第6話ツギノテ
扇風機が首を振って、居間に涼しい風を送っている。僕らはちゃぶ台を囲んで素麺を啜っていた。
「色付きの麺が入ってると何か得した気分になるよね」
パスがそう言いながら、色付きの麺を箸で摘もうと四苦八苦していた。さっちゃんが横から掻っ攫う。
「ちょっとー」
「そんで、二人はこれからどうするつもりや」
さっちゃんは意に介さず切り出した。
「そりゃ、また世界を治すんだろ?パス」
「う、うん」
僕がパスに呼びかけると気まずそうに視線を逸らした。あれだけ大泣きした後だし、仕方ない。実はちょっと自分も意識してしまって、まともに彼女の顔を見れない。
「青春やねー」
「そ、そんなんじゃないって!……それでね、ツギ君に提案があるんだけど」
パスは箸と麺つゆの入った猪口をちゃぶ台に置いた。
「一度、世界を巻き戻そうと思うんだ。そしたら、君は一人の人間として元の生活に戻れるよ」
「ん?タスクさんもそんなこと言ってたけど、できるの?」
「まぁね。あれだよ、ネットゲームとかであるじゃん。異常が起こる前の状態に戻すロールバックって。だけど、それをするための鍵を見つけなきゃいけない」
「心当たりはあるんか?」
さっちゃんが口を挟む。
「それを探すのがサチの役割じゃん」
「ウチは引退したつもりなんやけどな」
「ただでさえ、管理者が減ってるんだから、まだまだ働いてもらうよ」
「パスちゃんは相変わらず、容赦ないなぁ」
ボヤくように彼女は言った。
「引退?管理者って引退とかあるの?」
「管理者に寿命は無いんやけどね。ただ何百年も管理者を続けると、体はともかく精神の方が持たんのよ。そしたら、次の新しい管理者に役割を引き継いでお役御免となるわけやけど、世界が停まっている今、新しい管理者が生まれてこんのや」
「つまりさっちゃんは」
「五〇〇年ぐらい管理者やってるで」
見た目おかっぱのジャージ少女なのに。
「いやいや、一〇〇〇年ぐらいやってた人もいるじゃん」
「あの爺様は特別や」
そんな管理者トークを聞きながら、パスを見る。ということはパスも……。
「わ、私はまだ二〇〇年も経ってないし!」
「いや、何も言ってない……」
「視線で判るよ!」
外見はまだ一〇代の女の子なのに年齢を気にするのか。いや、女の子だからか。
「ともかく!探し物はサチの得意分野でしょ?」
「しゃーない、ツギちゃんの為やしね。ちなみにツギちゃんの居場所もウチの能力で見つけたんやで」
そうだったのか。ふと僕はある人物を思い出した。
「タスクさんと協力したら?あの人も同じことしようとしてるんでしょ?仲は悪そうだけど」
僕の言葉にパスが固い表情を浮かべた。
「そっか、ツギ君は知らなかったね。アイツのこと」
「やっぱ悪い人なのかい?」
薄々、予想はしていたけれど。
「この世界がこんなことになってしまったのはアイツのせいよ」
パスは苦々しげに言った。
お昼ご飯の片付けが終わり、縁側に3人並んで座っている。今日もいい天気、と思っていたら空の様子が怪しい。暗い雲が出てきていた。
「あるとき、一人の管理者がこんなことを言い出したの。『今の世界をこのまま続けても、もうどうにもならない。だから、全て壊して初めからやり直そう』ってね」
僕は息を飲む。人間からしたら全くあずかり知らぬ所で、世界を終わらせようとしていたのだ。たまったもんじゃない。
「当然、他の管理者は反対したで。けどそれは全員じゃなかったんや。……大体、半々ぐらいやったかな」
さっちゃんが説明を引き継ぐ。
「初めは何度も話し合いしとったけど、次第に賛成派が強硬手段に出るようになってな。それからは管理者同士が争うなんて事になってもうた。フジちゃん達も頑張ったんやけど、徐々に数で押され気味になってしまってなぁ。もうどうにもならへん、ってところでパスちゃんが世界の崩壊を止めるために、時を停めたんや」
「そんな事情があったんだ……って、ことはタスクさんは賛成派の首謀者だったとか?」
どこか抜けたところのあるタスクさんだったが、その反面、物事をシビアに見る様子も所々伺えた。
「全くの逆よ。最初は反対派だった。けど、こちらの戦況が悪いと見ると賛成派に寝返ったわ。挙句、戦乱の最中にリーダー格の管理者を消して、賛成派を乗っ取ったのよ」
「うわぁ……」
思わず声が漏れる。そこまでとやらかしていたとは。
「アイツは世界のことなんて考えてない。ロールバックもロクでも無いことに利用するに決まってるわ」
「まぁまぁ、そんなヒートアップせんと。ラムネでも飲む?」
さっちゃんがパスに足元のバケツからラムネを渡した。氷水に浸かっていたのでよく冷えている。パスは不機嫌そうな顔でラムネの蓋を開けたが、炭酸が吹き出してきてアワアワしていた。かわいい。……じゃなくて。
「昔は気弱で真面目な子やったんけどねぇ。ともかく、タスクちゃんよりも先に鍵を見つけんとあかんね」
さっちゃんが顎に手をやり思案する。
「見つけられるの?さっきパスがさっちゃんはその手の本職って言ってたけど」
「失せ物を探すのがウチの仕事やからな。ちょっと待ってて。仕事道具持ってくるわ」
さっちゃんは立ち上がると奥へ行ってしまった。しばらくして戻ってくる。別の人が。
ジャージでおかっぱ頭な所はさっちゃんそのものだ。ただ先ほどの中学生ぐらいの少女ではなく、妙齢の女性だった。ジャージに収まりきらなかった胸が飛び出している。中に着ているシャツの襟元も伸び切って、深い谷間が見え……。僕は必死に視線を逸らした。
女性は手に大きな木箱と六角形の木箱、おみくじ箱を抱えていた。
「どっこいしょっと。……ああ、お仕事モードはこの姿なんよ。びっくりしたやろ?」
彼女は大人の女性なのに、どこか少女っぽさが残る笑顔を浮かべた。思わず見とれてしまう。すると、パスに脇腹をつねられて、さらに捻られた。
「いたっ!」
思わず叫んでしまった。
「な、なにさ!?」
「べっつにー」
ふくれっ面のパスに不思議に思いつつ、改めて道具を見る。古ぼけたおみくじ箱。よく神社とかで見るアレだ。そして、引き出しがいくつもついた木の箱。それぞれの引出しに漢数字で番号が振ってある。
「ほんじゃ、これ振って」
「僕が?」
さっちゃんがおみくじ箱を差し出す。
「その人にとって必要なものを探すんやからな。本人が振らな」
「私がやるよ。ツギ君はどんなものを探してるのかわかんないでしょ」
パスが横からひったくった。何だか機嫌が悪いようだ。逆にさっちゃんはニヤニヤしている。
八つ当たりの如く、パスがおみくじ箱を思いっきり振る。細い棒が出てきた。
「0+1番だってさ」
このおみくじ、そんな番号があるのか……。
「んじゃ、これやな」
さっちゃんは木箱の引き出しから紙を取り出すとパスに渡した。ここまでは完全に普通のおみくじである。ただ、渡された紙にはアルファベットと記号がごちゃまぜになって書かれていた。なんだこれ。
僕には全く理解できなかったが、パスには判るらしく、何度も頷いて紙をポケットにしまった。
「ちょっと距離があるかな……」
パスはそう言うと中身の残っているラムネ瓶を片手に、立ち上がった。
「よし、行くよツギ君」
「あ、待ってよ」
僕も慌てて後に続く。
「ウチも付いて行こかー?」
「結構です!それに、サチがここから出たら、アイツに見つかっちゃうじゃない」
なぜか、さっちゃんの申し出をパスは力一杯、断った。不思議そうな顔をする僕にパスが補足してくれる。
「タスクもロールバック・キーをずっと探してるんだけどさ。鍵は管理者でも簡単に見つからないように隠してあるんだよ。けど、サチの能力なら簡単に探し出せてしまう。だから、普段はタスクに狙われないようにサチはこの空間に隠れてもらってるの」
「ここは大丈夫なの?」
「通常の空間と切り離してあるからね。場所は知ってるかもしれないけど、簡単には入れないよ」
隠居してる理由はそれもあったのか。
「まぁ、ちょっとぐらいならバレずに活動できるんやけどな。……けど、あの子は管理者の位置や情報は全て把握しとるからなぁ。パスちゃんがロールバック・キーを見つけたら、速攻で襲ってくるで?今のパスちゃんじゃ倒せんやろ」
「フジさんとか頼りになりそうな人には連絡してるけど、最近、蟲の活動が活発になってきてるんだよね。まぁ、サッと回収して、サッとここに戻ってくるよ」
「ちょっとコンビニ行ってくるみたいに言わんでも……。ともかく、無理したらあかんで」
「判ってるよ」
心配そうに言うさっちゃんに対し軽く言ってのけるパス。こうして見ると年の離れた姉妹のようだ。心配性の姉とマイペースな妹。
「ツギちゃんも」
「あ、うん」
「また辛くなったらいつでもここにおいで。そんでゆっくり休んで、また頑張ればええんやから」
さっちゃんには本当にお世話になりっぱなしだ。
「本当に色々とありがとうございました」
僕は姿勢を正し、深々と頭を下げる。
「そんなそんな。気にせんでええよ」
さっちゃんは優しく笑った。
パスのビートルは高速道路を走っていた。いつものごとく、放置された車と穴ボコだらけであまりスピードは出せなかったけれど。ひと月ぶりに座るビートルの助手席は不思議な感覚だった。懐かしい、というほどでは無いけれど妙に落ち着く。リカさんもこの席に座っていたのだろうか。
「途中で運転変わるから、いつでも言って」
「う、うん」
パスと二人っきりになるのもひと月ぶりだ。ちょっと気まずい。僕は必死に話題を探す。
「いい人だったね、さっちゃん」
「昔から面倒見は良かったからね。サチは探査系の管理者だから駆除の現場に立つことは無かったけど、私みたいな駆除系の管理者に蟲や穴の位置を教えてくれてたよ」
「あ、やっぱり管理者にも役割とかあるんだ」
「まぁね。一時、トリオで活動してたし。サチが走査して、私が蟲を駆除して、リカが穴を塞ぐ。あれよ。ジェットストリームアタックみたいな」
「ああ、何かしっくりきた」
判る人には判る、絶妙な例えだ。
「ところで話は変わるけどさ……ツギ君ってやっぱり好きなの?大きいほうが」
ちょっと恥ずかしそうに言うパス。質問の意図が判らない。大きい?なんのことだろう。
「や、私は別にどっちでもいいんだけど?ツギ君も男の子だし?」
大きい、好き、男の子、……車とか乗り物のことだろうか。
「サチのは、そりゃ大きかったけどさ……」
さっちゃんが乗っていた軽トラを思い出す。このビートルより一回りぐらいしか違わないような気もする。
「どうだろう。やっぱり程よい大きさがいいかな」
そっちの方が運転しやすそうではある。
「だ、だよね!」
パスの顔が明るくなる。そんなに嬉しかったのだろうか。
「何より扱いやすそうだし」
「いきなり何言ってんの!?」
「え?なんで?」
「なんでって、それは……」
顔を赤らめたパスは言葉を濁す。
「あー、でも、大きいのも好きだなぁ」
「さっき、程よい大きさがいいって言ったのに……」
「それはそれ、これはこれ」
「この節操なし!」
「なんで怒られたの?……まぁ、大きいって言うなら、フジさんのも大きかったよね」
「ソッチも好きなの!?」
パスが驚嘆の声を挙げた。
「え、大きいし」
フジさんの乗る大型のアメリカンバイクもカッコよかった。それほどバイクに興味のない自分でも、乗ってみたいと思える程に。
「大きいっていうか、デカいっていうか、キレてるっていうか……」
妙なことをブツブツと呟くパス。
「ん?車とか、乗り物の話じゃないの?」
「えっ」
「えっ」
どうやら相互認識に誤解があったようだ。
「や、はは、うん、そう。乗り物の話。うん」
これほど、慌てふためくパスを見るのは初めてかも知れない。顔を真っ赤にしたパスは吹けない口笛を吹きながら、その場の空気を誤魔化そうとしていた。
結局、何の話だったのだろう。
僕とパスは運転を交代しながら一日ほどで目的地にたどり着いた。道中、誰かに会うこともなく、何か襲われることもなく、穏やかな旅路だった。
それと道中の食事当番は僕がやった。パスには材料と道具だけを出してもらい、調理を僕が行ったのだが、中々に苦戦した。フジさんやさっちゃんに色々と教わったけれど、実際に一人で作ると思い通りにならいないものだ。
「ちょっと味が薄いかな……そうだ、この香辛料を入れてみよう」
「えっ……」
「アレンジってヤツ?」
「そういうのは料理のベテランがやるもんだよね?」
「大丈夫、大丈夫。任せて」
という料理初心者にありがちな、アレンジという名の余計な事をして大失敗をしたりもした。パスは笑いながら食べてくれたけれど。もう余計な事はしないようにしよう……。
他にも今まで遠慮して互いに聞かなかったことを話し合ったりした。パスは辛いものが苦手とか、毛玉系の動物が好きとか、くだらない話だけれど、前よりも距離は縮まっている気がした。
「この辺りなんだけど……」
たどり着いたのはどこかの大学だ。大きな校舎が何棟もある。パスはアーチの掛かった大きな正門の前に車を停めた。鉄製の柵が半開きになっている。
僕は先に車から降りて壊れかけの校舎を見上げる。探すのは大変そうだ。パスも遅れて降りると、注意深く辺りを見回す。建物だけでなく、周辺の様子も窺っているようだ。
「ひょっとして、蟲いる?」
僕はパスのダッフルバッグを背負いながら、彼女に問いかける。
「いや……蟲はいないみたい。でも、気をつけて。タスクに見られてる感じがする」
向こうは全ての管理者の行動を把握しているのだ。となると、こちらがやろうとしていることもお見通しだろう。
警戒しつつ大学の校舎に入ると、中も当然のように荒れ果てていた。真っ白な廊下を慎重に進む。
「そういや、鍵ってどんな風に隠してあるの?」
「サチの家と同じだよ。その部分だけ世界から切り離してる。簡単には回収出来ないようにね」
「はー、そうなんだ」
「まぁ、だいたいの場所は判ってるからすぐ見つかるよ。問題は……あ、ここかな?」
パスは途中で言葉を切ると、教室に入っていった。僕も後に続く。
かなり大きな教室で固定式の机と椅子が、教卓を取り囲むような形で半円状に設置されている。机の上には教科書やノート、それに口の開いたカバンが放置されたままだ。パスは僕の背中のダッフルバッグから例の細長い袋を取り出した。
「前から思ってたけど、それ何なの?」
「こっちは世界を停めてる方の鍵。まぁ、私本来の能力でもあるけど」
パスは教卓の後ろに回り込みながら、いつものようにそれで床を突く。広がる色彩は僅かだった。その中心に青いビー玉が落ちていた。よくよく見るとひび割れや欠けがある。
「世界を停止するのにほとんどの力を使っちゃってるから、部分的に停止を解除するぐらいしか出来ないけどね。よっと」
パスは欠けたビー玉を拾い上げると、小さなお守り袋に入れた。
「それが鍵?」
「破損してるけどね。君が治さなきゃ使えないよ」
ああ、それでタスクは僕を勧誘しようとしていたのか。
「よし、無事に回収完了。タスクが来る前にとっととズラかるわよ」
悪役みたいなことを言いながら、彼女はお守り袋をポケットにしまった。
「ここに来るまで僕、何もしてないな……」
自分には治すことしか出来ない。
「君にはまだ大事な役目が残ってるから」
「何すればいい?」
「後で教えるよ」
パスはポンチョを翻し、教室から早足で出る。僕も慌てて後を追いかけた。
外に出るまでは何事も無かった。事が起こったのは正門近くまで戻ってきた時だった。突然、歩道の茂みから何かが飛び出してくる。銀色の光が僕の喉元近くで軌跡を描く。咄嗟にパスが突き飛ばしてくれなかったら、喉を切り裂かれていただろう。
体を起こすと、一人の小柄な少女が立っていた。さっちゃんと同じぐらいの背丈だろうか。少女の真っ白な髪は寝癖のようにあちこち跳ねている。端正な顔立ちに悠然と微笑む少女の目の下には濃いクマが出来ている。大きなヘッドホンを首に掛け、服はこの場に似つかわしくない、黒で統一されたゴスパンク。両手にはもっと似つかわしくない、大振りのナイフ。何というか不健康そうな少女だ。
襲撃者が間に入ったため、僕とパスは分断されてしまった。
「アンタ、何者?管理者じゃないでしょ?」
パスが険しい表情で問いかける。手には既に拳銃が握られていた。
「フフフ……アタシ?アタシはただの忠実な犬だよ。タスクさんのね」
自ら犬を称するとは。外見だけでなく中身もかなりやばそうな子だ。
「アイツの手下Aってところか」
僕の言葉に反応したのか首をぐるんと回してこちらに視線を送る。笑顔だが、その瞳は汚泥のように濁っていた。
「お兄さん、言葉には気をつけてね。殺しちゃいけないとは言われてるけど、傷つけるなとは言われてないんだから」
明確な敵意を叩きつけられ、僕は怯んでしまう。パスが銃口を向けると、それに素早く反応した少女は一気に間合いを詰める。パスが引き金を引くよりも早く、ナイフを振るう。パスは咄嗟に銃身で刃を受けるが、何と切り飛ばされてしまった。
パスは短くなった拳銃を捨て、新しい拳銃を手に出現させる。
「使い慣れない武器でお姉さん大変だね。ホントは近接の方が得意って聞いてるよ。管理者の中でも三本の指に入るってタスクさんが言ってた!」
「それはどうも!」
パスが銃口を向ける前に両手のナイフが襲ってくる。目にも止まらないナイフ捌きを、パスはかろうじて躱し続した。しかし、僅かに刃がパスに届いているようでポンチョが切り裂かれている。パスは引き金を引くどころか、銃口を向けることすらできない。
かなり分が悪いようだ。何か手助け出来ないかと体を起こすと、先ほどパスがロールバック・キーを入れたお守りが地面に滑り落ちた。慌てて拾い上げる。
「それ持ってサチのとこまで逃げて!」
パスが叫ぶ。
「パスを置いていけない!」
「私のことはいいから!」
少女は僕とパスが言葉を交わしたわずかな隙を見逃さなかった。左の手のナイフをパスに投げつける。投擲用のナイフでも無いのに正確にパスへと飛んでいく。パスは体勢を崩しつつも、どうにか避けた。改めてパスが銃口を向けるまでの短い時間、少女はこちらに向かってきた。
その速さに僕が対応出来るはずもなく、あっけなく背後に回り込まれた。そして喉元に突きつけられる刃。
「動いたらグサリといっちゃうよ」
楽しげに言う少女。僕はというと突然、突きつけられた死の恐怖に声も出せなかった。
「彼を離して」
パスが再度、銃口を向ける。狙いは僕の背後にいる少女だと判ってはいても、自分に向けられているような気になる。
「殺しはしないよ、まだね」
少女が耳元で囁く。背筋がゾクリと震えた。
「はいはい、ご苦労さん」
どこにいたのか、タスクが突然現れた。隠れる場所は無くはないが、目の前にいきなり現れたようにも見える。これも管理者としての能力なのだろうか。
「必要なものさえ手に入れば、誰も傷つかずに済むからさ。二人共、ちょっと協力してくれないか」
相変わらず物言いが回りくどい。
「目的はロールバック・キーだけじゃないのか?」
僕はタスクに問いかける。
「君らの力も貸してもらいたい。ツギ君には鍵の修復を、パスからは再起動の権限を譲ってもらいたい」
しばしの葛藤の後、パスは今は抵抗できないと判断したのか、銃を降ろした。
「判った。ツギ君を離して」
少女は僕が手にしたお守り袋を取り上げると、タスクに手を伸ばして渡した。タスクはお守り袋の中からさっきのビー玉を取り出す。
「まだロールバック・キーが残っていたとはね。壊れてるみたいだが……ツギ君」
再び僕の手に戻ってくる。パスに視線を送ると、仕方なく、といった感じで頷いた。
「ナイフを突きつけられたままじゃ、修復は出来ない」
僕がそう言うと、タスクは確かに、と呟いた。
「α、離してあげて」
「判りました」
どこか渋々、と言った感じだ。よほど彼女の恨みを買ってしまったらしい。
修復と言ってもどうしたらいいのか判らないけど、自然と体が動いた。初めて穴を塞いだ時のように、ポーチから布を取り出してビー玉を包み込む。
「しばらくしたら治るよ。多分」
僕がそう言うとタスクは満足げに頷いて、布に包まれたビー玉を取り上げようとする。咄嗟に抵抗すると再び、αと呼ばれた少女にナイフを突きつけられた。
二人の意識がこちらに向いているそのわずかな間に、パスは手にした獲物を変えていた。
彼女は大口径の銃?を手にしていた。木製ストックのそれは確か爆発する弾、榴弾を発射するはずだ。二人もすぐに気づくがもう遅い。
「パス……」
「大丈夫、何があっても君だけは助けるから」
僕を元気づけるようにパスは無理に微笑んでくれる。そして、引き金を引いた。
発射された四〇mmの弾頭は僕の胸に当たり、数メートル吹っ飛ばされた。ちょうどビートルの前あたりまで。
「何やってんだ、お前!」
突如、タスクが叫ぶ。それまでの余裕ぶった態度はどこへ行ったのか。パスがヤケを起こして、僕を殺したとでも思ったのだろうか。αも突然の事態にどう動けばいいのか判らないのか呆然としている。
「逃げて!」
パスの声に僕は跳ね起きる。撃たれた痛みは殆どなかった。パスは両手にサブマシンガンを手にすると、タスク、αに向かって連射する。タスクは手をかざし、銃弾を受け止め、αは正門の柱の影に逃げ込んだ。
彼女は決死の思いで時間を稼いでくれている。それを無下には出来なかった。
「絶対に戻ってくるから!」
僕はそれだけを叫ぶと、ビートルの扉を開けて乗り込んだ。キーを回してもいないのにエンジンが掛かった。サイドミラーを見ると銃弾を受け止めていたタスクが何か手を動かすのが見えた。どこかへの合図だろうか。確認する前に、ビートルが勝手に動き出した。
猛スピードで走るビートル。後ろを見るとパスがαに取り押さえられていた。僕は思わずハンドルを切ってパスのもとに戻ろうとするが、ピクリとも動かない。完全に自動で動いているようだ。
すると、今度は車の前に蟲達が次々と飛び出してくる。しかし、ビートルは全く意に介さず、突き進む。避けきれない蟲を何体も跳ね飛ばすので、フロントガラスは割れ、ボディはベコベコにヘコんだ。数はそれほどいなかったのか、すぐに蟲達の包囲網を突破することが出来た。
この蟲もタスクが操ったのだろうか。
ビートルはボロボロになりながらも、どこかへ向けて走り続けている。
「パス……」
僕は車内で一人つぶやく。そう言えばロールバック・キーを手にしたままだ。包んだ布を開くとビー玉は青く光り輝いていた。これがあれば世界が壊れる前に戻せるのか。じっと見つめるけれど、嬉しさは殆ど感じなかった。
と、携帯電話に着信が入った。相手は非通知。だが、相手がタスクだと確信はあった。
「もしもし」
『やぁ、ツギ君。……鍵は持っているな?』
「パスは無事なのか?」
『先にこっちの質問に答えてくれないか?』
言葉こそ丁寧だが声には怒気が込められていた。
「……ああ、鍵は持ってる」
『それは重畳。パスはこちらで確保しているよ』
「で?鍵とパスの身柄を交換とでも?」
『そう……と言いたいところだけど、どうもパスは鍵だけでなく、残されていた自身の力を全て君に託したようでね、そいつも欲しい』
「僕の体の中にパスの力が?」
『それも無いとこちらの目的が果たせない』
つまり、パスは何の力も行使できないのか。ということは。
『今、君が思った通り、パスは無力だ。私も手荒な事はしたくないんだが、ね?』
「脅すつもりか?」
『それ以外の意味に受け取れるかい?』
嫌味な言い方は相変わらずだが、余裕が無いように聞こえるのは気のせいではないはずだ。ただし、向こうはこちらが絶対に断れないとも理解しているだろう。
「判ったよ。けど、ビートルが勝手に動いてるからすぐには向かえない」
『恐らく、指定された目的地に行くまでは停まらないのだろうね。その後でいいから、さっきの大学に来てくれ』
そこでタスクは一旦、言葉を切った。
「アンタは……何がしたいんだ?」
僕はタスクに問いかける。パスやフジさんのように世界を守護するためではないことは確かだ。かと言って、賛成派のように全て壊して、初めからやり直したいとも思っていないようだ。
『何、大したことじゃないさ。世界をやり直すだけだよ。私の思い通りになるよう、設定を弄ってね』
「世界は管理者達で管理・運営していくものじゃないのか?」
『管理者というのはどいつもこいつも自分勝手に動いる。正直、今までそれで世界を持たせられたのが不思議なぐらいだ。……そして、その結果が世界を全て壊していちやり直す、だなんて短絡的な結論に至った』
「あなたも世界を壊したかったから、賛成派に寝返ったじゃないか?」
『まさか。管理者が減ってくれればどちらでも良かったんだ。寝返ったのは、抗争をもっと煽るためさ。あの頃は趨勢が決まりかけてたからね。賛成派から講和なんて話も出てたし、連中にもっと抗争を継続させようとしたのさ。もっともリーダー格が及び腰だったから派閥を乗っ取るなんてこともしたがね』
全く悪びれずに言うタスク。
『世界も管理者達もボロボロになったところで、全てを掌握しよう、というところで彼女が余計なことをやらかした。世界の全てを停止させられては干渉のしようない。だから世界を壊れる前に戻し、再び時を動かす。君にとっても悪い条件じゃないだろう?何よりも君は元の人間になり、いつもの世界に戻れるのだから』
「アンタの思い通りの世界、という点を除けば乗ったかもね」
『ならば、管理者として生きていく覚悟が君にあるのか?』
「…………」
『そもそも最近まで、パスと世界を治すと息巻いていたそうじゃないか』
「どうして……」
『他の管理者のことならだいたい把握してる。それが本来の仕事なんでね。ただ、私に言わせてもらえば、借り物の力で調子に乗ってるだけにしか思えない』
「そんなこと……!」
『ならばその意志は君自身のものか?前任者であるリカのものではないのか?』
いきなり解決済みの話を持ち出された。
「あ、その話はもう済んでるので」
『そう……』
タスクが鼻白むのが判った。おかげで冷静さを取り戻すことが出来た。相変わらず詰めが甘い人だな。
『ま、ともかく、パスが大事なら、さっきの大学に来てよ。どうせフジとかサチに頼るんだろ?』
いちいち癪に障る言い方しか出来ないのか、と言い返したかったが、ここでまた熱くなっても意味はない。言葉を飲み込んだ。
「必ず行くから、首を洗って待ってろ」
とにかく相手に弱気なところを見せたくなくて、去勢を張ったら三流の悪役みたいなセリフになってしまった。
『ククク、楽しみにしてるよ』
そこで通話は切れた。
僕はすぐさま、さっちゃんに電話を掛けた。情けないと思われてもいい。パスを助けるためならなんだってやってやる。
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