4話



 四日目。

 プロメは朝から外出して、市街地に向かった。運良く駅に向かう乗合馬車に便乗でき、午前の喧騒の残る街にたどり着くことができた。駅前のターミナルで馬車を乗り換え、駅の南側に広がる再開発指定地域に向かう。二十一世紀半ばに流行したアラヴェナ様式の公営住宅アパートメントが密集する再開発指定地域にさしかかったあたりで、プロメは馬車を降りる。御者オペレーターの首から下げている端末に指をそわせると、料金クレジットが計算されて口座から引き落とされる。

 その時、御者が驚いた表情を見せた。非人間アンチを乗せたことに嫌悪感を示した、というよりも、いまようやくプロメが非人間であることに気がついた、そういう表情だった。

 プロメは会釈だけで御者に応える。

 馬車が行き過ぎる。

 ほっとする。無事にここまでたどり着くことができた。

 右手に投影現実オーバーレイの指示書、左手にはバスケットを抱える。バスケットのなかには猫がいる。プロメの言うことを聞いてか、おとなしくしている。

 指示書の小さな地図を頼りに、街路を歩く。

 アラヴェナ様式の公営住宅群アパートメントは区画によって、くっきりとその色彩を変え、目に楽しい。猥雑さのある活気が満ちており、屋敷がある地区はもとより駅前ともまったく違う空気だった。

 ――アラヴェナ様式の公営住宅は、貧困層向けのソーシャルハウジングの成功例である。二十一世紀半ば、駅の南側は現在と同じように再開発地域に指定され、老朽化するスラムを排除するかたちで、公営住宅の建設計画が進められた。しかし当初の計画予定の公営住宅では、建設予算が高すぎたため、新たな入居者、つまり元のスラムの住人たちの所得では賃貸料や販売の際に、回収不能が見込まれた。そこで当時、流行していたアラヴェナ様式が採用された。アラヴェナ式は実際の居住空間を当初の計画の四分の三に削り、残った部分を入居者自ら拡張できるよう、空間に余白を残して建築する方法だ。それによって建築予算を絞り、相対的に賃貸料金を低く抑えることができる。余白の部分はそのままオープンテラスにしてもいいし、入居者たちが自由に居住空間やアトリエ、ショップに改築してもいい。――結局、完成後に入居した住民たちは民族的なつながりを意識したため、公営住宅の改造も区画ごとにはっきりと色合いを変えている。だから、この辺りはびっくりするほど色彩豊かだ。セメントの地肌がのぞくことをまるで怖がるように色鮮やかに装飾された住宅が軒を連ねている。それから一世紀が経過し、幸運にも戦災をまぬがれたこの地区は再び、再開発地域に指定された。

 へぇそうなのか、とプロメは思う。歴史があるんだなぁ。

 区画に踏み入れたと同時に、広告オーバーレイの解説が始まり、プロメは語るに任せていた。伝統的な旧市街として遺そうという、再開発への反対運動キャンペーンが行われている。その政策広告の投影現実オーバーレイだった。飛び回る、当時の公営住宅を模したL字型の広告を排除するためには、寄付が必要であると表示されているが、プロメは気にせずそのまま歩き続ける。

 指示書によればもう一ブロック先にある商店で買い物をすることになっている。

 ことの始まりはチャーリーだった。彼しかいない、とも言えた。

「チャーリー・ミッション!」

 ばーん、と使用人部屋の扉が開いて、チャーリーが入ってくる。

 気でも狂ったのかとプロメは思う。膝の上から猫が飛び出し、ふー、とうなる。

「ではさっそく実験だ」

 腕をふるジェスチャーで拡張現実の指示書が飛んでくる。表紙にでかでかと「チャーリー・ミッション1」と書いてある。

(1?)

「今日の午前の予定はすべてキャンセルして、その指示書通りに行動してもらう。デルタには許可が取れている。気にせず思う存分楽しんでくれたまえ」

 そうしてプロメは目的の商店にたどり着く。指示書には、猫を連れて再開発地域に赴き、ある品物を購入するように記載されている。

 そんなに昔からある建物には見えなかった。ただ確かに、目的の商店はL字型の外見をしており、一階が商店になっている。

 扉を押し開き、入店する。

 店内は薄暗い。視覚素子が視界の明るさを調節する。四棟ある陳列棚には日用品が並べられ、奥にはカウンターが見える。棚と棚の間は人がひとりやっと通れる狭さであることを除けば、標準的な店構えだと言えた。奥のカウンターでは常連客と思しき若い男性と、店主であろう初老の男性が談笑している。若い客をM1、初老の店主をM2とタグ付けする。

「おはようございます」

「やあ、いらっしゃい」

「こちらにあると伺ってきたのですが」

「はい、なんでしょう?」

「タバコはありますか。Cの一一四という銘柄なんですが」

 ほう、と店主は驚いた声を出し、頭をかく。

「どれ、ちょっと裏で在庫を見てきましょう」

 にこりと若い男が笑う。プロメは会釈する。

「珍しいね、タバコなんて」

「そうですね。まだ現存していたとは思いませんでした」

 ん、と怪訝な表情を浮かべ、ああ、とひとり得心した男は笑う。

「おつかい?」

「はい、そんなところです」

「――ありましたよ」

 店の奥から店主が出てくる。手にはカートンが握られている。

「この銘柄はこれで最後でした。いまはもうタバコ自体が貴重品ですからね」

「おいくらですか?」

 店主の提示した金額はだいたい一週間分の充電費せいかつひと同じだった。前時代的な嗜好品にこんな値段を支払うのかと、プロメにはちょっと信じられなかったが、チャーリーから預かっていた予算とはぴたりと一致した。チャーリーには相場がわかっていたのだろう。

「わかりました。支払い端末は……?」

 店主は若者と顔を見合わせる。

「申し訳ないんだけれどね、タバコは現金でしか販売できないんだ」

「でもそれでは――販売記録が残らないのでは」

「だからさ。これでもタバコは非合法の品でね。もう情報化タグ付けはされない商品なんだ」

「むしろ記録に残らないことに意味があるわけ」

 若い男が言葉を引き継ぐ。

「ここはそういうモノを扱っている、古き良き時代のお店なんだ、お嬢さん」

「そんな、じゃあどうやって」

 タバコを買えというのだ、買って帰らなければデルタの話はなにも教えてもらえないというのに――。

 にゃあ、とプロメの身じろぎでバスケットのなから猫が顔を出す。

 それを見て、店主が言った。

「お嬢さん、それはイエネコかい?」

「はい?」

「タバコ。半カートンでよければ、その猫と交換しよう。シチューの具材に使えるからね。物々交換といこう」

 びっくりしてプロメはなにも言えない。

「マジっすか」

 若者も驚いている。

「郷土料理だぞ。そうか、知らないのか」

 ほんとうですか、と検索を始めたのか若者の焦点が胡乱になる。

 プロメは迷い、迷ってしまった自分に気がついて愕然として、身動きが取れなくなる。

 猫が鳴く。

 プロメの時間が再始動する。自分には――そんなことは無理だ。

「また、来ます」

 押し出すようにそれだけ言って、プロメは店の出口に向かう。しっかりと歩いていたつもりだったのに足元がふらついて棚に手をついてしまう。

 とっさにさしだされた若者の腕に支えられ、事なきを得る。そのまま倒れこんでしまえば、商品をぶちまけてしまうところだった。

「え、君、まさか非人間アンチ……?」

 プロメのナノメタル製の皮膚スキンは、表面上は限りなくヒトのそれを模倣しているけれども、決定的に違う点がひとつある。冷たいのだ。人の体温は再現されない。猫を使った郷土料理の話を聞いた時よりもさらに驚いた表情をしている若者に、プロメは助けてもらったお礼を言い、店を出る。人のそういう表情にはもう慣れっこだった。

 にゃあ。

「大丈夫だよ」

 猫に答え、そうであると思い込もうとする。しかしミッションは失敗した。デルタの情報は得られないだろう。

 現在位置から屋敷までのルートを策定し、投影現実オーバーレイの矢印にしたがって自律機動での帰宅を選ぶ。エネルギー消費は当然激しくなるが、道がわかったので乗合馬車を待つよりも速く移動できるはずだ。その間に、午前に予定していた、実際にはやれるはずだったのにできなかった仕事を確認し、今日の午後へと割りふる。屋敷のなかは、デルタがほとんど使っていないこともあって掃除や片付けは昨日のうちに済んでいた。あとは屋敷の庭なのだが――。

 気がつくと、屋敷の前に立っていた。ハーフブーツのつま先に泥がつき、スカートも少し汚れている。どうやらどこかで木にひっかけでもしたのか、轍にでもつかまったのか。セルフチェックをかましつつ、門をくぐり、屋敷に向かう。

「ふうむ。戻ったのか」

 出会い頭にチャーリーだ。

「どうして戻ってきた?」

 質問の意味がわからなかった。ここがプロメの職場で、ここから逃げることなどできはしない。仮にここから逃げたとしても失うものが多すぎて、最終的に自分が失われてしまうのは火を見るより明らかだ。

「金は充分にあったろう」

「冗談でしょう、チャーリー様。あんなはした金では一週間も保ちませんよ」

 プロメの返答に、少し驚いた表情を見せたチャーリーは、にやりと笑う。

「さて、それではデブリーフィングを行おうか」

 プロメは屋敷に向かう道すがら、覚悟してミッションの結果を伝える。極力、感情を交えず事実を伝えるように努めた。猫がバスケットから顔を覗かせていることからも、チャーリーはすでに察しがついていると思われるのに、それでもチャーリーはプロメには詳しい説明を求めた。こういうところは軍人っぽいな、とプロメは思う。ただそうではない部分はもちろんあって、なぜそう行動したのか、なかでも特になぜという感情の部分を執拗に問われた。プロメは自分の意識していなかった行動理由をひとつひとつ腑分けされ、名前をつけられてしまい、妙な気分になった。その気分を含めてチャーリーに告白させられた。話しているうちにどうやらチャーリーはミッションの成否を問題とはしていないことがわかってきた。タバコが買えなかったことを伝えたとき、チャーリーはこう言った。

「どうして猫を渡さなかった? なぜそのまま連れ帰った? そのとき、どう思った? 合理的に考えれば渡してもいい状況だろう。渡さなければタバコは買えず、買えなければミッションは失敗だ。失敗してしまえばプロメ君。君は私から報酬としてデルタの情報を得ることはできない。であればこそ――猫は渡して然るべきだろう」

 その通りだった。

「無理でした」

「なぜだ?」

「気持ち悪い、と思いました」

「ふうむ。なるほど。しかし君の感情はプログラムされた。人の感情を模倣エミュレイトしたものだ。あるべきときにそうふる舞うものとして、創造者ひとに設定されたものでしかない。そんなものに価値判断の基準を置き、大局的な視点を失ってしまえば、いずれ廃棄スクラップされることは自明だろうに。アンドロイドは非人間だ。人を模倣することによってアンドロイドの特性を、限りなく冷徹な合理的判断を失ってどうする?」

 プロメは理解する。チャーリーはあくまでプロメのことをアンドロイドと認識している。もちろんその認識は正しい。ただ違う点があるとすればプロメはチャーリーの考えるアンドロイドとは異なる存在であるということだ。感情の実装を始めとした人に似せようと作られたアンドロイド――プロメテウス級にあって他のアンドロイドとは決定的に異なる点、設計思想にして最優先事項ファースト・プライオリティとして設定されたことば――人が失ってしまったものを取り戻す手伝いをすること。これは、特に秘密にすべきにことではない。ただ正直に話す気にはなれなかった。そこまで考え、はたと気がつく。

(そっか、私、この人のこと、嫌いだ。どうしてわからなかったんだろう)

 にっこり笑うとプロメは言った。

「なぜ失っていると思われるのでしょう。状況によって使い分けていくべきではないのでしょうか。今回の件では不快感が耐え難かったので感情を優先したんです。負荷ストレスが大きければ日常活動に支障がでます。私が優先すべきは――、チャーリー様、おわかりかと思いますが、デルタ様です。チャーリー様ではありません」

 こういう言い方は生意気にきっと聞える。でも話を終わらせるには効果的だ。

「ふうむ。なるほど、短期的ではなく中期的な視点であると言いたいわけか。屁理屈だな」

 じっとチャーリーはプロメを見つめる。プロメも負けじと視線をそらさない。顔を歪め、先に視線をそらしたのはチャーリーだった。

「まぁいい。それで、なにが訊きたい」

「はい?」

「デルタ君のことだ。機密に触れる内容は答えられないがな」

「ですが、タバコは買えませんでした。ミッションは失敗しました」

「ミッションの成否は私が判断する。今回はなかなか満足のいく結果だった。正当な報酬は支払うべきだと考えるが……、ふうむ、なるほど、プロメ君は遠慮すると」

 チャーリーがにやにや笑っている。

 プロメは迷う。遠慮しているわけではなかった。素直に返事をしていいものか――いま情報を受け取れば、またチャーリー・ミッションをやることになる。きっと今回のように感情を強く揺さぶる、言うなれば不快なミッションだろう。チャーリーはプロメの感情表出について調べたいのだ。どんな感情を示すのか、知りたいのだ。

「はい、情報は要りません」

「だそうだ、デルタ君。プロメ君はきみに興味がないらしい」

 はっとしてふり返る。

「なんの話だ?」

「デルタ様!」

「いや、なに、プロメ君がきみのことを知りたいと言ったから、いろいろと教えようとしていたんだ」

「わーわー」

 叫び、頭一つ高い位置にあるチャーリーに飛びつく。

「ダメか?」

「ダメに決まってます! わかりますねよ? わざとですか? わざとですよね?」

 ふうむ、とチャーリーは腕組み、言った。

「プロメ君、いいかな。もしきみが本当にデルタのことを知りたいのならば、ぼくや検索エージェントに頼るのではなく、直接デルタ君とコミュニケーションすべきだ。情報で得られるものに一面の真実があるように、デルタ君そのものから得られる情報もある」

 なにを言っているのだろう、この人は。それができないから協力を仰いだ――本当にそうだろうか。

 プロメはデルタを振りかえる。

 デルタは変わらずそこに立っている。

 相変わらず表情はミラーシェードに隠されてわからない。それでもじっとデルタを見つめる。デルタは身じろぎし、どこか居心地が悪そうだ。軍事サイボーグ――機械化されていても肉体のころのしぐさは残るものだ。いまデルタは――困惑している。そのことがプロメにはよくわかった。

「わかりました、チャーリー様」

 ぼそりとつぶやき、決意も新たにプロメは言った。

「デルタ様!」

 自分からアクションを起こすべきだったのだ。

「明日、ピクニックに行きませんか?」

「なんだ……それは」

(うわー、めっちゃ塩対応!)

 でも、ここで怯んではダメなのだ。

「デルタ様のことがもっと知りたいからです!」

「そうか……」

 背後でチャーリーが笑いをこらえている雰囲気が伝わってくる。こういうところで彼の底意地の悪さを感じる。でもいまは気にしている場合ではない。

 くるりと踵を返し、デルタが屋敷に戻ろうとする。その背中にプロメは懇願するように声をかける。

「明日、午後に!」

 デルタは返事をしなかった。結局その日は、素振りに出かけたデルタは夜になるまで帰ってこず、プロメは使用人部屋でやきもきし通しだった。そんなプロメをチャーリーは何度か訪い、にやにや笑いを残してミッションを続けるかと問いかけ、プロメの顰蹙を買っていた。

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