9話
雨が降ってきた。そういえば今朝、読んだニュースでそんな予報が出ていたかもしれない。たかだか数時間前のことが、デルタには遠い過去のように思えた。
それは眼前の戦闘に対しても同じことが言えた。
ひとつフィルターを通して、ひどく冷静な自分が自分と敵性存在との闘いを、機械の冷徹さで見つめている。
久しぶりの戦闘機動――義体内のナノマシン群によって体内から緻密に調整、操作され、デルタの鋼の
「どういうつもりだ、チャーリー」
短距離無線通信。
同時に、強化外骨格がびたっと動きを止め、フルフェイスのバイザーがバシャッと跳ね上がる。
「どうもこうも」
そう言ってチャーリーは肩をすくめてみせる。
「見ればわかるだろう、デルタ君。戦っているのさ、きみとね。――ふうむ、驚かないところを見るに、すでに見当はついていたということか。さすがは〝救国の英雄〟殿だ」
「――軍の、上からの指示なのか、おれを処分しろという」
「それは違う。あくまで軍はきみに復帰してもらいたがっているよ。呼び出しがあったのも事実さ。これは、この闘いはとても個人的な企みなんだよ。言うなればチャーリー・ミッション、というやつだ」
チャーリーは言うが早いか、バシャッとバイザーを閉じると、一足でデルタの間合いに踏み込んできた。
「いや、ただの逆恨みかな」
応えるようにデルタが腰のマウントから逆袈裟に抜刀する――デルタの牽制。
激突の直前でチャーリーが視界から消える。デルタの眼前には宙に浮かぶ
爆発――の直前、デルタは返す刀で
ぽとり、と静かな音をたてて手榴弾だったものが足元に転がる。
ぱちぱちと乾いた拍手が響く。チャーリーが言った。
「今度はちゃんと守れるといいな」
はっとしてプロメを探す。
タタッと足元に正確な銃撃。
ドカン、と手榴弾だったものが爆発。
爆煙から脱出した先に、枯れた噴水。尖塔につかまるように制止。
瞬間、均等に設置された
残された退避場所は、真上。デルタは跳躍。足元で尖塔が爆撃を受けたように倒壊していく。
警告。デルタは往々にしてこのアラートが遅いことも知っている。
眼前にチャーリー。サイボーグ化した脚部が展開して、バーニアによる一時的な飛行能力を獲得している。戦争中よりチャーリーは脚部を活かした立体的な戦闘を得意としていた。
フルフェイスのバイザーにはデルタの顔がうつりこんでいる。それほどの近さ。にたりと笑ったように見えた。
頭突き。
衝撃に視界が揺れ、チャーリーともつれるように落下。
地面に着く直前、無理な体勢から刀をふり向く。
しかし、チャーリーに体幹を蹴りぬかれ、着地もままならず、刀はかすりもしない。
その間にチャーリーは悠々と離脱している。
「だらしないな、デルタ君。訓練をさぼっているからだぞ」
チャーリーはぬかりなくプロメに歩み寄り、髪をつかんで立たせる。
しかしプロメは足を破壊されている。短くなってしまった足が地面に着くか着かないかの位置でプロメは吊られ、顔を歪めている。
これみよがしにため息をつき、チャーリーは言葉を続ける。なにもかも、うんざりしたように。
「ふうむ。戦友には、手を出せないか。本気にはなれないか。それとも本気で相手をするまでもないと思っているのか。そのあたりどうなんだ、デルタ君」
体勢を立て直しながら、デルタはどうやってプロメを助け出すか、そのことを考えている。
「そうか、まだぼくとは戦わずにプロメ君を助けることだけ考えているな? ――そうか、わかった。じゃあ戦う理由を与えてあげよう」
バシャッとバイザーが上がり、雨が飛沫になって散る。チャーリーがわざわざ肉声を使う。
「きみの故郷の話だ」
デルタの故郷。妻と娘の死んだ土地。死の灰が降り注ぐ、立ち入り禁止区域。
「終戦直前にきみの故郷を消し去った核攻撃、あれは報復攻撃なのさ。軍の上層部はきみのメンタルを慮って伏せるよう尽力したようだがね。憶えているかな、最後の潜入任務、残ったタカ派将校たちを一網打尽に殺す作戦」
デルタは機械の冷徹さで状況把握に努める。
意識を過去に、失われた故郷に向ければ、妻と娘がやってくる。やってきてしまう。会いたくて会いたくて自分自身がそこに行ければどれだけよかったかと何度も考えた。
しかし、いま出てきてもらうのは、まずい。
「あの作戦で実はぼく、ひとり、取りこぼしたんだ。わざと殺りそこなった。そいつが報復を指示したみたいなんだ」
「なぜだ、なぜそんなことを?」
「ふうむ、わからない? 〝救国の英雄〟殿にはやっぱりわからないのかな。いやそんなことはないはずだよ。デルタ君もわかっているはずだ。まだ戦争に終わってもらっては困るからさ」
「困る?」
「そうさ、ぼくたちはどこまでいっても戦闘マシンなんだ。戦場でしか自分たちの価値を証明することができない。その場所がなくなってしまうと、困るんだ。だから、デルタ君、きみには踏み台になってもらう。戦争を終わらせたきみを、新たな戦争の火種とする。
療養中の〝救国の英雄〟が他国籍の特殊部隊に暗殺される。そうなれば世論は黙ってはいない。デルタ君、きみの死を多くの人が悼んでくれるはずさ。きみを積んだ霊柩車が通る沿道は国旗でうめつくされるだろうね。すばらしいことだ。――あ、追悼スピーチにはもちろんきみの妻と娘の話も盛り込むよ、忘れずにね。どうかな、きっと涙なしには聞けないと思うなぁ。
そして、きみの仇を討つために、ぼくは軍を動かそう。戦災復興なんかよりも、きっと有意義なことだよ。戦えなくなったきみや傷痍軍人の面倒を見るのはもう、うんざりなんだ。デルタ君、戦えなくなったきみを最後まで役立つ存在にするには、これしかないんだ。もうこれしか残ってないんだ。きみの死は決して無駄にしない――」
わかってほしい、とチャーリーは全身で訴えかけてきた。
「そんなあなたの理屈で! デルタ様が従う理由なんかどこにもない」
チャーリーに囚われたまま、プロメが叫んだ。危険な行為だった。人質は犯人を刺激してはならない――鉄則だった。
「わかった」とデルタは言う。
「デルタ様!」
にんまりとチャーリーは笑った。
「その代わり、その娘は助けてやってくれ」
デルタは忘れていた。なにかを失うことなどもうないと思っていた。なのに、デルタはいま失うことに恐怖を感じている。恐怖を思い出した。
「ふうむ?」
強く髪を引っぱられ、プロメは苦痛に身を捩る。
「これか? この壊れかけの
チャーリーの問いかけは決して同意を求めたものではなかった。どこまでも自分のなかで完結した、ひとり語りだった。
こんな喋り方をするやつだったか――デルタの知るチャーリーは、もっとタフでしたたかな男だったはずだ。チャーリーは存在しない
「デルタ様……」
プロメは顔をくしゃくしゃにして、いまにも泣き出しそうだった。あいかわらず感情表現が豊かだな、と場違いな思いが湧いてくる。自分に表情が残されていればきっと苦笑していた。
「ほら」
そう言ってチャーリーは強化外骨格の力に任せ、プロメを放ってよこす。
素早く納刀して、デルタは片手でプロメを抱き止める。
デルタは気がつく。
嫌な既視感だった。
プロメの躯体に、筒状の爆弾がいくつも括りつけられている。タイマーのデジタル表記の数字は減り続けている。
「チャーリーッ! 貴様ッ!」
どかん――鈍い衝撃。
プロメにくくりつけられている爆弾。そのひとつが、デジタル数字がまだ残っているにも関わらず爆発した。火薬の量が計算された、思いのほか小規模な爆発。しかし、アンドロイドの躯体を破壊するには充分すぎる爆発。
デルタはプロメを抱えたまま、決して離さず、爆炎の中から飛び出す。
跳躍――チャーリーを飛び越え、屋敷の壁に埋まるように激突し、動きを止める。
周囲の音が聞こえなくなった。眼前の事実をデルタは信じたくなかった。どう観測しても――しかし、腕の中のプロメはそれでも健気に笑っていた。制服が破れ、右半身――脇腹から太ももにかけてごっそりと失われ内部機構が完全に露出していた。ひと目で致命とわかる損傷だった。デルタがメガネとともに与えた錠剤に含まれ、プロメの視覚系を内部から補助していたナノマシン群が、宿主の異変を察知し、応急的な修復作業のために、傷口周辺に集まり始めている。デルタはすぐに己の
そっと、プロメの小さな手がデルタを押しとどめた。
「いいんです、デルタ様」
「なにを」
なにもかも悟ったようにプロメは微笑んでいる。デルタはなにも言えなくなってしまう。いつもそうだ。肝心なことはなにひとつ言えず、伝えられず、後からそのことを悔いてばかりだ。
「メガネ、いただけたことうれしかったです。ありがとうございました」
そう言ってプロメは繋いだ手を通して己の躯体内のナノマシン群をデルタに返した。それらがもう自分には役に立たないことがわかっているのだ。
「デルタ様にはいただいてばっかりで。ほんとうはもっと私がデルタ様になにかあげられたら、よかったんですけれど」
残念です、とそう言って微笑んだまま、プロメはその全機能を停止した。
哄笑が響く。チャーリーが笑っている。
デルタは思い出す。血が逆流するという感覚を。
――We have.
ばきばき、という音がして気がつくと、失った左腕が再構築されている。
屋敷の壁に腕を突っ込むようにして、建材を取り込んでいる。暴走状態にあるナノマシン群のせいであると、かろうじて残った思考がそう認識している。鉄の意志、鋼の
チャーリー。チャーリー・フォー。同じ暗殺部隊の戦友だった男。いまは支離滅裂な動機でおれと闘おうとする、さみしい男。戦争はすべての人間を変えてしまう。タフに見えたチャーリーも例外ではなかった。
しかしデルタに同情はなかった。
顔の見えない妻と娘に手を引かれ、時間が間延びした世界を泳ぐように突き進む。
銃撃も、罠も、爆発も、妻と娘が教えてくれた。ふたりについて歩くだけでよかった。デルタは彼女たちを、妻と娘を恐れたことを恥じた。最初から彼女たちはデルタのために、現れていたのだ。そのことが今になってようやくわかった。デルタのすぐにでも壊れてしまいそうな、なけなしの精神を支える最後の砦――デルタが自死することを防ぐため、鋼の
永遠にも感じる世界を泳ぎ切り、デルタはチャーリーに肉薄する。
「はは、そうだ、それを待っていた!」
お互いの息がかかる距離で、時間が静止する。落下する雨滴すら止まって見える数瞬後、ふりかかる雨滴をその場に残して、ふたりは激突した。
チャーリーの
その瞬間、装甲の一部が文字通り弾け飛ぶ。連鎖的に装甲が弾け、砕けた装甲が意思を持ったようにデルタに襲いかかる――リアクティブ・アーマー。
デルタは怯むことなく手首を返して斬り下ろす――次々に破片が襲いかかり、
躰は直せばいい。すぐにでも直せる。妻と娘がそばにいてくれる。
刀に強い手応え――最初からそう決まっていたかのように刀をチャーリーの左肩から右脇腹へとすべらしていく。素振りと同じ挙動。機械の正確さ。一太刀目の軌道を逆に辿る。装甲はもう残っていない。
顔に飛沫がかかる。色はない。ただ雨でないことはわかる。温かさすら感じる。
刀はチャーリーの
着地と同時に納刀し、三の太刀の構え――低い姿勢。止めの抜き打ち。
オオオオ――太い、機械の咆哮。自分の声だと気がつく頃には、デルタは一歩目を踏み出している。
二歩目――妻と娘に祝福された道。
三歩目――炎の、燃えさかる街がそびえ立つ。
四歩目――プロメが両手を広げて、立っている。
デルタは鞘走りを無理やり抑え込み、踏みとどまる。
プロメの幻が笑って、かき消える。
かつん、とつま先にあたる。プロメが横たわっている。
バシャッとフルフェイスのバイザーがあがり、チャーリーが素顔をさらす。
「なんだ、もう終わり――」
チャーリーが血を吐いた。言葉を、最後まで続けられなかった。
「そうだ。もうこれ以上は意味がない。しかし、治療を受ければ助かる」
はは、とどこか清々しい表情で笑い、チャーリーは血まみれの唇を動かす。
「なんだそれ。本気でそんな風に思っているのか? 冗談だろ? ――ふうむ、なんだ、ほんとうに変わってしまったのか、君は」
あふれ続ける血に逆らい、チャーリーは喋り続ける。
バシャッと強化外骨格がパージされ、チャーリーのインナースーツにつつまれた
「でもやっぱりこういう闘いが楽しいだろう?」
デルタは首をふる。
「ふうむ、そうか。ま、これが最後の人殺し(ウェットワークス)になるといいな。じゃあ……先に逝くよ」
見せつけるように手にはトリガーがあり、チャーリーはボタンを押した。
デルタが止める間もなかった。
またたく間にチャーリーの
まばゆい閃光と爆発。
デルタは跳び退き、プロメを抱きかかえる。屋敷の壁を垂直に駆け上り、屋根を蹴り、反対側に降り立つ。
同時に衝撃が、屋敷をびりびりと揺らす。壁や窓ガラスが砕け、融解し、吹き飛ぶ。聞き慣れた戦場の交響曲が鳴り響く。瓦礫がデルタに降り注ぐ。
曲に新たな旋律が加わる。静音性を高めた、それでもデルタには聴きわけることができる、ローター音だ。すぐそばまで近づいている。軍の音響迷彩が施された攻撃ヘリだ。
強い風――爆風とは逆の方向から吹いてくる。正面から光がデルタを射抜いた。ヘリの
おだやかな表情で、プロメは眠っているようにしか見えない。
デルタはナノマシン群を最大出力で生成する。反動で左腕を無理やり支えていたナノマシン群が寿命を迎え、自壊する。右手だけでプロメを抱え直す。
放出したナノマシン群がプロメの傷口より躯体内に侵入し、
「デルタ様……?」
「プロメ、気がついたか」
プロメは微笑んだ。
「あは、初めて名前を呼んでくださいましたね」
「そうか」
「そうですよ」
「……大丈夫か?」
プロメはなにもかも悟ったような、慈悲深い表情でうなずいた。
「私の
「そういう意味ではない!」
「わかっています。でもいいんです」
「なにがいいんだ、なにもよくない。プロメ……おれはようやく、」
プロメはよろよろと伸ばした手で、デルタの口をふさぐ。
「いいんです。私はここでの仕事が終わったら、うまくいってもいかなくても、廃棄処分される予定だったんです。だから気にしないでください。それに、もう大丈夫ですよ、デルタ様」
嘘だと、デルタにはわかった。そんな話は聞いたこともなかった。プロメにそんな嘘をつかせる自分が、たまらなく情けなかった。
それでも、デルタは伝えなければならなかった。
「なにが大丈夫なものか。頼む、プロメ、どうかおれをひとりにしないでくれ……」
しょうがない人ですね、とプロメは微笑む。
次の瞬間、くたりと手が落ちてナノマシン群が死滅したことを、デルタは悟る。
祈りは――なにに対する祈りなのかもうわからなかった――届きはしない。
デルタはプロメを抱え、立ちあがり、歩き出す。
ならば、とデルタは思う。自分にできることをなすべきだ。プロメにもらったものを無駄にすることなど、できなかった。
雨はいまだ降り続け、デルタの
失われた機能を代替するかのように、デルタは顔から流れ落ちる雨滴をぬぐわない。確たる足取りで、包囲をせばめつつある人影に向かって歩き続けた。
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