第2部 彼らの闘い

1話

 駅前。商店が軒を連ねる繁華街の一角。

 二頭立ての無頭四足馬ウォードッグに牽かれた貨車やモーター駆動のバイクが行き来している。

 舗装の甘い路面からは常にほこりがたち、従業員が定期的に軒先に現れては水を巻き、隣同士で立ち話が行われている。

 話題の中心はもっぱら最近頻発している爆破事件についてだ。狙われるのは市庁舎でも軍関連施設でもなく、アンドロイドだった。そのせいか、今日は雑踏のなかに組合オーナーズ所属の投影現実タグを見かけることはなかった。

 プロメは雑貨屋のまえで腕を組み、うなっている。

 ショーウィンドウには子どものおもちゃに混じって、猫用のおもちゃがひとつだけ並んでいた。いまは壊れたはたきで代用していた。そう、アンクと名づけた黒猫を飼うことは、デルタに許されていた。手持ちのお金で買えないことはなかった。ただこういう場合は屋敷の家計なのか、自分の資産から払うべきなのか――うんうんと悩む。背中のコンテナバッグのなかには今日購入した生活必需品が満載されている。

「あ!」

 声が聞こえた当時に、プロメは横殴りの衝撃に体勢を崩した。

「姉さま!」

涙々るいるい! もう、危ないよ」

 言葉とは裏腹にプロメは笑っている。

 えへへ、と涙々も腰に抱きついたまま笑っている。

 涙々はプロメと同じ組合の制服を着ていた。同じように背中にはコンテナバッグを背負っている。じゃれつくたびにブルネットの三つ編みが跳ねた。涙々は、チャペック研謹製のプロメテウス級アンドロイド八番機だ。プロメやほかの姉妹のデータが反映フィードバックされた後期量産型と呼ばれる、最新鋭にして、まだ若い機体だった。

「あ、なんですかそれ! そのメガネ、かわいい!」

 それゆえ感情表出はまだ子どもっぽい印象が強くなっている。

「デルタ様にもらったの」

 プロメは照れる。すぐに不思議な感情につつまれる。あたたかい感情が躯体の内側からあふれてきた。いままでも雇い主からもプレゼントをもらったことはあった。ただこんな感情を得たことはなかった。それはとてもよろこばしいことだった。自分のなかにこんな感情があることを知れたのだから。

「あ、そうだ」

 プロメは背中のコンテナバッグから缶詰をふたつほど取り出す。ラベルにはクラムチャウダーの文字。

「いっぱいおまけしてもらったんだけど、こんなには食べきれないから。涙々、もらってくれる?」

「わー、ありがとうございます! じゃあ私は、」

 涙々も背中のコンテナバッグから缶詰を取り出す。ラベルには鶏肉の春野菜添えの文字。

「これと交換しましょう」

「ふふ、あそこの店長さん、ほんと私たちアンドロイドにやさしいよね」

「んー、というか姉さま。あの店長さんは若い女の子がお好きなのですよ。あとは組合オーナーズにいい顔をしておきたい、とか?」

「えー、そうなの? なんだか人間的!」

「そうなんですよ~、人間的なんですよ~」

 その時だった。組合のネットワークに警告のアラートが流れ込む。

 同時に、プロメと涙々は躯体を震わせ、眼前に浮かぶ投影現実オーバーレイの情報が更新されていくのを見続ける。

 位置情報に基づく通知。この近くで、つまりこの街で組合に所属するアンドロイドへの暴力行為が行われている。すぐ近くだ。

 涙々が駆け出す。プロメも慌てて後を追う。メガネの補正効果で運動に支障はなくなった。それでもいまだに咄嗟に躯体を動かすことに躊躇がある。一歩目がどうしても遅くなる。

 二ブロック先の角を南に折れ、そのまま走り続ける。少し街中を離れると急に人通りが減り、空き店舗が目立つ。まだ街に見合った人口が回復していないのだ。

「姉さま、早く!」

 涙々が急かす。さすがは後期量産型、八番機ともなれば単純に駆動系だけでもかなりの改良が施されている。うらやましくなんかない。妹に嫉妬してもしょうがない。

 なんとか追いつく。

 すでに投影現実オーバーレイで警戒線が引かれ、官憲が到着していた。野次馬も集まり始め、人だかりができている。プロメと涙々は遠巻きに見守ることにした。

 すぐに軍の大型車輌がやってきた。後部ハッチから対爆スーツを着込んだ、もこもこした人影がふたり降りてきて、官憲に連れられ、路地の奥に消えていった。

「姉さま、あれはきっと爆弾処理班というやつですよ」

 ぴょんぴょんと野次馬のあいだから飛び跳ねながら、涙々が器用に言った。

 ――爆弾テロなのだろうか。プロメは視界の隅に表示したままだった組合のネットワークに焦点を合わせる。簡易な文字情報は更新され続けていた。官憲や軍からの情報共有だけではなく、当のアンドロイドからも情報が書き込まれている。

 スケルトン級アンドロイド、脚部の甚大な損傷のため自力歩行が不能(最初の暴力行為はこれを受けて)、目視できる状態で躯体の下にパイプ状の爆弾がひとつ、身動きが取れないため、近隣の軍基地より爆弾処理班が出動、犯人は不明、アンドロイドの記録および監視カメラの精査の必要(しかし繁華街より離れている区画のためカメラがほとんど存在せず期待できない)、爆弾処理班の到着と作業開始――。

 プロメは自分にはなにもできないことを理解する。涙々と顔を見合わせる。さきほどまでの楽しい気持ちは霧散していた。

 このままここにいても仕方がなかった。それでもプロメも涙々も、すぐに離れることはできなかった。スケルトン級の心細さを思って、プロメは胸が痛んだ。

「あ、姉さま、見てください!」

 対爆スーツを着込んだ爆弾処理班が戻ってくる。同時に官憲たちが怒号まじりに野次馬に命令し始め、警戒線が拡がりだす。プロメたちも野次馬に押されるように後退する。

「どうしたんでしょう」

「爆弾、外せたのかな」

「でも、だったらスケルトン級の彼だって運ばれてくるんじゃあ」

 その通りだった。結局、プロメたちは野次馬と一緒に一ブロックほど後退し、その間も官憲からは特に説明はなかった。それが野次馬の期待を煽ったのか、なかなか人は減ろうとしなかった。ざわざわした喧騒のなか、プロメと涙々ははぐれないように手をつなぐ。

 そして状況は急転する。まず組合のネットワークに書き込みがあった。

 爆破処理。

 次の瞬間には建物の向こうから爆音が響き、地面が揺れる。野次馬からどよめきがあがり、プロメと涙々は驚いて、抱きあう格好になってお互いを支えた。

 びりびりと古いビルが揺れ、窓ガラスがいくつか割れて落下し、野次馬のなかから悲鳴があがった。

 逃げ出す野次馬に押しつぶされないように、プロメと涙々は人の流れに逆らわない。どんどん現場から離れていく。

 爆破処理――スケルトン級の雇い主がそう判断した。爆弾の設定が巧妙で解除そのものが難しいこと、場所柄から人的被害は発生しそうもないこと、労働資源リソースとしてバックアップが存在する再生可能なアンドロイドであること、そういった要素から雇い主が爆破処理を選択した。

 プロメは人混みに押し流されながら、悲しくなって涙々の手を強く握った。

 雇い主の判断が理解できなかった。なにがそうさせたのか、プロメにはわからなかった。わからないことは怖かった。もしかしたらデルタもそう判断するかもしれない、と考えることそのものが嫌だった。

「涙々、私、怖い……」

「そうですね、私達も気をつけないと」

「え……あ、そうじゃなくて」

 どういう意味ですか、と涙々が不思議そうに首をかしげる。プロメはそこにうつくしいものを見た。それはおそらくもっとも素朴なかたちでの愛の発露だ。涙々はなにも疑っていない。

「あ、もしかして雇い主の判断のことですか?」

 ネットワークの記述に気づいた涙々に、プロメはうなずいてみせる。涙々には、デルタのことを話していた。ただこの怖さは、なにも彼に限った話ではなかった。

 うーむ、と涙々は腕を組む。

「――わかりました」

 涙々がおごそかに告げた。

「デルタ様を、私のご主人のおうちにご招待します」

「え?」

「よろしくお願いしますね、姉さま」

 ずっと謝りたいことがあるって言われてたし、と涙々はにっこり笑うのだった。

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