第8話 入学祝いのテスト2
突然あんな化物が現れたんじゃ無理もないが、誰も意味のある行動は出来ていない。
クラスメイトたちは、ただ本能に従って後ずさるているだけだ。
このまま化物が再び動き出せば、大惨事は免れない。
「このまま逃げる……、なんて出来ないよな……」
口の中で小さくつぶやいて、俺は大きく息を吸い込んだ。
浮かびあがる自己保身を深呼吸で押さえつけて、現状を鑑みる。
「……ん?」
不意に、宇堂先生の姿が視界の端に映り込んだ。
先生は仁王立ちになりながら、ステージの上から俺たちを見続けている。
その隣では、不参加の榎波さんが、青白い表情で口元を抑えていた。
――瞬間、ある種の気付きが、俺の脳を駆け抜ける。
「不参加、か……」
先生と榎並さん、不参加であろう2人が同じ場所にいる。
つまりステージの上は、不参加でも良い場所なのだろう。
理屈なんて考えても意味はない。
相手は常識外の化物だ。
だが、
「……いや、あそこはダメだな」
ステージには、あの担任がいる。
化物に追われながら登ろうとして『ここはダメだ』と蹴落とされでもしたら、目も当てられない。
だとすれば……、
「逃げるぞ! ここから!!」
左右の通路を指さして、俺は精一杯の声を張り上げた。
「ヤツの体ならドアは通れない! 体育館から脱出するぞ!」
確証など何もない。
自信などもっとない。
外に逃げたところで、化物はビー玉に戻って追いかけてくるかも知れない。
そんな考えを心の奥に覆い隠して、俺は胸を張った。
子供たちの迷いを晴らして、走る手助けをするのが、年長者の役目だろ?
「助けられてばかりで悪いが、みんなを先導してもらえるか? 俺は全員を見届けてから行く」
「……おうよ!」
先ほど助けてくれたイケメンが、親指を立てて白い歯を見せてくれた。
両手を大きく広げて、彼は気負いのない笑みを見せる。
「よーし、逃げっぞ! ほら、立つんだよ! 食われるぞ!」
周囲に発破をかけながら、金髪のイケメンが先陣を切って走り出してくれた。
「そっ、そうね!
「ちょっとまって、ひとりにしないで」
イケメンの動きが呼び水となり、それぞれが化物から距離を取り始め、
「ひゃぅっ……!!」
恐怖に足を止める。
「由美!?」
クラスメイトたちが逃げ出すのを拒むかのように、化物の巨大な瞳が、進路をふさいでいた。
縦長の瞳が涙ぐむ女子生徒に向けられる。
「いっ、いや……、いや!!」
「さすがに大人しく行かせてはくれね、よなっ!!」
さぁ、地獄に行こうか。
そんな言葉を脳内に描いて、湧き上がる恐怖に蓋をする。
俺は、転がっていたパイプ椅子を拾い上げて、化物めがけて投げつけた。
鱗に覆われた皮膚にぶつかり、椅子がガチャンと音を立てる。
「こっち向けよ。おまえの相手は俺だぜ?」
長い尻尾が翻り、化物と視線が交じり合う。
「おらよ!」
開いたままのパイプ椅子をもう一度やつこの顔めがけて投げてやった。
化物の首が左右に振れる。
投げつけたパイプ椅子が、苛ただしげに弾かれた。
――B゛r゛o゛a゛a゛a゛a゛a゛
裂けた口が大きく開き、先ほどよりも数段低いうなり声が聞こえてくる。
「スーグラさんっ!!」
「俺のことは良い! 早く外へ!」
「っ……!」
息をのむクラスメイトを横目に見ながら、化物に背を向ける。
事前に確認していたとおり、視線の先に人の姿はない。
「ちょっと! 待って!!」
悲鳴に似た声を背中越しに聞きながら、俺は全速力で駆け出した。
恐怖に借られて、チラリと背後を流し見る。
化物は椅子を蹴散らしながら、俺だけを追いかけていた。
「いい子だ。そのままこっちに来い」
震える喉から無理やり声を絞り出す。
必死に駆け抜けて振り向くと、迫り来る化物の姿が、バスケットコート1枚分だけ遠くに見えた。
「……何とかなりそうだな」
距離は確実に開いている。
金髪のイケメンに助けられた時にも感じた事だが、この化物に速さはない。
「体ばかりがデカくて、攻撃は単調。確かに
長い尻尾が振り回されることもなく、硬い爪で引っ掻く事もない。
ただ鋭い牙を持つ口で噛みつくだけ。
驚きだけなら、スカウト時に見せられたスライムの方があったと思う。
「さてと……」
俺は、ふー……と大きく息を吐き出して、迫り来る化物の足に意識を向けた。
腸がえぐられそうな爪が、着実に迫っている。
「生物としての常識は持っていてくれよ?」
右足が床を離れた瞬間。
その一瞬を待ち構えて走り出す。
床に残った左足の外側へ。
一度は本気で死んだと思ったせいか、今は不思議と体が動いていた。
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