第31話 ここは?

「ぅっ!?」


 まどろむような意識の中に、小さな痛みが襲ってくる。


 薄らと目を開くと、なぜか可愛らしい少女の――結花の寝顔が目と鼻の先にあった。


 俺の手にすがりつくように上半身をベッドに預けて、結花が小さな寝息を立てている。



 白を基調にした天井や壁、薬品の匂いが染みついたベッド。

 俺が寝転ぶベッドの周囲が、薄いカーテンで仕切られている。


「学校の、保健室かな?」


 そんな空間だった。


 周囲は異様に薄暗く、閉じられたカーテンの隙間からは街灯らしき光がもれている。


 もし今が夜ならば、8時間は眠っていたのだろう。


 結香の目尻にはうっすらと涙が貯まり、頬にも流れ落ちたような跡が見えていた。


 痛みを訴える体をゆっくりと動かして、彼女の髪に優しく触れる。


「心配をかけたみたいだね……」


 指先を小さく手を動かすと、ぎゅっと閉じられていたまぶたが、ほんの少しだけ緩んだように見えた。


 俺が銃で撃たれたと知り、駆けつけてくれたのだろうか?


 クラスメイトと話し合いに行くだけ。ひとりで大丈夫だよ。などと言った結果がこの有り様だ。


 結香が目を覚ましたら、なんと言って謝ろうか……。



「あら、ようやくのお目覚めね」



 そんな事を割と真剣に悩んでいると、カーテンの隙間から榎並さんが姿を見せた。


 口元を小さく緩ませながら、彼女が俺のそばまで歩み寄る。


「3日も眠り続けるなんて、本当に死んだかと思ったわ」


「……3日?」


「えぇ。時折うめいていたわよ?」


 どうやら予想以上に時が進んでいたらしい。


 軽く髪をかきあげた榎並さんが、軽くペットに腰掛けて、可愛らしく眠る結花の肩に手を触れる。


「彼女には感謝しておきなさい。ずっと側で声をかけ続けていたわ」


 あの時見せた優しい瞳が、結花のことを見下ろしていた。


 そんな榎並さんの肌艶も、どことなく疲れて見える。


「……榎並さんにも迷惑をかけたようだ」


「本当よ。その責任をとって死んで欲しいのだけど、さすがに病み上がりだから殺さないでいてあげるわ」


「……それは助かるよ」


 なんとも不思議な彼女の言い回しに、思わずクスリと肩が震えた。


 そんな俺の動きをとがめるように、榎並さんはプイっと俺から顔を背ける。

 その手はずっと、結花の髪に触れていた。


「それにしても、3日か……」


 小さくつぶやきながら、自分の肩に目を向ける。


 石膏のような堅いもので覆われながら、布できつく縛られていた。


 ほんの少しでも動かせば、全身を信じられないほどの痛みが駆け抜ける。


 だけど、それだけだ。


「生き残れたんだな。榎並さんも、俺も……」


 そう小さくつぶやいて、ホッと息を吐き出した。


 疲れているようには見えるが、榎並さんに怪我はない。

 結花もただ眠っているだけで、あの場に駆けつけてくれた宇堂先生も、あの様子なら大丈夫だと思う。


「詳しい話しは聞かせてもらえるのかな?」


「……そうね。これでも責任は感じているのよ。担任には連絡したわ。話はそれからでもいいかしら?」


「わかったよ。……彼女には?」


「本人の意志次第ね」


 起きる気配のない結花を流し見る。


「……ん?」


 彼女の手の中で、小さなガイコツのキーホルダーがぼんやりと光って見えた。



「知らない方が幸せよ。それに、面白い話ではないわ」


「それでも、聞きたいです。足手まといだけど、私は竜治さんのペアですから」


「……そう」


 俺が目を覚ましてから1時間ほどが経ち、保健室の時計は午後の9時を示している。


『あの担任も当事者よ。たぶんだけど、私以上にね』


 そう語った榎並さんの判断で、宇堂先生もこの場に呼び出していた。


 病人である俺はベッドに寝たまま。


 結花は俺を守るようにすぐそばに腰掛けて、隣のベッドに座る榎並さんを真剣な眼差しで見詰めていた。


「もう一度聞くわ。成川 竜治、水谷 結花。話を聞けば後戻りは出来ないわよ?」


 殺気がにじみ出る鋭い視線が俺たちに向けられている。

 榎並さんの手にはいつもの銃が握られていて、その銃口が結花の額に向けられていた。


「どれだけ脅されたとしても、私は退きませんよ」


「……そのようね。がむしゃらに走り続けていた時と同じ目だもの」


「ぇ……?」


 小さく目を見開いた結花を見詰めて、榎並さんが小さく肩を震わせた。

 カチャリと音を立てて、銃口が手の中から消え去っていく。


 そんな彼女をチラリと流し見て、俺も小さく息を吸い込んだ。


「聞かせてもらえないかな? 榎並さんにとっても、楽しい話じゃないと思うけどさ」


「……そう、わかったわ」


 ほんの少しだけ視線をうつむかせた榎並さんが、チラリと宇堂先生に視線を向ける。


 背中を真っ白い壁に預けながら胸の前で腕を組んだ宇堂先生が、淡く目を閉じてゆっくりとうなずいて見せた。


「俺も知る限りの事を話そう。担任としてではなく、めぐみの父としてなら多少の事は目をつむれる」


「期待しているわ」


 おもむろに左手を持ち上げて、榎並さんがうなじをかき上げる。

 トレードマークであるポニーテールがふわりと溶けて、彼女は小さく微笑みながら髪を揺らした。


 根元を止めていた小さな髪留めを俺たちに見せてくれる。


「めぐみが――宇堂めぐみが私にくれたものよ。たったの半年だったけど、未だに1番の親友だと思っているわ」


 太めの白いヘアゴムに、榎並さんの目と同じ色の淡いビーズが2つ付いていた。


 ふわりとした笑みを浮かべて、ゆっくりと手を閉じる。


「少しだけ聞きたいのだけど、理事長に入学を勧められたとき、2人は動画を見たかしら?」


「あぁ、楽しげに3つ首のオオカミを倒す動画を見せてもらった」


「そう、それなら良いわ。それで、その動画に違和感を覚えなかったかしら?」


「??」


 違和感?


 あの動画に不審な点なんてあっただろうか?


 魔法や剣術、見覚えなのない獰猛な獣の姿に驚きはしたが、"力”を知った今ならすべて本物だったと理解している。


 チラリと結花の横顔をのぞき見た物の、彼女もはやり首をかしげているだけだった。


「私はあれを見て、すべてを思い出したのだけど、今は関係ないわね。竜治。あなたは何期目の入学生かしら?」


「……栄えある1期生だと聞かされているが?」


「そうね。それじゃぁ、あの動画に出てた高校生は?」


「…………」


 なるほど、確かにおかしな話か。


 俺たちの学校に先輩はいない。

 マスコミも、世界初の試み、と世間を盛り立てていた。


 だとすれば、あの高校生たちは何者だ?


 あまり覚えてはいないが、容姿も性格も悪いようには見えなかった。


 日本政府の最新技術を世間にお披露目するための素材なら、まずはあの動画を世間に流せば良い。


 俺が引き込まれたように、世間の注目は自然と集まる。その上で学校を作り、広く募集すれば良い。


 なぜ、そうしなかったのか……。


「この学校にはゼロ期生とでも呼ぶべき存在がいるの。あの動画で弓を持っていた少女は、私なのよ」


 腕が痛むことすら忘れて、俺は思わず彼女の方に体を向けた。

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