第41話 子供たちの盾
失言だったか!?
そう思っても、今更無かったことには出来そうもない。
何かを期待するような色を瞳に浮かべたネネが、俺のことを見上げている。
怯えたような雰囲気は消えていたが、素直には喜べそうにない。
「榎並 京子がどうかしたのかな?」
名前は知っていても顔は知らないのだろう。
そう当たりをつけて、振り返りそうになる視線を無理やりおさえつけた。
背後にいる榎並さんの反応が気になるが、ネネの視線を誘導する訳にも行かない。
「キョウコって、知り合いだけでも3人居るからね。ネネちゃんは、その人を捜しているのかな?」
「はいです……。私のご主人様ーーメグミお姉ちゃんのお友達さん、って聞いてますです」
「あなた、めぐみの知り合いなの!?」
真っ先に反応したのは、背後にいた榎並さんだった。
握られていた拳銃が光の粒になって消えていき、榎並さんが俺を押しのけるようにネネへと詰め寄る。
「ひぅっ……!!」
伸ばしかけた手を宙に留めて、ピクリと指先をふるわせた。
怯えたようすのネネを見つめて、視線をそらす。
行き場の失った感情を押さえるかのように、右手がぎゅっと握られていた。
そんな榎並さんの肩を叩いて、もう一度ネネと視線を合わせる。
「大丈夫。このお姉さんも普段は優しいんだよ。今はちょっとだけ焦ってるみたいだけどね」
目を細めて笑って見せると、ネネがチラリとだけ、榎並さんを見てくれた。
小さく視線をさまよわせて、コクンと首を縦に振ってくれる。
角の有無を除けば、どこにでも居る小学生に見える。
「ネネちゃんのご主人様の名前って、宇堂 めぐみさんかな?」
「っゅ!?」
くりくりとした瞳が大きく開かれて、ネネの視線がハッと上向いた。
出しかけた言葉を飲み込んで、ネネの視線が下を向く。
「えと、えと……」
「言うのは禁止されていたりするのかな?」
「いっ、いえ……、そんなことはないです。えっと……」
俺と榎並さん、結花の顔を見渡して、ネネがぎゅっと胸元を握りしめた。
ーーそんな時、
(前線で負傷者が出たらしい。部隊の一部が帰還する。すぐに戻れ)
(了解です。保護対象らしき人物を見つけました。榎並の関係者です)
(……わかった。最速で戻れ)
耳元で聞こえた宇堂先生の声に小さく答えて、ネネの髪に手を伸ばす。
角は相変わらずそこにあるものの、肩から流れ落ちる血は、どうにか止まってくれていた。
「ネネちゃん。相談なんだけど、めぐみさんのお父さんに合わないかな?」
「お父さん、ですか? でも、お姉ちゃんのお父さんって、元の世界に居るって……」
「元の??」
「はいです。お姉ちゃんは会いたいけど、もう会えないって言ってました」
「……??」
「なるほど。めぐみだけは落ちて居たのね」
聞こえてきた声に振り返ると、榎並さんがどこかホットした表情を浮かべて、綺麗な笑みを浮かべていた。
豪華なシャンデリアの光を頭上に感じながら、革張りのソファーにゆったりと身を沈める。
心の底に溜まった疲れを、天井めがけてふぅー……、と吐き出した。
高そうなテーブルにカップが置かれ、くるみ色の水面が静かに揺れている。
「温かいミルクココアだよ。孫が作ってくれて以来、疲れたときはこれでね」
「いただきます」
呼び出されるのに慣れた理事長室だが、今日は俺が橘さんを呼び出した立場であり、これまでのように大勢の男たちの姿は無い。
正面に座る橘さん以外は、背後に控えている秘書らしき女性だけだった。
「それでは失礼します」
その女性も、ドアの前で頭を下げてから部屋を後にする。
2人きりになった部屋の中で、橘さんが自身の前にあるカップに口を付けて、小さな微笑みを浮かべて見せた。
「孫の将吾や宇堂くんから聞いているとは思うが、改めて聞きたいことはあるかな?」
ホッと息を吐き出して、橘さんが俺の顔を見詰めてくる。
橘さんを呼び出した理由は別にあるのだが、本人の口から聞けるのであれば聞いておきたい事はあった。
「そうですね。まずは柳の目的と、橘さんの目的を教えてもらえますか?」
「……そうだね。薄々気が付いて居るとは思うけど、柳――というより政府の上層部かな。彼らは、新たな技術の発展を望んでいるよ。少々どころか、倫理など初めから存在しないかのようなやり方でね」
「橘さんは、そうじゃない、と?」
「どうだろう。全くもって違うとも言い切れる訳じゃないよ。技術大国である日本の発展なら、心から望んでいるさ。だけどね。限度という物はあると思っているよ。孫と同じ年代の者を"力”も無いまま、死地に送り込むなど、到底許される物ではない。そうは思わないかな?」
まぁ、告発するには、証拠も力も無いのだがね。
そう小さくつぶやいて、橘さんがミルクココアの水面を揺らす。
その瞳は儚げで、どこまでも沈み込むような淡い色が浮かんで見えた。
「俺をスカウトしたのは、子供たちの盾にしたかった。言い方は悪いですが、あってますよね?」
「……その通りだよ。待遇に嘆きながらも毎日終電まで働いていたキミなら、子供たちを率先して守ってくれると思ったからね」
「なるほど」
まぁ、わからなくもない。
結局はみんなも巻き込む事にはなったが、自分の行動を振り返ると、橘さんの思惑通り、と言ったところも多いだろう。
少なからず思うところはあるが、俺がもし橘さんの立場だったらと考えると、まぁ理解は出来る。
少なくとも、宇堂先生が言うところの“敵”よりは、よっぽど良い。
「橘さんの立場は理解しました。そこで相談なのですが、少しの間で良いので、“敵”の注意を引き付けてもらえませんか?」
「……なにかするつもりかね?」
「えぇ、まぁ、そんなところです」
橘さんから視線を外して、机の上に1本のフラッシュメモリをことりと置いた。
「出来れば派手に動いて頂けると嬉しいです。あなたのお孫さんや、宇堂先生は使えると判断したみたいですよ」
テーブルの上を滑らせるように、橘さんへ投げ渡す。
近くにあったノートパソコンに差し込まれ、橘さんの表情が真剣な物に変わっていく。
「これを、どこで……」
「とある少女が持っていました。異世界から来たご主人様が大切に持っていた物のコーピーだそうです。実験の様子から予算の流れ、責任者が国と交わした取り決めなどなど」
「……たしかに使える。だが」
「えぇ、決定打には欠けるのでしょう。宇堂先生からもそう聞いています。とどめは、こちらで刺しますよ」
心持ち静かに席を立ち、ミルクココアを流し込む。
「それでは、よろしくお願いします」
そう言い残して、俺は校長室を後にした。
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