Chapter4
1
「は......?」
自分でも呆れるくらい,素っ頓狂な声が零れた。目の前の惨状を作り出した殺害犯に対する恐怖や首なし遺体のグロテスクさよりも,困惑の方が先に立つ。フィクションでしか目にすることのない光景に,まるで夢のように感覚が鈍麻しているのを自覚する。これが現実で,新たに人が殺されたという実感が湧かなかった。遺体が足をこちらに向け部屋の中央に倒れており,切断面が直接見えないこともショックを受けずに済んだ要因だろう。
込み上がる不安と恐怖に煩悶し,浅い眠りと鈍い覚醒を繰り返している内に一夜が明けた。約束していた9時に部屋を出て,松本君,奏ちゃんと合流し1階に降りたところで血相を変えた土井さんに出会した。曰く,同室で休んでいたはずの一ノ瀬さんが朝目覚めるといなくなっていたという。そこでわたし達は鳴海さん,高杉さんの順に何か事情を知らないか聞きに回り,最後に菅にも一応声をかけておこうという運びになった。菅の泊っている部屋の扉をノックしたところ返事はなく,岡部の遺体を発見した時のことが思い起こされた。試みにドアノブを下ろしてみると意外にも鍵はかかっておらず,ドアを開けると室内には首のない遺体が転がっていた,というわけだ。
......いや,意味が分からない。
少しは状況が理解できやしないかと今朝の経緯を振り返ってみるも,却って混乱が増した。遺体はカーキのチノパンに七分丈の白シャツという出で立ちで,昨日見た菅とは身なりが異なる。こう言っては何だけれど,遺体が菅の格好であればまだ理解ができた。やはり百合の花が殺害予告で,その予告通り犯人が休んでいた菅を殺害したと素直に思えただろう。けれど実際には遺体は見たことのない服装で,見た目だけでは遺体が菅であるかどうか分からなかった。もちろん菅が着替えた可能性も十分あるが,それなら犯人が首を切断した意図が見えない。一体誰が,どんな狙いがあってこんなことを仕出かしたのか目的が不明だった。
......ただ,最低限明らかにしなければならない問いが1つある。
急転する事態に迷走してしまいそうな思考を繋ぎ留め,どうにか結論めいたものを導き出した。
最大の問題は,この遺体が一ノ瀬さんや岡部の可能性も含め一体誰かということだ。
「......まずいな」
隣に立つわたしでも聞こえるか聞こえないかくらいの声量で,ぽつりと松本君が呟いた。何かを危惧しているらしいが,それが何か分からず口を開きかけるも先に土井さんの震えた声が沈黙を破った。
「ウソ......大悟君......?」
瞳に涙を湛え,土井さんはふらふらと覚束ない足取りで遺体へ歩み寄ろうとする。ということは,この格好は着替えた後の一ノ瀬さんの服装ということか。松本君は慌てて土井さんの前に腕を差し出しこれを制した。
「待って下さい。岡部さんの時と同様,現場保存のため迂闊に室内に踏み入ることは避けた方がいい。それに,あの遺体が一ノ瀬さんであると決まったわけでもありません」
「......どういうこと?」
取り乱すまいとしているのか,土井さんはどうにか聞き取れるくらいの震える声で言った。一方咄嗟に制したもののどう言葉を選べばよいのか答えあぐねているらしく,松本君は一拍間をおいた。
「見ての通り遺体の頭部は切断されています。服装は最後に見た一ノ瀬さんのものと同じなんですよね? ということは菅さんの宿泊していた部屋で,一ノ瀬さんが昨日着用していたものと同じ服を着た身元不明の遺体を発見したというのが客観的に捉えた現在の状況です。すると次に考えなければならないのは,今僕達が目撃している遺体が一体誰なのか。物理的にあり得るのは一ノ瀬さん,菅さん,そして岡部さんです。この3人は多少の差はあれど背丈は近しいですし,頭部が切断されている分目測も狂う。岡部さんの遺体かどうかは岡部さんの部屋を確認すれば分かるかもしれませんが,少なくとも今ぱっと見では身元を特定できない」
「......一ノ瀬さんはどこ?」
低く,怒気を孕んだ声に驚き振り返ると,高杉さんが険のある目を松本君に向けていた。
「遺体が誰であれ生きているなら,今わたし達の前に姿を現さない理由は何? それはその人が犯人で逃げる必要があるからでしょう? なら,動機がある一ノ瀬さんで決まりじゃない」
「一ノ瀬さんには百合の花が張り付けられた時点を含めアリバイがありますよ」
「あってないようなアリバイがね」
「......仮にアリバイを無視したとしても,まだ一ノ瀬さんが逃亡したとは言えません。頭部を切断した理由は分かりませんが,菅さんが過剰防衛で一ノ瀬さんを殺害してしまい恐怖心から逃亡したのかもしれませんし,2人が共犯であることを完全に否定する根拠があるわけでもないですし」
「やっぱりアリバイがなければ,一ノ瀬さんが康友を殺したってことじゃない」
まるで松本君が恋人を殺害した当の犯人であるかのように睨み付ける。思っていたよりも弁が立つタイプのようだ。
わたしは高杉さんの敵対的な態度以上に,松本君の返答に困惑した。過剰防衛後の頭部切断や2人の共犯だなんて可能性,考慮に入れる必要もないくらい確率としては低いもののはず。高杉さんの言い分の方が余程説得力があるように聞こえる。まるで態と様々な可能性を残して曖昧な状況を作りたいかのようだ。
「......動機と言いますが,僕達が把握しているのは岡部さんや菅さんとの仲が険悪であるというだけですよね。仲が悪いからという理由だけでは人を殺す動機としてはかなり弱いのでは?」
「いや......動機なら別にあるかもしれない」
松本君に答えたのは,今日ほとんど言葉を発していなかった鳴海さんだった。
「詳しいことは聞いていないんだけれど,これまでの話を聞く限り大筋は間違っていないはずだ。......端的に言うと,大悟は岡部さんや菅さんのせいで昔恋人を自殺に追い込まれたらしい」
「はぁっ!? 何それ?」
「あくまで大悟から聞いた話なので,彼自身はそう認識しているということです。それに詳細は話したがらない様子だったから,これから話す内容には僕の推測も幾分入っています。確か,大学2年から3年にかけて大悟が付き合っていた人がいて,おそらくその人は岡部さんや菅さんとも面識があったんだと思います。ただ......」
と,不意に鳴海さんは言い辛そうに顔を曇らせる。しばらく躊躇するような素振りを見せた後,再び口を開いた。そうして鳴海さんから明かされた内容はある意味これまでで最も衝撃的なものだった。
「その恋人というのが,いわゆる風俗嬢だったんだ」
「え......」
「知り合った当初はそのことは知らなかったらしいけれどね。大悟の方から好意を持ち始めて,告白した時に初めて知ったようだった。一ノ瀬グループの御曹司が風俗嬢と付き合っているなんて体裁が悪いなんて話じゃない,だからその人もその時は断ったんだけど大悟は諦めきれなかった。何度かアプローチを繰り返して結局は交際することになったらしい。風俗に勤めているのは金銭的な理由からだったそうだけれど,正直,大悟は結構な額を援助していたみたいだ。その甲斐あって交際からしばらくして風俗を辞めることができたけれど,そのまま順調に付き合うというわけにはいかなかった。僕が聞いた限りでは,大悟は彼女の過去を知った人物から脅迫染みた要求を受けるようになったということだったけれど,多分それが岡部さん達だったんだと思う」
「嘘よ! そんなことしていたら分かったはず!!」
「もちろん僕の思い違いかもしれません。ただ,少なくとも岡部さんと菅さんはその人と面識があり2人の交際も知っていたと断言できます」
語気を荒げる高杉さんとは対照的に,鳴海さんは冷静に応じる。それからやや申し訳なさそうな目をちらと土井さんに向けた。
「一度しか見たことがないから直ぐには思い出せなかったけれど,その......かなり似ているんです」
「似ている?」
「当時の彼女と......土井さんが」
言われた瞬間はッとした。わたしや奏ちゃんもいるのに岡部が初対面である土井さんのことを一目で一ノ瀬さんの恋人であると見抜けたのは何故か。菅との口論でああも一ノ瀬さんが激高したのは何故か。その理由が今,鳴海さんの発言で全て説明できるように思えた。
土井さんは一瞬虚を衝かれたような表情を浮かべたが,徐々にその意味が飲み込めて来たのか顔が青ざめて行く。鳴海さんは同情しているような顔をしながらも,淡々と自身の推測とその根拠の説明を続けた。
「僕の記憶が定かでない部分は多分にあるけれど,昨夜大悟と菅さんの口論を鑑みても顔が似ているという点は僕の思い違いや個人的な印象という可能性は否定できます。そして大悟がああも激高したことから,脅迫していた人物が岡部さんや菅さんという推測は全くの的外れとも言い切れないと思います。そうだとすると,彼女を自殺に追い込まれた大悟には2人の殺害を決意するには十分な動機があったんじゃないかな」
「......脅迫をしていたのが岡部さんや菅さんであるというのはあくまでも鳴海さんの推測ですよね」
余程考えに自信があるのか,鳴海さんは慎重な姿勢を固持する松本君に強く頷き返す。
「そうだけど,一応裏付けはある。犯行予告の百合の花だ。さっきようやく思い出せたんだけど,その自殺した彼女の名前が確か中西百合音というんだ」
それは......もうほとんど答えなんじゃないか。
鳴海さんは松本君と同じく根拠なく自身の意見を話したがらない人らしいが,わたしには決定的に思えた。松本君が拘っていた,当事者にしか分からない百合の花の意味も説明できるし,岡部や菅と一ノ瀬さんのやり取りを振り返ると,2人がその脅迫をしていた人物であるという見立ても蓋然性は悪くないだろう。
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