第24話 楽しい呼び出し 2

「彼女は誰よりも努力している。クラスメイトに、いや、俺に大きく引き離された初日の実技以降、彼女は日が暮れるまでグラウンドを走り続けていた。限界まで走るのが1番の近道だという宇堂先生の言葉を信じてね」


 お昼休みや放課後はもちろん、早朝も彼女が走る姿を食堂から眺めていた。


 "力”を感知できない最後の1人になってからは、より長い時間を1人で走り続けていた。


「決してくじけない。前だけを見て走り続ける。努力をし続ける彼女は、誰よりも優秀ですよ。部屋でビールを飲んで幸せを感じていた俺より、はるかにね」


 ふー……、と大きく息を吐いて、俺は小さく肩をふるわせた。



「この際、優秀かどうかなんてどうでも良いでしょ。宇堂先生は背中を預けられる者とペアを組めと言ってました。俺が背中を預けたいと思うのは、彼女ですよ」


 コーヒーのカップに手を伸ばして優雅に口を付ける。


 湯気が上がる向こう側では、柳の瞳が苛立たしげに開かれていた。


 薄々感じてはいたが、俺の言葉は全く届いていないらしい。


 さて、どうするか……。


 軽く目を閉じて説得の材料を探していると、不意に背後から声がした。


「柳さん、生徒もこう言っているんです。成長するチャンスくらい与えてやって良いのではないですか?」


 ドアの前に立った橘さんが、優しい笑みを浮かべていた。


「チャンス、とは?」


「将吾くんと竜治くんでペアを組めば、トップは揺るがなくなるでしょう。彼らは上を見なくなる。もし最下位の結花くんと組ませれば、彼は上を目指して今よりも強くなるかもしれない。僕はそう思ういますよ」


「……それは、理事長としての言葉かな?」


「いやいや、ジジイの独り言ですね」


 口元を緩めて、橘さんがおどけてみせた。


 そんな橘さんと俺とを見比べて、柳が鋭い視線を浮かべている。


――そんな矢先、


「きゃっ……!!」


 不意に、ドアが大きく開いた。


 どうやら橘さんが開けたらしい。


 ドアの向こうにいた1人の女性――水谷さんが部屋の中に倒れ込んだ。


「痛たた……」


 腰をさする彼女に駆け寄り、手を伸ばす。


 目に大粒の涙を浮かべながら、彼女はどことなく恥ずかしそうに俺から視線をそらした。


「成川さん、私のこと、ちゃんと評価していてくれたんですね……。同情ですか、なんて聞いちゃって、ごめんなさい……」


 目を合わせる事のないまま、彼女が俺の手を握り返してくれる。


 もしかして、


「今の話し、聞いてたのか?」


「ぇっと、あの、うん。ごめんなさい」


「いや、謝らなくても良いが……」


 頬を軽く染めながら、水谷さんが視線をうつむかせる。


 思えば、必死に彼女の事を褒め続けていたと思う。

 それをすべて本人に聞かれていたらしい。


 何というか、……恥ずかしい。


「なるほど、キミが水谷結花か。盗み聞きとは、最下位らしい野蛮な行動だな」


 そんな俺たちを見下すような雰囲気で、柳が水谷さんを流し見ていた。


 好きとか、嫌い以前に、彼女に対する興味のなさがにじみ出ているように見える。


「キミは足かせだ。才能はない。邪魔なだけだ。わかっているな?」


「……はい、もちろんです。才能がないことは、誰よりもわかっています」


「だったら――「ですが」」


「頑張って、頑張り続けて、私は……、成川さんを超えて見せます!」


 涙を拭った彼女が、ただまっすぐに、前だけを見詰めていた。


 柳が額に手を当てて、苛立たしげに舌打ちをする。


「どいつもこいつも……」


 ソファーに寄りかかり、大きく息を吐き出した。


 橘さん、水谷さん、俺の順番で視線が動き、柳が口を開く。


「成川に対する特別支援。月10万円の最低保障は撤廃する。それでも良いのか?」


「もちろんです。俺だけが特別扱いなのもおかしいでしょ」


「…………」


 どうやら今のが最後の手段だったらしい。


 右手を震えるほどキツく握りしめて、柳が俺をにらみつける。


「1学期の期末テスト。それまで猶予をやる。俺を納得させるだけの成績を収めて見せろ、いいな?」


「思ったよりも優しい条件ですね。わかりました。見せ付けてあげますよ」


 口元で小さく微笑んで、水谷さんと一緒に校長室を後にした。

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