#1ー8




 子供盗賊団は、貧民窟ではそれなりに名前の通った一群だ。構成員はまっとうな生まれをしなかった捨て子ばかりだ。哀れまれず、教授されることもなく、互助と伝授と運によって生き延びてきた子供たち。そういう彼らが群れるうちに、一つの集団になっていった。追剥通りを主な根城に、老いも若きも問わず盗みを働く。

 天敵もいる。子供略取団――子供の盗人を捕まえて売りさばくのを生業にする、腐れ共の中でもいっとう腐った連中だ。

 そいつらが今夜、ひどい目にあったのをモーニは見ていた。弓で射かけられた大人たちは、あの恐るべき蔦で地面に縫い付けられ、動けなくなった。子供たちは彼らから奪い、借りを作った人間のひょろい男とエルフの金髪女のあとをついていって、さらに儲けた。

 そしていま、モーニの前にその片割れが立っていた。ひょろい男のほうだった。


「生きてた?」

「俺は生きてる。鼠の爺さんは死んでた」

「そりゃ残念だったね」


 子供の心ない弔意に、オートは本当にそうだと答えた。いちばん大きな喪失にも打ちのめされずに、やみくもにでも前を向こうとしているのがわかった。


「エルフのねーちゃんはどうしたのさ」

「彼女なら森に帰ったさ。そういう時だったんだから仕方ないんだ。けどゾドンはいる。だから今度は、もっとうまくやらなきゃいけない」


 壁に背を預けたやせ男の目が、はっきりとした意思を持っている。そこには復讐よりも冷静さが多く含まれていた。


「まっこうから買い戻そうとしたのが間違ってたんだって、今ならわかる。そんなの意味がないのに相手のやり口に乗ってた」

「じゃあさ、いったいどうするって?」

「勝つのなら、相手に何もさせない勝ち方をしないとダメだ」


 貧民窟や歓楽街は、だいたいがスプルドグルフトの手の内にある。目には見えない組織だが、その影響を無視することはできない。そのことを知らないのは、新たに流れ着いてきた新参者か世間知らず、それか記憶喪失くらいだ。

 その支配下では、裏切りや密告、賄賂、打算に謀略――そういった悪徳が肯定される場所ばかりだ。もう一つの特徴は、たいていの問題は金か暴力で解決できるということでもある。

 モーニの前に立ったオートには、それらをうまく使おうと考えを巡らせてきたようだった。


「なるほどね。んで、オレたちになにしてほしいのさ。用件がなかったらこんなところまで来ることないだろ」

「人手が欲しいんだ。ここらの地理をよくわかってて、身軽に動けるのが。なにより、説得力もあるのがいい。一つ一つなら他の連中も持ってるかもだけど、すべて揃ってるのはここにいる君らだけだ」

「聞かせてよ、面白そうだから……おまえらも来い、まだ夜は終わってないみたいだぜ!」


 闇の中から子供たちが出てくる。一仕事を達成しているから、興奮して眠れなかったのだろう。それはモーニも同じだった。その上さらにおかわりがあるというのだ。差し出されたものはなんでもいただくのが、子供盗賊団の矜持だ。


 そして聞かされた計画は、確かに決め事を根底からひっくり返すものだった。


 健全な賭け事ではないから、配当率は見えない。当然のようにリスクはある。失敗すれば死ぬ。それもひどい死に方をすることは間違いない。

 だが生きている限り死ぬのだし、死そのものがひどいことだ。対して、成功すればとても面白いし、暮らし向きは間違いなくよくなる。のるかそるか。


「いいね兄ちゃん。オレたちが手伝ってやるよ」

「本当に助かる。うまくやろうぜ」


 握手が交わされた。夜はまだ終わっていない。他人の都合に相乗りをして、子供盗賊団はもうひと働きすることに決めた。







 サーマヴィーユは立ち止まった。

 街を出て、だんだんと短くなる森との境界になっている草原を過ぎて、もう十歩で森に踏み入れるというところだった。黄麻樹の林が風にそよいでいた。街からここまで、前を歩く兄との会話はなかった。ノールスィーユはもともと口数の多い男ではなかったし、妹もとうてい話す気分にはなれなかった。

 かわりに彼女は、歩くことに専念していた。これまでは。

 森の色、香り、空気。そういったものが彼女の五感を強く刺激した。ひと月でつのった懐かしさだった。やさしく彼女を招き入れようとするそれらが、かえって足を動かなくさせていた。

 タルモー=スケィル大森林。神代から続く生命の源泉。

 その入り口の近くまで来て、彼女は振り返った。星月のない夜にふさわしくこの場所は闇の中にあった。街はまだ明かりを残していた。しろがね森氏族の領域までたどり着けば、星蛍の見慣れた光が出迎えてくれるだろう。年下の子供たちに街の話を求められたのなら、正直にすべてを話そうと彼女は思った。

 街をめぐり、食べ歩き、そして最後に出会いがあった。これまで過ごしてきたどの時間よりも衝撃的な一日だったのだ。そこで彼女ははじめて人間と深い交流を結び、笑いあうことができた。言葉を交わし、目的に向かって共に進むのは新鮮な経験だった。街に憧れ、来た甲斐があったと確信した。


 そして敗れた。


 ふがいなさを消化しきれないでいたサーマヴィーユを置き去りにしたまま、物事は進んでいった。かつての森の賢者が焼かれ、街でできた友人からは丸羽のようにやわらかい拒絶を受けた。やり遂げることなく兄に連れられてここまで歩いてきた。己が本当にどうしたいのか、それを見定めないままに。

 ――私はなにをしていたんだろうか。

 答えは返ってこなかった。空虚が内側にあった。

 終わってみればすべてが夢のようだった。森を発つときと異なるのは、体の汚れと消せない敗北、そして二張の弓から失われた森瑠璃だった。このまま森に入れば、次に街に行く機会は早くとも十年後になる。最初にどの氏族から選出するかを選ぶから、二度続けて同じ氏族が選ばれることは滅多にない。

 よしんば選ばれたとしてもと、彼女は人間にとっての十年という速さを考えてみた――うまくいかなかった。それほど豊かな想像力があるわけではなかったし、街の民についてすら、まだよくわかっていないのだから当然のことだった。ただ、森よりも生きる速度は格段に早いことだけは確信が持てた。赤ん坊が立って歩き、言葉をわめきちらす小生意気な怪物に変貌を遂げるには充分な時間。

 ナーリアの、弧を描いた木に触れた。持ち手に空いた穴が喪失を伝えてくる。返してもらう約束だ――何も持っていないと言ったあの男から。いまからそれを取り立てに行くというのはどうだろう。

 そこまで考えて溜息をついた。言い訳だとわかっていた。ノールスィーユが足を止めて彼女を待っていた。


「未練でもあるのか」淡々とした言葉だった。彼女の兄はいつだって、事実をありのままに伝えてくる。「夜明けまでに戻らなければ、お前は氏族から追放されるぞ」

「そんな者はいませんでしたね、これまでは」


 これまで。では自分がはじめの一人になるのか。その自問が胸中からあふれて、すぐに消えた。それはエルフという保守的な生き物らしい、妥当な心の働きだった。その防衛的な動きにともなって、一つの思いがちらついた。

 彼女にはそれが、ダミワードとのやりとりの折りに見えて、心の手を伸ばせないでいたものであるように思えた。

 けれども己への失意や敗北で打ちのめされた心は、あっさりとそこに手を伸ばすことができた。いままでの私ではないからなのかな、と彼女はふんわり考えた。

 心を潜る途中で、オートにはうそをついていた、二百八十余年の歳月がせりあがってきた。彼女はあっという間にそれを通り過ぎていった。そこには父母や兄をはじめとする家族、いとこ、その親類、そこからも続くたびに血が薄くなる関係の連続が伸びていた。その根底、織物のように編まれる関係の下敷きにあるものは生まれ育った景色――タルモー=スケィル大森林の深い緑の額縁だ。

 触れた。

 じんわりとした冷たさを連れて、心の手を逆流してくるものがあった。それはいままでの己に染みこんでいって、いずれはまったくの別物にしてしまう思いなのだろうと確信していながら、彼女はそのまま待った。子供が大人に変わっていくように、これも見えない変化で、そういう精神の働きなのだろうと。たとえば成長、あるいは退歩。

 変化に善悪の判断を下すことを彼女はしなかった。己の立つ足元を見て、ただ受け入れた。


「兄上」

「……疲れているのだろう。帰って水を浴びるといい。もちろんその前に汚れは払っていけよ」


 サーマヴィーユ当人からすれば、それはいままでと何一つ変わらない呼びかけだったが。双子の兄にとってはそうではなかったらしい。すでに齟齬が生じていた。あまりに日常的なことだ。兄が汚れなどと、わかりきったことを口にするのは子供の頃――ざっと百年は前のことではないだろうか?


「私は戻ります」

「いま戻っている」


 ノールスィーユは双子の兄だ。彼女の生のほとんどは、彼と一緒の時間だった。だからお互いに言いたいことはわかっていた。

 街に。森に。

 その違いを口にしないまま二人は向き合った。あのときは双子は森の中で言葉を交わした。この夜、一人はまだ森の外に立っている。


「ゆくのか、森の外へ」それはひと月前、旅立つときと同じ言葉だった。「我は部族の皆に、ありのままを伝えるぞ」

「知らないとでも。兄上はそういう方だ」

「繭のようにやさしい言葉を受け取れると思っているのか?」

「まさか。きっと言葉を尽くして侮辱されることでしょう。あるいは一族から縁を切られて、しろがね森氏族を名乗ることもできなくなり、私はただのサーマヴィーユになって……ちちははであった二人からも語られることのない者になる」


 氏族を追放されるというのはそういうことだった。エルフではある。だがどこにもよるべのない、はぐれだ。両親の間に生まれた子がノールスィーユただひとりとなる。始祖フレアヴィーユから続く血の流れから排斥される。

 サーマヴィーユの知る限り、エルフの歴史に追放者はこれまで存在しなかった。あるいは森からはじき出された時点で語られなくなるから、そのうちに誰もが忘れ去ってしまったのかもしれない。彼女が踏み出そうとしているのはそういう一歩だった。


「それでも私はゆきます」


 サーマヴィーユが言った。


「なぜだ」もうすぐ彼女の兄でなくなる男が語気を強めて言った。森がその音を吸い込んで虫のさざめきに変えた。そういう森のやわらかい働きも、彼女にとって決別すべきものだった。「そこまでする理由なぞないはずだ」

「ありません。オートにまつわることもすべては直近のことで、再び日が昇っていもしない。彼のことは端緒です。もともとにあるのは、私の中にずっと眠っていた思い」

「言ってみろ、なまなかなことでは許さん」

「氏族や血よりも、私は私のことが大事なのです」


 馬鹿を言って、とノールスィーユがうめいた。兄の、遮るもののない荒野で嵐にさらされるような細い怒りを彼女はたしかに感じた。


「愚かな選択をしているぞ」

「そうするのが私なのだと思ってください。街に憧れるというのは、森を出たいという思いの裏返しだったのかもしれませんね」


 老鼠の言っていた通りだった。その時が来たのならば、言葉は自然とあふれるものだった。

 あるいは放った言葉よりももっと単純なことなのかもしれない、と彼女は考えた。森とか街とかではなく、ただこの身をふきすさぶ荒れ野に――より過酷なところに置き、そこで何かを得たい。森に帰って、なにをしたいのかを思い浮かべようとした。漠然とした日々の暮らしが、顔のないまま広がっていた。


「それはただの身勝手だ。我は人間がどうなろうと構わんが、お前は親しい風にしていたあの男を利用するとでもいうのか」


 ただのサーマヴィーユは「はい」と言った。堂々と。足を止めたところから一歩も動いてはいなかったが。心には大きな距離を旅したような感覚があった。


「彼のところで、一つの恩が情に変わりました。この利用がどのようにうつろうのかを、私は感じてみたい。そこからはじめたっていいでしょう」


 いまや他人となってしまった、彼女を迎えに来たもっともよくお互いを知った存在が、天上に目を向けた。月が出ていた。木陰の中にたたずむ男が、剣を抜きかけて――やめた。


「見知らぬ、どこの氏族ともしれぬ女よ。お前に似た……ほんとうによく似た双子の妹がいるが、お前ではないな。だが妹はこの場にいないので、代理としてお前に語る。……お前は氏族に立てた誓いを破った。だがそれは、森の掟ではない。森に入り、片隅でつつましく過ごすこともできる、そのことを覚えておくよう――そう伝えておけ」


 それはまぎれもなく肉親の情だった。サーマヴィーユは微笑んだ。せいいっぱいの思いやりとあたたかさが伝わってきた。

 だが、いちばん欲しかった、兄らしい言葉ではない。


「もっとふさわしい言葉があるでしょうに」

「そうだな」ノールスィーユが笑った。「先の言葉は取り消す。お前は氏族を追放された者だ。辛くても決して戻ってくるな」


 双子の兄妹は互いの姿をしっかりと記憶に焼き付けた。


「やり遂げろよ」


 心の中心に置かれるべき言葉だった。

 私はやり遂げなければいけない――その思いがどこまでも強く心の中に響いていた。涙を流すことはなかった。彼女は坂を下りはじめた。姿が見えなくなる前に、一度だけ振り返った。ひと月の前と違って、兄はまだそこにいた。


「おうい、はぐれ者のエルフよ! お前が我の女性の好みを知っているのであれば、街でいい嫁探しを手伝ってもらってもかまわんぞ!」


 あんまりな叫びに、サーマヴィーユは思わず吹き出してしまった。街でエルフが見つかるとは思えないし、流麗剣たる兄が有数氏族でない女性と結ばれるとは思えない。だからそれが、彼なりの見送り方なのだろうとわかった。


「叔母と呼ばれるように努力しましょう!」


 だから彼女もそんな風に声を張った。それから振り返ることはなく、月に照らされる草原をただ走った。身体に当たる風はもう街のものになっているはずなのに、少しも不快ではなかった。脇腹が痛むが、それだけだ。今夜の己はなんだってできる気がしていた。警句の記された看板を過ぎ、街に入る。胸には一つの言葉が燃え尽きない薪となっている。

 やり遂げる。まずは利用する相手を助けることからだ。



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