第3話シラナイジブン

 僕は穴に布を覆い被せると待ち針でちまちまと端っこを固定する。雨足が少し強くなってきたようだ。パスと道着姿の男も黙々と手伝ってくれた。

 とりあえず穴を塞ぎ終わると、アパートの軒下に入って雨を避ける。

「はいよ」

 パスがタオルを渡してくれた。

「フジさんも」

 顔見知りということはパスと同じく管理者ということか。

「む、すまん」

 胴着を着た男、フジさんというらしい。外見は二〇代後半ぐらいだろうか。筋骨隆々とした体格で、彫りの深い顔は妙に迫力がある。どう対応していいのか判らず、取り敢えず頭を下げて自己紹介をする。

「は、初めまして。ツギ、と言います……」

「よろしく。フジ、と呼んでくれ」

 身長は一九〇cm以上あるだろうか。精悍な顔で見下ろされると何とかいうか威圧感が。差し出された手を握る。ゴリラ×3に負けず劣らずデカい手に包み込まれると握り潰されそうな不安を覚えた。

「察してるとは思うけど、フジさんも管理者だよ。ちょっと、特殊な立ち位置だけど」

 紺の胴着に手にバンテージを巻いている。それと足甲用の黒いサポーター。しかも下駄履き。格闘家そのものと言った出で立ちだ。そして荷物は肩がけのザック一つのみ。

「彼はツギ君。今は彼と世界を治して回ってるんだ。といっても、まだ二週間ぐらいだけどね」

「修復されたエリアがある、と聞いたがやはりパスの仕業だったか」

 誰から聞いたのだろうか?

「仕業って……まるでいつもトラブル起こしてるみたいな言い方じゃん」

「違ったか?」

「ぐぬぬ……」

 そんなやり取りをしている間に雨が上がった。通り雨、ではなく不安定だからか。何が不安定なのかは知らないけども。

 僕は一人、早速作業に取り掛かった。と言ってもひたすらチクチクと縫い合わせるだけだ。その様子を腕組みをしたフジさんが観察していた。

「なるほど。手縫いで行っていたのか」

「他に方法があるんですか?」

「前任者は……」

「フジさん!ちょっとお話が!」

 突然、パスが声を張り上げて彼を呼んだ。あまりにも露骨過ぎる。よほど僕には話したくないことのなのだろうか。

「む、何だ?」

 フジさんはそのままパスの方へ行ってしまった。

「前任者か……」

 つまり僕の前にも世界を治していた人がいたということだ。では、その人はどこへ行ってしまったのだろう。そして、なぜその事について隠すのだろう。

 二週間あまりの付き合いだけれど、パスについて感じた事は。面倒くさいところもあるけど、信頼できる人だと思っている。ただ、ここまで露骨に隠し事をされると、それも揺らいでしまう。

 何も判らない世界で彼女は良くしてくれた。まぁ、世界を治すなんて大仕事を提示もしたけれど、それにしたって強制じゃない。どこに行けばいいのかも判らないし、やる事もない。それなら彼女の仕事に付き合うのも悪くない。初めはその程度の気持ちだった。今は使命感、いうほど立派なものではないけれど、誰も出来ないなら自分がやろう、ぐらいには高まっている。

 今まで考える余裕が無かった、いや、考えないようにしていたけど結局のところ、自分は何者なのか。ただの人間なのか、管理者という存在なのか。

 そろそろパスに聞いてみようと思う。

 二人の話が微かに聞こえてくる。内容までは判らないが、しばらく終わりそうな気配は無かった。


「明日からツギ君はフジさんと行動してもらいます」

 夕食時、パスが唐突にそんなことを言い出した。ちなみに夕食は味噌汁とデカいおにぎりだった。いつものレトルトでは無く、なんとフジさんの手作りである。料理ができる男はカッコイイなぁ。

「急だね。なんで?パスは?」

「私はやる事が出来たので、別行動します」

 フジさんは何か言うでもなく黙々と巨大おにぎりを頬張っている。

「君はこれまで通り、修復をしてくれればいいよ。蟲はフジさんが全て排除してくれる」

「……だけど」

「おやおや~?ツギ君はもしかして私がいないと寂しくて泣いちゃうのかな~?」

「べ、別にそんなんじゃないし!」

「そこまで力一杯否定しなくていいじゃん!ちょっとは寂しがってよ!」

「ホント面倒くさい子だなぁ……」

 僕らのやり取りを見てフジさんの口元が僅かに緩んだ。

「不満かもしれないが、当座は俺が面倒をみよう。何、そんなに長い間じゃないさ。なぁ、パス?」

「ん、まぁね」

 フジさんに問いかけられるも、彼女の返答は歯切れが悪かった。

「ゴメン、私にも事情があって……。いつかちゃんと説明するから」

 申し訳なさそうな顔で、言われては仕方がない。

「判ったよ」

 パスに聞きたいことがまた増えてしまった。


 次の日の朝食後、パスは僕のための荷物を用意してくれた。

「まず寝袋と、テント。どっちも小さくなる奴だから。あと、着替えとかタオルとか。万一の場合に備えて、保存食とかも入れといたよ。それから……」

「気遣いはありがたいけどさぁ」

 登山用の背の高いリュックにはパンパンになるほど中身が詰め込まれていた。

「フジさんは私ほど色々取り出せる便利能力は持ってないんだから、これぐらいは必要だって!他にも何かいるものあるかなー?」

「も、もう大丈夫だって。ありがとう」

 パンパンのリュックを背負う。重すぎてよろけてしまった。

「そうだ、これも渡しておくよ。いつでも連絡出来るように」

 パスが取り出したのは携帯電話だった。しかも折りたたみ式の。

「電話だけじゃなくて、メールも出来るし、カメラも付いてるんだよ!すごいでしょ?」

「う、うん。ありがとう」

 なぜ古い型の携帯電話を?とも思ったが口には出さなかった。離れてても連絡を取れるのは良いことだ。

「それと毎日、必ずメールを送ること。約束だよ」

「……了解」

 定時連絡を義務付けられてしまった。文句を言うとまた面倒になりそなので、大人しく承諾する。

「よし、行くか」

 フジさんもザックを肩にかける。

「ええと、歩きで?」

「近くバイクが停めてある。そいつで行こう」

 そう言うと彼は歩き出す。僕は慌ててその後を追う。

「じゃあ、気をつけて」

「パスも」

 短く言葉を交わす。

「あ、それから危ないとこには一人で行かないこと。食事と睡眠はしっかり取って、蟲が出たらフジさんに任せて……」

 短くなかった。

「判ってるって。……パスも無理しないでね」

 僕がそう言うと彼女が少しはにかんだ。普段のパスは見せない表情にちょっと見とれてしまった。

「フジさんもツギ君のこと、頼んだよー!」

 彼は片手を挙げて答えた。


 サイドカー付きの大型バイクに男二人が乗っている。CB750と言うらしい。ハンドルを握るのはもちろんフジさんだ。ハーフヘルメットを被らされた僕は、リュックを抱えてサイドカーにちょこんと座っている。

 恐ろしいことにフジさんは下駄履きでバイクに乗っていた。フットペダルもシフトペダルも問題なく操作している。

「取り敢えず、一番近い穴まで行くか」

「はい」

 フジさんは放置された車のや瓦礫の隙間を抜けて、バイクを快調に飛ばす。パスのビートルだと道によっては迂回することもあったが、バイクのおかげでスイスイと進める。

 どれぐらいの道中か判らないけれど、ずっと無言のままというのも気まずい。僕は思い切ってこれまでの疑問をぶつけることにした。

「あの……」

「なんだ?」

「そもそも管理者って何ですか?」

「ふむ……。どう答えたものか」

 少しフジさんが考え込む。

「この世界の守護者……とでも言えばいいか。端的に表すのなら」

「できれば、もう少し具体的に……」

「世界が上手く回るように、調整・監視し、そして害をなすものを駆除し、壊れた個所を修復する」

「神さまみたいな?」

「そんな高尚な存在じゃない。もっとこう……不自然な存在だ。人の姿をしているが人ではない。自然の理から外れ、世界を守護する役割を与えられ、力を行使する」

「なら、人よりも上位の存在?」

「上とか下とか、そういうものとも違うな。この世界を構成する一部の要素でしかない」

「何だか……機械の部品みたいな言い方ですね」

「あながち間違いじゃない。簡単に例えるなら、店が世界、人がお客さん、管理者が店員、だな」

「わかりやすいけど、一気に安っぽくなりましたね……」

 まさに言葉通り、管理する者という訳か。

「俺達は初めから管理者として存在し、役割だけでなく世情に合わせて思考・姿・力を得た。だから、みなバラバラの姿形で思考もバラバラ、活動すら基本的には各々が自由に動いている。……そんな所でいいか?」

「ありがとうございます」

 フジさんがはっきりと答えてくれたおかげで、管理者がどんなものかと言うのは理解できた。なら自分は、と聞きかけた所でバイクのスピードを落ちてきた。そろそろ目的地か。また次の機会に聞けばいいか。

 目的地は小学校だった。白黒の校舎は酷い有様で穴どころか崩れかけていた。フジさんは校門の前にバイクを停めた。ヘルメットを脱ぎ、サイドカーから降りる。正門は開いたままになっていた。

 フジさんは手ぶらで学校へ入っていった。僕もその後に続く。校庭もひどい有様だ。グラウンドは穴ボコだらけ、木々は折れている。おまけにモノクロの景色が悲惨さに拍車を掛けている。無事な状態なら懐かしさの一つでも覚えただろうか。記憶は無いけれど。そもそもこの学校に通ってたかどうかも判らない。

 フジさんは校舎の裏手に回り、体育館へと足を向ける。体育館は外壁に穴が開いていたけれど、校舎よりはマシな状態だ。これも今更だが、この穴は何だろう。

 外壁の穴から中を覗き込む。薄暗い体育館内を二体の大型の蟲が闊歩している。フォルムは人ではなく肉食獣に近い。大きさは虎、いや熊ぐらいありそうだ。鋭い爪と牙を備えている。やはりというか、目や鼻はない。当たり前のものがないと違和感というより不気味さが際立つ。

 傍に黒い穴が開いていた。ここもかなり大きい。一体がその穴の淵をを齧っている。

「よし、ここで待ってろ」

 フジさんそのまま体育館へ入ろうとする。

「あの……」

「すぐ終わらせる」

 素手で立ち向かうつもりなのだろうか。いやいや、フジさんも管理者なのだ。何か特殊な能力や特別な武器を持っているのかもしれない。

近づいてきたフジさんに蟲が反応した。

 フジさんは蟲を真正面から見据えると、腕を上下に開き、腰を浅く落とす。何か格闘技の構えだろうか。

 向き合った蟲が、その体躯に見合わぬ素早さでフジさんに飛び掛る。あのズラリと並ぶ鋭い牙に食いつかれたら、ただの怪我では済まないことは明白だ。

 フジさんは眉一つ動かさない。飛びかかってくる蟲に合わせて、その無貌の顔に厳つい拳を叩き込んだ。

 爆発でも起きたかと思うほどのインパクト。打撃音と同時に獣型の蟲は頭部が消し飛んだあげく、一〇m以上先の体育館の壁に叩きつけられた。

 フジさんは続く二匹目が振り下ろした鋭い爪も危なげなく交わすと、横腹に蹴りを放つ。蟲の体がくの字に、いやUの字に折れ曲がった。とんでもない力だ。

 二匹の蟲は僅かに痙攣を繰り返し、溶けるようにして消え去った。

「よし、もういいぞ」

 フジさんの声で僕は我に返った。何度目だろう、信じられないような光景を目にするのは。まだ銃をぶっ放していたパスの方がまともに思える。

 薄暗い体育館に入ると、黒い穴が嫌でも目に付く。とにもかくにもすぐに作業を始めよう。混乱した頭を落ち着かせるには、普段の行動を取るのが一番だ。

 作業に取り掛かりながら、フジさんに聞く。

「もしかしてフジさんの力って」

「ああ、俺に他の管理者のような戦うための特殊な力は無い」

「やっぱり」

 初めて会った時、蟲を殴り飛ばしてたもんな。

「管理者は本来、それぞれの特性や好みに合わせた力を設定している。ただ、それにも限界値はあるが。俺の場合、力の大部分を基礎的な能力につぎ込んだ」

「それって、の……何でもないです」

「ああ、お前の思ったとおり脳筋さ。前にパスが言ってたが、俺は管理者の中では特殊な立ち位置でな。管理者を取り締まる管理者だ」

「ん?管理者が悪いことをしたりするんですか?」

「管理者各々が個性と思考を獲得したことによって、まれに極端な思想に走る奴もいる。世界の為なら周囲にどれだけ被害が及ぼうがお構いなしな奴とかな。そいつを止めるのが俺の役割だ」

 フジさんはあぐらをかいて座り込む。

「今もそいつを追っているんだが……どこにいるやら。ともかく俺は管理者を相手にする訳だが、どいつもこいつも、おかしな奴しかいないからな。持ってる能力もまともじゃない。こちらも特殊能力を身に付けてもいいが、相性もある。それなら、単純に力と技を圧倒的に高めた方が対応できると考えたんだ」

「圧倒的過ぎやしませんかね……」

 あんな獣形の蟲を一撃で倒すとか、どれだけ力を高めたんだろうか。

「ただ、対管理者として能力を尖らせ過ぎたせいで、蟲を相手するのはいささか不得意だがな」

「不得意?」

 フジさんについて意外な話が聞けた所で、僕はマチ針を布に突き刺した。

 それなら、自分のこの能力も管理者としての特性とか好みに合わせた能力なのだろうか。謎は深まるばかりだ。


 作業を終えて、体育館から出るとフジさんが夕飯の用意をしていた。大きなキャンプ用の二口のガスコンロでは飯盒でお米を炊き、鍋ではレトルトではないカレーを作っている。中で作業している時から匂いで判っていたけれども。

「フジさんって、料理得意なんですね」

「ん?ああ。趣味のようなもんだな」

 管理者も趣味があるんだな、と思ったが、そういえばパスも暇があれば本を読んでいた。

「君も何か趣味があるか?」

「どうでしょう、何せ記憶が無いもんで……。あ、でも、最近パスにもらった日記を付けるのが趣味です」

 初めは何を書けばいいのか判らなかったが、今はその日に合ったことと、その時の心境を記録を書きとめている。沢山書ける日もあれば、少ししか書けない日もある。それでも、毎日欠かさず書いている。

「趣味ってより、日課ですね」

「何でも続けることはいいことだ」

 鍋をお玉でかき回しながら、フジさんはそう言ってくれた。

 お皿にご飯とカレーを盛り付けるとスプーンと一緒に渡してくれた。小ぶりな瓦礫を椅子がわりに腰を降ろした。フジさんは自分の分のカレーを皿よそうと、そのまま地面に腰を降ろした。

「いただきます」

 カレーは二週間ほど前にも食べたけれど、やはりレトルトと手作りでは味が全然違った。家庭的なカレーだ。辛すぎず甘すぎず、野菜がゴロゴロ入っている。気が付けば夢中で食べてしまった。

 フジさんから貰ったペットボトルのミネラルウォーターで喉を潤して一息ついた。

「ご馳走様でした。めちゃ美味しかったです」

「そいつはよかった」

 小学生みたいな感想にも、フジさんも満更ではなさそうに笑って答えた。

「せっかくだから、ツギも新しい事を覚えてみるのもいいんじゃないか?」

「な、なら、戦い方……とか」

 以前、パスに頼んだ事と同じ事をフジさんに言ってみる。

「そいつは……う~む。君の役目は治すことだろう?」

「他にも役に立てることがないかと思いまして」

 いつまでもパスにおんぶにだっこのままでは……。心の底に言いようのない焦燥感が燻っている。

「戦うことだけが役に立つ訳じゃない。俺達は一時的に穴を塞ぐ事はできても、完全に治すことはツギにしか出来ないんだ。君は管理者の中では最も世界に貢献しているさ」

「そうですか……。なら、管理者の力の使い方を教えてください」

「教えるって、ツギの力は治す事だろう?」

「昔の記憶を夢で見たんですよ。その時にこうやって……」

 ポーチに手を入れ、ミシン糸を取り出す。それを近くの木に投げつけた。ミシン糸は放物線を描いて飛び……ポコンと木の幹に当たって弾き返された。

「やっぱりダメかー」

 密かに何度かやってみたが、一度も上手くいかない。

「ホントはこう、目標に当たると糸がブワーって巻き付いて縛り上げるんですけど……。これって管理者としての力ですよね?」

「恐らくそうだろうが……教えられるものでも無いんだ」

「そうですか……」

「すまんな、恐らくだが記憶が戻るにつれ、力の使い方も思い出してくるだろうさ。代わりと言っては何だが、料理なら教えてやれるぞ」

「料理、ですか」

「パスといたら、毎日レトルトばっかりだぞ?」

「ぜひ教えてください」

 嫌いではないけど、レトルトやインスタントに少々飽きてきた頃ではある。これを機に覚えるのもいいかもしれない。

「今日は作っちゃったから、明日からな」

「よろしくお願いします、師匠」

 妙な師弟関係が生まれた。


 夜……では無いけれど、眠るときは体育館の中に寝袋を敷いた。テントは必要なかったな。パスへのメールと日課の日記を済ませるとモゾモゾと寝袋に入った。

 寝袋に入るとすぐさま眠りに落ちる。今日もまた夢を見た。目を覚ますと不思議な気持ちだった。懐かしいような、寂しいような。

 多分、子供の頃の夢。小学校にいたせいだろうか。運動会の時の夢だ。お弁当の時間で父がビデオカメラを回している。母はお弁当を用意し、隣には兄だろうか、男の子が得意げに徒競走の時のことを話している。自分もそれに負けじと玉入れのことを話す。騒がしくて楽しい家族との一時。みんな笑っていた。

 だから、目を覚ましたとき悲しくなった。過去を思い出して。でも、大切な思い出だ。

 そこで、妙な疑問が沸き上がってくる。まだ寝起きだからだろうか。どこか疑問を感じるのだけど、はっきりとしない。寝袋から抜け出して、体育館の外に出ると、フジさんが格闘技の型?の稽古をしていた。

「おはよう」

「おはようございます。いきなりですけど、ちょっと質問していいですか?」

「ああ、構わない」

 体を動かしたまま、フジさんが答える。

「管理者ってどうやって生まれるんですか?」

「概念のような存在だからな……元々、そこにいる、としか」

「親、兄弟とか」

「義姉妹とかそういう関係性を持つ管理者同士もいるが、血縁関係など勿論ない……どうした?」

 僕は以前見た夢と先ほど見た夢のことを話した。

「恐らく前者は管理者としての記憶、後者は人としての記憶だろうな」

 フジさんは一旦、稽古を止めてこちらに向き直る。

「どうしてそんなことが……」

「ん……それについてだが」

 珍しく歯切れの悪くなるフジさん。

「ツギ、君の体は管理者と人をつなぎ合わせて作られたものだ。まさに『ツギハギ』というわけだ。だから、人でありながら管理者としての力を有している」

「じゃあ、記憶も人と管理者の両方が残っているということですか」

「正確には記憶と人格……だろうな。君のような存在を見るのは俺も初めてだ」

 目眩がした。僕は思わず頭を押さえ、へたり混みそうになる。フジさんは自分のザックからスポーツドリンクのペットボトルを取り出すと、あっという間に飲み干した。

「パスが何故そんな真似をして君を蘇らせたのかは俺も聞いていない。治せる力を持つ管理者を修復させるにしても、いささか非効率だ。何よりパスにそれほど上等な修復能力はない。それでも、君を蘇らせたのは何か訳があるのだろう」

「結局のところ、僕は人なのでしょうか?それとも管理者なんですか?」

「難しい話だな。どちらでもあるし、どちらでもない。君は人と管理者のハイブリッドな存在なんだろう」

「なら、記憶や……人格は?今の僕の思考は管理者?それとも人?」

 二つの人格が無自覚に居座っている状態にひどく気持ち悪く感じた。これは自分の考えなのか、別人格の考えなのか。

 自分のツギハギの体を見る。褐色と白色の肌がつなぎ合わさった、不自然な体。

「僕は……誰なんですか?」

 フジさんに怖々と尋ねる。知るのも怖いが、知らないのはもっと怖い。

「すまん、その問には答えられない。だが、パスなら知っている。あいつに聞くしかないだろう」

「そう……ですよね」

 その時の感情は落胆か安堵か。自分でも判らないが肩を落とした。

「まぁ、そう悲観的になるな。どちらの人格であっても君が君であることには代わりないのだから」

 フジさんが励まそうとしていることは判る。けれど、言葉の意味をイマイチ理解できなかった。

 すっかり黙り込んでしまった僕を見て、フジさんが肩に手を置く。

「よし、走込みするか!」

「えっ……えっ?」

「答えの出ないことに悩んでどうする。悩む暇があったら、体を動かせ!駆け足!」

「は、はい」

「校庭一〇〇周だ!」

「えぇ……」

 やはりフジさんは根っからの脳筋だった。


 地獄のマラソン後、簡単な朝食を取った。疲れ過ぎてあまり食べられなかったけれど。片付けをし、フジさんのバイクで次の目的地へと出発した。

 それからも、パスの時と同じようにあちこちで蟲を駆除し、穴を塞いで回った。

 蟲の駆除は驚くべきほどスムーズだった。フジさんの戦い方は豪快の一言に尽き、全ての蟲がパンチやキックの一撃で消し飛んだ。勿論、単に力任せなのではなく、空手、だろうか、格闘術に則って振るわれた武力だ。だが、常識はずれな威力の格闘は下手な武器よりも強力で凄惨だった。ホントに蟲の駆除が苦手とは何だったのか。

「次で最後だな」

 フジさんに連れて行かれたのは、大きな工場。相変わらず、屋根も外壁も穴だらけだ。外に蟲はいない。工場の中だろうか。

 フジさんとともに敷地内に入る。車の修理工場か何かだろうか。修理のためにバラされた車や古タイヤがそのままになっている。その工場の中心。蟲がいた。

 そいつは人の形をしていて二本足で立っていた。完全に人の形を成しているが、いつものごとく口以外は無貌だ。さらに頭にはトサカと嘴のような突起物がくっついている。何より恐ろしいことに、鳥頭の蟲はフジさんと同じく筋骨隆々の姿をしていた。もう、見るからに強うそうだ。

 フジさんが近づくと、鳥頭の蟲も気付いたようだが顔だけをこちらに向けるが襲いかかってこない。お互いに真正面に立つ。背丈もほぼ変わらないようだ。

 どちらかが合図をしたわけでもないのに、同時に構えた。今までの駆除と雰囲気が全く違う。僕は固唾を飲んで見守るしかなかった。

 鳥頭の蟲が先に動いた。高速のジャブがフジさんの顎に放たれるも、冷静に捌いた上にカウンターで肘打ちを決める。いつもの蟲と違い頭が消し飛ぶことはなく、鳥頭がよろめく。続けざまにフジさんが出した上段蹴りを鳥頭はスウェーで避ける。鳥頭の繰り出した掌底がフジさんの胸の辺にヒットする。フジさんが攻撃を受けたところを初めて見たかもしれない。

 まるで少年漫画みたいだ。そんな僕の陳腐な感想をよそに二人は拳でやり取りを交わしていた。素人目に見てもフジさんが押しているように見える。だが鳥頭は攻撃を受けながらも負けてはいない。表情が無いのでダメージを受けているのか全く判らないが、反撃の手は衰えない。

 鳥頭のローキックがフジさんの膝裏に当たり、バランスを崩した。その隙を見逃さず貫手を繰り出す鳥頭。フジさんは身をよじって致命傷を避ける。

 手刀は左の肩口に刺さった。僕が不味い、と思った瞬間、フジさんの口角が上がった。フジさんは左手で手刀を掴むと思い切り力を込める。骨のひしゃげる音がした。鳥頭が痛みを感じているかどうか知らないが、反対の手でフジさんの手を引き剥がそうとしている。

 フジさんは空いた右手で拳を作ると、鳥頭の右半身に容赦なく叩き込んだ。間断なく叩き込まれる拳に、鳥頭の頭、肩、脇腹の形がいびつになっていく。

 数十回、拳を叩き込み終えると、フジさんは手刀を握っていた手を放す。右半身をぐちゃぐちゃにされた鳥頭はそのまま崩れ落ちるように倒れた。

 目の前で脳筋合戦からの、鳥のタタキを見せつけられ唖然としている僕にフジさんが声を掛ける。

「ツギ、ちょっと来てくれ」

「は、はい……」

 恐る恐る近づく。血こそ流れていないが、ボコボコのタタキにされた鳥頭の蟲は直視に耐え兼ねる。

「こいつを治してやってくれ」

 フジさんがおかしなことを言い出した。

「えっ、治すって……また復活しちゃいますよ?それとも殴り合いの中で男の友情でも育んだんですか?」

「そういうわけじゃない。元の状態に戻すんだ」

 よく判らなかったが、言われたとおり布を取り出し横たわる鳥頭に布を掛ける。……死んだ人に布を掛けるみたいだ。 刑事ドラマの遺体発見現場みたいな光景になってしまった。

 蟲にかけた布が人型に盛り上がっている。それも微かに動いているので、なんとも猟奇的な光景だ。すると人型がみるみるうちに縮んでいく。一抱えぐらいの小さな盛り上がりになったところで縮小が停まった。中で何が起こったのだろう。

 布をめくってみると、赤いトサカと黒い尾羽の鶏が横になっていた。

「えっ、手品?」

 タネも仕掛けもあるのだろうか。

「いや、やったのは君だろ」

 フジさんの至極まっとうな突っ込みが入る。そんなやり取りをしていると、鶏の目を覚ました。サッと立ち上がる。しばらく周囲を見渡したかと思うとこちらに顔を向けた。自分が目覚めた時もこんな感じだったなぁ。

「おはようございます、おはようございます!」

 けたたましい声で鶏が叫んだ。

「周囲の状況から察するに、管理者の方々ですね?蟲化していたところを助けていただき誠にありがとうございます、ありがとうございます!」

「お、おう……」

 とにかく大音量でまくし立てる鶏にフジさんも押され気味である。

「自分もこのエリアを最後の最後まで、精根尽き果てるまで守りぬく覚悟でしたが力及ばず、蟲どもにやられてしまいました……。ですが!まだまだ、この世界への滅私奉公の精神は尽きてはおりません、おりません!」

 何で語尾を二回繰り返すんだろう……。

「見たところこのエリアの修復もほぼ終わっている様子。最後の修復が終わり次第、このエリアの担当者として誠心誠意守らせていただく所存です、所存です!」

 鶏の言葉の波に口を挟めなかった。とにかくこの鶏がこの辺りの管理を担当しているということだけは判った。

「エリアの担当者ってみんな動物の姿をしているんですか?」

「まぁな」

 何か意味があるのだろうか。それを本人に聞く前に鶏が再び、まくし立ててくる。

「管理者殿、最後の穴はあちらです。どうぞどうぞ、その比類なき力をこの世界のために、思う存分振るってください、振るってください!」

「判った判った」

 せっかちな鶏に急かされて穴へと向かう。大きさはそれほどでもない。早速、作業に取り掛かる。

「そういえば鶏さんはさっき蟲化したって言ったけど……」

「確かに自分は鶏ではありますが、正式にはチャボという品種です!日本で品種改良された独自の種で、天然記念物にも指定されています、指定されています!」

「へー、チャボって天然記念物だったんだ。ウチの小学校でも飼ってた……な」

 また少し記憶が蘇った。人間の方の記憶か。少し頭痛がした。こめかみに手を添える。

「大丈夫か」

「えぇ、平気です。ちょっと痛みが走っただけですよ。……それよりも、話の続きだけど蟲化ってどういうこと?」

 裁縫セットから取り出した針に糸を通し、穴に布を縫い付ける。ここ数日で毎日のように行った作業にすっかり体が慣れてしまった。もしくは思い出したというべきなのだろうか。

「蟲どもは世界を破壊し尽くすだけでは飽き足らず、我々、エリアの担当者や管理者までも取り込んでしまうのです。初期型はそのようなこと無かったのですが……。ですので、管理者の方々もお気をつけください、お気をつけください!」

 ということは僕も連中に喰われたら、さっきのチャボさんみたいになってしまうのか?

 黒い蟲はなぜこのようなことをするのだろう、いや、パスは彼らには知恵も意思も無いと言っていた。では蟲の存在とは?

 作業が終わったら、フジさんに聞いてみようか。とにかく今は先に穴を塞いでしまおう。

 ただ、チャボさんのけたたましい応援が作業の間、ずっと続いていたので中々集中できなかった。


 エリア最後の穴はその日のうちに塞ぎ終わった。あとはパスに再起動してもうらうだけだ。

 早速、パスに渡された携帯電話で彼女と連絡を取る。毎日、メールでやり取りしていたが、声を聞くのは久しぶりだ。

「え、もう終わった?ずいぶんと早かったね」

「そうかな?作業に慣れてきたせいもあるかも。それよりそっちは?やることがあるって言ってたけど」

「まぁ、ぼちぼちかな」

 心なしか、パスの声が疲れているように聞こえた。

「……一旦、ツギ君達と合流するよ。ここからだと一日ぐらいは掛かっちゃうかな。取り敢えずそこで待ってて」

「了解」

「あ、あと怪我とかしてない?ご飯はちゃんと食べてる?適度な睡眠は取った?」

「心配しすぎだって。でも……パスも無理しないで。辛いことがあれば話も聞くよ」

「…………うん、ありがと。じゃあ、また」

「うん、お疲れ」

 通話を切って、携帯電話をポーチに仕舞う。

 最後の間は何だったのだろう?やはり彼女も疲れているのかもしれない。合流したら、フジさんに教えてもらった、美味しいご飯を作ってあげよう。今の自分が彼女に出来ることはそれぐらいだから。

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