#2-10
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ムゥ・チャンティはひどく怒っていた。立腹だった。ぷんぷんだった。
自機と、ドリマンダからオートに相続された家。それらは包括されて遺産と認定されているのだ。同じモノ同士だ。つまりは一心同体のようなものなのだ。愛着と呼べるものもあった。
それが、一部とはいえめりめりと持ち上げられ、ひゅーんと落とされて、ぐしゃりと屋根に落ちた。穴がぽっかりと開いた。がらりと崩れた二階の物置は切ないありさまだった。
ムゥの思考は外界からの刺激と機械の動作を複合して生じている。そこに魔術によって連続性を持たせることで、ひとつづきの自我として認識されているものだ。
外見こそ、ヒトらしくという開発者の意図により生素材を用いられているが、内面……性格も思考も感覚器も、繊細と緻密な魔科学によって構築されている。
そこには魂がない。機械の、子供の見た目をしたものには、その自覚があった。
所有者はあるとき、その意見を真剣に取り入れた上で「魂がないのだから神ってものが見えないのかもな」と言った。
であれば。現在のムゥは考えてみる。神とやらが見えているのであれば、自機に魂が宿っているという証明になるのか?
答えは否だ。
――自機はまだ、魂と呼べるべきものを獲得したという実感を得ていません。
自我こそドリマンダと暮らしていたころに比べて表現・応用ともに豊かになったが、それは新しい環境に起因する負荷と経験によるものである。
だがとりあえず、いつの間にやら、クベルナとかいう……傲岸で不遜でヒトの住居を壊して自慢げな顔をしている、女性形のエネルギー塊は見えるようになった。なってしまった。
周辺の住民にも観測できる形で、魔術を使わずに植物をあれほど早く――炎が燃え盛るようだぞ、とサーマヴィーユが比喩していた――成長させるのは不可能だ。不可能が行われている以上、それを可能にしている存在を認めるしかない。自律型魔術法則観測機は優秀で合理的、柔軟な機械であるという自負があるのだ。
女のかたちをしたものが、応接室に浮かんでいる。それはいつでも見下ろすことを好んでいるようだった。この瞬間もそうだった。
赤い髪、肩もへそも出した服(なのかどうか。胸のところまで押し上げた、等間隔に穴の開いた腹巻きみたいだ。まったく恥ずかしくはないのだろうか?)、薄ばら色の肌。このミアタナンだけでなく、国にまで枠を広げてでも、上位に位置する美貌ではある。現行の美しさを基準にした場合だが。それで所有者をたぶらかしているのか、とも考え、すぐ否定する。
オートもよく生足やうなじに見惚れているが――本人だけがかすかな視線で、気づかれていないと思っている――それを行動原理にはしない男性のはずだ。
おそらくは。
「……なによ。まだ怒ってるかしらポンちゃんは。あたしが家の大部分を直してあげたでしょ」
居心地が少し悪いのか、クベルナが視線を逸らしながらぼやく。確かにチャンティ家は直っていた。だが、それが壊したことへの免罪符になると思ってもらっては困るのだ――そういう意味を込めて、端的に伝える手段を自らの内に探した。確認。
「きしゃー」
「なんで子猫なのよ。なごむじゃないの」
思考の中にある『こんなときどうすればいいの表(略称こすい表)』の中から、激怒していることを表現するための音声を再生するものの、効果は薄いようだった。
ポンちゃんとはなんのつもりなのだろうか。ひょっとしてポンコツちゃん、だからそれを略したとでもいうのだろうか?
――なんと短絡的で……効果的なのでしょうか。これでは怒っている表現を使用できなくなってしまいます。
ポンちゃん。いい響きだった。
「これからもポンちゃんと呼ぶことを許します」
「えっ。あたしなんで許されたの? 神なのに……」
女神の戸惑いを解く理由もなかったので、そのまま続けた。
「ですが視認できるようになったので、働かざる者食うべからずです。これからはわたしの管轄下に入り、家事を行ってもらいます。限度を超えた怠業が認められた場合には『よいこになるための映像』を半日続けて視聴してもらうことになります。まばたきも許されません」
はぁっ、おまえちょっと――クベルナがなにかしら反論していたが。機械耳バリアーで聞こえないことにした。都合よく個別の音を弾くことのできる便利な耳だ。
依頼で預けられる子供たちからはムゥちゃんムゥちゃんとしきりに呼ばれていたが、それならムゥ・チャンティと最後まではっきり発音してほしいものだと思っていたのだ。
「所有者。クベルナがあだ名で呼んできました。例の単発式ロケットパンチを繰り出してもいいでしょうか」
でもそれとこれとは話が別で、報復はしっかりとやっておかないとと考えるムゥだ。
「なんで仲良くなってるんだ? あとそれは禁じ手だって約束しただろ」
「手だけにですか。パンチ」
「そうだな。大変だな」
整った顔の自機がかわいらしくへろへろなパンチ(もちろんこすい表からの引用だ)をぺしりと当てたのに、無視をされてしまった。機械がうまいこと言ったのだから、それを褒める器量というものが必要なのだが。
慰謝の下手な所有者を持つと、機械とて心労が重なっていくものだということを、彼はいまいち理解していない節がある。不可視のメモ帳に所有者の意識改革のプランを書き込み保存した。
所有者はまだいい。改善の余地が多分に見受けられるのだから。
問題はもう一人。こちらのほうだと、ムゥは確信している。
「ふぁ、ふぅ。ふぁふぇふぁふぉふぁっふぁふぉ」
「……ふしゃー」
ふぁ行でしゃべらない、寝ころんで揚げドーナツを食べない、そもそもなに言ってるのかわからない――。
それらすべてを同時に叱責するための言葉を持ち合わせていなかった。こすい表の出番だった。とりあえず動物の威嚇音を出せ――なにひとつ解決することはないが、少しだけ場が持つ。
もちろん自機も努力をしたのだ。だがダメだったのだ。街では希少な純エルフは、甘やかしていくとどこまでも自堕落になる。
最初がよくなかったのだと、その自覚はあった。
奉仕機械であるからと、ドリマンダにそうしていたように(年齢だけで見れば、人間種族であった彼女より、このエルフのほうがずっと年上だったのだ)尽くした。年長者は敬うべき、という常識に乗っ取った結果でもある。下二桁を切り捨てしてなお二百歳を超えるヒトというものは、街にはあまり存在していない。
「家と樹の継ぎ目はしっかりと補填しておいたぞ。水を流してみたけれども、漏れた感じもない。あとは雨の日を待って大丈夫かを確認するだけだ」
「そうですか。パンチ」強めに打った。
「きゃっ」
無論避けられる。寝ころんだまま回転を加えて飛び跳ねて、全身をうまく使ってソファの後ろに逃げられた。丁寧なことにドーナツ皿も持ったまま。
こういうものは積み重ねが大事なのだというのは、ほかならぬこの女から聞いたことだ。自機の心労の原因なのだから、それを処理するための協力をしてもらってもいいだろうと考える。
「なぜだっ。お前はそんな子じゃなかったはずだぞ」
「そうしたのがあなただということです。家と樹の付着作業についてはお疲れ様でした。だからわたしはぎりぎりで怒っていないふりをしています。食べるのならせめて自分の部屋で寝ころんで食べてください、わたしは掃除しませんから」
「はぁい……」
「もうひとつ。ドーナツはみんなで食べるために用意しましたので――なぜだかパンチのときより二個も減っていますね。どこへやったのです」
「さっぱりだぞ。さて、部屋へ戻るかーふんふふーん」
ムゥは論理的に考えてみた。口の中に入れたら喋ることはできない。食べ物はそれ以外の用途がない。植物の肥料に油は適していないから、その点については詳しいサーマヴィーユはそんなことを行わない。
「オート。大変ですオート……ドーナツが二個も消えてしまいました」
所有者は少し言いよどむ様子を見せた。この人物がそのような素振りを見せるのは、たいていが性差や身体についてだということを、ムゥはしっかりと記憶している。
「あー……どうしたんだサヴィ、いきなり胸が大きくなって。ドーナツ分くらい」
「なるほど。サーマヴィーユ。胸に詰めた揚げドーナツ二つ、食べるなり置いていくなりしなさい」
階段の途中で足を止めて、エルフは戻ってきた。俯いて、前髪に隠されているから表情をうかがうことはできなかった。
「……胸、べたつく」
当然のことだった。ドーナツを皿に戻して、サーマヴィーユはそれをオートに持たせた。しょんぼりしたまま二階に上がる。力なく扉を閉じる音が、切なく響いた。
クベルナが半目になって「なんかもう、なんかよね。バッカみたいって言うのも悲しくなるわ」と投げやりに言った。
機械だけではなくヒト種にもぽんこつという表現を適応していいのであれば、間違いなくあのエルフはそれに当てはまるという確信を得ている。
「ちょっとあんた、食べてやったらどうなの」
「そこまでなぁ……サヴィ流に言うなら、破廉恥じゃないつもりでいるから。ムゥはどうだ?」
「必要ありません。一日ごとの食事量は決まっています」
もちろん誰も食べなかったので、二階に持っていくことになった。
木を削るのではなく、魔術によって凹凸させた『サーマヴィーユ』の札がかかっている扉をノックする。
「サーマヴィーユ。正直に話したら、晩御飯はちゃんと作ってあげます」
「ギリギリ怒りきれない母親みたいだな、ムゥ」
「ほっといてくれ、私はここで冬を越すんだー……」
布団に顔をうずめているのか、くぐもった声だった。失礼表現とわかっていながら、ときどきムゥは「歳を考えてください」とばっさり言いたくなる。いまはまだ言わないが。
「ほら、あんまり落ち込んでないでさ。もうみんな腹いっぱいで食べれないから、サヴィが食べるとちょうどいいんだ。あと濡らしたタオルも持ってきたから、拭くのに使ってくれ。ドアの前に置いておくから」
「所有者はサーマヴィーユを甘やかしすぎです。あなたよりずっと年上のはずなのに。ヒトとモノの間には越えられない壁があるようで、面白くありません」
トシという言葉が聞こえたからか、部屋の中で物音がした。オートがサーマヴィーユをよく気にかけているというのは、鋭い観察眼を持つ自機には一目瞭然だった。出会った順であればこちらが先であるのに。
こすい表から引用して、服の袖を小さな力で引っ張るというのを実行した。これはちょっとした不満を解消するための行動だ。上目遣いを同時に行うとなおよいとあったので、そうした。
「それは関係ない。お前が優秀だから甘えてるとこがたくさんあるよ。いつも助かってる。……それにほら。詰めるよりも、食べて胸にくっついてくれた方がしあわせになるだろ。少なくとも二人」
ドアが開き、クッションが勢いよくオートの顔に当たり、蔓草によって閉じられた。
「痛かったでしょうか」
「あんまり。そういうことなんだろ」
ぽんぽんと頭を撫でられたので大変満足なムゥだ。やはりこの表は信頼できるのだと、信頼を深めた。
「にゃお」
「きょうは猫系か」
記録が残っている。
自機の製造過程において、動物耳をつけるという案が出たことがある。犬猫狐狸熊。ベストはどれだ、慎重に吟味する必要がある、いっそ尻尾も、いやあまりにもコケティッシュが過ぎる――。議論は白熱し、アタッチメント方式が提案され、それは逃げの選択、置きにいっているのではと却下されていた。
自律型魔術法則観測機であるムゥは、単独の製作者によって作成されたものだ。
男がひとりでその議論を行っていた光景は、いま再生してみればおぞましさすら漂っていた。きっと四連続の徹夜がいけなかったのだろう。
まぁ、これまでは不必要だと断じていたが。もう一度撫でられたので、着脱式でもよかったかもしれない。奉仕機械は、そんな決着のつかない思考をしてみた。製作者にならって、今度、一人で議論してみるべきかとメモ帳に書き込んで。
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