6話

 六日目の午後、事件は起きた。

 来客を告げる家内ネットワークのアラートに、プロメは裏庭からばたばたと玄関に向かう。

 玄関ホールの手前で一旦、止まって歩調を整える。

 話し声が聞こえてきた。すでにデルタが応対しているのだ。

 焦りが顔に出ないようにプロメは努めてゆっくり歩いて、声の方へと近づいた。

 異様な光景だった。

 頭ひとつ背の高い軍用サイボーグを、数人が取り囲んでいる。

 年配の女性と男性が二人ずつ詰め寄り、その後ろには背筋をまっすぐに伸ばした壮年の男性が一人、立っていた。プロメは順にF1、F2、M1、M2、M3とタグ付けしていく。

「――をやめていただけないなら、出て行ってもらうしかないですね!」

 強い剣幕でF1がデルタに向かってそう言った。

 デルタの表情はミラーシェードに覆われていてわからない。

「なんとか言ったらどうなのよ!」

 そう言われたからといってデルタが喋るとは思えなかった。

 その不明さが、さらにF1とF2の口調を鋭いものにしていく。

「だから嫌だったのよ、得体の知れない輩を受け入れるのは」

「〝救国の英雄〟かなにか知らないけれど、結局人殺しが得意なだけじゃない」

「油断したらきっとすぐに私たちも殺されちゃうのよ」

 恐いわね―、とうなずきあっている。

 状況的にまだ様子を見たほうがよかった。デルタが反応しないのは普段通りであるとも言えたが、それ以前に相手の怒りに対して直接的なリアクションを取らないことで火に油を注がないようにしている。プロメにもそれはわかった。

 ――わかっていたのに、駆け出していた。

「待ってください!」

 デルタたちの目前で、プロメはべしゃりと転倒した。ぬかるみに気がつかなかった。制服が泥で汚れてしまった。

 がばりと起き上がり、顔についた泥をそのままに、プロメは叫ぶ。

「なにがあったんですか!?」

 勢いに気圧されたのか、デルタへの包囲が一瞬、緩んだ。

 躯体をねじ込むようにして、プロメはデルタの前に立つ。

 相手の顔をよく観察した。表情にあるのは単純な怒りではなかった、明らかに恐怖からくる怯えも混じっていた。その表情が顕著なのはやはりF1とF2――年配の女性たちだ。彼女たちの夫であろう年配の男性たちは、怒りよりも怯えよりも困惑が先にあるようだった。もしかするとその困惑は妻たちに向けられたものなのかもしれない。後ろに立っている壮年の男性は、表情が読めなかった。

「なぁに、あなた、そんな泥だらけで」

「私はこちらでお世話になっているプロメと申します。事情をお聞かせください」

「いいわ、あなたは話ができるようね」

 そう言ってF1は言葉を続けた。

 彼女たちの主張はこういうことだった。

 この付近の子どもたちは森へ燃料となる薪を取りに入る。デルタも頻繁に刀を持って森に入る。鉢合わせることは今までなかったが、つい先日、デルタが子どもたちの遊び場となっている広場で刀をふっているのが目撃された。子どもたちは怖がって森に入ることができない。危険であるし得体がしれないから刀をふることをやめてくれないか、できなければこの土地から出て行ってもらうしかない――F1とF2の長く遠回りで要領を得ない言葉はだいたいそういう意味のことを告げていた。そしてその端々には如実に先の戦争への嫌悪が見てとれた。自分たちが苦しい生活をしているのは他でもない戦争のせいである、ということが、彼女たちの共通認識のようだった。

 誤解と曲解と偏見にまみれた平凡な思考の先にあって、日々を生き抜くために特化した限定的合理主義――人の人たる証左に、プロメはめまいがするようだった。

「もう……」

「え、なにかしら」

「よく聞こえないわ」

「もう戦争は終わったんですよ!」

 どうしてデルタにも理由があることを、想像することができないのだろう。そのことがプロメには腹立たしかった。昨日、聞いたデルタの話が思い出されて、悔しかったのだ。

「デルタ様は確かに軍人でした! でも、ただ闇雲に人を殺すようなお人ではありません。でなければ組合オーナーズから派遣された私たちアンドロイドがお仕えすることなどできませんもの!」

 組合オーナーズはアンドロイドの派遣の際に依頼主の徹底的な身辺調査を行う。そのためだけに組織された探偵部署が人型のロボットアンドロイドであることを活かし人的諜報活動ヒューミント、および電子的諜報活動シギントの両方に渡って活躍する。これが組合に所属することによって受けられる相互補助バックアップの最たるひとつだ。そうやって組合オーナーズは自分たちの身を守り、所属しているアンドロイドたちは安心してその有用性を発揮することができる。

「それはそうかもしれませんけど」

「実際に危ないことをしているのは事実じゃないの」

 それは一面の真理を突いていた。プロメは怯む。

 その隙をついてF1とF2がまくしたてる。

「そうだ、今朝またアンドロイドが爆破されたらしいわよ。その事件もこの人なんじゃないの?」

「そうよ! きっとそうね、まあ恐い」

 完全な誤解だった。デルタは今日は朝から屋敷を出ることはなかった。

 プロメはデルタをふり仰いだ。

 デルタがきっと釈明してくれる、とプロメは思ったのだ。なにか一言でも言ってくれれば、そこから状況を打開できる糸口を見つけることができる。チャーリーは午前から外出していて助けは期待できない。プロメとデルタでこの状況をなんとかするしかないのだ。

 不意にぐらり、とデルタの巨躯がゆらぎ、次の瞬間、はっとしたようにデルタが踏ん張った。

 人々のあいだに動揺が走る。

 傍目には強く一歩を踏み出し威嚇した、ようにしか見えなかった。

 ヴォリュームの加減を知らない、子どもたちの大声が聞こえる。プロメは来客のアラートを見過ごしていた。

「おばけだ!」「おばけおばけ!」「やっつけろー!」

 風切音がして足元で石つぶてが弾ける。

「危ない!」

 いまにも膝をつきそうなデルタの正面に立って、プロメは両手を広げる。

「きゃっ」

 石が、額に当たった。びっくりして声が出る。それでも――プロメは立ち続ける。背後にはデルタがいるのだ。

 F1とF2はあっけにとられている。プロメには彼女たちの感情の変化が手に取るようにわかった。少しでも冷静になってもらえると助かるのだけれど――ここは耐えるしかなかった。

「やめないか!」

 一喝が響き、子どもたちが素直に石を投げるのをやめた。

「大丈夫ですか?」

 そう言って壮年のM3が前に出てきた。

「申し訳ない、こんなことにならないようについて来たつもりだったのですが――」

 そう言ってM3は石の当たった額を検分する。

「特に目立った外傷はないようですが、内部機構まではわかりません、セルフチェックをしっかり行ってください」

 プロメは言われるままうなずく。

「こちらのかたは――」

 M3はデルタの顔に手を伸ばす。

完全義体者オーバーマン! ということは幻肢痛? それともこれは……PTSDによるフラッシュバック? どちらにせよ安静にするしかない。きみ、この人の専属医とは連絡がとれるかい?」

「私はわかりませんが、わかる人は知っています」

 チャーリーに連絡をとれば、きっとわかるはずだ。

「なるほど、どうやらここの家主さんは調子が悪いようだ。今日は出直しませんか?」

「……お医者様の言うことなら」

「……仕方ありませんわね」

 プロメよりもM1とM2の男性が一番ほっとした顔をしていた。

 プロメの深々としたお辞儀を合図に、F1とF2が先を歩き、M1とM2がこどもたちを追いたて帰っていく。最後尾のM3がふり向いて言った。

「今日はほんとうに申し訳ないことをしてしまった。彼女らのガス抜きになればと思ったのだが、ここまでひどいことになってしまうとは……。このお詫びは必ずします。後日ここに連絡してもらえますか」

 M3が投影現実オーバーレイでパーソナルアドレスを投げてよこした。

 眼前でカード状の投影現実オーバーレイが砕けると、意味を伴った文字列として認識できるようになった。

 さらにお辞儀をして、プロメはデルタを支えるように屋敷に戻る。

 階段を登り、デルタの寝室に向かう。

 デルタの寝室には初めて入った。執務室と同様に、家具は最低限のものしかない簡素を極めた部屋だった。ナイトテーブルのそばには無骨なソード・スタンドがある。つや消しの鞘に収まった直刀が、寝室の簡素さのなかで悪目立ちしていた。

 まるでデルタのようだ、とプロメは思った。

 デルタはベッドに深く腰かける。横になってからだを休ませてほしかったが、デルタは頑なに拒んだ。

「デルタ様……」

「刀を」

「まさか素振りに?」

「そうだ、ふれば、収まる」

 強い断定だった。自分のことは自分がいちばんわかっている――厳然たる、なににも動じない雰囲気をまとって、デルタはそう告げた。

 違う――プロメは思う。違うのだ。デルタには人々が思うような意図はない。すべては自分たちがそう思っているだけなのだ。なにも説明がないことに対して、意味を求め、解釈してしまう――それが認識という誤解を生むのだ。誤解が重なり大きくなった時、それは広く知られた共通認識コモンセンスという化け物になり、社会を動かすまでに機能する。

「無理です、自力で刀も取れないのに。今日はこのままお休みください」

 デルタは黙ったままだ。

「デルタ様、ああいう場ではなにか喋っていただけなければ……。あ、あと、こういう時は簡単でもいいのでうなずいていただけませんか。完全義体であるとはいえ人型である以上、身体表現は人のそれに準じていただけないと。ここは軍とは違います」

 最新テクノロジーで満たされた機械化部隊は、もしかすると生身の人間の方が少ないのかも知れず、それは相対的に別の文化が醸成されていると考えるべきだ。双方が同じ言葉を使うからといってコミュニケーションがうまくできると考えるから、齟齬が生まれる。埋めるためにはその違いをきちんと言葉にして伝えていかなければならない。

 それでもデルタは押し黙ったままだ。

「いいですか、ただでさえ軍に所属していたことがここではマイナスに解釈されてしまうのですから、もう少し近隣の方と仲良くしていただかないと、お手伝いすることがむつかしくなってしまいます」

 嫌味を言うつもりはなかった。そう受け止められるかもしれないと少し思った。でも言わなければ伝わらないのだ。言葉というツールを使うということはそういうことだ。刀を振るのではなく、言葉を発しなければならないのだ。

 ただこのとき、プロメは自分がショックを受けていることに気がついていなかった。言葉が止まらなかった。

「きっとデルタ様はそれでも構わないと考えてらっしゃるかもしれませんが、そうはいきません。昨日も申し上げましたが、私は、デルタ様の力になりたいんです! なにより――」

 ナイトテーブル上の紙のメール、その束を指さす。

「デルタ様のことを想っているのは私だけではありません。チャーリー様や、その手紙のかたがたがもいらっしゃいます」

 弾かれたようにデルタがそちらを向いた。急激な反応だった。

「気になるのであれば読まれればいいんですよ」

「読む必要はない」

「それは違いますね。読むのが恐いからですよね?」

「どういう意味だ?」

「この手紙に込められた想いが、デルタ様は恐いんですよ。読む必要がないわけじゃなくて、読むことができないんです。だから捨てたんです」

「なにを言っている?」

「でもただ捨てるには手紙は重すぎた。だからデルタ様はわざわざ私が見ている前で捨てた。私に拾ってこさせることで、私にこの手紙がどれほど重要であることをわからせたかった。自分だけで背負うには重すぎるから。私にわかってほしい――デルタ様、私は一連の行為をそう解釈いたします」

 言葉が止まらなかった。

「なにも言ってくださらないのであれば、プロメはそう解釈いたします」

「おまえは……」

 デルタの言葉には、困惑と感嘆がないまぜになった響きがあった。

「いや、もういい、さがれ」

「なんですか、言いたいことがあるのならば、はっきり言ってください! 私にはわかりませんよ!」

 泣きそうだ。わけがわからない。労働資源リソースの分際で雇い主にこんな態度、単純ミスどころの問題じゃない。絶対に馘首になる。

 でも――泣きそうになっているのは馘首が嫌だとか恐いからではなかった。悔しかったのだ。悔しくてしょうがなかった。

 プロメテウス級アンドロイドに課された最優先事項ファースト・プライオリティ――人が失ってしまったものを取り戻す手伝いをすること。あくまで手伝いであることが重要とされている。そこには人の自主性が期待されている。

 だから――いまの自分ではデルタになにもすることができない。そのことが悔しくて悔しくてしょうがなかった。

 ううう、と言葉を続けようとしてもうなることしかできない。不用意に喋ってしまえば泣き出してしまうことがわかっていた。

「そうか」

 やわらかい響きだった。合成音声なのにやわらかさがあった。プロメにはそう聞こえた。

「今日はもういい、休め」

 プロメはお辞儀をすると、寝室を後にした。

 もう少し離れてから――小走りに駆けてプロメは廊下の角を曲がる。

 その拍子にけつまずいて転んだ。特に急な旋回というわけでもなかった。

 まだ、だめだ。

 立ち上がり駆け出し、階段をおりて、台所横の使用人部屋に駆け込む。

 ベッドに飛び込み、枕に顔を押しつけ、丸まる。

 あーあー、とくぐもった声がする。自分の声だと気がつくのに少し時間がかかった。デルタに聞こえても、聞こえなくてもどちらでもよかった。顔を枕に埋めるように強く押しつける。

 こんなものはいっときだけだ、すぐに過ぎ去る。やり過ぎたと思う――でも実際にはなにもできていない。後悔と諦念が嵐のようにうずまいて身動きがとれなくなってしまった。

 感情にサスペンドをかけてしまえばいい――今日はまだなにもできていない――でも休めって言われた――それに感情抑制サスペンドは嫌いだ――どうせまたあとで同じプロセスを繰り返すだけでただの一時しのぎだ――だったらいっそのことこのまま泣いていたほうがいい――早く明日になればいい。

 そうすればぜんぶはっきりする。

 プロメはベッドの上、亀のように首を縮めて時間がすぎるのを待った。

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