第9話 悪くない結果
――B゛r゛o゛a゛a゛a゛a゛a゛
化物の体は壁を向いたまま、首だけが振り返る。
さすがに左足1本だけでは、急な方向転換は出来ないらしい。
「……さてと、この幸運がいつまで続くかねぇ」
振り向いた先には、椅子のがれきをかき分けて進む若者たちの姿があった。
腰が抜けた者もいるようだが、動ける生徒が率先して肩を貸していた。
「年長者が逃げるのは最後。そうだよな?」
自分に言い聞かせるように問いかけてみる。
無論、化物からの返答など、あるはずもない。
「つれないねぇ」
両手を広げて、肩をすくめて見せる。
背後にいるクラスメイトたちにも見えるように。
「昔から鬼ごっこは得意でな」
挑発するように微笑んで、潰されたパイプ椅子を拾い上げる。
「椅子を投げても良いなんてルールは、今日がはじめてだけどな!」
ヤツの顔めがけて、投げつけてやった。
ーーB゛r゛o゛a゛a゛a゛a゛a゛
化物からつかず離れず。
隙を見て、パイプ椅子を投げつける。
クラスメイトが化物との距離を見定めながら、ひとり、またひとりと体育館を脱出して行った。
「……さてと、そろそろか」
残るは男子が3人、少女が2人。
男の方は出口付近で少女2人を励まし続けていた。
時折、化物を見上げる彼らの瞳には、恐怖と矜持が混じり合った色が浮かんで見える。
「鬼ごっこは俺の勝ちだな。優秀なクラスメイトだろ?」
少女2人はバラけた場所にいるものの、それぞれの進む先には、扉までのキレイな道が出来ていた。
ゆっくりとではあるが、着実に進んでいる。
ステージに乗った先生と榎並さんをチラリと流し見た後で、俺は校舎に続く通路に体を向けた。
「あとは、コイツが外に出ないことを祈るばかりか……」
もし廊下にまで付いて来るとしたら、何かしらの対策が必要になる。
一か八か、ビー玉に戻った瞬間を狙って捕まえるのもありだろう。
――そんな事を思っていた矢先、
「きゃっ……!!」
不意に誰かの小さな悲鳴が聞こえた。
振り向いた先に見えたのは、ペタンと倒れたひとりの少女。
大きなドクロのキーホルダーを付けた鞄を下敷きにして、ショートカットの少女が額を押さえていた。
どうやら転んだらしい。
足下は化物が歩く度に揺れ、彼女も恐怖に身がこわばっている。
流れ出す涙のせいで、視界も歪んでいるに違いない。倒れても仕方ないとは思う。
「ひゅっ……」
だが今だけは、仕方ないでは済まされない。
「嘘だろ……」
俺だけを見ていた化物が突然振り返る。化物の身体が少女に向く。
悲鳴につられたか、ただの気まぐれか。
そんな分析に意味などない。
「いや、こないで……ぃゃぁあああああああああ!!」
化物を見上げていた少女が、耳をふさいで目を閉じた。
それまでの傲慢な動きがウソだったかのように、化物が一直線に走り出す。
「くそっ!!」
何かを考えるよりも前に体が動く。
必死に走り、少女と化物の間に両手を広げて立ちふさがった。
目の前に迫るのは、ぬめりとした大きな舌と鋭い牙。
あのときと同じ光景が広がっていた。
背後から少女の悲鳴が聞こえる。
「オッサン!!」
はるか後方から、あのとき助けてくれたイケメンの声が聞こえていた。
彼のように華麗に助けられないのは歳のせいだろうか。
どうせ社畜のまま終わるはずだった体だ。
イケメンに救ってもらった命だ。
俺のことは良い。背後の可愛い少女は救いたい。
迫り来る化物に向けて、一歩だけ前に出る。
もう一歩だけ前に出る。
社畜時代とは違う、生きている実感があった。
「ゅぁっ……」
背後から悲鳴にならない声が漏れ聞こえる。
化物は俺を食ったあと、飲み込むために天井を見上げるだろう。
その間に外から戻ってきたイケメンが、彼女を連れ出してくれる。
下顎が腰へ、上顎が頭を、ぬるりとした舌が視界全体に広がっていた。
全身から力が抜ける。
なぜか両手だけが前を向く。
「だめーーーーーーっ!!!!」
――不意に俺の手が、光の粒に包まれた。
左腕が強い衝撃を受けて、全身が吹き飛ばされる。
「きゃっ!」
不意に、甘く柔らかなものを抱きしめて、俺の体が転がった。
感じたのは砂利の上を滑る痛みと、胸に抱いた少女の柔らかさ。太陽の光。
「なに、が……」
左手には全身を覆うほどの大きな盾があって、見上げた体育館の入口には、恨めしそうに俺を睨む化物の姿があった。
化物が光に包まれ、コロリとビー玉が落ちる。
「負傷者ゼロ。全員が脱出に成功。発動者は1名か。初回にしては悪くない結果だ、きっと良い絵が撮れただろう。良くやった」
姿を見せた宇堂先生が、ビー玉を拾い上げて優しい笑みを見せた。
「休憩をはさみ、13時より座学のテストを行う」
そう言い残して先生が去っていく。
俺の左手にあった巨大な盾は、いつの間にか消えていた。
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