2話
屋敷の執務室。チャーリーは疲れたように長身の背を丸め、喋っている。
「デルタ君、きみは変わってしまった。いや、その理由は十二分にわかっているつもりだ。だが、上からの意向で、このままきみを遊ばせておくことがむつかしくなってきている。そのことはわかってほしい。きみは〝救国の英雄〟なんだ。軍に、とは言えないが、せめて戦災復興委員会に所属することだけでもいい、考えておいてもらえないか」
チャーリーは暗い口調で続けて言い、部屋から出て行った。
「私の楽しい休暇も今日でついにおしまいだ。委員会のお偉方から呼び出しがかかってね。きみの状況を直接報告しろ、と来た。今日の最終便で出れば間にあう。プロメ君によろしく伝えてくれ」
椅子に深く沈み込む。紙状のデータ端末を開き、一瞬だけ目を通すと机の上に投げ出した。
娘がデルタの背後から机をまわり、歓声をあげて走りぬける。デルタの右肩に妻が手を置き、そんな娘を見て微笑んでいる。
しかしふたりとも顔は見えない。どんな表情をしているのかデルタにはわからない。
もちろん、幻影だ。妻と娘はこの部屋にはいない。
外界の情報に興味を持つと、いつからか妻と娘が現れるようになった。チャーリーに言われたからではない。ただ自分の元部下たちがどんな活動をしているのか、把握しておきたかっただけだ。現在、彼の端末に配信されているニュースは非常に偏った内容を示している。軍閥、紛争調停、武装解除、動員解除、難民受け入れ――そういう殺伐としたキーワードが家内ネットワークの検索エージェントに登録されている。もちろん、それらのキーワードが頻出するようになったのは、チャーリーが屋敷にやって来てからだ。
彼が屋敷に滞在するようになってからすでに二ヶ月が経とうとしていた。ふだんチャーリーは屋敷にいることのほうが珍しく、休暇とはいえ雑事をこなすためなのかよく市街まで外出していた。いつもは深い疲弊がこびりついたような表情をしているチャーリーも、この休暇のおかげなのか、だんだんと快復してきているようだった。戦争中、デルタの部隊で辣腕を奮っていたころと違わない、輝かしい顔色を取り戻しつつある。よほど、いまの仕事はチャーリーと相性がよくないのだろう、とそこまで考え、デルタは気がつく。他人のことなど気にしていなかったというに、これはどういうことだ、とデルタは苦笑する。
「デルタ様?」
プロメが不思議そうにデルタをのぞき込んでいる。
この少女型のアンドロイドの突飛さにも慣れてきたように思う。
「すみません、デルタ様。お返事がなかったので、勝手に失礼しました。チャーリー様、どうかさなったのですか? なんだか暗い表情でした。どこかに出かけられるようでしたが」
プロメは人の感情に敏感だ。そういう個性が設定されている、にしては少々過敏であるように思える。経験からの発達であるならば、あまりいい顧客に恵まれてこなかったのだろう。プロメの経歴についてはひと通りのことは確認していたが、やはり視覚系の不具合が災いしてか
(――でなければすでに三体も辞めさせた私のところになど、派遣されないだろう)
「問題ない」
ぶー、とプロメはふくれてみせる。親しくなるにつれ、感情表出がより豊かになった。
「またそうやって隠される」
「そういうわけではない。ただ、本当に大したことではないのだ」
この屋敷にいつまでもいることはできないだろう。ただそのことをいまプロメに伝えても、いたずらに不安を煽るだけだ。――そうだ、これは休暇なのだ、とデルタは気がついた。
「デルタ様?」
「なんだ?」
「いえ、なんだか心ここにあらずみたいだったので」
呼んでみただけです、とプロメ。
「あ、いえ、お話が――お願いがあります」
本当にころころと表情が変わる。おもしろいやつだ、とデルタは思う。
「昨日、友人に夕食に招かれました。デルタ様もぜひと」
「友人?」
「はい」
「おまえに?」
「はい――ってそんなに不思議ですか」
「ああ」
「ひどい」
「いや、すまない。そういう意味ではないんだ」
「わかってますよ」
「なんだ、そうか」
「私もこちらに勤め始めてもう二ヶ月になります。友達の一体や二体できますよ」
制服の腰に手を当て、プロメは誇らしげに躯体をそらす。薄い胸を飾るリボンが揺れた。
「それに私たちはなるべく近くの
「ふむ、するとおまえの後継機になるのか。確かおまえは一番機だったろう」
ぐ、とプロメが言葉につまる。
「そうですよ、
「どうした、今日はやけにつっかかるな」
「デルタ様が隠しごとをされるからです」
真剣な眼差しがデルタを射抜く。しかしそれに安易に応えてしまえば余計に心配させてしまうことになる。
「すまない。いずれまた、話す」
「……わかりました。では、お招きの件はどうされますか。私としてはデルタ様にも来ていただければ、うれしいです。私の後継機で、若い友人でもある涙々のご主人には、一度助けていただいたこともありますので」
「そうなのか」
「はい。ってデルタ様、覚えてらっしゃらないのですか」
「誰か、わからないからな」
「あ、すみません、そうでしたね」
よほどチャーリーとの会話が気になっていたようだ。
えへへすみませんでした、とプロメの告げた名前に、覚えはなかった。
「でも、デルタ様のことをよくご存知のようでしたよ。なんでもその方も国防軍にいらっしゃったようです」
一瞬、思考が停止する。
警戒に値する。なぜならデルタの所属していた部隊はFF、つまり表向きは存在しないことになっている
「わかった、会おう」
「え、いいんですか?」
「なにかまずいのか?」
「いえ、承諾されるとは思っていなかったので……、ありがとうございます!」
では連絡しておきますね、とプロメはぱたぱたと足音をたて、執務室から出て行く。去り際、頭だけ覗かせ、言う。
「本当にありがとうございます、デルタ様。では後ほど」
デルタは心中でため息をつく。うまくプロメに操られている――そう思わないでもなかった。ただそんな変化を心地よく思っている自分もいる。デルタは時間がくるまで、その懐かしい感覚にまどろむことに決めた。
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