第32話 榎並さんと単身赴任

「私の記憶が本物なら、今から2年ほど前の事になるわ。私たちはここに集められたの。不思議な力の取り扱いに、モンスターとしか呼べない動物たちとの戦い。毎日のように体の検査もされたわね」


 今のようなしっかりとした教育機関ではなく、実験動物のようだったと榎並さんが視線を落とす。


 両親がいない者、施設に預けられた者、片親が海外へ単身赴任中だった者。


 助けは期待できず、逃げ出すにもどっちに行けば良いのかもわからない。

 そんな状況の中でも、いつも明るく接していた宇堂めぐみだけが、みんなの支えだったと言う。


「力を付ければ周囲の大人たちも優しかったわ。お金も十分にもらえて、逃げ出さないとわかったら自由な時間ももらえていたのよ」


 検査や訓練は1日8時間。週に2回は自由な休みが与えられる。

 俺が聞く限り、社会人と大きく変わらない生活をしていたようだ。


 徐々に強くなっていく感じが、テレビゲームのようで楽しい。

 大人に褒めてもらえるのが楽しい。


 そうして実力を付けて、動画の撮影にまでこぎ着けたという。


「詳細は知らないのだけど、何かの実験に失敗して、私たちは記憶を失ったのよ」


 記憶が戻ったきっかけは、橘理事長に動画を見せられたこと。


 スカウトと称して、平然とやってきたと言う。


「すぐにあの時の4人を探したわ。誰が敵なのかもわからないから、ひとりだけで。男2人は見つけたのよ。彼らはすべてを忘れて高校をしていたわ。大勢の友達に囲まれてただ幸せに。だけど……」


 どれだけ探しても、1番の親友だった宇堂めぐみだけが見つけられなかったそうだ。


 橘理事長のスカウトを受け入れて学校で暴れれば、あの時の事を知る者たちが接触してくるのではないか。そう思ったらしい。


「なるほどな。初日に宇堂先生を挑発したのは、それが理由か……」


「えぇ、記憶を失った私が突然"力”を使い始めれば、上層部にも伝わると思ったわ」


 だけど、宇堂先生に返り討ちにされ、入学祝いのテストは俺が目立ってしまったせいで彼女は俺の影に隠れてしまった。


「俺と敵対するのもそれか……」


「えぇまぁ、……そうね」


 不意に俺から視線を外した榎並さんが、黙り込む結花の姿を流し見る。


 ほんの少し違和感を感じながら結花に視線を向けると、ガイコツのキーホルダーを握る手が、小さく震えていた。


「私の話は以上よ」


 重たい空気を振り払うかのように、榎並さんが小さく笑ってくれた。


 自然と俺たちの視線が宇堂先生に向く。


「まず始めに言っておく。俺も詳しくは知らん。だが、娘が突然いなくなったのは事実で、それを直前まで忘れていたのも事実だ」


 壁から背中を離して、先生が小さく息を吐き出した。


「今回の件に生徒を巻き込むつもりはなかったが、そうも言えないようだな」


 そう前置きをして、宇堂先生が俺たちひとりひとりを見据える。


「俺は元々自衛隊に所属していた。この学校も元をたどれば自衛隊に行き着くのだが、それは理解しているな?」


「なんとなく、ですが」


 授業の補佐は迷彩服の男たちで、"力”は政府の秘匿技術だ。

 ペアの解消を命令した柳も防衛省の人間だと名乗っている。


 であるなら、行き着く先は自衛隊だろう。


「日本政府の意向は知らないが、自衛隊としてはより多くの“力”を取り込みたいようだ。災害現場への派遣であっても、要人の護衛であっても、今とは段違いの戦力になるだろう」


 “力”は若いときほど身に付く。


 より多くの“力”を自衛隊に取り込み、国の防衛や被災者の救護に派遣する。


 その宣伝と教育を織り交ぜた結果が、俺たちの通う学校だと先生は言う。


「軍の内部で適性者を見つけ訓練を施す。いわば最初の実験台が俺たちだった。その結果を受けて、軍は娘や榎並を集めたのだろう」


 宇堂先生も娘に関する記憶は消され、橘理事長から送られたビデオで思い出したそうだ。


 彼もまた、娘を探すためにここにいる。


 であるならば、


「……橘さんの立場は? 何者ですか?」


「俺よりも前の人間だな。“力”の発見から関わっている。これまでの話しを聞く限りでは、上で唯一の理解者だ」


「そうですか……」


 つまりは、橘さんが“力”の発見に関与し、宇堂先生が形にして、榎並さんたちが知識を育てた。


 上層部は事故の実態を握りつぶして、俺たちをヒーローに仕立てている。


 被災地などに俺たちが行けば、より多くの命を救えるだろう。

 警察と連携すれば、犯罪者も減るかもしれない。


 確かに悪くない案だと思う。


 そう思うのに、言葉に出来ない気持ち悪さが腹の中を渦巻いていた。


「娘さんの行き先や事故に関しての手がかりは?」


「まだだ。探ってはいるが、先に向こうに感付かれたらしい」


 その結果が先の暗殺につながっている。


 そういう話なのだろう。


「榎並の名前は仲の良い友人だと娘から聞いていた。入学式での様子を見ればある程度のことを察することが出来る。ゆえに、上への報告は最低限にしていたのだが……」


 どこからか漏れたらしい。


 榎並さんに探られる何かを守るためか、取り戻した記憶が邪魔なのか。


 彼女を殺してでも守りたい何かがあるのだろう。


 理由はどうであれ、何とも気分の悪い話だ。


 それにもう一つ、俺の気分を悪くする原因がある。 


「榎並さんの存在をバラしたのは、俺、ですね……」


「………」


 俺の質問に関して、宇堂先生は肯定も否定もしない。

 驚いた表情を見せたのは結花だけで、榎並さんも顔を逸らすだけだった。


 思い出すまでもない。ペア決めで呼び出された俺は、柳の前で榎並さんの名前を出している。


「俺に出来ることは?」


「……いずれは手を借りたいと思っている。暗殺未遂を知った理事は大層お怒りだ。普段では考えられないような表情でいろいろと手を回しておられた。当分は敵も動けないだろう。今は傷を直し、“力”を強めて欲しい。これは担任としての願いでもある」


「……わかりました」


 まずは遠距離の訓練からはじめようか。


 強い痛みを訴える左の肩に視線を落として、俺は小さく息を吐き出した。

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