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 鳴海さんはふと何かに気付いたような顔をする。

「......ああ,そうか。中西さんが自殺した理由は自分のせいで大悟が脅されていたからというだけではないよ。もっと直接的な理由が別にあったからなんだ」

「別の理由?」

「2人の関係性をバラされたくなければ体を差し出せ。そう脅されたと遺書には書いてあったらしい」

「酷い......」

 思わず,そう呟いた。正直その中西さんという方とは面識がないだけでなく,どのような状況であれ自らの体を売るという選択に理解も納得もできないけれども,それでも同情を禁じ得なかった。一体,どんな思いで脅迫に耐える恋人の姿を見つめていたのだろう。その苦しみはある意味では肩代わりなのだ。「自分のせいで」そう思わなかったはずがない。それと同時に,弱みに付け込む岡部達の薄汚いやり口に憤りを覚えた。もし本当にそれが自殺の原因であるなら,一ノ瀬さんが殺害を決意したのも無理からぬことのように思える。

「でたらめ言わないで! そんな話信じられないわ!!」

 高杉さんはそう叫ぶと,会話すらも拒否するかのように自らの肩を抱き1,2歩後退る。松本君や鳴海さんを中心にわたし達を睨むとこう宣言した。

「もう誰も信じられない! 警察が来るまで近寄らないで!!」

 更に数歩後退った後,突如踵を返し自分の部屋へ駆け寄る。一瞬奏ちゃんが呼び止めるように右手を上げかけたけれど,声をかける間もなく高杉さんは鍵を開けわずかに開いたドアの向こうに身を素早く滑り込ませる。力強く閉じられた扉から錠の下りる高い音が聞こえ,奏ちゃんは力なくその手を下げた。この場にいる誰もが,高杉さんを止める術を持ち合わせていなかった。

「......どうしたら良いんでしょうか?」

 問いかけというよりも思わず漏れ出た奏ちゃんの力ない呟きに,同様に気落ちしたかのようなトーンで松本君が応えた。

「優先事項が警察への連絡であることは確かだ。ただ昨晩と同様,まだ状況が回復していない場合も考えて最低でも目の前の遺体が誰であるかは候補を絞っておきたいところだね」

 そうなると,昨晩のように少人数で室内を検める運びになるだろうか。3人減ってしまったし利害関係のない組み合わせというのは難しいだろうけれど。そう思い見遣ると,ふと土井さんの顔色が先ほどより悪くなっていることに気付いた。

「大丈夫ですか? ちょっと休んだ方が良くないですか?」

 言外の意味は上手く松本君に伝わるだろうか,と不安に感じつつ土井さんの肩を支えた。

 顔が似ているという鳴海さんの証言や菅の発言から間違いないだろう,一ノ瀬さんは昨日わたしが懸念したようにかつての恋人の記憶を引き摺っているというだけじゃない。意地の悪い言い方をすれば,身代わりとして土井さんと交際していたのだ。もしかすると,一ノ瀬グループ後継者の妻として表に出しても問題がないという打算的な考えも少しはあったかもしれない。そのことに気付いてしまった時にショックを受けるなというのが無理な話だ。そうした気持ちの整理がついていない状況で遺体の確認をしろというのは酷な要求だろう。

「......違うの」

「はい?」

 意味が分からず間の抜けた声で聞き返すわたしに,土井さんは怯えた目を向けた。

「......アリバイはないの」

「......それは岡部さんが殺害された時,一ノ瀬さんは1人だったという意味ですか?」

 わたしよりも速く事態を察したらしい松本君の問いかけに,土井さんは神妙に頷く。

「皆でアリバイを確認した時,彼が私と一緒にいたと証言したけど,実際にはほとんどの時間彼の部屋に1人でいたわ。後で聞いたらすぐ警察を呼べるようになるはずだから,それまでは余計な疑いを持たれない方が良いって。わたしを不安にさせない意味もあると思っていたけれど......本当にごめんなさい」

「ちょっと待って下さいよ......」

 思わず額を抑えた。昨日の時点ではアリバイがあると思っていたから,菅の方が物理的に殺害が可能と考え疑っていたけれど,それがないとなると一気に容疑は一ノ瀬さんに傾く。鳴海さんの話を勘案すると,動機とアリバイがないという条件が揃ったわけだ。ここに,犯行予告に百合を使った理由も加わった。最早容疑者筆頭ではなく,犯人であると想定して対応するべきだろう。

 あれ,でも待って。

「......百合の花は誰が」

「いや,その前にどのくらいの間1人でいたか確認させてください」

 ああそうか,まだ殺害するには自由に動けた時間が足りなかった可能性も残ってはいるのか。

 土井さんはわたしと松本君の疑問にまとめて応えた。

「30~40分くらい。台風に備えて戸締りと,足止めされることになった場合の備蓄の確認に行くって。百合の花は......その,わたしが。推理ゲームの一環で,1人で行動できる状況を作るから,そのタイミングで指定された部屋に百合に花を張り付けるよう予め言われていたから」

 昨夜の時点で誰も一ノ瀬さんのアリバイに疑義を申し立てなかったから,自由に動けた時間がこれで最大40分あったことは確定したと言っていいだろう。殺害に十分な時間とまでは言い切れないが,やりよう次第では決して不可能とも言い切れない。また事前に百合を張り付ける部屋を指定していたことから計画性が伺えるし,岡部や菅の宿泊部屋が2階に固まっていることも一ノ瀬さんが誘導していた可能性がある。

 まあでも,身の危険という意味では急ぐ必要はなくなったのか。

 土井さんには気の毒だけれど,そう思うと少しだけ昨夜からの緊張が和らぐ気がした。一ノ瀬さんが犯人なら,既に標的を殺害してしまっている。少なくとも明らかになっている範囲では他に恨みのある人や動機はなさそうだし,現在は菅の殺害後逃走しているのだろう。であれば部屋に閉じ籠って1人怯える必要はないし警察が来るまでの間一か所に集まってお互いを監視する必要もない。

 楽観的にそう考えたのだけれど,松本君は深刻な表情を崩さなかった。

「......以上で全てですか? 他に隠していることや事実とは異なる発言はありませんね?」

「う,うん。.......結果的に嘘を吐くことになってごめんなさい」

「いえ,責めているのではなく確認を取りたかっただけなので......大丈夫なようでしたら,室内を検めたいのですが」

「遺体が大悟かどうかの確認だろう? それは僕がやるよ」

 間髪いれず鳴海さんが立候補した。意図が伝わっていたことに安堵すると同時に,内心この対応に感心した。どうやら勝手な思い込みで,コミュ力が低い性格だと判断してしまっていたようだ。

「............そうですね,人数面での制約から入室は精々2人程度に留めておいた方が良いでしょう。昨晩僕は岡部さんの部屋に入ってしまっているけれど,2人はどうする?」

 続け様に殺害現場に踏み入ってしまうことを懸念しているらしいが,わたしと奏ちゃんは慌てて首を横に振る。遺体を間近で見るのにもショックを受けるのに,首の切断面が目視できる位置になど近寄りたくもない。松本君はわたし達のリアクションを見てから,隣の岡部の部屋の扉をスマホで何度か写真に撮った。

「一旦部屋へ原口さんから借りているデジカメを取りに戻ります。一応,この時点からお互いの監視が始まっていると思ってください。この部屋の状態を僕と鳴海さんで確認後,岡部さんの遺体を確認してから警察への通報を試みるという手順で異論ないでしょうか」

 程度の差はあれ,最早緊急事態からは脱し通報を試みるのみという認識は一致しているらしく,誰も反駁はせずに頷いた。松本君は監視の下自室からわたしのデジカメを持ち出し,鳴海さんと共に首なし遺体が横たわる菅の部屋へ踏み入った。

 松本君は先ず遺体を様々な角度から撮り出した。改めて遺体に目を向けると,刺し傷は岡部の遺体と同様主に胸部から腹部に見られ穴の開いたシャツは赤黒く滲んでおり,両腕にも防御創が確認できる。目が覚めている時に襲われ,抵抗したと思われた。恐る恐る首元に視点を移すも,切断されているせいで喉に刺し傷があったかどうかは分からなかった。出血の量も大差ないように見えるし,外からだと死後硬直の具合が良く分からない。観察する限りではこの遺体が岡部,菅,一ノ瀬さんのいずれかであるか区別できなかった。

「一ノ瀬さんには何か判別できる身体的特徴はありますか?」

「大悟は高校の時交通事故で左肘を骨折したことがある。その手術の痕が,経過が良くなかったのか消えずに残ったんだ」

「なら,僕が腕を持ち上げるので確認をお願いします」

 そう言って松本君はハンカチ越しに左手首を掴み持ち上げる。鳴海さんはしゃがみ込み確認すると,わたし達にも見えるようすぐ松本君の脇へ立ち上がった。

「少なくとも,この遺体は大悟じゃないね」

 遺体の左肘に目立った傷跡はなかった。

 これで,少なくとも一ノ瀬さんが生存していることは確定したことになる。となるとこの遺体は岡部か菅か。仮にこの後岡部の遺体が変わらず部屋に残されていたなら,それはもう決定打だろう。

 松本君は遺体の撮影を終えると,可能な限りわたし達にも状態を示しながら窓の錠前の撮影に移った。しかしこれも昨夜同様いずれの窓の錠は降ろされており,犯人は唯一開いている扉を通じて出入りしたと思われる。その後簡単にテーブルの引き出しやクローゼットの中を検めながら撮影を続け,菅の財布などが残されていることを報告しながら金銭目当ての可能性も一応否定した。一通り撮影を終えこちらに鳴海さんと共にこちらに歩み出した時,ふと何かに気付いたのか遺体の傍にしゃがみ込みシャッターを切った。

「どうしたの?」

「ポケットに何か入っているみたいだ」

 そう言って一瞬躊躇した後カメラをパンツのバックポケットに仕舞うと,はだけて血溜まりへ浸ったシャツの胸ポケットに,左手でハンカチを包んだ右手首を抑えながら入れる。少し苦労しながら中に入っている物を取り出した。

 それは一部の鍵が血で赤黒く染まった鍵束だった。

「それって......」

「確かめる必要はあるだろうけれど,十中八九合鍵だろうね。密室は何てことはない,予め作っておいた合鍵を使っただけだったんだ」

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