7話


 泥で汚れた制服を洗い終え、プロメは意を決し執務室に向かう。

 約束の、七日目の朝だ。

 よく晴れた、気持ちのいい朝だった。それに反してプロメは浮かない表情だった。

 正直に言って状況は最悪だった。凡ミスを繰り返す、口答えする労働資源――だれが正規契約してくれるというのか。

 それでも荷造りしてから向かうことはしなかった。プロメにも意地があった。

 執務室の扉をノックする。

「入れ」

 デルタが机についている。チャーリーの姿はなかった。

「申し訳ありませんでした」

 開口一番、プロメはそう言って頭をさげた。

「昨日は出すぎた真似をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

 顔をあげる。正面からデルタを見つめる。無機質なミラーシェードにプロメの顔がうつっている。言葉を続けた。

「でも私は間違っていないと思います。デルタ様はもっと感情を、思いをちゃんと伝える努力をなさるべきだと思います」

 そうすればきっと私がいなくてもうまくやっていくことができます、とプロメはそう締めくくり、デルタの言葉を待った。

 くふふ、という音がどこからか聞こえた。

 なんの音かわからなかった。

「ということらしい。デルタ君。どうするかね?」

 ふりかえると、扉の影にチャーリーが立っている。どうにもこの元軍人のふたりはほんとうに気配を消すのが好きなようだ。そこまで考えて気がつく。デルタもチャーリーも軍事サイボーグなのだ。民間のアンドロイドに簡単に探知されない、なにがしかの欺瞞機能が備わっているのだろう。

「プロメ君、きみは我々に隠しごとがあるんじゃないのかな。それも契約上看過しがたい、隠しごとが」

 ああ、とプロメは思う。やっぱり無理だった。

 チャーリーとデルタの顔を交互に見て、プロメはごまかすことをあきらめた。ふたりとも、おそらく理解している。

「……はい、実は」

 躯体が砕かれ、建材にリサイクルされるイメージが浮かぶ。

「視覚系に不具合があります」

 両の視覚素子、その下半分がまだら模様に見えたり見えなかったりする。どんなに注意していても足元が見えなくなるときがあった。そしてその変化にプロメは気がつけない。視覚素子から得た情報で、プロメの視界は構築される。得られる情報が減れば、それに合わせて認識が修正されてしまい、結果プロメの視界はプロメが気がつかないうちに狭まっている。いままでの凡ミスの統計から逆算して、どうやら視覚系に問題があることがわかったのだ。

「自覚があるのか。ならどうして組合オーナーズに相談しないんだ」

 チャーリーがもっともなことを訊く。

「はい、その……一時的な不具合だと思って仕事を続けていたら、いろいろなミスの補償で……お金がなくなってしまって」

「ふうむ。しかしきみにはチャペック研がある。開発元に相談することもできたろう」

「はい、この冬に、二年に一度のフルバックアップを兼ねた定期検診があるので、そのときに直してもらおう、そう考えていました」

「だ、そうだ。デルタ君」

 はっとしてデルタをふりかえる。

「黙っていてすみませんでした。でもほんとうなんです。デルタ様の力になりたいと思ったのは、ほんとうなんです」

 プロメはそれ以上、言葉を続けられない。

「デルタ様……?」

 手をあげ制止され、その手がゆっくりと机の上に置かれる。デルタがその手をどけると、手品のように小さな瓶とメガネが現れた。小さな瓶には錠剤が詰まっている。メガネは赤いセルフレームだった。

 プロメは状況が理解できずに固まったままだ。

 デルタが珍しく雄弁に言った。

「おまえの仕事ぶりを見て思った」

「……はい」

 プロメは覚悟を決めた。

「やはり視覚系に問題があるようだな」

「はい」

「メガネで視覚範囲補正をしつつ、このナノマシン錠剤が新しい視野に躯体が追随できるように補助を行う。そう調整してある。応急的な処置だが、少なくともこれからは余分な仕事が増えることもなかろう」

「はぁ」

 受け取らないのか、というデルタの視線を受け、プロメはメガネと小瓶を手に取る。言葉の意味がうまく飲み込めなかった。

 そんなプロメを見て、チャーリーがついに吹き出す。

「わからんやつだな、もう少し様子を見ると言っている」

 対人折衝はおまえのほうが向いているようだからな、とデルタは言った。

「フフ、デルタ君、それはちょっとわかりづらいと思うなぁ」

「あ! ――ありがとうございます!」

 深く頭をさげ、顔をあげると、眼前には投影現実オーバーレイ――正規の契約書。雇用者の名前は〝ゲイル・エリクソン〟と記載されている。

(もしかして、デルタ様の本名?)

 被雇用者の欄に、プロメは自分の型式番号IDを署名する。

「これで正規契約の成立だ。よかったね、プロメ君」

「はい。デルタ様、メガネ、ありがとうございます」

「そういうことではない」

「え?」

「機械が正しくその機能を発揮できないというのは、とてもつらいことだからな」

 おまえは彼らにほんとうによく似ている――、そうデルタはつぶやいた。その視線は机上の手紙に向いていた。まだ開封された様子はない。それでもどこかその視線にやわらかいものを、プロメは感じることができた。

「デルタ様! 私にもっと色々教えて下さい! きっとお役に立ってみせます」

 デルタは軽くうなずく。

 うれしくなってプロメは一礼し、執務室から駆け出す。

 さあ今日も仕事をがんばろう――そう思った時にはプロメはすてんと転んでしまった。

 でも――転けるのもこれで最後だ。立ち上がり、デルタからもらったメガネをかけ、プロメは歩き出す。

 廊下は朝の輝かしい光が差し込み、プロメの眼前にはまばゆい世界が広がっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る