第30話 にげろ!!

 飛んできた銃弾が触れたのか、右の肩が燃えているかのように熱い。


 その割には痛みがなくて、右半身の感覚がなくなっているようにさえ思う。


「なん、で……、なんで私なんか……」


 消え入りそうな声を漏らしながら、榎並さんが目を見開いていた。


 出会ってから一度も見たことのない、少女らしい瞳。


 そんな彼女から離れるように、俺の体が地面へと倒れていく。


「っぁ……!!!!」


 伸びてきた彼女の手が、俺の肩を支えてくれた。


 比較的自由のきく左手を伸ばして、右の肩に触れてみる。


 ぬるりとした赤い物が、指先に付着していた。


 制服や頬に血を付けながら、今にも泣き出しそうな表情で榎並さんが唇を震わせている。


 その姿を見る限り、彼女に怪我はないのだろう。


「にげ、ろ……」


 視界が揺れて、立ち上がることは出来そうもない。


「逃げろ!」


「っ……!!」


 そう言葉にするのが、精一杯だった。


「なんで!!!!」


 苦しそうに右手を握りしめて、彼女が下唇を噛み締める。


 不意に彼女の瞳が大きく開いて、その手が乱暴にのびてきた。


 彼女の真っ白い手が、俺の服を引き裂いていく。

 血が流れ出す右肩に彼女の手が押し付けられる。


「ぐっ!!」


「動かないでっ!!」


 またがるように俺に乗り、榎並さんは両手で傷口を押さえつけていた。


 彼女の肩に小さな赤い点が当たっている。


 頬をひと筋の涙が伝っていた。


「逃げろ、はやく……」


「バカ言わないで! みんなそうやって勝手に! 私の気も知らないくせにっ!!」


 下唇をかみしめて、榎並さんがおえつを飲み込む。


 必死に俺の傷口を両手で押さえて、出血を減らそうとしている。


 そんな彼女の首を赤い点が照らし、頬を経由してこめかみで動きが止まった。


「くっ……!」


「きゃっ!!」


 言うことを聞かない体を無理矢理に動かして、彼女の細い手首を払いのける。


 勢い余って倒れてきた彼女の体を両手で強く抱きしめた。


 遠くで小さな銃声が聞こえる。

 彼女のトレードマークであるポニーテールが、はじけ飛ぶように解けて広がった。


 髪留めをかすめていったのだろうか?


 目と鼻の先で、土がめくれ上がっている。


「肩を貸して欲しい。木の陰に行きたい」


「ぇ、ぇぇ、わかったわ。掴まりなさい」


 抱きしめたまま耳元でささやくと、彼女は青い顔をしながらも、立ち上がってくれた。


 彼女に寄りかかりながら、桜の木に歩み寄る。


 今更ながら右肩が痛みを訴えている。


 肩からわき腹を通って、足に血が流れ落ちている。


 だが、今それを気にしたところで意味はない。


「反、撃は……?」


「ごめんさない。距離が違いすぎるわ」


「そうか……」


 こんなことなら遠距離用の銃も、もっと真剣に練習をしておけば……。


 体は言うことを聞かないのに、そんな無力さだけが湧き上がってくる。


「連射は出来ないのか……」


 移動している間にも赤い点が俺たちを照らすものの、銃弾が撃ち込まれることはなかった。


 大木の影に滑り込んだ間一髪のタイミングで、幹の表面がはじけ飛ぶ。


「ここなら、何もない、よりは……」


 そう言葉にするも、これ以上の移動は出来そうもない。


 少しだけ血を流しすぎたのか、いつの間にか視界の端が黒く塗りつぶされていた。


「さて、どうするか……」


 ずっとここにいても、現状は打開しない。


 非日常にはこの1ヶ月で慣れたつもりだったが、なるほど、自分の感覚ほど当てにならない物はないな。


「あなたはここにいて。私がひとりで行くわ」


 突然聞こえて来た言葉に視線をあげる。


 手のひらほどしかない小さな短剣を握りしめて、榎並さんがグッと下唇をかみしめていた。


「ごめんなさい。巻き込んでしまって」


 木の幹に背中を付けて、彼女が敵のいた位置をチラリとのぞき見る。

 その横顔には、後悔の色が透けて見えた。


 彼女の言葉を素直に聞けば、俺は彼女の事情に巻き込まれただけ、そう言うことになるだろうか? 


「確証はないのだけど、狙われる理由に心当たりはあるの」


 命を狙われる心当たり。

 突然、銃弾で撃たれる心当たり。


「そうか……」


 どうにも俺の知らない事が多すぎる。


「血が流れるから喋らないで!」


 慌てて戻ってきた榎並さんが、俺の体を必死に押さえつける。


 うつむいた視線が、悲しげに揺れていた。


「なんで、私なんかを……。守らないでよ。勝手に、死なないでよ……」


 ずっと見え隠れしていた鋭さは消えて、年相応の表情だけが浮かんでいる。


 守るな。死ぬな。私の気も知らないで、か……。


 とりあえずは、命が助かってから考えようか。


「敵は、ひとり、か?」


「……わからないわ。でも最低2人はいると思う」


 それは悪い知らせだな。


 狙われているのは彼女で、俺を殺すことにもためらいはない。


 敵が複数人なら、こうして隠れている間に回り込まれる。


 逃げようにも俺は満足に動けず、彼女は意地でも俺を見捨てたりはしないだろう。


「わかった、だったら……」


「だから喋らないでって言ってるの!! お願いだから……」


 悲鳴のような彼女の声が、小さく聞こえていた。


「いちかばちか、――」


 敵に突撃をかけようか。


 そう提案しようとした矢先、



「2人とも無事なようだな。遅くなった」


 

 いつの間にか、宇堂先生が俺たちの側にたたずんでいた。



「先生……」


「っ!!」


 驚く俺を尻目に、パッと振り向いた榎並さんがナイフを振りかざす。


「やはりそういう反応か……」


 より一層表情を険しくさせた宇堂先生が、飛び込んでいく榎並さんの細い手首をつかみ取った。


 暴れるように振るわれた左手も、同じように手首を捕まえる。


「現状においては悪くない判断だ。だが安心しろ。俺はおまえらの担任だ」


「だからなに!? 担任だからって――」


「宇堂めぐみ。その父親でもある」


「っ!!!!」


 不意に、榎並さんの顔に驚きの表情が広がっていく。


 宇堂めぐみ……、聞き覚えのない名前だ。

 宇堂先生の、娘……??


「目的が同じとは言わないが、相反するとは思ってはいない」


「…………」


 状況が読めない俺を尻目に、榎並さんは暴れることをやめていた。


 握られていたほどかれて、彼女の手がだらりと下がる。


「先生、私のせいで彼が……」


「案ずるな。その程度でやられるような鍛え方はしていない」


 チラリと俺の姿を流し見た宇堂先生が、桜の幹に背を付ける。


 手の中に巨大なライフルを"発現"しながら、榎並さんと同じようにチラリと敵の様子をのぞき見る。


「…………逃げたか」


 銃口を地面へと下ろし、にらみつけるような視線を自分の手のひらへと向けていた。


 手の中から銃を消し去り、先生が俺の肩を抱き上げる。


「意識はあるか? 肩の痛みは?」


「な、なんとか……」


「そうか。遅くなってすまない。目を閉じて体内にある"力"を集めろ」


「わかり、ました」


 先生に言葉に従って、盾を取り出すときのように腹にある暖かさを肩に引っ張り上げる。


「今は静かに眠れ。詳しい話は目覚めてからだ」


 薄れ行く意識の中に、そんな声が聞こえていた。



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