第5話 入学式を始めます

 反射的に胸ポケットに手を伸ばし、視線をサングラスで覆う。


 橘さんが目を細めて、満足そうになずいてくれた。


「入学おめでとう。僕は君たちとこうして会える日を心待ちにしていたよ。教員を代表してみんなを歓迎しよう」


 高い位置でマイクと向かい合った橘さんが、渋い声で俺たちに話しかける。


 ひとりひとりに問いかけるような、心地良い静かな声。


 小さなざわめきも消えて、誰しもが橘さんの声に耳を傾けていた。


「中学や前の職場を卒業して数ヶ月。新しい環境はどうかな? 楽しく学べそうかい?」


 いやぁ、美少女ばかりで幸せですよ。イケメンも多いけど。


 てか、前の職場を卒業、ってどう見ても俺だけですよね? 聞いてないんですが?


 なんて心の声に、壇上の橘さんが答えてくれるはずもない。


「さて、みんなの心の中には、将来こうなりたい、こうしたい、そんな思いがあると思う。


 ずっと遊んで暮らせる大金を手にしたい。


 自由で幸せな時間を過ごしたい。


 英雄を見上げる眼差しで見られたい。


 そういう欲望が詰まった大きな夢か、人を成長させると思わないかな?」


 ニッコリと微笑んで1度言葉を区切った橘さんが、俺たちひとりひとりに視線を向ける。


「小さな幸せ、大きな幸せ。目指すのならどっちがいいかな?


 キミたちなら、そのどちらも目指せるよ。

 この場所は、そういう場所だからね。


 この入学式だけでも、日本中の人々が君たちを特別な存在として見ているのを感じるかな?」


 橘さんが報道陣のいる後方に視線を向ける。


 赤いランプが灯るカメラが、横一列に並んでいる。


 その向こうにはきっと、無数の視聴者がいるのだろう。


「これが成功者の生活だ。一流の冒険者になれば、こんな幸せな生活が出来る。


 そんな希望に満ちた姿をキミたちには見せてあげてほしい。


 もしも目指す姿がないのなら、誰もがうらやむ英雄になりなさい。


 この学校ならそれが出来るのだから」


 優しく微笑む橘さんの中に、心に響く欲望が紛れて見えた。


 その言動に、不思議と気持ちが吸い寄せられる。


 周囲からも、生唾を飲む音が聞こえていた。


「英雄に必要なのは、美しい強さと自分だけの色だよ。


 まずは全員が、自分の見せ方をここで学んで欲しく思う。




 ……彼のように、ね」

 


 お茶目にウインクをして、橘さんはなぜか俺の方に視線を向けた。


 その視線にひかれるように、周囲の美少女やイケメン、報道のカメラまでもが、一斉に俺を見る。


「あの人って、やっぱり優待生だったんだ。私たちとは、なんだかオーラが違うもんね」


「確かになー。普通の人があんな格好で入学式に来るわけないもんなー」


「1台はずっと彼にマークしておきなさい! 必要になるかも知れないわ!」


 なんだか素敵な誤解が飛び交っている気がするが、俺にはどうすることも出来ない。


 動揺をサングラスで覆い隠して、俺は堂々と背筋を延ばし、胸を張り続けた。




 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★



 滞りなく、と言えば大きな語弊があるが、無事に入学時が終わってくれた。


 報道陣や来賓がいなくなり、ようやく肩の力を抜くことが出来る。


 周囲にいた同級生たちも、それぞれの担任に振り分けられて、体育館を去って行った。


 そうして最後に残された俺たち30人の前に、ひとりの男性がちかづいてくる。


「今日から君たちの担任になる 宇堂うどうだ。先生とでも、教官とでも好きに呼べ」


 歳は30歳くらいだろうか?


 短髪の黒髪に、切れ長の目。細いシルバーフレームのメガネ。


 ほどよく筋肉が付いているであろう体が、高級スーツに包まれていた。


 ただ、ネクタイの結びが少々甘く見える。


 それでもあまり違和感を感じないのは、やはり彼がイケメンだからだろう。


「長ければ3年間世話になるが、よろしく頼む」


「「「よろしくお願いします」」」


 俺と左隣の美少女以外が、声を揃えて頭を下げた。


 学生生活から遠ざかっていたせいで少し遅れたが、無言で頭だけは下げておく。


 チラリと隣の様子をうかがうと、美少女が胸の前で傲慢に腕を組み、足を組み、冷ややかな瞳で宇堂先生を見下ろしていた。


「違うわね……」


 その唇から言葉が漏れる。


 組んでいた脚を下ろして美少女が立ち上がった。


 結われたポニーテールが、俺の目の前で左右に揺れている。


 値踏みでもするような冷たい視線が、宇堂先生の肢体に突き刺さっていた。


「それで? アナタは強いのかしら? 担任といえど、私は弱い人間に教わる気はないわよ?」


「……は?」


 それは誰がもらした声だったのか。


 俺は思わず目を見開いて、彼女を見上げた。

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