3話
三日目の午後、来客があった。家内ネットワークから通知のない、突然の来訪だった。
にゃあ。
屋敷の庭、通りと敷地をわける生け垣の下に猫がいる。黒い、猫だ。目は金色。
「にゃあ」
プロメも応える。
「はぁ、かわいい」
様子をうかがうようにゆっくりと近づいてきた猫を、よしよしとなでてやる。
にゃあ、とくすぐったそうに猫が鳴く。
「はー、それにしてもどうすればいいんだろう。デルタ様と仲良くなれる気がしないよ」
猫ちゃんはこんなにかわいいのにね、と喉をくすぐる。
「でもまだ五日もあるし――、私にできることをよく考えよう」
気持ちよさそうに鳴いていた黒猫が飛び起き、さっとプロメの手の中から逃げ出した。
「あー、なんで」
理由はすぐにわかった。
「デルタ君はご在宅かな?」
ひゃ、という悲鳴を喉の奥で押し殺し、プロメはどうにか笑顔でふり向く。
「い、いらっしゃいませ! デルタ様は執務室に!」
どもってしまった。
男が立っていた。鮮やかな金髪と、彫りの深い顔立ちは一見、ギリシャ風の美丈夫と言ってよかった。
「そうか、どうもありがとう」
そう言うと、男はじっとプロメを見つめる。男がいつ背後に立ったのかわからなかった。特に家内ネットワークからの通知はなかった。そもそも認証も経ずに、どうやって屋敷に入ることができたのだろうか。
「ふうむ、君がプロメテウス級アンドロイドのプロメ君だね」
「はい、そうですが……失礼ですがあのう、どちらさまでしょうか?」
「おっと、これは失礼」
そう男は言うと、
「ぼくはチャーリー、
デルタの元同僚ということは軍人なのだろう。けれどIDに表示された所属先は、戦災復興委員会となっている。クラシックなスタイルのスーツをきちんと着こなし、武骨な印象とは無縁だった。言われなければ、軍人とはわからなかっただろう。
「それにしても――すごいな」
「はあ」
チャーリーが珍しいものを観察するように、プロメににじり寄る。
「まったく気がつかなかったから、最初は人だと思っていたのだが、どうだ。まさか
そう言うとチャーリーは、すっと手を伸ばしプロメの頬に触れようとする。
「な、なんですか。やめてください、なにをなさるんですか」
プロメは身をよじって逃れる。勢い、大きく距離を取るかっこうになった。
「ふうむ。無駄な動きが多い。まさかここまで人に似せてくるとは――おもしろい」
興味津々といった様子で、チャーリーは猫背をさらにかがめ、プロメを見つめる。
強い視線に、プロメはその場から動けなくなってしまう。必然的にチャーリーを正面から見つめ返すかたちになり、はたと気がつく。強い視線とは裏腹に、彼の全身からは疲れが滲んでいた。折れそうなほどにかがめた猫背、目元の濃いくまと眉間の深い皺が、刻まれた辛苦を想起させた。
そうか、この人は戦争に行ったことがある――そしてそれは、デルタにも言えることだった。ただデルタは全身をサイボーグ化しているおかげで、それとわかり辛いのだ――。
「さあせっかくだ。もう少し調べさせてくれ。君はほかにどんな顔を見せるんだ?」
「なんですか、変態さんですか」
プロメは慌てて逃げ出そうとする。
ふり向きざま、ドンと壁にぶつかる。
その壁は、デルタだった。
「す、すみません」
鼻の頭をおさえながらプロメは謝る。
「やあデルタ君。一ヶ月ぶりかな。元気だったか?」
プロメの肩越しにチャーリーがどこか楽しそうに訊いた。
「……チャーリー」
デルタはそう言ったきり押し黙った。
「ふうむ、元気そうだ。ま、話の続きは屋敷で、だな。さあ行こうか」
チャーリーはデルタを連れ、歩き出す。プロメもその後を追いかける。
「ん?」
「はい?」
「プロメ君、どうした?」
「いえ、私も屋敷に戻ろうかと」
「そうか。しかしありがとう、プロメ君。案内はもういらないよ。君は仕事に戻ってくれてかまわない。邪魔をして悪かったね」
あ、と気がつく。この人は私のことをただのアンドロイドと見ている――人が使うための、ただの道具として認識している。だから言葉に遠慮がない。(事実そうではあるのだけれども)道具に気遣いはいらないとチャーリーは思っている。特に家事手伝いにおいてアンドロイドがわざわざ人型であるのは、人の道具がそのまま使える利点があるからだが――、もちろん、それだけが理由ではない。人は、人のかたちをしたものに感情移入しやすいのだ。雇い主からしてみれば生活の中に入ってくるものが得体の知れない機械よりも、人のかたちをしたものであるほうがまだしも安心できる。チャーリーはそのことを知っている。ただそれに惑わされてはいない。道具は道具、その線引きが確かにあるのだ。
「――はい、なので屋敷に戻ろうかと」
であれば自分の役割を強調すればいい。
「それは失礼。では行こうか」
プロメを先頭にチャーリー、そしてデルタの順に歩き出す。
「応接室をご用意しますので少々お待ちいただけますか?」
「いや、デルタ君の部屋にしよう。執務室だったか」
いいだろう、とチャーリーがデルタに顔だけで確認し、デルタがうなずく。
「わかりました。ではご案内いたします」
ふたりを背後にプロメは歩き出す。
それにしても――デルタもチャーリーも近づいてくる気配をまったく感じさせない。彼らにはなにか共通する機能でも備わっているのだろうか。――そう、おそらくチャーリーもまたサイボーグだ。ただ彼の場合は
執務室に着き、プロメは扉を開ける。ふたりが中に入り、プロメの入室を待たずに扉はしまった。
開けて入る。
チャーリーが目前に立っている。目が合う。
「申し訳ないけれど、君には聞かせられない話なんだ、プロメ君」
デルタを見る。彼は微動だにしていない。
「失礼しました」
プロメは退出する。
でも――プロメは耳のかたちをした聴覚素子を扉に押し当て、中の様子をうかがった。
勢いよく扉が開いて、プロメはひっくり返った。
「盗み聞きも、ごめんね」
ひっくり返った視界の中、チャーリーがそう言った。
そうですかそうですか、と部屋から離れる。角を曲がったところで家内ネットワークのアクセスポイントに指をそえる。認証――付与された権限をフル稼働して執務室への侵入を試みる。デルタの机上端末はロックが堅くプロメの権限では歯が立たなかった。照明と空調のセンサーに侵入するも、執務室の中にふたりのサイボーグがいることぐらいしかわからなかった。観測装置の限界に阻まれる。あと残されているのは――そうだ、本棚に隠れるように埋め込まれていたオーディオ装置。デルタが使っているところを見たことはないけれど、死んではいないはずだ。家内ネットワークからアクセス権限をもらってきて外部から電源を入れる。スピーカーをマイク代わりに使えば音を拾えるはずだ――ノイズ、調整――よし、うまくいった。
「そうか、まだむつかしいか」
「すまない」
「いやなに、仕方ないさ。そう簡単に折り合いがつけられることじゃないだろうしね。――ただ、こちらとしてもわかっていて欲しいことは、ある。その手紙はもう読んだか?」
「いや……」
「わかるだろうが、この手紙の差出人は、我が大隊にして君が部隊長をつとめていた
「…………」
「もちろん私も同じ気持ちだ。……ただ、そうは言っても、いまの君の状態では原隊復帰はむつかしいことはわかる。戦闘や訓練、部隊指揮――なにもできない状態の〝救国の英雄〟にあっさりと死なれてしまうのは困る。上層部の方々もそんなことは望んではいないだろう。私たちにかかっている費用を考えれば、このていどの休暇、どうということはないはずだ。表向きは戦争も休戦というかたちで落ち着いている。この状態がどのていど維持されるかはいまのところ不透明だが――どちらにしろ、だ。デルタ君」
デルタは沈黙を守っている。
「私たちは軍人だ。闘うことなくしてその有用性を証明することはできない。どうかそのことを忘れないでいて欲しい」
ふとチャーリーの声が大きくなり――オーディオ装置に近づいたのだ――こう言った。
「さて、プロメ君。聞こえているな。今日から当分のあいだこちらに滞在する。部屋を用意してくれ。さあ――私も休暇だ」
大きく息を吐くように、チャーリーは言った。
バレていた――それもそうか――突然オーディオ装置が起動すればなにごとかと思うだろう。そこに驚きはなかった。盗み聞きをしたことで、ほんの少し胸が傷んだが、それでも収穫は大きかった。
言われたとおりプロメは仕事に戻る。チャーリーの客間を用意するため階下へ向かう。
デルタのことはなにもわからない。情報はほとんどなかった。単純にそれは怖いことだった。だから知りたかった。この仕事で失敗はできない。万難を排して仕事に臨みたかった。でも――いまだに手紙の送り主ですらプロメは訊くことができていない。
曰く、いつ国防軍に入隊し、いつ除隊したのか、除隊時の階級は大尉、それだけだった。それでも
だから知りたかった。チャーリーは自らデルタの戦友であると名乗った。デルタとうまく会話することができていない現状、動いて喋ることのできる貴重な情報源だ。ふたりの会話はきっと自分とは違った内容だろうから――そして実際そのとおりだった。どうやらデルタはかつてサイボーグだけで構成された特別な部隊に所属していたらしい。
さあこれでなにかわかればいいのだけれど――機械の正確さでベッドメイクしつつ思わず自分の考えに笑ってしまう。
デルタに直接訊いての拒絶されるのが恐いから――結局そういうことだ。
「ここがぼくの部屋かな」
ふり向くと、いつのまにかチャーリーが扉に片手をつき、くたびれた姿勢で立っている。足元にはボストンバッグが置いてある。
「いま準備が終わります。もう少しお待ち下さい」
チャーリーに見られている。
だからといって緊張するようなことはない。てきぱきとこなす。こういうことはいままでもあった。雇い主は私たち(アンドロイド)の仕事ぶりを確認する必要がある。
家内ネットワークからの通知――検索エージェントがもう情報を集め終わったのかと思った。
違った――デルタが外出した。その通知だった。また
「どうした?」
チャーリーの問いかけに、手が止まっていることに気がついた。
「いえ、大丈夫です」
作業を再開する。背後でチャーリーがうなる。さきほどの続きか、プロメの挙動が気になるようだ。努めて意識しないようにする。なにか会話の糸口を。
「チャーリー様はデルタ様と戦友だったとおっしゃいましたが、やはりデルタ様を連れ戻しにこられたわけですか?」
「気になるかい」
素直に答えていいか、迷う。いや、ここは正直に答えよう。チャーリーはいまもっとも有用性の高い情報源なのだ。
「はい」
作業の手を止めてふり向くと、まっすぐチャーリーと目を合わせる。
「ふうむ、しかしプロメ君。きみはさっき会話を盗み聞きしていたろう」
「それは!」
「ああ――いや、勘違いしないで欲しい。咎めるつもりで言ったわけではない。なかなかやろうと思ってもできることではないから興味深かっただけだ」
「そうですか」
ほっとする。
チャーリーがにやりと笑う。
「それで、ぼくの目的だが、さっきも言ったように、ぼくは、いやデルタ君もそうだが、いまは大いなる
「当分はこちらに滞在される?」
個人用の
「きみの試用期間以上には、か。ふうむ、そうか。プロメ君はまだこの屋敷に来て三日目なのか」
「はい」
「となるといま、きみがなにより欲しいのは、正規の契約」
「はい」
「ふうむ、なるほどね。……わかってきた」
「はい」
「ぼくに口添えをしろと」
「え?」
「いやいやとぼけなくてもいい。ああ、もちろんデルタがこの屋敷の上位権限者であり、きみの雇い主だ。最終的には彼が判断する。ただ――採用の可否を、あるていどなら方向づけることならできる。ぼくはこれでもデルタ君とは長い付き合いだからね」
なんだか話が変な方向に。
「――だが、それには対価が必要だ」
にこりとチャーリーは笑う。目が笑っていないことに気がついて、プロメはぞっとする。
「それはなんでしょうか」
自分にできることなど知れている。
「実験だ」
「はぁ」
「ふうむ、理解が追いついていないな。ぼくはこれまでプロメテウス級アンドロイドに会ったことがない。だから調べさせてほしい。チャペック研は戦後もガードが硬く、なかなか情報が得られなくてね」
チャペック研――チャペック総合知能研究所は、プロメの生まれ故郷だ。現在、八番機までロールアウトしている妹たちを含め、プロメたちはそこで研究開発され、誕生した。研究所は人工知能によって文明階梯を登ることを命題に運営されている。象牙の塔のごとく閉鎖的で、克己の精神が強く、軍事方面に一切関与しないことで国際的に中立な立場を確立している、非常に稀有な研究所だ。「ロボット」という言葉を生み出したことを晩年まで苦々しく思っていた文化的英雄の名を、その発展形であるアンドロイドを研究する機関に冠したのは、一種の諧謔らしいのだが、滔々と語る所長の言葉を、プロメはよく覚えていない。それよりも確かなのは、自分たちプロメテウス級アンドロイドに最初に教えられた、
「それがまさか――こんなところで出会えるとは。たまの休みも捨てたものではない」
チャーリーは己の幸運を喜ぶように言った。
「そして、きみは強力な味方を得たわけだ」
はは、とプロメはすでに後悔し始めている。でも――確かにチャーリーの言うとおりだった。プロメはなにも知らない。なにもわからない。あるのは家事手伝いとしてのスキルだけだ。
不意に得体のしれない不安に襲われる。いや――そうだ、これは知っている恐怖だ。リサイクルされてしまうことへの、根源的な恐怖。
失敗はできないのだ。
なりふり構ってはいられない。
覚悟を決める。
「詳しいことはまた後ほど決めよう」
「かしこまりました。あ、お食事はどうなさいますか?」
「デルタ君と一緒だ。特に必要ない」
やはりサイボーグなのだ。
「かしこまりました。それでは失礼します」
深くお辞儀して客間から退出する。
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