8話

 再起動――プロメは目をさます。体内時計のタイムスタンプによれば意識を失っていたのは三十分ほど。覚醒要因は――外部からの復帰信号の受信。

 外部?

 プロメは状況把握に四苦八苦する。視覚は回復しているはずなのに、暗いままだ。発声もできない。身動きがとれない。拘束されている。躯体をひねると転倒して、座っていたことにようやく気がつく。

 顔を打ち、衝撃に慄く。躯体の奥から得体の知れない感情がわきあがり、プロメは悲鳴をあげる。

 ストレスが閾値を超え、危機状況における感情抑制サスペンド――一瞬で感情ノイズが除去され思考がクリアになる。

 ぐいと顔を持ち上げられる。感情抑制のおかげで、不随意な動きに対しても動揺はなかった。

 目隠しがとれ、視界が開ける。

 男がいる。黒いフルフェイスのヘルメットをかぶった男。光度調整の誤差なく、背景に枯れたままの噴水が見え、屋敷の前庭にいることを理解する。

 プロメは黙っている。猿ぐつわはそのままだ。

 男は強化外骨格エグゾスケルトンに包まれた手をプロメの頭の後ろに回し、猿ぐつわも外す。喋る気があるということだ。あるいはなにかを喋らせるためか。

 外部との通信は――遮断されている。屋敷との家内ローカルネットワークとも接続できなかった。

 あごをつかまれ、目線を無理やり合わせられる。ヘルメットのバイザー部に、自分の無機質な瞳が映っている。

「ふうむ、興味深い。もうちょっと泣くなり叫ぶなりするのかと思ったが、意外に落ち着いている」

「どちら様ですか?」

「おお、物怖じもしない。――ははぁ、もしかして感情抑制サスペンドか。プロメテウス級の非人間アンチに実装されている機能だと聞いたことがあるな。ふうむ、わざわざ抑制するのなら、最初から感情など実装しなければいいものを」

 プロメは押し黙り、じっと目の前の相手を見つめる。見続ける。

「なんだ、その目は?」

 乱暴に顔を引き上げられ、視線を固定される。

 バシャッとヘルメットのバイザーが開き、男の顔が露出する。

 疲れきった男の顔。目の下の濃いくま。ギリシャ風の彫りの深い顔に刻まれた、凶相。

 チャーリーという名の男だった。

 目を瞠ると、チャーリーは笑いを深くした。

「お、なんだなんだ」

 うれしそうにチャーリーは顔を歪める。それが彼なりの笑顔なのだと、プロメは気がついた。

「やはり、アンドロイドだな。そうだ、そういう顔が見たかった」

「どうしてこんなことを?」

「すぐにそれを聞くか。ふうむ、非人間アンチはやはり情緒を介さないのか?」

「人でも、同じように訊くのでは?」

「口の減らないやつだ」

 顔から手を離され、バランスを崩してプロメは頭から転倒する。

 バシャッとバイザーが閉まり、チャーリーは顔を隠す。立ち上がり、あらぬ方向に視線をやる。プロメはその方向を見やる。

「デルタ様!」

 デルタを見て安心したのか、感情抑制が外れた。駆け寄ろうとして、自分が拘束されていることを思い出し、這いずることでどうにか近づこうとする。

 その時になってようやく躯体に細長いパイプがいくつもくくりつけられていることがわかった。

「おいおい、無理やりだな」

 そう言ってチャーリーは何気なく足を、プロメにふり下ろした。機械化された脚部による打撃は、強化外骨格によってさらに増幅されている。薄氷を踏んだように、右足の関節部があっさり砕け、プロメの視界には赤いアラートポップが乱舞する。

「気をつけることだ、プロメ君。きみには特別製の爆弾を巻いている。まだ、爆発されては困る」

 声がでなかった。街で見た嫌な記憶がよみがえりそうになり、感情抑制が再起動しようとする。

 しかしプロメは必死にそれを抑えた。無理やり抑えこむ。感情抑制によって助けられることもある。でもプロメは嫌いだった。それによって失われるものが多いことを知っていた。特にいまのような状況では――。

 デルタがゆっくりと近づいてくる。どこかふらふらとした足取りだ。それもそのはずだ。左腕から先がなくなり、機械の中身がむき出しになっている。バランスがうまく取れていないのだ。

 ぽろぽろと涙がこぼれた。自分が泣いて、なんの役に立つというのか。

 プロメは顔をあげ、デルタを見る。

 意味はある。きっとある。

 デルタはもう、感情に任せて泣くことはできないのだから。

「どうしてこんなことを……?」

「ふうむ。別にきみだけにやっているわけではないんだがな。足が痛くなった時は非人間アンチをこうやると」

 そう言ってチャーリーはプロメの左足を強く踏みつけ、破壊した。

 衝撃にプロメの全身が痙攣する。

 デルタがこちらに気がついたのか、目に見えて歩く速度が変わった。

「痛みがすっと楽になるんだ。きみたち非人間が苦しんでいる姿というのは、中身のない、空っぽの、虚無の象徴だろう? そんなきみたちを壊していると、ひるがえってなんだか自分に実感が持てるようになるんだ。不思議とね」

「じゃあアンドロイドの爆破事件は、チャーリー様が?」

「そうだね。というかきみはまだ『チャーリー様』と呼んでくれるのか」

 ふうむ、とチャーリーは急速に近づいてくるデルタを眺め、言葉を続ける。

「この足は非人間の自爆攻撃で失った。その個人的な報復もある。だが、本当は、無抵抗の非人間を一方的に破壊したところで少しもおもしろくはない。ぼくたちはなんだかんだ言って、戦争状態の中で存分に力を発揮する、戦うことでしか自分たちの価値を認めることができない、そういう人間だからね。デルタくんだってそうだ。彼だけ足抜けすることなんてできないんだよ――ぼくたちの戦争はまだ、ぜんぜん、これっぽっちも終わってなんかいないんだ。それなのに――なにが戦災復興だ。くそくだらない仕事を押しつけやがって」

「それは違います」

 チャーリーの視線が突き刺さる。

「ふうむ?」

「デルタ様は人間です。ただ役割をまっとうするだけの機械とは違います。あなただってそうです。そうやって自分をラベリングして強がっているところなんかデルタ様とそっくりです。でも――デルタ様のほうがいくらも素直です。デルタ様は非人間わたしと違って細やかな日常に感動することだってできる。感情が確かにある」

「ぼくが、非人間の言葉をまじめに受け取るように見えるか? ま、なんにせよ、それを決めるのはデルタくんだ。にしてもおーおー、必死こいてまぁ」

 フルフェイスのヘルメットを通してもチャーリーが笑っていることがわかった。とてもうれしそうな笑いだった。

 チャーリーがデルタに駆け寄る――いや、それは激突に等しかった。

 どかん、と衝撃の余波がプロメは吹き飛ばす。ごろろごろと転がって玄関の扉にぶつかる。

 気がつくと躯体の拘束が解けていた。

 腕を使って顔をあげる。

 すでに闘いは始まっているようだった。プロメには見えなかった。プロメの認知限界速度を超えた戦闘だった。

 軍事サイボーグ同士の戦闘――それは確かに人ならざるものの闘いだった。

 それでも、と一縷の望みをかけて、予備のメガネを取り出そうとした時、胸元のパイプ爆弾のタイマーが減り始めていることに、プロメは気がついた。

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