第39話 1人で行かないでください!

 肌を撫でるそよ風があって、降り注ぐ日差しは暖かい。


 下り続ける螺旋階段は空中散歩のようで、とてもじゃないが深夜1時の地下だとは到底思えない。


 それでも、原理だとか理屈なんかに蓋をして、俺は進む先に視線を向けた。


 下り始めた時と比べると、地面もかなり近付いている。

 感覚的には東京タワーの展望台くらいだろうか?


 階段の先にあるツインタワーとでも呼ぶような巨大なビルは、もうすぐと言うところまで近付いていた。


「全員、武器の用意だ。自分たち以外はすべて敵だと思え」


 真っ先に屋上へと降りた宇堂先生が、その手に小さなナイフを“発現”させる。


 漂ってくるのは、胸が詰まる緊張感。


 木漏れ日を感じていた空間が、いつの間にか淡い霧に覆われていた。


 降り立った地面はコンクリートで、正確な数字はわからないけど、学校のグラウンドよりもはるかに広く見える。


 淡い霧に覆われているせいか、どことなく不気味な空間だった。


「応援を回せ! さっそく出やがった!」


 聞こえてきた声にハッと振り返るが、霧のせいで叫んだ男の姿は見えない。


 銃声に遠吠え、得体の知れない何かの断末魔。


 霧の向こうから聞こえてくる音に耳を傾けながら、俺は左手に盾を引き寄せる。


 杖、銃、レイピア。


 それぞれが得意な武器を握り、表情を引き締めた。


「ここは別の隊が受け持つ事になっている。こっちだ」


 聞こえてくる戦場の音に背を向けて、宇堂先生が下に続く階段に足を踏み入れた。



 見えてくるのは、上から見たとおりの大きなビルの中。


 正面と左右に巨大な通路が延びていて、ガラス張りの部屋が整然と並んでいた。


 周囲は薄暗く、俺たちのいる場所だけが、ランタンの光に照らされている。

 男たちが持つ光が、廊下の先に燃えていた。


 三本あるすべての通路に人を割り振って、先へと進んでいるらしい。


 そんな状況をゆっくりと見回した宇堂先生が、小さく息を吐く。


「……行ったようだな。詳しい話を始める。ダンジョン内に監視は無い。気を緩めて良いぞ」


 手本を見せるかのように、先生が和らいだ表情を浮かべていた。



 先生や榎並さん、将吾の話をまとめると、ここは「未来人の遺跡」とでも呼ぶべき場所らしい。


「爺さんから聞いたけどよ。秘匿技術の根幹って、ここらしいぜ? 俺らが学ぶ“力”も戦う化物も、ここで見つけて研究したんだとさ」


「私たちの実験場も、ここにあったわね。構造が日々作り変わるから、もう残って無いみたいだけど」


 榎並さんが壁に手を触れて目を細め、将吾がぼんやりと廊下を見渡す。


 医療、建築、遺伝子工学。


 ここで見つけた物質や発見が、様々な分野に影響を与えているらしい。


 今回の報酬である結花の母を治す薬も、恐らくはここで見つけた物だろう。


「エンターテイメントに見せかけて兵士を育てる。その目的はここの探索。そういうことだ」


 手元にある兵力だけでは足りないが、放置するには勿体ない。


 行き着いた先が、俺たちの通う学校って訳だ。


「いっつも人手不足なのと、お試し、って事で俺らが呼ばれたっぽいぜ?」


 なんともありがちな話だ。


 ふぅ、と大きく息を吐いて、結花の方に目を向ける。


 足音一つ聞こえないビルの奥へと目を向けて、彼女はギュッと唇を結んでいた。


――そんな時、不意に宇堂先生の手元から、呼び出しを伝える小さな音が鳴り響く。


「宇堂だ。……教え子にも注意するよう伝える。世話を掛けた」


 いつの間にか、ビル全体が不穏な空気に包まれていた。


 漂ってくる気持ちの悪さに、体が前に出る。


 不意に感じたのは、背後の殺気。

 だけどそれは、この1ヶ月で慣れ親しんだ物だ。


「やっぱりあなたはそうなのね。殺されたいのかしら?」


 聞こえてきた声に、俺は小さく肩をすくめた。


 視線を前に向けたまま、声だけを背後に投げかける。


「得意武器が盾だからだね。榎並さんの言う自殺願望とは違うかな?」


「……そうね。そう言うことにしておいてあげるわ」


 どことなく楽しげな声音と共に、背後からの圧力が消えてくれた。


 耳が痛くなるような静寂に、誰かの小さな呼吸の音。


 周囲に変化らしい物はなくて、時間だけがゆっくりと過ぎていく。


ーーそんな時、


「……な、いで」


「っ!!!!」


 遠くから誰かの声がした。


 思わず駆け出しそうになる俺の裾を、他の何者かが引き止める。


「やっぱり死ぬべきかしら?」


 思わず振り向いた先に見えたのは、榎並さんが握る銃口と、ふわりとした結花の髪。


「ひとりで行かないでください……」


 服の裾を握った結花が、不安げな表情で見上げていた。


 ガラスが砕け散る音。


 逃げ惑う誰かの足音。


 大きな物が倒れるような音。


「まぁ、オッサンの気持ちもわかるけどさ。どうするよ、先生?」


 将吾までもが、走り出そうとした俺の肩に手を伸ばしていた。


 聞こえてくる音に焦りを覚えるものの、仲間を振り切って走り出す訳にもいかない。


「ここには、人の声でおびき寄せて喰らう化物も居るわ。死ぬのなら、1人の時にしなさい」


「オッサンは良い人過ぎるぜ? 自分たち意外は敵だと思え、って最初に聞いただろ? あれ、マジのやつだぜ?」


 苦笑混じりにそう言われれば、少しだけ冷静にもなれた。


 宇堂先生がチラリと階段に目を向けて、上の様子を覗き込む。


 腕を組み、目を閉じた先生が、小さく頷いて、光の玉を宙に浮かべた。


「二手に別れる。成川は、榎並と水谷を連れて、周囲の調査に出ろ。俺たちはこの場を厳守する。異論は?」


「「「…………」」」


 互いに顔を見合わせたものの、誰からも声はあがらなかった。


 出来るなら全員で動いた方が良い気もするが、もともとの任務はこの場の維持だ。


 見に行って帰って来たら、化物に占拠されてて帰れません、なんて事になれば、目も当てられない。


 それに盾を持つ俺と遠距離主体の2人なら、バランスも悪くない。


「自身が最優先だ。いいな?」


「はい」


 俺はもう一度盾を握りしめて、薄暗い廊下に目を向けた。

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