第5話ソレゾレ

 ツギ君がいなくなってから数日が経った。一応、知り合いの管理者に保護を頼んでおいたから、どうにかなる事はないと思う。問題は私だ。

 彼がいなくなってからは自己嫌悪の嵐で、まともな思考が全く出来ていない。リカがいれば、何か声を掛けてくれるだろうか。優しく叱ってくれるかな。

 未だにリカに依存してしまっていたことに、改めて気付かされ嫌になる。そんなだから、自分勝手にツギ君を巻き込み、こんなことになってしまったのだ。彼が怒るのも当然だ。

 それでも、私はまだリカを諦めきれていなかった。


 私は普段のように蟲を処理しつつ知り合いの管理者、サチというのだけれど、からの連絡を待っていた。本当は私が保護に行きたかったけれども、やはり彼への後ろめたさから、どうしても顔を合わせる勇気が無かった。

 今日も穴の周辺にいた蟲を駆除し終えると、瓦礫の山で一人佇む。ポケットからMDウォークマンを取り出すとイヤホンを耳にはめた。

 少しでも気分を落ち着けようと静かな曲を流す。

 リカは私にとってかけがえのない存在だ。誰よりも長い付き合いだし、ツギ君にも言った通り、どんな代償を支払ってでももう一度会いたい。けれど、その代償に他人を巻き込んでしまうことまで考えていなかった。つくづく自分勝手だなと思う。

 いや、考えていなかった訳じゃない。最悪、修復が上手くいかずに蟲として目を覚ますこともありえた。その場合、私に殺す覚悟はあっただろうか。リカなのか、ツギ君なのか、そのどちらとも言えない存在に。

 もし、彼がリカとして記憶や人格を完璧に引き継でいたら。外見は男の子だけど、顔立ちも整ってるし、体型は小柄で華奢だから服装を整えれば何とかなるかな。いやいや、何を考えているんだ、私は。

 ともかく、無理につなぎ合わせた結果、リカではなくツギ君が生まれてしまった。その時点で私は間違いを認め、彼に全てを打ち明けたらこんなことにはならなかっただろう。

 その後も彼が記憶喪失ということに付け込んで、都合の良いように利用したというのも否定出来ない。時折、彼が見せるリカの言葉や仕草に期待し、元の人格が戻ると信じ込もうとしてしまった。彼の元から一時的に離れたのも、リカの破片を見つけるためだった。彼に少しでもリカの破片を継ぎ足せば、あの子の記憶を取り戻す確率が増えるのではないかと思いついたからだ。あの子が死んだ場所に行き、徹底的に探したが何一つ見つけることが出来なかった。

 私は彼にどうしてあげたらいいのだろうか。どれだけ管理者として強い力を持っていても、私には彼を現状から救ってあげる術を持っていない。

 ふと、リカが『私ももっと何かしたいけど、何も出来ないから』といつも自嘲気味に言っていたのを思い出す。リカには世界を治せるじゃない、と私が言うと困ったような顔で笑っていた。

 今なら、あの子の気持ちが判る気がした。


 音楽をイヤホンで聞いていたため、携帯電話が鳴っているのに気付くのが遅れた。イヤホンを耳から外し、電話に出る。相手はサチだ。

『もしもし、パスちゃん?』

 能天気な声が聞こえた。

「ああ、サチ。ツギ君は見つかった?」

『見つかったでー。車で近づいたら全力疾走で逃げようとしたけどなー』

 いつの頃からか怪しげな関西弁で話すようになったサチ。ともかく私は胸をなで下ろした。

「なんで逃げたの?」

『もうこの世界にも、管理者にも関わりたく無かったんやと』

「…………」

 私は言葉に詰まる。

「と、とにかく、私もそっちに行くから」

『いやー、パスちゃんはまだ来たらあかんわ』

「なんでよ」

 つい不機嫌そうな声を出してしまう。

『まだお互いに整理ついとらんやろ。しばらく二人共、頭を冷やさな』

「わ、私は反省してるわよ。自分が悪いと思ってるし……」

『そう?ウチには、パスちゃんがそう思い込もうとしてるように感じるんやけど?』

「え?どういうこと?」

 意味が判らない。

『ま、ええわ。ともかく、ツギちゃんの面倒はウチが見るから。パスちゃんも姐さんに面倒みてもらいーや。姐さんには話通しといたから』

「むぅ……」

 確かに姐さんはいろいろ問題はあるけれど、人格者でもある。相談をするにはうってつけだ。けど。

『まぁまぁ、一人で考え込むより、誰かに話を聞いてもらう方がええんやから』

「判ったわよ……」

 私は渋々ではあるが、サチの提案を受け入れた。

『姐さんの現在位置は……』

 サチから姐さんの居場所を教えてもらう。

「じゃあ、ツギ君のこと頼むよ」

『任せときー、ほななー』

 通話を終えると、腰に取り付けたポーチの口を開ける。ツギ君が使っていたポーチだ。元はリカの物だけれど。ポーチに携帯電話を入れると、もう一つの携帯電話と日記帳に手が触れた。


 赤ジャージを着たおかっぱ少女はサチと名乗った。見た目は中学生ぐらいで太い眉が特徴的な管理者だ。小柄だけれど、開いたジャージから覗く白シャツは体格に不釣り合いなほど盛り上がっている。あまり意識しないようにしよう……。

 軽トラに無理やり乗せられた僕はどこかへ連れて行かれようとしていた。……ホントにどこ連れて行く気だ。

「あの、パスの知り合いですか?」

 恐る恐る、聞いてみる。サチさんを恐るような理由なんて無いのだけれど。少し、人間不信になりかけているのかもしれない。

「うん、そうや。ツギちゃんを迎えに来たのもパスちゃんの頼まれてやからな」

「パスが?」

「あの子も心配しとったで」

「そうですか……」

 今、パスはどこで、どうしているのだろう。サチさんに拾ってもらうよう手はずを整えたからには、まだ僕のことを気にかけてくれているのだろうけど。それなのに自分は。

「喉渇いてるやろー?後ろの水筒に麦茶入ってるから、飲んでええよ」

「ど、どうも」

 座席の後ろに小さな水筒が置いてあった。サチさんの言葉に甘えてフタを取り、そこへお茶を注ぐ。ほのかに麦の香りがする。口をつけるとよく冷えていて一気に飲み干してしまった。

「どうせここしばらく何も口にしてへんかったんやろ?アカンで、食べないってのは。特に悩んでる時とか」

「どうにも食欲が無くて。というか、食べるもの何にも持ってなかったんですけどね」

「そらアカンね。家に来たら、美味しいご飯食べさせたるからなー」

 何かと気を使ってくれるサチさんの優しさが心に染みる。少しだけ、こわばっていた心がほぐれた気がした。

「あの、サチさんは」

「さっちゃんでええで。敬語も使わんでええし」

「さっちゃんさん」

「それはおかしいやろ」

 クスクスと笑うサチさん。

「じゃあ、えーと……さっちゃんはパスから、その、事情を聞いてるのかい?」

「みーんな聞いとるよ。や、正確には聞き出したんやけど。あの子、はっきり言わんし、メンドくさい子やからなぁ」

 非常によく判ります。

「でも、優しい子でもあるんや。ただちょっと不器用なだけで。……だから、あんまりあの子のこと嫌わんといてな」

「そう、だね」

 喧嘩別れした僕には耳の痛い話だった。パスと共に過ごして一ヶ月も経っていないけれど、どんな人物かは多少は判っていたはずだった。いや、つもりになっていただけか。

「まぁ、今はあんまり考えんことや。しばらくウチの家でのんびり過ごしたらええよ」

「けど、僕は……」

「なんとかなる」

「えっ」

「月並みな言葉やけど、ウチの座右の銘や。先のことを考えすぎてクヨクヨしても、アセアセしても、なるようにしかならへんよ」

 さっちゃんの言う通り何だろうけど、その言葉を受け入れられるほど気持ちの整理はまだ付いてなかった。


 さっちゃんの運転する車で連れて来られたのは、またしても不思議な空間だった。モノクロの荒廃した街を抜け、田んぼと畑しかない田舎道に彼女の住む家はある。

 何故かその家周辺だけは色彩が戻っている。旧日本家屋の平屋と畑と田んぼ。傍には小川まで流れていた。色彩のあるエリアに入ると暑さを感じる。ここだけ夏みたいだ。僕はコートを脱いだ。

 彼女は車を庭の隅に停めた。僕らは車から降りる。

「ここは……誰かが修復したのかい?」

「うちの隠れ家やでー。知り合いにに頼んで隠れ場所を作ってもらったんや。そいで、畑仕事しながら生活してる」

「へー。……あれ?さっちゃんも管理者だよね?他の人達みたいに修復とかの作業はして無いの?」

 僕がそう言うと、バツの悪そうな顔で頭を掻いていた。

「その、ウチはちょっと事情があって……」

「もしかして、マズい事を聞いちゃった?」

 僕はやってしまったかと焦る。

「気にせんでええよ。それより、今、ご飯用意したるからな。ほら上がって上がって」

 笑顔で返してくれたさっちゃんにホッとしつつ、彼女のあとに続いて家に入った。中も旧日本家屋らしく、畳敷きの部屋ばかりだ。僕は庭に面した座敷に通される。ちゃぶ台、ブラウン管のテレビ、桐のタンスなど、昭和の日本然としたものが色々と置かれていた。

「適当に座っといて。ちょっとパスちゃんに連絡だけしとくわ。それから、ご飯持ってきたるからなー」

「ありがとう」

 ノスタルジックな部屋をしばし見て回る。該当の世代の人なら懐かしい、と思うのだろうけど、自分とっては歴史の教科書とかで見たものばかりなのでタイムスリップしたような感覚だった。

 縁側からは気持ちの良い風が吹き込んでくる。庭の畑にはトマトやキュウリなんかを栽培しているようだ。腰を降ろして、ぼんやりと日本の原風景を眺める。ここだけ見れば世界が壊れて静止しているなんて誰が思うだろう。それほど、のんびりとした環境が整えられていた。

 廊下から僅かにさっちゃんの声が聞こえてくる。パスと電話で会話しているのだろう。何を話しているか非常に気になるけど、内容ははっきり聞き取れなかった。

 電話はすぐ終わり、パタパタと足音が遠ざかっていく。しばらくすると、さっちゃんがご飯を持ってきてくれた。

「簡単なものでごめんなぁ」

 お皿に乗った大きなおにぎりと赤ウィンナーに卵焼き。小皿にはキュウリの浅漬け。それとコップによく冷えた麦茶が入っていた。

「いや、ありがとう。いただきます」

 手を合わせてから、おにぎりを頬張る。何日かぶりの食事。素朴だけど優しい味がした。何故だか判らないけど、涙が出そうになった。

 食欲が無い、とさっちゃんには言ったけれど、一度口に入ってしまえば止まらない。卵焼きも赤ウィンナーもどれも今まで食べたことないぐらいに美味しい。涙をこらえながら夢中で食べた。

「ふふっ、慌てんでもええよ」

 辛い時に人に優しくされるのが、こんなにもありがたいものだとは知らなかった。気が付けば夢中で食べ続け、あっという間に完食してしまう。最後に麦茶を飲み干し、ようやく人心地付いた。

「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした。じゃあ、ウチはちょっと畑の手入れしてくるわ」

「僕も手伝うよ。ご馳走になったし」

「ツギちゃん、ロクに寝てへんのとちゃう?目の下にクマ出来てるで。お昼寝でもしてゆっくりしーや」

 そう言うとさっちゃんはテキパキとちゃぶ台を部屋の隅にどかして、座布団をいくつか並べた。

「ここ、気持ちいい風が入ってくるから、ちょうどいいお昼寝スポットなんや」

「でも……」

「ええから、ええから」

 無理やり座布団に寝かしつけられてしまった。フカフカの座布団と涼しい風が心地よい。

「んじゃ、お休みー」

 さっちゃんが行ってしまうと、辺りは静かになった。緊張もほぐれたおかげか、すぐに眠気が襲ってくる。久しぶりにちゃんと眠れそうだ。パスは今、どうしているだろうか。眠りに落ちる直前に頭をよぎった。


 私はビートルを飛ばし、丸一日かけて目的地にたどり着いた。そこはオートキャンプ場で芝生が広がっている。もちろん、色彩は無いので殺風景な事のこの上ない。

 無色のキャンプ場にピンクのキャンピングカーが一台だけポツンと停まっている。傍にキャンプチェアに座る人影が見えた。

 私はキャンピングカーの隣に車を停めた。多分、こちらに気づいているだろうけど、人影は振り向かない。車から降りて私が近づくとようやく、こちらに声を掛けてきた。

「やっと来たわね、パス」

「お久しぶりです、姐さん」

「姐さんじゃなくて、お姉さまでしょ」

 そう言ってようやくキャンピングチェアから立ち上がる。

 長身でスラリと均整のとれた体つき。胸元の大きく開いた白いシャツを着ている。振り返ったのは整った顔立ちの男だった。髪を短く揃え、剃り込みが入っているのでフジさんとは別の迫力がある。

「どっちでもいいじゃないですか。そもそもどっちでもないですけど」

「あらやだ。随分な口利くようになったわね」

 にやりと口を歪める。見た目は完全にワイルドなオネエ系なのだけれど、中身は割と常識人ではある。管理者の中では。

「ま、座んなさい」

「では、失礼して」

 用意してあったもう一つの椅子に座る。目の前にはキャンプ用のテーブルがあり、飲みかけのワインのボトルとグラスが二つ置かれていた。片方のグラスには半分ほどワインが残っている。

「アンタも呑む?」

「呑むのはお話の後で……」

「あら、いきなりね。……聞いたわよ、さっちゃんから」

 姐さんは自分のグラスに残っていたワインを一息に飲み干した。

「中々に中々なことをしでかしたみたいね」

「…………」

「いや、責めてる訳じゃないのよ。やってしまったことを後からアレコレ言っても意味は無いし。まぁ、パスの気持ちも判らなくないわよ。いえ、アタシも同じ状況なら同じことをしてたかも知れないわね。それだけ大事なオトコがいたらの話だけど」

 姐さんは誰かに説教をするとき、言葉を荒げることも、理詰めで追い詰めるような言い方は絶対にしない。厳しい言い方こそすれど、相手が理解するまで付き合ってくれる。オネエだけど。

「私もツギ君には悪いことをしたと思います。でも、リカのことがどうしても……」

「ふぅ、パスは相変わらずね。横暴で自分勝手でそのくせ、人一倍さみしがり屋。ほんとメンドくさい子ね」

 何も言い返せない。

「でも、そう言うところがカワイイんだけど」

 姐さんがニヤリと笑う。

「ど、どうも」

 どんなリアクションを返していいのか判らない。

「それで?その、ツギ君にはちゃんとごめんなさいしたわけ?」

「しようと思ったんですけど、サチに止められました。私はちゃんと反省してるのに」

 ちょっと不貞腐れたような言い方になってしまう。姉さんの整えられた眉がピクリと動いた。

「当然よ。アンタ、なんでツギ君が怒ったか判ってないでしょ」

「それは……。ホントはリカを蘇らせるつもりだったとか、世界を治しても元の生活に戻れないとか、大事なことを隠してたから……」

 我ながら酷いことをしたと思う。だから、一刻も早く謝りたい。けれど、姐さんはふぅー、とため息を付いた。

「それもあるでしょうね。でも、一番の理由は違うわよ」

「なんですか?」

「アタシの口から言えるわけないでしょう。そういうのは自分で気づかなきゃいけないのよ」

「………んぅ?」

 変な声を出して、頭をひねってもそれ以上の答えが出てこない。

「あ、喧嘩した時に酷いこと言ったから?」

「おバカちゃん。しばらく自分で考えなさい」

 普段は優しいオネエの姐さんだけど、こういう時は厳しい。

「今日はアタシに付き合いなさい。ヒントぐらい出してあげるから」

 姐さんはもう一つのグラスにワインを注いでくれる。長い夜になりそうだ。手渡されたグラスの赤い湖面には泣きそうな顔をした自分の顔が映っていた。


 僕がさっちゃんの家に来てから二日が過ぎた。不思議なことにさっちゃんの家の周りだけはちゃんと朝昼晩があり、時間に合わせて陽の光が入ってきた。どんな仕組みか判らないけど、そういうことなのだろう。あまり深く考えるのはやめた。

 保護してもらったり、面倒を見てもらってるお礼という訳でもないけれど、僕はさっちゃんの家事と畑仕事、それに食事の支度を手伝たりしていた。まぁ、やる事がなくて暇というのもあったけど。

 さっちゃんはあれ以来、パスやこの世界のことについては何も言わなかった。僕が気持ちを整理できるのを待っているのだろう。

 夕食の片付けが終わった後、僕はブラウン管のテレビに繋いだレトロなゲーム機でさっちゃんと遊んでいた。夜はこうして過ごすのが日課になっている。

「あぁ、こっちに攻撃せんといてよ!」

「わざとじゃないって、キャラが上手く操作出来なくて……あっ、風船割れた!今のさっちゃんの攻撃だろ!」

「い、今のは不幸な事故や。狙った訳じゃ……ぎゃー、ウチにぶつかってこんといてー!」

 画面の中では風船を付けた二人のキャラが所狭しと飛び回っている。ホントはプレイヤー二人で協力して、敵を倒していくゲームなのだけれど、味方の攻撃にも当たり判定があるので中々、うまく進まない。

「ヒドイで、ツギちゃん。……そんな悪い子にはお仕置きや」

「ちょ、やめて……死んだぞ、コノヤロウ!」

 最早、誰が敵か判らない状態である。報復に次ぐ報復で、あっさりとゲームオーバーになってしまった。

「あーあ、ツギちゃんが邪魔するから……」

「最初に手を出したのはさっちゃんだったような?」

 何てやり取りをしながら、二人で笑った。懐かしい。兄と一緒にゲームをしたことを思い出した。まぁ、あの頃は白熱し過ぎて喧嘩になったこともあったけど、今では良い思い出だ。これは人の記憶。

「はー、このゲームで協力は無理やな。何か他にいいカセットはあらへんかな?」

 さっちゃんはお菓子の空き箱に入れられたソフトの山を漁る。

「それとも、次世代ハードにする?」

「えっ、あるの?」

 ここ二日間、レトロゲーばかりだったので、そんなものがあるとは予想もできなかった。

「何でもあるでー。時代の最先端を行くハードから、時代に闇に葬られた業の深いハードまで」

「ガチなゲーマーだったのか……」

「基本的にはウチは一人やし、夜はあんまりやる事無いんやわ。んで、暇つぶしと思って手を出したんやけど、気がついたらハード全制覇してたわ」

 笑いながらも、彼女は少し寂しげだ。

「たまに顔馴染みが来てくれることもあるから、いつも一人って訳でも無いんやけどなぁ。そん時はこうやってゲームやったり、お酒呑みながら映画見たり、朝まで麻雀やったり……誰か来てくれた時は嬉しくてなぁ。つい色々としてあげてしまうんや」

 しみじみと語るさっちゃん。

「田舎のおばあちゃんみたい」

「あはは、そうやね。ご飯とかお菓子も沢山食べさせてあげるしなぁ。……そうや、茹でたトウモロコシあるから持ってくるわ」

 いそいそと台所に向かうさっちゃん。一人取り残されると、さっきまでの楽しかった雰囲気が嘘みたいに静まり返った。外からはカエルの鳴き声が聞こえてくる。

 一人か。自分もさっちゃんに拾われる数日間は一人で過ごしていた。初めのうちは自分の事ばかりを考えていた。結局、暗い考えしか出てこなくて気分は余計に沈んでしまったが。そして、時間が経ってくると、今度はパスについて考えるようになっていた。ここに来てからは、色々とさっちゃんの手伝いをしていたので頻度は減ったけれども。

 パスとは喧嘩別れしてしまったが、彼女ともう一度話したい。そればかりが浮かんでくる。謝りたいのか、何か話したいのか自分でもはっきりとは判らない。でも、もう一度、彼女の顔を見たい。パスもリカさんに対してそんな思いを抱いていたのだろうか。ふと、そんなことを思った。

 その日の晩。また夢を見た。これは人ではなく管理者の記憶。つまりリカさんの記憶だ。

 どこかの居酒屋のお座敷席で二人で呑んでいるようだ。目の前にはパスがジョッキを抱えていて、すでに酔っ払っているのか顔が真っ赤だ。テーブルの上のおつまみもあらかた食べ尽くされている。この頃のパスは髪を短くしていたようだ。

「パス、ちょっと呑み過ぎじゃないですか?」

 リカさんが話しかける。視点は自分なのに、話したり動いたりするのは別人なので何とも不思議な感覚だ。

「だいじょうぶ、だいじょーぶ。まだ全然へーき」

 あまり平気そうには見えない。

「もう、介抱する身にもなって下さいよ」

 彼女の顔は見えないけれど、声のトーンから落ち着いた女性であろうことが伺える。

「リカは優しく介抱してくれるからすきー」

 にへへ、とパスが笑う。

「どうしたんですか、急に」

「いやさ、何か初めて会った時のこと思い出してさぁ」

「今の発言からどうしたら、そうなるんですか。支離滅裂ですよ」

「酔っ払いだからねー」

 そう言いながらジョッキを傾ける。

「ふー。……んで、何の話だっけ?」

「もうしっかりしてください。初めて会った時のことでしょう?」

「あぁ、そうそう。リカはさ、最初、借りてきた猫みたいに大人しかったよねぇ。あれはあれで可愛かったけど」

「そういうパスは野良猫みたいにピリピリしてたじゃないですか。触ったら引っ掻くぞー、って空気が出まくってましたよ」

「そうだっけ?」

 焼き鳥の串を咥えながらパスは言う。この頃のパスは僕が知っている姿と違うようだ。親猫に甘える子猫みたいな。

「私はほら、一匹狼だったからさぁ。あの頃は蟲の駆除することに全てを賭けてんだよ。いや~、若かったなぁ」

「パスは管理者としてはまだまだ若いですよ」

「リカも同じぐらいじゃん」

 彼女たちは笑い合う。これだけのやり取りで二人の関係性が把握できる。

「リカ」

 急に真面目な声を出して、パスは姿勢を正す。

「なんです?」

 リカさんもそれに応えるように背筋を伸ばした。

「今までこんな私を支えてくれてありがとう」

 これまでにない真面目なトーンでパスは深々と頭を下げた。さすがのリカさんもこれには戸惑っていた。

「ホントに今日はどうしたんですか」

「私、いつも勝手に動いちゃうから、実はリカに迷惑かけてるんじゃないかなー、と思っててさ。だから、ちゃんとお礼を言いたかった」

 パスの様子にクスクスと笑う。

「ま、真面目な話してるよ?」

「判ってますよ。……でもね、私こそパスの足手まといになってるんじゃないかって不安でした」

「そんなことない!いつも言ってるけどリカはちゃんとフォローしてくれるし!私こそ、パスがいなかったらダメダメで……」

「そう言ってもらえて嬉しいです。だから……いつも私を引っ張ってくれてありがとう」

 今度はリカさんが頭を下げた。

「いやいや、私こそ」

「いやいやいや、こちらこそ」

 互いに頭を下げ合う。そこへ新たな人物が現れた。

「二人して何してんねん」

 赤ジャージ姿のさっちゃんが立っている。こっちは姿が変わらない。二人は慌てふためき、パスは顔を真っ赤にしていた。

 夢から覚める。ぼんやりとした頭で、パスとリカさんの関係を理解する。パスの言葉に嘘偽り無く、親兄弟以上のものがあったのだろう。ようやく、どんな手を使っても蘇らせたいと言った彼女の言葉をようやく心の底から理解出来た。


「んう?」

 私はいつの間にか眠っていたらしい。身体には毛布が掛けられていた。きっと姐さんが掛けてくれたのだろう。キャンプ用のテーブルにはワインの空ボトルとビールの空き缶、おつまみが乗っていたお皿が散乱していた。

 向かいに座っていたはずの姐さんはいない。

 私はいつもの癖で携帯電話を確認する。無論、ツギ君に渡していた携帯電話は手元にあるので、彼からメールが来るはずはない。

 ため息を尽きつつ、ポーチに戻す。その時、手が彼の日記に当たった。恐る恐る取り出したものの、中身を見ていいものか。けど、ツギ君の気持ちを知るいい機会に、いやでも。

 などと一人で悶々と葛藤していると、姐さんが二つのカップを手にキャンピングカーから出てきた。コーヒーの香ばしい匂いが漂う。

「あら、それがツギ君に渡したって言う日記?見たらいいじゃない。昨日、散々、アタシに向かって『彼の気持ちがわかんない!』ってクダ巻いてたんだから」

 私の前にカップを置きながら姐さんが言う。

「むー」

「じゃあ、アタシが見てあげようか?」

「それはもっとダメです!」

「ホントにメンドくさい子ねぇ……」

 やれやれという感じで言われてしまう。私は意を決して日記を開いた。ごめんなさい、ツギ君。

 ゆっくりとページをめくる。書かれているの日数はひと月分ほど。文量もそこまで多くなく、読み終えるのにそれほど時間はかからない。けれど、彼の内面を知るには十分すぎた。

 初めはこの世界に戸惑っていたことや、私について書いてあった。不思議な子とかメンドくさい子とか料理の出来ない子とか。ちょっとイラっとしつつ、ページを捲る。共に修復作業を行って、徐々に私と打ち解けてきた様子が書かれていた。

 あるページの記述で手が止まる。そこでようやく私は気付いた。自然と涙が溢れてくる。

「ツギ君は、何て書いてたの?」

 私は震える声で一文を読み上げる。14日目の記述だ。

「『パスは……何も判らない僕を導いてくれた。聞きたいこともいっぱいあるけれど、今は彼女を信じようと思う。だから、できることをしよう。世界を治すなんて途方もない作業だけどパスとならきっとできる』」

 姐さんの口角が上がる。

「やっと判ったみたいね。ツギ君は疑念を抱きながらも、それでもちゃんとアンタを信じてたのよ」

「それを、私が裏切った……」

 私は更に日記を読み進める。フジさんに自分が管理者との融合体であると知らされ、困惑している様子が書かれている。自身のあやふやな記憶と人格にかなり不安を抱いていたようだ。当たり前だ。改めて自分がどれだけ酷い仕打ちをしていたか、思い知らされる。

『パスに会ったら、改めてちゃんと聞いてみよう。自分のこと、世界のこと。きっと彼女ならちゃんと教えてくれる。その上で、世界を治そう。僕のためにも、彼女のためにも。明日がより良い日でありますように』

 最後はそんな文章で締められていた。リカがよく使っていたフレーズだ。

 私は涙をぽろぽろと零しながら、日記を閉じた。

 勢いよく立ち上がり、コーヒーを一気飲みした。めちゃくちゃ熱い。

「ちょっと、大丈夫?」

「だ、大丈夫です。……私、ツギ君のとこへ行きます」

 私は日記をポーチにしまい、車へ向かう。ドアを開け、乗り込む直前に姐さんに頭を下げた。

「その……色々とありがとうございました」

「アタシは話を聞いただけよ。お礼を言われるようなことは何にもしてないし」

「でも、姐さんがいなきゃ、いつまでも気づけませんでした」

「いーから、さっさと行きなさい。そして、ちゃんとツギ君にごめんなさいしてきなさい」

「はい!」

「あと、今度はツギ君も連れ来なさい。色々とお話したいから。アタシと二人っきりで」

「それは御免こうむる」

「そこは快く引き受けなさいよ!」

 私は姐さんの抗議を聞き流しながら、車のキーを回した。私は車を急発進させると、キャンプ場を飛び出した。

 彼に会うために。


 朝の畑仕事が終わり、縁側で休憩しているとさっちゃんがお盆にスイカ乗せて持ってきてくれた。

「少しは落ち着いた?」

 彼女は何が、とは言わなかった。

「おかげさまで。随分とゆっくりさせてもらったし」

「フフ、なら良かったわ。……それでこれからどうするつもりや?」

 さっちゃんの問いかけに僕は答える。

「もう一度、パスに会いたい、かな。話してどうなるか判らないけど、色々聞きたい。リカさんの事とか」

 今ならちゃんとパスと向き合える気がする。

「せやね。それが一番、ええと思うよ」

 さっちゃんがスイカを手に取りかぶりついた。僕もそれに倣う。しゃくしゃくと小気味良い音が響く。僕は食べる手を止めた。

「ただ、今のこの考えに至ったのが自分のものなのか、リカさんのものなのか。それがはっきりしないのは不安だけどね」

 記憶の混在はまだ把握できる。けれど、人格に関してはそうはいかない。あの時の世界を治さなければという焦燥感も、自分のものでは無かったのだろう。

「別にどっちでもええんちゃう?」

 スイカを食べ終えたさっちゃんは事も無げに言う。思わず彼女の顔を見てしまった。

「ツギちゃんはそこんとこ、えらく拘るみたいやけどさ。今のツギちゃんは人でもなく管理者でもない、どっちでもない存在や」

「うん」

「逆に言えばどっちでもある」

「うん?」

「要は全く新しい存在、ってことや」

「ううん?」

「カレーうどんってあるやろ?あれはカレーとうどんが合体した食べ物やけど、あれの主体はどっちやと思う?」

「うどんにカレーが掛かってるから、うどんがメイン?」

「なら、その下にご飯が入ってたら?」

「か、カレー……いや、うどん?っていうか、そんな食べ物あるのか」

「結構、美味しいで。ともかく、つまりはそういうことや」

「どういうことだよ……いや、言いたいことは判るけど」

 物凄い力技で言いくるめられた気がする。まぁ、そう思ったほうが楽かもしれない。

 さっちゃんはスイカを食べ終えると、立ち上がった。

「ほなら、パスちゃんに迎えに来てくれるように電話してくるわ」

「ありがとう。色々と」

「気にせんでええよ。ウチは何もしてへんし」

「それでもありがとう」

 さっちゃんはにっこり笑って電話口へ行こうとすると、車の音が聞こえてきた。聞き慣れたエンジン音だ。

 猛スピードで庭に突っ込んできたビートルは急ブレーキでスリップし、それでも勢いが停まらず、回転しながら玄関に飛び込んだ。そして破砕音。

 僕らは慌てて玄関に向かう。車体は扉を突き破り、玄関内に色んなものが飛散している。

「これは片付けるの大変やな……」

 さっちゃんがポツリと呟いた。ひっくり返ったベッコベコのビートルの窓からパスが這い出てきた。

「だ、大丈夫……?」

「な、なんとか」

 僕が助け起こすと、パスはバツが悪そうな顔をしている。

「あ、ごめん、サチ。後で治しとくから。ツギ君が」

「えぇ……」

 久しぶりに会ったと思ったら、これである。それでいて本人が無傷なのは管理者だからか。

 パスと向かい合う。視線がぶつかり、互いに逸らした。あれだけもう一度、会いたいと言っておきながら、何だか気まずい。向こうも同じことを考えているのだろう。だから、僕は先に口を開いた。

「パス」

「うん」

 彼女は俯いたまま返事をした。傍でニヤニヤしているさっちゃんはなるべく意識しないようにする。

「……その、もう一度、一緒に世界を治さないかい?」

 この気持ちが自身のものか、リカさんのものか関係ない。今、自分の中にある素直な思いを口にした。

「…………」

 パスは俯いたままだ。喧嘩した時に酷いことを言い過ぎたか。

「その、あの時はご……」

 謝ろうとすると、パスが顔を上げた。その表情は今にも泣きそうだった。

「謝るのは私だよ。私のわがままでツギ君を巻き込んでしまったんだもん。それなのに私を信じて、また一緒に世界を治そうって言ってくれた。だから…………ごめ……ごめんな、ごめ……う、うわぁぁぁん」

 パスはボロボロと涙を流しながら僕に抱きついてきた。普段の気丈な姿から思いもしなかった意外な一面に戸惑いながらも、僕はそっと背中に手を回して背中を優しく叩いてあげる。パスは謝り続けながら号泣していた。

「もう気にしなくていいよ。……僕はリカさんじゃないし、治すことしか出来ないけど……またパスと一緒に行ってもいいかい?」

 彼女は泣きながら何度も頷いた。

 彼女の暖かさが伝わってくる。

「青春やねー」

 しばらくそうやって抱き合っていると、さっちゃんの間の抜けた声で二人共、我に帰った。

「あ、どうぞ、続けて続けて」

 僕らは顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。

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