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 岡部の部屋の遺体を確認するまでもない決定打だった。今回の合宿の主催者である一ノ瀬さん以外に,誰が合鍵を作り得るというのか。動機と併せ計画性を伺わせる証拠だろう。手首を抑えたまま鳴海さんに続き部屋を出た松本君は,扉を閉じるとハンカチ越しに何度か鍵束の鍵を鍵穴に差し込み合う鍵を探していたが,正解を引き当てたらしくガチャリと音が鳴った。鍵束をハンカチに包み縛った後,一応錠が降ろされていることを確認する。

「各部屋の合鍵で間違いなさそうですね。異論なければ僕が管理しますが問題ないですか? ......キッチンにビニール袋あるか分かる? あるなら後で入れておこう。岡部さんの遺体を確認する間,一旦預かってもらえる?」

 恐る恐るハンカチを受け取るわたしに構わず,松本君は菅の隣の部屋に向き直る。岡部の部屋はガムテープで封がされており,別段切られた様子も貼りなおされたようにも見えない。一見する限りでは昨日貼った状況から変化がないように思われた。鳴海さんと協力しテープを剥がし終えると,松本君はドアノブを掴みゆっくり扉を開けた。

 血で赤く染まったベッドの上に,岡部の遺体はなかった。

「一応,まだ首のない遺体が岡部さんである可能性も残っているわけだ。高杉さんなら分かるかもしれないけれど,あの様子じゃ無理そうですね」

 松本君は言いながら室内の写真を数枚撮る。冷静なその声とは対照的に,わたしは受け取ったハンカチの包みを落とさなかったのが不思議なくらいに動揺していた。てっきり部屋に岡部の遺体が残っているものとばかり思い込んでいたからだ。けれど落ち着いて考え直す内に,一ノ瀬さんが犯人であるなら岡部の遺体をそのままにしておく方が自身に不利に働くことに気が付いた。

 菅の部屋の遺体に首がなく一ノ瀬さんの服を来ていた理由は,自身が過剰防衛により返り討ちに遭い菅が逃走している可能性を残すためだろう。その場合菅が態々首を切断した理由が判然としないが,少なくとも物理的な可能性として今逃走しているのが一ノ瀬さんと菅のどちらであるかは,残されたわたし達には特定できない。けれどその状況を成立させるためには,左肘に手術痕のない遺体が1つだけこのコテージに残されているという条件を満たしている必要がある。手術痕の有無で判断されるわけだから,残された遺体が複数あれば自身が犯人であると自白しているようなものだ。だから岡部の部屋に遺体を残すわけにはいかないのだ。仮に首なし遺体が菅であるなら,当然岡部の遺体は室内に残されたまま放っておくわけにはいかない。首なし遺体が部屋を移された岡部の場合でも,菅の遺体は室外に遺棄する必要があるのだ。つまり,岡部の遺体が部屋に残っている方がおかしいということになる。

 松本君は問題ないか了承を得ると再度鳴海さんと共にガムテープを貼り直した。

「状況の確認は以上で十分でしょう。警察への連絡に関してですが,表に停めてある車のキーはどちらも一ノ瀬さんが管理していましたか? レンタカーなんでしたっけ」

「どちらも大悟が管理していたはず」

「確か,僕らが乗ってきたミニバンはマニュアルだったかと思うのですが,SUVの方もそうですか?」

「いや,SUVの方はAT車だよ」

「では通報は僕が行きます。一ノ瀬さんの部屋は開け放してあるんですよね?」

 気持ちの整理がつかないまま次々に展開する事態に戸惑っているらしく,土井さんは間をおいておずおず頷く。鍵の所在に見当がつき,わたし達は一先ず1階に降りることにした。一ノ瀬さんが宿泊していた部屋に入ると,土井さんに尋ねながら松本君はしばらく車の鍵を探していたが

「これですね。確かこちらがミニバンの方だから,SUVの鍵はこれかな」

 そう言ってサイドテーブルから車のキーを2つ取り出した。昨日助手席に座っていた土井さんは,松本君が「こっちがミニバンの鍵で合ってますよね」と右手で振り示した鍵を見て頷く。

「ミニバンの鍵で合っていると思う」

 確認が取れるとSUVの鍵をパンツのポケットに入れ,ミニバンの方は引き出しに仕舞う。それからサイドテーブルの引き出しを戻すかと思ったのだけれど,再び手を入れ鍵束とどこかの部屋の鍵を取り出した。

「これらは?」

「鍵束はコテージや物置等の管理用の鍵。バラの鍵は多分この部屋の鍵じゃないかな」

「では一応玄関を施錠したいため,鍵束の方を通報に行っている間預かります。土井さんは部屋で休まれた方がいいでしょうし,他に確認しておきたいことはなさそうなので,鳴海さんも戻られて結構です。ただ原口さんと和田さんは一緒に来てもらえるかな。電波が通じたらすぐ電話かけたいから,常に携帯を確認してほしいんだ」

「えっ,うん。いいけど」

 1人で向かうと思っていたし,運転と連絡役に分かれるにしても2人もいれば十分のはず。唐突な要請に戸惑ったけれど,松本君はわたしが応えると間髪を入れず続ける。

「5分10分で出発したいんだけど準備できる?」

「大丈夫,スマホ以外何かいる?」

「いや,通報さえできればいい。その後は戻ってくるだけだから」

「分かった」

 松本君はわたしと奏ちゃんの表情を確かめ頷いた。

 数分後わたし達は玄関に集まり表へ出た。まだ台風の影響が残っているらしく周囲の樹々は大きく葉を揺らし,地面は所々水たまりができる程ぬかるんでいる。松本君は玄関を施錠すると足早に停めてある車の方へ向かう。

「......あっ,ちょっと待って!」

 急に呼び止めたせいか松本君は怪訝な顔で振り返った。

「何?」

「資料用の写真。忘れない内に外観を撮っておきたくて」

 松本君は何か言いたそうに口を開きかけるも諦めたのか結局何も言わず,車の方へ向けていた足をコテージから離れる方へ向けた。ある程度距離を取ると何度かシャッターを切り戻って来る。

「これでいい?」

 写真の確認を求める冷静な声に,申し訳なさとムッとした気持ちの入り混じった複雑な気分になる。確かにまだ殺人事件の渦中にいるのだ,呑気に資料用の写真など撮っている場合ではないだろう。しかし実行犯は既に逃走しており緊急性は低い。カメラは証拠画像を含むため一度は警察に預けることになるだろうが,事件に関係なく撮影した資料画像は手元に戻ってくるはず。自分が巻き込まれた殺人現場を再訪したくはないし,またその理由もきっかけもなくなってしまった。警察の到着後長時間拘束されることを見越せば,忘れない内に撮影を済ませておきたいというのはそこまで責められる発想ではないだろうに。

 わたしの不満を知ってか知らずか,写真に問題がないことを伝えると松本君はまたそそくさと車の方へ向かう。

「原口さんは免許持ってる?」

「一応は。去年取って以降ほとんど運転していないけど」

「僕と似たようなものか。因みに和田さんは?」

「持っていないです」

「じゃあやっぱり僕が運転するか。急ぎたいけど仕方ない」

「何でそんなに急いでいるわけ? 一ノ瀬さんはもう逃げたんでしょう?」

 わたしがそう尋ねると,ぴたりとSUVの手前で松本君は一度動きを止めた。車のドアを開けながら応じる。

「確証があるわけじゃないけれど,僕の考えが正しければまだ事件は終わっていない」

「「えっ?」」

 意図せず声が揃ってしまい,思わず奏ちゃんと顔を見合わせる。それくらい松本君の発言は予想外だった。

「どういうこと?」

「説明は向かっている途中に。とにかく今は警察への通報を最優先すべきだ。他に忘れていることはない? なければ早く乗って」

 急かす松本君に促され,わたしと奏ちゃんは戸惑いながら後部座席に乗り込む。ドアを閉めて早々ベルトを締めながら質問を投げた。

「事件がまだ終わっていないっていうのは」

「待ってくれ。ただでさえ運転に慣れていない上,コンパクトタイプとはいえ今経験した中で一番大きな車なんだ。走り始めてしばらくは運転に集中させてほしい。殺人事件の通報に向かう途中事故に遭いました,なんて洒落にならないだろう?」

 鍵の類が入ったバッグを助手席に置くと,慣れない手つきで車の鍵をイグニッションキーシリンダーに差し込みながら松本君は言った。シートの高さやルームミラーをぎこちなく調整している様子からも,運転経験の乏しさが伺える。ガソリンメーターを一瞥し「往復できる.....かな」と呟いた時は一抹の不安が過ったものの,何とかわたし達を乗せたSUVはのろのろと走り始めることができた。

 出発してしばらくは誰も口を利かなかった。松本君は運転に集中していたし,わたし達もすぐに,乗ってしまった以上身の安全のためにも松本君の邪魔だけは決してしてはならないと察したからだ。お世辞にも,というか口が裂けても,松本君の運転は上手とは言えなかった。

 本人の言う通り運転の経験が乏しく,これまで運転したことのあるどの車よりも大きいというハンデはあるだろう。山道で速度を出しにくく,台風のせいで来た時よりも道が荒れているという悪条件も重なっているかもしれない。しかしそれらを考慮しても松本君の運転は明らかに下手だった。ちょっとした石を踏んではまるでシーソーのように車体は左右に揺れるし,ぬかるむ地面に苦労しているのか速度が大して出ていないにもかかわらず頻繁にブレーキが踏まれた。そのせいでわたしは前後左右に体を揺らされ,松本君の要望のためというより湧き上がる胸のむかつきを堪えるために口を開こうなどとは到底思えなかった。時折横目に見遣ると,3回に1回くらいの頻度で口元を手で抑える奏ちゃんの姿が確認できた。

 石が剥き出しの路面を抜け塗装された車道に乗り上げると,ようやく車中も多少落ち着きを取り戻した。急ぎたいという発言は嘘ではないらしく,この頃には運転に慣れたのか直線ではアクセルを踏み込む回数も増えていた。後部座席に座るわたしも酷い車酔いは徐々に引いていき,棚上げにした説明を求められる程度には快復していた。

「それで,何から説明すればいい?」

 松本君としても少し余裕が出てきたらしい。目線こそフロントガラスに向けているがそう切り出した。

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