第40話 エナミ キョウコ?

 薄暗い廊下をゆっくりと進んでいく。


 先ほどまで聞こえていた悲鳴や足音が、今はもう聞こえない。


 おおよその方向はわかるが、声の主はもう……、なんて思いが頭をよぎる。


「集中しなさい。背後から私に撃ち殺されたいのかしら?」


「……いや、そんなことはないよ」


「そう、それなら良いわ」


 まるで俺の心でも読んだかのように、榎並さんが叱咤の声を飛ばしてくれた。


 2人は俺の背後にピッタリと寄り添い、周囲の警戒に勤めて居てくれる。


 出来るだけ音を立てずに、一歩ずつ前に進んでいく。


(竜治さん……!)


(っ!!)


 不意に結花が指さした先に見えたのは、床に点在する血の跡。


 真新しい血が、廊下の先へと続いていた。


 互いに顔を見合わせてうなずきあう。


 あのとき聞いた音の原因を物語るかのように、砕けたガラスの破片が散らばっている。


 そんなガラスたちの向こうに見えたのは、がらんとした部屋と、端に寄せられた大きな岩。


 なんとも不自然なその光景に疑問を抱きながら、俺たちはゆっくりと部屋の中に足を踏み入れた。


 化物らしき生物の姿は無い。


 その代わりとでも言うかのように、化物を倒したあとに残るビー玉が、部屋の中央に転がっている。


「誰か、いるのか?」


 巨大な岩に盾を向けてジリジリと近付いていく。


 床には焼け焦げたような跡があって、廊下から続いていた血が、岩の向こうに続いていた。


「手を挙げて出てきてくれるか?」


 そう問いかけても、反応はなかった。


 だけど、何者かの荒い息遣いが聞こえてくる。


 結香が魔法の準備を始め、榎並さんが岩の中央に銃弾を撃ち込んだ。


「ひぅ……!!」


 聞こえてきたのは、少女のような高い小さな悲鳴。


 演技の可能性もあるが、岩の向こうにいる何者かは、俺たちに怯えているらしい。


 ただまぁ、突然の発砲には驚くよな。

 仲間であるはずの俺もビックリしたしさ。


「大丈夫。敵じゃないよ。出てきてくれたら悪いようにはしないと約束する」


「…………」


 怪我のせいで動けない可能性もあるが、少なくとも声は出るのだろう。


 そうこうしている間に、結花の準備が整った。


 榎並さんに目配せをして、逆側に回ってもらう。


「こっちから行くけど、攻撃しないでくれると嬉しいよ」


 もし何かあれば、岩ごと結花が吹き飛ばしてしまう。


 岩の向こうにいる者も、結花も、そんな結果は望まないだろう。


 ゆっくりと、怯えさせないように近付いていく。


 心臓は早くて、盾を握る手に自然と力が入る。


ーーそんな時、


「痛くしないです。抵抗しないです……」


 血の流れる肩を押さえた少女が、岩の影から姿を見せた。


 歳は12歳くらいだろうか?


 少女の肩からは、ポタポタと見慣れた血が流れ落ちている。


 髪は淡いピンク色。動きやすそうな服装の割に、足元は素肌のままだ。

 髪の色も、瞳の色も、日本人のそれじゃない。


 そんな中でもひときわ目を引くのが、彼女の耳元だろう。


 羊のようなクルリと曲がった角が、頭の両脇に付いているように見える。


「ひぅっ!!」


 榎並さんの握る銃口が、いつの間にか角の少女に向けられていた。


 慌てて体を割り込ませて、盾の正面を榎並さんの方に向ける。


 そのうえで、体だけは少女の方へと向けた。


 視線の高さを合わせて微笑んでみる。


「ビックリさせてごめんね。あれでも優しいお姉さんだから」


「……あれでも、ってどういう意味かしら?」


 なぜか不満げな榎並さんを後目に、少女の髪に手を伸ばして見せた。


「竜治さん!!」


「大丈夫。可愛い少女じゃないか」


 抵抗らしいものは見せずに、ギュッと目を閉じて俺の手を受け入れてくれる。


 さり気なく角に触れてみたが、見間違いなどではないらしい。


 無防備に近付いて見たが、攻撃されるような事もない。


「肩の治療をするよ。“力”を流すけど、大丈夫かな?」


「……は、はい、です!」


 怯えた表情のまま、彼女がコクンとうなづいてくれる。


 敵では無さそうだな。


「俺は竜治って名前なんだけど。キミはなんて呼べば良いのかな?」


「えっと、えっと……、ご主人様にはネネって呼ばれてますです」


「そっか、じゃぁ、ネネちゃんて呼ばせてもらうよ」


「はいです……」


 不安げに見上げるネネの肩に手を当てて、“力”を流していく。


 それにしても、ご主人様と来たか……。


 番号とかじゃないだけマシだろうけど、イヤな予想が頭の中に浮かんでくる。


「ネネのご主人様は、どんな人なのかな?」


「優しくて綺麗な方ですよ。お姉ちゃんって呼ぶと一緒に寝てくれるのです」


「不思議な事をされたりはしないのかな?」


「不思議なこと、ですか? 無いですよ? お姉ちゃんは優しいのです」


「そうなんだ」


 ご主人様の話をするネネは、ほんの少しだけ俺たちに対する怯えが減ったように見える。


 こんな場所に居て角まであるのだから、一般人だとはとうてい思えないが、嘘を言っているとも思えない。


 ……人体実験の被験者が逃げてきたのかと思ったが、違うのか?


(どう思う?)


(……わからないわね。私たちの時は、大人と話す機会なんて無かったわ。角を付けられることも、ご主人様なんて存在もね)


(そうか……)


 ネネにバレないように耳にあるマイクで問いかけて見たが、どうにも何かがずれている気がする。


「榎並さんでもわからないなら、宇堂先生にでも聞いてみるか……」


 はぁ……、とため息混じりにつぶやいた俺の言葉を、


「エナミ……? エナミって、エナミ キョウコですか……?」


 大きな瞳が見上げていた。

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