第4話ホントノトコロ
パスとの合流するまでの間、特にやる事もなく、のんびりと過ごした。フジさんに料理の作り方を教えもらったり、筋トレさせられたり。……あまりのんびりじゃないな。
パスはあと一時間ほどで、こちらに到着するとのこと。
自動車工場で筋トレするフジさんと待っていると、チャボさんがけたたましく騒ぎだした。
「蟲の存在を感知しました、感知しました!」
「穴は全て塞いだはずだが……新たな穴は感知できないぞ?」
「蟲だけがいるようです!駆除をお願いします、お願いします!」
「他所のエリアから、流れてきたのか?すぐ向かおう……場所は?」
「このエリアの北方面です。ご案内します、ご案内します!」
二人の緊迫した会話にイレギュラーなことが起こったのは判る。
「すまん、ツギ。ここで蟲を駆除しておかないと、君の頑張りが無駄になる。しばらく一人になるが大丈夫か?」
「周辺に蟲は居ませんのでご安心下さい、ご安心下さい!」
「えぇ、パスもすぐに来るみたいですし、平気ですよ」
この辺りの穴は全て塞いだ。蟲が発生することは無いはずだ。
「それより、二人共気をつけて」
フジさんはバイクに跨がると、エンジンを掛ける。チャボさんはぴょんと飛び上がってサイドカーに乗り込んだ。
「あぁ、またな」
「失礼します、失礼します!」
二人は慌ただしく去っていった。
久しぶり、いや、この世界で目覚めてから初めての一人だけ時間。
一人佇んでいると、様々な想いが浮かび上がってくる。世界のこと。自分のこと。それにパスのこと。
フジさんはパスなら、僕について知っていると言った。けれども、彼女はあまり話したくないようだ。聞いても良いものか、まだ迷っている。
彼女が隠すのは何故なのか。僕は知らない方が良いのか、知ってはいけないのか。
何度、同じことを考えただろうか。ぐるぐると頭の中を回る疑問は一向に晴れそうに無かった。
車のエンジン音で意識を引き戻される。パスのビートルとは違う、やたらうるさいエンジン音。音の方に視線を向けると白いスポーツカーがこちらに向かって走ってくる。ランボルギーニだったかな?かなりのスピードが出ているようで、みるみる近づいて来る。
スポーツカーは耳をつんざくようなブレーキ音を出しながら、僕の目の前に停まろうとした。が、僅かばかりブレーキが遅かったようだ。停まりきれず、横倒しになっている放置自動車にバンパーをぶつけ、ヘッドライトが割れた。
運転席側のドアが上に開くと、眼鏡の男が出てきた。中肉中背の青年。大人しそうな風貌だが、目だけは妙にギラギラしている。
善人か悪人の判断はつかないけれど、ザラっとした感覚を覚えたのは管理者の能力か何かだろうか。
眼鏡の男は心配そうに車のバンパーとライトを確認して、大きなため息をついた。やがて、諦めたのかこちらに向き直る。
「どうも、私はタスク。管理者の一人だ」
「えぇと、ツギです」
「君のことはよく知っているよ。一度、話しておきたいと思って、こうして参上したというわけだ」
妙に芝居がかった口調の人だ。
「あの、車は大丈夫ですか?ライトのカバー割れたみたいですけど……」
「はっ、これぐらい大したことは……無い。パーツを変えれば、それで済む話……じゃないか」
その言葉は自分自身に言い聞かせていないか。
「車の事はどうでもいい。どうでも……」
目に見えて落ち込んでいる。あまりどうでも良さそうでない様子だ。
「……ともかく、君と少々、話がしたい。構わないかね?」
「はぁ」
この人も中々、面倒くさそうだな。それがタスクさんの第一印象だった。
「私も管理者だけども、パスやフジと違って情報管理系でね。他の管理者のモニタリングやら動作の確認なんかを主としている。管理者を管理している、と言ったところだな」
管理者というのは、思っていた以上に多種多様のようだ。
「まぁ、座って話そうじゃないか」
タスクさんが指を鳴らすと、二つの細い円筒の物体が地面からせり上がってきた。腰のあたりの高さで止まったので椅子の代わりということだろう。
椅子に座ると今度は机替わりの円筒がせり上がってくる。上にはコーヒーカップが乗っていた。
タスクさんはいつの間にかコーヒーポットを手にしていた。カップにコーヒーを注ぐと、芳ばしい香りが辺りに漂う。
コーヒーを淹れ終えた彼はポットを消し、円筒の椅子に座った。
「さて、まず君に聞いておかなければならないことがあるが……」
タスクさんはカップを手に取り、コーヒーを口に運んだ。
「い、頂きます……」
僕もそれに習い、コーヒーを一口啜る。ブラックコーヒーは熱くて苦くて、非常に飲みにくい。けれども、頭をはっきりさせるには効果的だ。反対にタスクさんは妙に芝居がかった仕草で優雅に飲んでいた。
「君はこの世界について、どれほど知っている?」
唐突な質問に戸惑いながら、知っている限りのことを答える。
「パスは『停まった世界』と言っていました。何か大きな事件があって、この壊れた世界の時を止めていると」
「ふむ、彼女にしてみればそうなのだろう。だが、私に言わせればすでに『終わった世界』だ」
タスクさんの言葉に思わず息を飲む。
「で、でも、パスは穴を塞いで修復したら世界は元通りになるって」
「ならないね」
彼は言葉を遮った。紳士然としたタスクさんに、苛立ちが見えたのは気のせいだろうか。
「確かに外見は元の世界と同じに見えるだろう。だが、全く同じではない。壊れた物を元の通りに治しても、壊れる前の物と全く同一とは言え無いだろう?むしろ、手を掛けた分だけ、別の物へ変貌していく」
「誰も気づかない程度なら……」
「普通の人なら気づかないだろうね。だが、管理者である私にはこのツギハギだらけの世界が酷く歪に見える。傷を無理に塞いだところで元には戻らないのさ」
僕は言葉を紡げなかった。まるで自分の事を言われているようで。
「それにこれは君にも関わってくる問題だ」
「確かにパスと二人で世界を治すのは大変なことです」
「ああ、それもそうだが、そうじゃない。世界を治しても、管理者となった君は元の生活には戻れないということだ」
「えっ……?」
タスクさんの言葉に耳を疑った。
「だってパスは世界を治せば元通りって……」
「君も元の生活に戻れると言ったかい?管理者と人と融合した君が」
「言ってない……」
というか、重要なことは何も教えてもらってない。
「あの……タスクさんは知っているんですか?その、色々と」
「あぁ、勿論。色々とね。知りたいかい?」
僕は無言で頷くと、タスクさんにこやかに語り始めた。こっちとしては何一つ楽しくなる要素は無さそうだ。
「何から話すか……。そうだ、まずは君と融合した管理者について話そう」
「それも知っているんですか?」
「私は管理者のことなら全て把握しているからね」
だとしても、それが今の話にどのような繋ながりがあるのだろうか。
「彼女の名前はリカ。治す事に特化した管理者で、パスと長い間パートナーを組んでいたよ。だが、例の異変で蟲の犠牲になった。人を守る為にね」
やはり、あの時の夢は前任者、リカさんの記憶だったのか。
「パスはそりゃもう怒り狂った。彼女達は親友のような関係だったからね。パスはリカを食い散らかしていた蟲をバラバラになるまで惨殺したよ。そして、残されたリカの遺体と彼女を食った蟲の破片をかき集めた。蟲の中に残されたリカの断片を遺体と繋ぎ合わせる為に。ちなみに、その蟲こそが君だ」
「……っ!」
突然の思いもよらない言葉に、目を見開く。
「正確には蟲化した君だがね」
「つ、つまり、蟲というのは……」
どうにか絞り出した声は震えていた。
「元は人さ。淀み、あの穴に貯まっている黒いタールみたいな奴のことだが、あれに人が侵食された姿が蟲だ」
タスクさんは一息入れるために、 コーヒーを一口飲んだ。今の僕にはとてもそんな余裕はない。
「ああ、それと蟲化した人はごく一部だ。それ以外の人は別の空間に避難させているから安心したまえ」
今、それを聞かされても、安心できるはずがない。
「ともかく、パスはリカと君を無理矢理繋ぎ合わせた。彼女にも修復能力はあるが、それほどレベルの高いものではない。結果、君のような存在が生み出された。人でもなく管理者でもない。ツギハギだらけの存在」
衝撃的な事実を立て続けに明かされ、頭のキャパは限界だ。だが、タスクさんの話はまだ続く。
「なぜパスがそんな真似をしたのか判るかい?世界のために、修復能力を持つ管理者を再び甦らせたかったから?……違う、彼女は単にリカという管理者を甦らせたかっただけだ。つまり、君という存在が甦ったこと自体がイレギュラーなのさ」
この世界で目覚めて、一番の衝撃だった。
「……僕が、目覚めたのは、間違いだった、って、ことですか?」
どうにか言葉を紡いだが、思考は限界を越えていた。
「彼女にしてみれば……な。パスは単にリカともう一度会いたい。それだけしか考えていなかった。少しでも冷静さが残っていれば、君のような存在が生まれてしまう可能性にも気付けただろう」
もう一度、タスクさんが言葉を切った。僕が落ち着く時間をくれたのかもしれないし、単に喋りすぎて喉が乾いたのかもしれない。
「君と行動を共にしていたのも、君の中に眠るリカの人格が目覚めることを期待していた。ただ、その相手の半分は親友の命を奪った存在だ。心中穏やかじゃなかっただろう」
パスは何も知らない自分を導いてくれた。面倒も見てくれた。けども、それは自分に対してではなく、自分の中にいるリカという人格に向けてのものだった。
「君がリカの仕草や言葉を発するたびに彼女は希望を抱き、人としての記憶が戻るたびに絶望したことだろう」
「そんなこと言われても……なら、自分はどうしたら良かったんですか!」
語気が荒くなってしまう。パスの事情は理解できたとしても、僕からしてみれば預かり知らぬところで物事が進み、この世界に引っ張り出された。挙げ句、それは間違いだった、と言われては冷静でいられるはずがない。
「そう、君にとってはいい迷惑でしかない。何の関係もないのに、こんな世界に引きずり出されて、さらに治すなんて使命まで背負わされた。怒りを覚えるのは当然だ」
憤りと失望が身体の中で渦巻いている。それでも、パスのことを信じる気持ちは少しだけ残っていた。信じたかったのかもしれない。
「……けれど、今の話が本当だって保証はあるんですか?」
負け惜しみのように反論してみる。そうでもしないと、自身を保っていられそうになかったから。
「信じるかは君次第だ。ただ、私は管理者に関しては全てを知る立場にいることは改めて言っておこう」
「……だけど!」
その後にどのような言葉を続けたいのか、自分でも判らなかった。僅かに残っていたパスへの信頼から、口をついて出たのかもしれない。
「君は謂わば被害者みたいなものだ。残念ながら、現状から君を救ってやることは出来ないが……」
タスクさんは一呼吸置いてから次の言葉を紡いだ。
「無かったことには出来る」
ゆっくりと顔を上げる。タスクさんは真剣な表情をしていた。
「世界が壊される前に時間を巻き戻すんだ。そうすれば、壊れた世界も、淀みに侵食された蟲も、全て無かったことにできる。無論、君も蟲化することも、リカと融合することもない。一人の人間として、元の世界を生き直すことができる」
提示されたのは、事が起こる前にリセットするというものだった。
「崩壊前に戻してもまた例の異変が起こるのではないですか?」
「それは我々、管理者がどうにかするさ。我々は二度と同じ悲劇を繰り返すつもりはない」
はっきりと言い切った。
「その為には君の協力が必要だ。手を貸してくれるか?」
「僕は……」
タスクさんの提案に躊躇する理由は無い。今までの全てを無かったことにし、何もかも元通りになるのだ。
「元通りっていうのは、管理者もですか?リカさんみたいに蟲にやられた人も」
「人は元通りなる。残念ながら、理の外側にいる管理者は適応外だ。だが、残された断片から新たな管理者が生まれることはある」
「そうですか……」
「今現在、管理者はかなり減ってしまっているが、世界が落ち着きを取り戻せば、いずれ数は戻る。君が気にするようなことではないさ」
僕はコーヒーカップの黒い湖面を見つめる。そこにはツギハギの少年が写っていた。管理者でも人でもない中途半端な存在。
タスクさんの申し出を断る理由は無かった。
「あの……」
僕が口にしかけた瞬間、発砲音が響いた。タスクさんの顔の側に弾丸が浮いている。
発砲音がした方へ顔を向けと、拳銃を手にしたパスが立っていた。銃口から硝煙が立ち上る。
「ツギ君、そいつから離れて」
一週間ぶりに見る彼女の表情はいつもの意地悪な猫のような笑顔ではなく、敵意をむき出しにした険しい表情だった。初めて見る顔に戸惑いながらも、僕は席を立って後ずさりした。
逆にタスクさんは顔色一つ変えずにコーヒーカップを手にしていた。
「君の能力も随分と落ちたようだね。そんなものまで使って」
空中に停まった弾頭を指で弾くと、金属音を立てて地面に転がった。
パスは瞬時に拳銃からサブマシンガンに持ち替えると引き金を引き絞った。数十発の弾丸が連続して飛び出し、タスクさんへ殺到する。だが、一発として彼に命中することなく、先程と同じように眼前の中空でピタリと停まった。
「何しに来たの?」
「彼に手を貸してもらおうと、頼みに来ただけさ」
中空に固定された数十発の弾丸がバラバラと落下し、タスクさんの足元に散らばった。
「それと少し話をね。世界と彼自身の現状について」
パスの顔色が変わった。銃を持つ手が震えている。
「まさか君が彼に全く話していないとは思わなかったよ。だから代わりに教えておいた」
タスクさんは白々しく言うと、カップに残っていたコーヒーを飲み干した。
「ツギ君、返答は次の機会にしよう。この状況では落ち着いて話も出来ないからね」
カップを置いた、タスクさんは傍に止めて置いたスポーツカーに乗る。向きを替えるべく、バックさせると今度は瓦礫に後部バンパーをぶつけた。
「……いい返事を期待しているよ」
やせ我慢でひきつった笑みを浮かべ、タスクさんは颯爽と去っていった。
その場には僕とパスが残された。
パスはいつものバッグから棒状のものが入った細長い袋を取り出す。しゃがみこんで地面をコツンと小突くと、あの時と同じように色彩が広がっていく。ただ、自分の目にはあの時ほどの感動は無かった。
ここまで二人は無言だった。僕は何から言えば判らなかったし、パスは僕から声を掛けられるのを待っていたのかもしれない。
僕はタスクさんが残した椅子に座ると、それに呼応するかのようにパスもテーブルに腰掛けた。二人共、視線は合わせない。
「あのさ」
僕は意を決して口を開いた。
「どうして……話してくれなかったんだい?」
何について、とは言わなかった。というか、聞きたいことが多すぎて言えなかった。
「……いきなり全部、話したら君が取り乱すと思って」
パスの声にはいつもの元気が無かった。
「それに、折りを見て少しづつ話していくつもりだった」
「けど、パスの言う通りに世界が治しても、僕自身は元の生活には戻れないんだろ?なら、それは一番に言うべきことじゃないか?」
彼女を問い詰めるように、語気が少し荒っぽくなってしまう。自分でもマズイな、と思った。
「目覚めたばかりの君にそんなこと言えるはずないじゃない……」
パスにも後ろめたさがあったのだろうことは理解出来る。ただ、どうしても感情が先走ってしまう。
「そもそもパスには言えないことだらけじゃないか。僕自身が目覚めたこと自体、間違いだったんだろ」
座っていた椅子から無意識のうちに立ち上がる。
「そんなことまであいつから……いや、そうね」
観念したかのようにふぅ、とパスは息を吐いた。
「私が起こしたかったのはリカ。君じゃないわ」
パスはこちらに顔を向ける。全くの無表情だった。
「でもね、リカという管理者はそれだけ私にとってかけがえのない存在なの」
「だからと言って……」
「彼女との付き合いは数十年なんてものじゃない。親兄弟や親友なんて言葉でも言い表せない。私にとっては半身のような存在よ。君には判らないだろうけどね」
パスの言葉にも少し苛立ちが混じり始める。こうなってしまえば、もうどうしようもない。僕と彼女の感情は徐々にむき出しになっていく。
「けど、何の関係もない僕を巻き込んだのは事実だろ」
「無関係?君がパスを殺さなければこんなことにはなってないよ」
「蟲化していた時の記憶なんて無いし、どうしようもないのは管理者であるパスだって知ってるだろ!」
「知らないから、自分は悪くない?ふざけないで!君があの子を殺したことは変わらない!」
「ふざけてるのはそっちだろ!僕が何も知らないと思って、良いように使おうとしてた癖に!」
「自分で協力するって言ってたじゃない、それを忘れたの?」
「その意思だって僕自身のものか、リカさんのものか判らないだろ!」
「なら、リカを返してよ!君の体の半分はあの子のものよ!」
「だったら、また僕を殺せばいいだろ!その銃で!」
もう相互理解など出来るはずもなく。ただ、自分の我を言葉に乗せて、互いにぶつけ合うだけだった。
「なら、そうさせてもらうわ」
彼女がいつの間にか手にした拳銃が僕の眉間に突きつけられる。感情が高ぶっている今、僕は目をそらすことなく彼女を睨みつけていた。パスもその視線から逃げることなく、引き金に指を掛けている。
しばらくの沈黙のあと、彼女は銃を引いた。
「……私にあの子を殺せるはずがないじゃない」
あくまでも彼女の優しさは、リカさんに向けられていたものだったことを、改めて思い知らされた。
僕はポーチを外すと地面に投げ捨てた。開いた口からパスからもらった日記と携帯電話が飛び出す。
僕は彼女に背を向けた。
「どこへ行くの」
「さぁね。……こんな世界ことなんざ知ったことか。僕にはもう関係ない」
それだけを口にすると僕は歩き始めた。
しばらくして彼女の嗚咽が聞こえてきた。けれど僕は一切振り返らず、脚も止めない。それどころか、徐々に脚を早める。歩きから早足、早足から駆け足、駆け足から全力疾走。
僕は逃げるようにして彼女の前から去った。怒りに支配された心の奥底で罪悪感がちくりと痛んだ。
僕は走って、走って、走って、気が付けばまたモノクロの荒れ果てた街並みにいた。走り続けて疲労の溜まった体をアスファルトの地面に投げ出す。誰もいない停まった世界に、自分の荒い息づかいだけが響き渡っていた。
仰向けになると色のない空が広がっていた。雲一つない。本来であれば、綺麗な青空なのだろう。色が無いとこんなにも殺風景ということを再確認させられた。
息が整ってくると思考が纏まってくる。あるのは後悔と反省。それでも、どこか完全に反省しきれないのは、彼女への怒りが残っているからか。
「これからどうしよう」
僕の呟きに応える者はおらず、どこまでも白い空に飲み込まれていった。
立ち上がるとフラフラと一人、街を彷徨う。
どれぐらい彷徨っただろうか。疲れればその場に腰を降ろして休んだ。眠くなれば公園のベンチなど適当な場所で横になった。お腹は空いているような気もするが、そのうち気にならなくなった。半身が管理者であるおかげか。
途中、何度も蟲を見かけた。最初は連中に見つからないようにコソコソと動いていたが、一度、物陰にいるのに気付かず、ばったりと出くわしてしまった。こちらに飛びかかってきた蟲は僕を押さえつけたが、不思議そうに首をかしげながらすぐに離してくれた。僕の半身が元は蟲だから仲間と思ったのかもしれない。
蟲にも襲われないことが判ると、僕は堂々と街を歩き回った。穴もたまに見かけたが、ポーチを置いてきた僕にはどうすることも出来ない。する気も無かったが。
自暴自棄のまま、ただ歩き回る。何度もパスのことが頭をよぎる。結局のところ、この世界に頼れるのはパスしかいなかった。
けれど、今更パスの元に戻れない。何より居場所が判らない。
タスクさんもあれ以来、僕の前に姿を現していない。管理者全ての情報を把握しているらしいから、僕の居場所も判っているだろうに。
冷静になった頭で考れば、あの人自身も随分と怪しい。パスとの会話から敵対しているようだった。世界を元通りにしたいと言っていたが、それならば何故パスと敵対していたのか。治すことしかできない僕を勧誘して、何をさせようとしているのか。
抱えていた疑問が解決出来たと思ったら、別の疑問が出てきてしまった。
今更、考えてもどうしようもないか。それよりも、先のことを考える必要がある。
間違って目覚めさせられた自分がこの世界に留まる必要はないし、ポーチも無いから、穴を塞いで世界を治すことも出来ない。
それならいっそ、死んでしまうか。
最近はそんなことばかり考えてしまう。しかし、僅かに残る義務感、恐らく、リカさんの人格か記憶のせいだろうが、それがあるせいで実行に移せないでいた。
最も半身が管理者の自分は死ねるのだろうか。少なくとも空腹で動けなくなる事も無いし、蟲達にも襲われもしない。どこか高い建物から飛び降りるなど、肉体的な損傷でもすれば、死を迎えられるだろうか。
あちこち歩き回って、大きな神社にたどり着いた。少し、休憩でもしよう。
道路前の石段に腰を降ろす。元は立派な鳥居だったろう。今は蟲に齧られたのか、虫食いだらけになっていて崩れていた。崩れた鳥居が石段を塞いでおり、境内には行けなさそうだ。
「これから、どーするかなー」
呟いてみるも、やはり誰も答えてくれるはずもなく。仕方ないので、頬杖をついてぼんやりする。もう何も考えたくない。
どれぐらいそうしていただろうか。三〇分ぐらいの気もするし、三時間ぐらいの気もする。長いのか、短いのか、判らない時間をただただ浪費していた。
だから、車のエンジン音にも気付くのに遅れた。
パスのビートルでもタスクさんのランボルギーニのエンジン音でもない。もっと軽い音だ。道路に視線を向けると軽トラがこちらに向かってきていた。安全運転を心がけているのか、随分とゆっくりだ。
別の管理者だろうか。また何かを頼まれて、いいように使われるのはゴメンだ。僕は慌てて立ち上がると、歩道を駆け出す。
向こうもこちらに気付いていたのか、呼応するようにスピードを上げた。
僕は全力疾走で歩道を逃げるも、軽トラのスピードに敵うはずもなく距離をどんどん詰められる。あっさりと僕に追いついた軽トラはスピードを落として並走する。助手席側の窓が空いた。
「ちょっと待ってー、なんで逃げるんー?」
関西弁?女の子の声で呼び止められる。
視線を向けるとおかっぱ頭に赤ジャージを着た女の子がハンドルを握っていた。
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