第38話 俺ひとりなら……。

「俺1人で良いなら……。行きますよ」


 そう小さく答えた俺の言葉に、柳は静かにうなずいた。



 居心地の悪い校長室から逃げ出して、ベッドに寝転びながら天井を見上げる。

 時刻はすでに夜の12時を過ぎていた。


 柳は俺に何をさせたいのか?


 ずっと視線をうつむかせていた橘さんは、何を心配しているのか?


 どうにも情報が不足し過ぎているように思う。


 だけど、このまま依頼をキャンセルするのも据わりが悪い。


「榎並さんや宇堂先生なら何か……」


 そう思ったが、彼女たちを巻き込むのも気が引けた。


 柳の前で名前を出しただけで、榎並さんは暗殺されかけている。


 立場を考えると、宇堂先生も危険だろう。


「……俺1人なら何とかなるか」


 虎穴に入らずんば虎子を得ず。


 いいなりになると言うよりは、スパイのような気持ちで受けても良いのかも知れない。


 そう結論付けて、もう一度、ふぅ、と息を吐く。


 柳から聞かされた集合場所は、学校の正門前。

 時刻は夜中の1時。


 そろそろ出ようか。


「結花……?」


 そう思ってドアを開けた向こうに、なぜか部屋で寝ているはずの結花が立っていた。


 スーツとサングラスが入った鞄に目を向けて、彼女が俺の瞳を見上げてくる。


「どこに、行くんですか?」


「……コンビニだね。お菓子でも買ってこようかと」


「うそ、ですよね?」


「…………」


「これでも竜治さんと一緒に生活してるんですよ? それに、私を気遣う嘘はお母さんで慣れてますから」


 悲しげに微笑んで、彼女がもう一度、俺の仕事道具が入った鞄に目を向けた。


 絶対に逃がしません! とばかりに、彼女が両手で鞄を握りしめる。


「私も付いて行きます。足手まといなら銃で撃ってください。ただ待つだけは絶対に嫌です!!」


 瞳いっぱいに涙を貯めて、彼女が睨むような強い視線で見上げてくる。


「付いて行くって、どこに行くのか――」


「詳しくは知りません。でも、危険な場所ですよね?」


「…………」


「知ってました? 女の勘って鋭いんです。それに私は竜治さんのペアですよ?」


 ふふっ、と笑った彼女が、俺の腕を抱きかかえた。


 瞳に浮かぶ意思はどこまでも堅くて、死んでも付いて行くと言いたげな表情を浮かべていた。


 こうなると、彼女はテコでも動かない。

 結花の言葉じゃないが、一緒に生活しているからこそ、よく分かる。


「……わかったよ。手伝ってもらえるかな?」


「はい!!」


 根負けした俺の言葉に、彼女は素敵な笑みを浮かべてくれた。




「あら、ようやく来たのね」


「オッサン、ちょっとだけ遅刻だぜ?」


「…………」


 玄関を開いた先に見えたのは、榎並さんと、かつて同じ部屋だった将吾の姿。


 チラリと結花を流し見ても、彼女は静かに首を横に振るだけだった。


「俺も榎並さんも理事長からメールをもらってな。クラスメイトとして助けてやれってさ」


「あら、違うわよ。私は宇堂先生からもメールが届いたから、私の方が立場は上よ?」


「あー……、うん、ソーデスネ」


 はぁ、と肩をすくめて、将吾が笑ってみせる。


「一応言っとくけど、俺って理事長の孫だからな? 宇堂先生とかの事情も知ってるし、味方だぜ?」


「あら、私の方が頼もしい味方よ?」


「ソーデスネ」


 相性が良いのか、悪いのか。


「まぁ、なんだ。俺も連れてけよ、親友」


「借りは返す主義なの。あなたを殺してでも付いて行くわ」


 自信に満ちた笑みを浮かべる2人を見ていると、どうにも心強くて、知らないうちにため息が漏れていた。

 



☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 





「来たか」


「宇堂先生……?」


 4人で向かった正門の前には、自衛隊の車が何台も止められていて、迷彩服の男たちが慌ただしく動き回っていた。


 そんな人々の中から見慣れたスーツに身を包んだ宇堂先生が、俺たちの前に姿を見せる。


「詳しい説明は俺が引き受けた。こっちだ」


 普段よりもお堅い雰囲気で背を向けて、校舎の中へと入っていった。


 俺たちも顔を見合わせながら、先生の背中を追いかける。


(どこにでも耳があると思え。迂闊なことは話すな)


 周囲を見渡した宇堂先生が、振り返る事もせずに、小さく言葉を紡ぐ。


(全員が榎並さんの口封じを考えていると?)


(いや、それは無いだろうが……、詳しくは後だ)


(……わかりました)


 そうして連れて行かれた先は、校舎の一階にある何もない部屋。


 入学式で貰った案内図には、予備教室と書かれていた部屋だと思う。


 ドアの窓から中をのぞくと、なにやら迷彩服の男たちが、床板をめくっている最中だった。

 

 そんな男たちの中心に、見慣れない物がある。


「あれの先が今日の仕事場だ」


「…………」


 つやつやとした黒い石の階段が、地下へとのびているように見える。


 大きさは宇堂先生の肩幅よりも、少しだけ大きい程度。


 それだと言うのに、言葉に出来ない存在感が漂ってくる。


 ドアの前で振り向いた宇堂先生が、俺たちひとりひとりに視線を向けた。


「手短に話そう。今日の任務は、命の危険が伴う。最優先は自分自身だと肝に銘じておけ。行くぞ」


 そして質問する暇もなく、俺たちは部屋の中へと通される。


「…………」


 無言の圧力が、迷彩服の男たちから飛んで来るものの、一瞬の後に戻された。


 誰しもが石の階段を見つめて、表情を引き締めている。


「時間だ。突入する」


 中央の男がつぶやいて、階段の下へと降りていった。


 互いに顔を見合わせながら、全員が下へと消えていく。


「俺たちは、五分遅れての出発となる」


 そうしてきっかり5分後に、俺たちは石の階段の中へと足を踏み入れた。


「……!?」


 はじめに感じたのは、昼間のような明るさ。

 それに続いて木漏れ日のような暖かさを感じる。


 螺旋状に続く石の階段の周囲には、なぜか空があって、流れる雲の切れ間から太陽の光が降り注いでいた。


 俺たちは天使か神か。


 天国への階段を下っているようにも思う。


「ここは……?」


「ダンジョンの入口だ。離れずに周囲の警戒を続けながらついて来い」


「……わかりました」


 先を進む宇堂先生や榎並さん、それに将吾の3人は、それが当たり前だとでも言うような雰囲気で歩みを進めている。


 俺たちの後から入ってきた男たちを含めでもっても、驚いているのは俺と結花だけのようだ。


 ふぅー……、と大きく息を吐き出して周囲を見渡す。


 感覚としては、東京タワーの階段を下りている感じだろうか?


 そう思えば、まぁ、常識の範囲内と言えなくもない。


「少し進むと、とあるビルの屋上に出る。その先が人類の希望だ」


 含みのある声音で、宇堂先生がそう呟いた。

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