるのですから。……クベルナ。光神はあなたを化身として用いるという提案を却下します。あまりにも非道が過ぎる』

「あらあら、お話をしっかり聞くのに集中してたら島が垂直になっちゃったぁ」

『ああっ。そんなひどいことはやめなさい』


 支えでも作っていたのか、誰一人として落ちてはいなかった。これだけ大仰な事態になっているのに、いまだ死者が出ていない。

 意思のないはずの信徒たちに、どこか焦った様子で語りかける光神へ同情してしまいそうな光景だった。彼の女神は、指を口元に添えながら遊具のように浮島をもてあそんでいる。


「……なんというか。どっちが悪役かわかったもんじゃないな」

「なにを言ってるんだオート。敵の戦力は、削げるときにできる限り減らしておくものだぞ。今回は殺しちゃダメだからそうしているけど、これからはやれるときにヤれ。ためらうな。それが鉄則なんだぞ」

「そっか。そうだね」

「そうだ、これからは訓練をしよう。ムゥも一緒だ。そうすればお前たちもミノタウロスたちの喧嘩を止めに入ることができるぞ。一緒に仕事ができるようになるんだ。うん、とてもいい考えだと思わないかっ」

「そっか。そうだね」

「決まりだぞ。うん、楽しみだ」


 近くに蛮族思考の女性しかいないことを嘆きながら、オートは唯一舗装された路を走った。サーマヴィーユ先生は有言実行の戦士だ。やると言ったらやる女だ。ムゥにもとばっちりが及んだことを心の中で詫びつつも、明るい、嬉しそうな顔を見てしまえばなにも言えなくなる。

 立場が弱いのはいつだって男なのだと彼は思った。




 たどり着いた光導教会の大門は開け放たれていた。大礼拝堂も同じだった。聖堂に満ちた歌声が街へと漏れていく。

 儀礼の場ではあったが、内部は驚くほどに整然としていた。天上へとそのまま通ずるような印象を受けるほど、屋根は高く遠い。文様や装飾だけで教義の主体である光を表現している聖堂は、光が差し込んでおらずとも闇に負けることはなく、夜でも明るいつくりだと、その構造で主張していた。

 信徒たちは中央の身廊を避けてかしづいている。法王のひときわ豪奢な服装が、ごく当然のように祈る群衆のただなかにあった。


『たどりついてしまいましたね。これが最後になりましょう。騎士たちよ、立ち上がるのです』


 銀の甲冑姿の神殿騎士たちが身廊と側廊に立っていた。正面にはたったひとり、トカゲの騎士だけだ。戦陣隊長と呼ばれていた男。己の尻尾で鞘を回し、滑り落ちてくる巨大な剣を体の前で受け取って構える。


「……さすがに数が多いぞ」


 エルフの声に緊迫の色が乗っていた。それが引き金になったように一頭の獅子と蜂が現れた。これまで見てきたものと違って、女神を彷彿とさせる装身具を身に着けている。蜂にとっては重しでしかないように思えるが、問題ないらしい。

 異なる神の力が衝突し、奇妙なほど軽やかな爆発音が響く。ステンドグラスから差し込む光が一段と際立つ。


「神よ」


 誰がその言葉を発したのかはわからなかった。あるいは、二人以上が同時に口にしたのかもしれなかった。


「オートは本命を頼む」

「ああ。……テクー・アウストロス! そっちに行くぞ!」


 駆けだしたオートを阻むように騎士が二人立ちふさがる。鍛えてきた者が、神の力を引用してますます強靭になっていた。そんな者たちが、勝つことを目的として、ただの人間相手にも数で勝ってくるのだ。

 信徒席を強引に抜けていこうとするが、ヒトが多い。オートが有効な手を打てずにいる中、騎士たちは大きく跳躍して、移動を阻害されない空中を渡ってきた。器用にも背もたれの上に両足を乗せて着地する。前後から挟まれる形になった。

 トカゲの戦陣隊長は、大剣をまるで包丁のように軽々と振り回している。振り下ろしから振り上げ、それを途中で止めて横に薙ぐ。光神の祝福もあるのだろうが、普段から鍛錬を怠っていないのだろう。驚くべき体の強さだった。

 もちろん、敵以外を傷つけることがないように立ち回っている。加えて霊的ななにかがあるのか、エルフは床や壁から蔓草を出すことができないようだった。援護は期待できなかったが、相手方の最大戦力を押しとどめているだけでも充分な働きなのだ。

 獅子が木の長椅子を吹き飛ばし、乗れ、とばかりに吠える。彼を取り囲んでいた騎士たちは人々を受け止めているので手一杯のようだった。


「行ってくれ!」


 たてがみを掴んで叫ぶ。彼の視界がブレた。いきなり目玉が引っ込むくらいの圧力がかかり、すぐその反動が来た。途中で手を離していないのが奇跡だった。ふさふさの毛から落ちて、勢いよく転がる。背中を打ちつけて息が詰まった。

 ――どれくらい寝てたんだ!

 時間の間隔と見当識が失われていた。入り口のほうへと目をやると、サヴィが戦陣隊長と、蜂が騎士二人を相手取り(不可思議な光景だった)、獅子がオートを取り押さえようとする残りの戦力を押しとどめていた。

 彼は神を信じるように、そのしもべと、同居人を信頼した。壇上へと登るための、階段と梯子の合いの子のようなものを手足のすべてを使って登る。


『オート・ダミワード、女神クベルナの唯一の信徒。あなたはなぜこのような騒乱を引き起こすのです?』


 壇上にて彼を待っていたのは、テクーではなく光神だ。巨漢は太陽を支えるように腕を上げたまま動かない。大礼拝堂に足を踏み入れた時からそうしているのだから、そろそろ疲れないのかとも思ってしまう。


「お前に用はない、ひっこんでてくれ!」

『なんということを言うのでしょうか。あなたは光神のもたらした奇跡によって、傷を残さずにいるのでしょう。ですが、それは許されます。もうすぐ、あなたも光神へと祈りを捧げるようになるのです』


 光神は支配者らしく独善的で、一方的だ。だが、それを受けたオートも同じくらい独りよがりなのだ。彼は二度、光神の癒しを使っている。


「傷なんて残ってもよかった。そして、いまは必要じゃないんだって言ってる!」

『神によく似た信徒ですね、クベルナ』


 それでもいきなり光線が飛んできて焼かれることはなかった。

 テクーが目を開いたのだ。




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