#2-9




 代行請負事務所兼、自宅兼、神殿(うち住民二名はそれを認めていない)となったチャンティ家で。

 オートの目の前にある、使い古しの紙に文字が書かれていく。


『これで信用するつもりになったかしら、ポンコツちゃん?』


 なぜ万事にいちいち喧嘩腰なのか、その理由はわからなかったが。ポンコツちゃん――奉仕機械のムゥが不機嫌そうにしているのだから、効果はあるようだった。


「いいかげん、ムゥにもこの自称女神が見えるようにしてやらないか」


 ことの発端は、サヴィのその一言だ。ここのところ憮然としていることが多い彼女は、決して女神の名前を口にしない。相手もエルフのことを枯れ枝などとしか呼んでいないのだから、どちらも似たようなものだった。

 部屋を譲り、従者のように付きて回っているオートだ。そういうクベルナ寄りの立場でいるのが気に食わないのだろう。そう考えるだけの感性は彼にもある。

 代行請負の依頼だとしても、何日もまたぐ長丁場になったことはこれまでになかった。もちろん、依頼主をチャンティ家に滞在させることも。それらを主導したのがオートなのだ。彼女がもう一人を味方につけようという心持ちであるのも充分に理解していたし、安定しはじめていた生活に、いきなり異物を引き込んだことへの申し訳なさもあった。

 ――煙たがられることを進んでしたいわけじゃない。でも、この女神だって依頼をしてきたんだから、受けたっていいだろ。

 女神が反感をまったく意に介してない様子でいるので、必然、彼にしわよせが行く。

 筆談での意思の伝達を行うという提案は、遅すぎたくらいだと思った。三人ともがそれぞれ、現状をより悪くすることを避けていたのだ。


「わたしは構いません。あやしい女神などというものの不在証明を、なんとしてもしてみせます」

『面白いわ。できるのかしらね?』


 そう意気込んだムゥの、人工の青い瞳が光を帯びる。対応するように、クベルナの赤い眼も嗜虐の色で満ちた。


「その意気だぞ。挑戦者であるムゥには、ぜひがんばってほしい」

「解説者なのかよ」

「でも、どうやっているいないを決めるんだ?」

「所有者。わたしの正式名称を言ってみてください」


 それが勝利の鍵になると言わんばかりに胸を張る。かわいらしい容姿をしているから、どんな行動をとっていてもムゥはヒトの心を和ませる。そういう効果を図って作りあげられているからだ。その口元が緩んでいた。

 オートは頭をかいた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「……悪いけど、三か月くらい一緒に暮らしてきて聞いたことないぞ」


 沈黙。ぷすーとクベルナが愉快そうに吹き出す。その声が、動きを止めた機械に聞こえていないのが幸いだった。


「……わたしは、自律型魔術法則観測機です。同時に奉仕のための機械でもあります。しっかり覚えておいてください」

「わかった。それで、どんな方法でやるんだ?」

「わたしは、あらゆる魔術の行使を観測することができます。名前が異なるだけですので神聖術も含まれます。また、人間のものより少し性能のよい、劣化しない目を持っており、それは人間の視界と同様にものを映しています」

「ふぅん。まずそこを証明しなさいな。他者の見え方なんてものを、誰が真であるって保証するの?」

「ちょっと黙っててくれ」


 それまで疑いだしたら話が進まなくなってしまう。

 ムゥが悲しそうな顔をした。そっちにじゃないとすぐに否定はしたが。


「つまり、わたしの感覚器によって、魔術の影響を受ける界、通常の物質界、二つの界を補足することができます。第三の界があるとすれば、まったく感知できない力によってなにかが起こるでしょう」


 ――それ、いままでもさんざん起こってたんじゃないのか。つつかれてたし。

 それを認めずにいるのは、神だというのであれば大がかりな奇跡のひとつでも起こしてみせろ、という意地なのだろう。ムゥはソファの上を気張った様子で見つめた。クベルナはすでにそこから動いて、オートの頭の上で腕を組んでいたが。

『どのくらい派手にしてほしいの?』

 いつの間にか文字も覚えていた女神が、淀むことなくペンを滑らせる。


「誰の目にもわかるくらい、です。わたしひとりが感知できることではなく、サーマヴィーユや、他の誰にでもわかるようなことをやってみてください」

「面白いわねこのポンコツ。いいわ、やってあげる」

「やるって言ってるけど。お前、そんな力を使って大丈夫なのか」


 つい先日は猫を一匹出すだけで気絶していたのだ。そんな不安をよそに、証明を強いられた女神は薄笑いを消さないままでいる。


「あたしの信徒だっていうのなら、黙って信じてみなさいな」


 そう言われるとオートには返す言葉がない。クベルナは外へと向かう。動きの見えているオートとサヴィが続き、最後にムゥが扉を閉めて出た。すぐに狭い路地を通り、裏庭で止まる。


「ふんっ、愉快な草どもね。生意気に威嚇までしてきて」


 裏庭にあるのはサヴィが手をかけている家庭菜園だ。金銭にあまり余裕がないわりには食道楽をしている事務所の面々にとっての、食を支える大動脈でもある。

 育てられている植物同士の距離がそれなりに広く取ってある。そうしなければいけない事情があったからだ。近づけると生存競争がはじまってしまうのだ。種を飛ばして傷つけあう、葉っぱを大きくして遮光する、寄生されたらその部分をわざと切り離して別の寄生先を紹介する……。ヒト同士のご近所づきあいよりもよほど過酷な環境だ。

 こいつらの本能に任せたらこうなっただけだぞ、とは管理者のサヴィの言だったが。そのうち植物が三本の根で歩き、猛毒の棘で人々を殺傷しながら闊歩する時代がくるんじゃないだろうなと、オートは勝手に恐々としている。現に毒持ちの中には、次の日になると位置が変わっている植物もいるのだ。果実や葉、根っこの味がよくなければ燃やされてしかるべき奴らだ。

 代行請負の裏庭には近づくな――近所の間ではそう囁かれていることを、彼だけが知っている。


「それで、どのように証明するというのでしょうか」

「種をよこしなさいな。枯れ枝娘がいちばん好んでいるものでいいわ、ご機嫌取りをしてあげる」

「なんで私が、猪口才平野のために……」

「語呂だけはいいな」


 相変わらずやり取りが見えないムゥのために「種が欲しいそうだ」と伝えた。


「サーマヴィーユ、わたしからも頼みます」


 彼女の内心が、矜持と打算のはざまで揺れ動く。勝ったのは打算だった。腰の横についているポーチから、手のひらにちょうど収まるくらいの種を取り出した。オートも何度か見せてもらったことがあった。しろがね森氏族の居住区によく生育するという封天樹の、一枚羽のついた種子だ。


「森の入り口の黄麻の木に登って、そこから見下ろす街で封天樹を見かけたら、元気でやってるってことになるもんな」

「覚えてたのか、オート」


 不機嫌さの隙間から、喜びが顔を出した。それもまたすぐ引っ込んでしまったが。どうにかして曇りを維持しようと躍起になっているように思えてしまう。覚えていることが少ないから物忘れも少ない。それが記憶喪失の、数少ない利点だ。


「植えてみよう。お兄さんだってきっと気にかけてる」

「種はこれしか持っていないんだぞ。失敗したらどうするんだ」

「そのときは大森林で取ってこればいいだろ。俺も一度は行ってみたい」

「うん、約束だぞ……赤平たいの!」


 サヴィは手持ちぶさたに植物と戯れていたクベルナへと、種を投げ渡した。


「赤平たいってなによっ、どうしてそれで罵倒になると思ったの」

「種が空中に留まりました。二界に変動なしのままです」

「……まぁいいわ。そろそろこれにも、あたしの姿態を拝ませてやりたかったところだもの」


 濃赤の髪が、その体の中を渦巻く力によって波打つ。


「草っきれども、どきなさい」


 大地が揺れた。オートにははじめ、それがどのような理屈で起きた現象なのかわからなかったが。やがて得心がいった。

 距離を保たれていたはずの植物たちが、幹が触れ合うところまで寄せられていた。早速仁義なき争いがはじまり、サヴィが悲鳴をあげた。

 クベルナはそれらの草木を操り、植えなおしたのではない。裏庭の土の量そのものを増減させたのだ。それだけでは終わらなかった。


「それなりに伸びてみなさいな」


 力ある言葉を受けて、種子が緑の光を帯びた。生まれた空白地帯へと、吐息でもって種を飛ばす。くるくると回りながら落ちるうちに羽が開きはじめ、種からは幾筋もの根が伸びる。

 着地。その一角だけ時間を何倍にも早回ししたかのように、封天樹が空へと広がっていく。枝を伸ばしながら――伸びながら窓に引っかかり、家屋が一部分めくれ上がった。ムゥがはじめて聞くような大きな悲鳴らしき電子音を出した――葉が茂り、落ち、また芽吹くうちに手の届かない高みへと昇っていた。

 幹が太く、その名の通りに天に封をするように広がるんだ――とある夜に、エルフが語っていた通りだった。


「わたし、たち、ドリマンダの、いえが、がが」


 その悲痛な声に呼応したわけでもないのだろうが。封天樹がめくった家の一部分が、重心を崩して落ちた。もちろん、事務所兼自宅兼神殿の屋根に。反射的に目を閉じてしまうくらいにひどい音がした。事態を受けとめきれなくなったムゥが倒れた。


「この子たち、格上の存在を見てしまったから怯えているぞ。もう二度といきがった真似はしないそうだ。反抗期の終わりだな」


 一か所に集められた、問題のある植物たちの一角は踏みつぶされることもなく、器用に洞の中に収められている。サヴィが近寄ると、庇護を求めるように力なくすり寄っていた。それでもオートは、紫のヤツに頭を噛まれたことを忘れるつもりはなかった。


「家の、ちょうど二倍くらいの高さか?」

「どう、あたしもやるものでしょう」


 再生能力を持っていたり、ただ弓矢だけでは決定打に足りないと感じた場合にサヴィがやる、あの必殺戦法を思い出していたオートだ。


「……正直、ダグ相手にやってたことのが驚いたよ」

「なんでよっ」

「あっちのほうが生命の神秘だったからだよ。被験者も絵面もアレだったし」

「ふぅん……そういうものなのね、あんたは」


 クベルナがなにか言いたげな風ではあったが、追及はしなかった。それよりもまず、やるべきことが山ほどあった。


「サヴィ。屋根の修理と近所へのうまい説明と後片付け、どれやる? ぜんぶか。よーしそれで行こう」

「待て、待ってくれオート。そういうのはずるいぞ。せめて屋根と近所と片づけと掃除だけはやってくれ」

「それもずるくないかお前」


 表に戻ると、散乱した屋根の破片と慌てた様子のご近所さん――二人の子持ちで、太った中年女のラーダが出迎えた。


「あんたらは大丈夫だったの!」

「ええ、無事ですよ! 家がちょっとやられましたけど……」

「そっちの赤い娘っ子がやったっての?」


 オートは家を見上げた。太陽はちゃんと差し込んでいるから洗濯物は乾くだろう、そんな場違いなことを思った。なにも知らないご近所もクベルナが見えるようになっている。この樹がそうさせているのだとわかった。


「そうよ、あたしがむぐぅ」

「たった一人でこんなこと出来やしませんよ。ウチの裏だったのもたまたまでしょ」

「どうだか。ここらにはいなかったけど、この街にはひとりでぜんぶをひっくり返しちまうようなのが結構いるから。並みの魔術師でも、このくらいの家ならやれるっていうけど」

「やったのはあたしよっ、畏れ崇めなさいな」


 ラーダがうさんくさいものを見る目でクベルナを見た。なにもないところを抱きしめているオートを見ているのではない。

 よくあること――ではないが。このあたりでは少ないが、北西や南東といった地区では、家屋が壊れるのは日常茶飯なのだという。北西にはゼントヤ研究学院があり、南東には荒くれ者や体躯の大きな者たちが多く住んでいるからだ。


「まあいいけどね。倒れてくるんなら人のいないときにしておくれってもんだね。人は治せないけど、家なら王さまがやってくれるから。石造りでちょっと寒々しいがね!」

「そういう仕事を王さまがやるって言うんですか?」

「じゃなかったら、どんな尊敬されることをやるってのさ?」


 怪我人も出なかったことを光神に感謝しながら、ラーダは自宅へと引き上げていった。

 オートはまだ、街と国を治める王さまの顔を知らない。




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