2話

 明けて翌日の午後。

 プロメは自ら転倒で散らかしてしまった掃除道具を片付けると、午前に届いたメールをたずさえて、デルタの執務室をノックした。

「失礼します。お届け物をお持ちしました」

 電子化著しい現在ではとても珍しい、紙のメールだった。蝋で封印され、手紙の差出人には無骨な文字で戦災復興委員会、と書いてある。おそらく便箋が何枚にもわたっているのだろう、持ち重りする封筒だった。こういう形式の手紙を見るのは初めてだった。人と人が出会えばその瞬間に投影現実オーバーレイによる相互ID認証が済んでしまう。いまはわざわざ紙のメールを送る必要はない。ただそういう習慣が廃れたわけではないし、配達業は戦後もまったく健在だ。紙のメール――手紙は儀礼的な意味だけでなく、書かれている意味そのものを強調するツールになっている。込められた想い――プロメには計り知れなかった。

「ここに置いておきますね。ご確認ください」

 手紙をデルタはつかむと、そのままダストボックスに放り捨てた。差出人を確認すらしなかった。

(わ!)

 声が出そうになる。慌てて机を回りこみダストボックスに飛びつく。ダストボックスは照明や室温の管理と同様に屋敷の家内ネットワークによってコントロールされ、ゴミは地下のリサイクルシステムに集約される。

 間に合わなかった。

 ダストボックスは手紙を飲み込んだあとで、底の見えない奈落が口を開けていた。

(ああ、なんてことを)

 叫び出しそうになるのをこらえ、家内ネットワークにアクセスしてリサイクルシステムを緊急停止。

 執務室を飛び出して、地下に向かって走りだす。昨夜、地下区画を確認しておいてよかった。迷わず向かうことができる。廊下の角で勢いを殺せず、べしゃりと転倒して、それでも立ち上がって階段を一段飛ばして駆け下りて地下にたどり着く。

 発電装置の隣、リサイクルシステムの把手を引き上げ、プロメは上半身を中に入れる。

 暗く、埃っぽい。直前まで稼働していた、熱の残りがある。視覚を増感して手紙を探す。

 見つけた。

 手を伸ばし、つかむ。地下室の照明にかざして確認する。どうやら蝋が少し融けているようだ。でも手紙そのものには傷みは見えなかった。

 ほっとすると同時に、ふつふつと怒りが湧いてきた。リサイクルシステムを再稼働させて、プロメは手紙を握りつぶしてしまわないように気をつけながら執務室に戻った。

 差分を検出する必要もないほど、さっきと変わらぬ様子で、デルタは執務机に着いている。

 プロメは手紙を丁寧に執務机の上に置く。

 デルタを見上げる。座っていても身長差を感じる位置にデルタのミラーシェードがある。虹色に輝く鏡面からはどんな感情も読み取ることができない。

 ただ、デルタについてわかってきたことがある。きっと――手紙を捨てた動機を訊ねても、デルタはなにも教えてくれない。意思疎通をする気がないのだ。なんのためにデルタはアンドロイドを雇うのだろう。人型であることの利点を全否定され、ならば、とプロメは思う。ぜったいに楽しく会話してやるんだから――ただそれは今ではない。

 プロメは感情を殺し、深く一礼して、部屋を出る。扉に八つ当たりしないよう、努めてゆっくり閉めた。

 それから念のためリサイクルシステムに、紙製のメールが捨てられた際は一時的にはねておくコマンドを追加する。

 頬を叩き、意識をスイッチさせる。

 ふと足元を見ると、朝食にと用意したトーストが手つかずのまま、トレイに残されていた。

 完全義体の軍事サイボーグは人間的な食事から開放されているのだろうか。それとも単に食事の用意も必要ないという意志の表れなのだろうか――どちらとも判断がつかなかった。次こそはちゃんと訊いておかないと。

 ひとまず片付けよう。

 トレイを持ちあげ、歩き出す。

 昨日で屋敷と図面の誤差修正はほとんど終わっていた。

 そうなのだ、今日は午後から庭を片付ける。そう決めていた。予定よりも遅れてしまったが、これぐらいならすぐに取り戻せる。まずは庭全体のマッピングをやって――よおしやるぞと気合いを入れなおしているプロメの背後で、執務室の扉が開いた。

 もちろん出てくるのは、デルタだ。

 初めてまともにデルタの姿を確認した。座っている時に比べ、がっしりした印象が薄れて、静かに歩くその姿はとてもしなやかだった。背に黒く長い、棒状の物体を背負い、デルタは足早に階下に向かっている。

 追いかけるつもりはなかったが、プロメの行き先も戸外だった。

 自然と後をついていく格好になってプロメは戸惑った。

 デルタの目的がわからなかった。

 だから気になってしまった。

 予定よりも仕事は遅れているのに。

 庭の奥には、まったく手が入っていない森が広がっている。

 敷地外に出るとフォローを受けることができなくなる、という家内ネットワークの通知に少し迷うも、好奇心が勝った。

 揺るぎない歩みのまま、デルタは藪の中へ消えてしまいそうになる。

 それでも動体トレースが視界からデルタの姿を見失うことはなかった。デルタが通った後の梢の動きは、風のそれとは明確に異なっているからだ。

 不意に視界が開けた。

 倒木のせいで樹冠が切れ、広場のようになったそこに、デルタはいた。

 腰だめに黒い棒を構え、なにかを待っていた。

 緊張が高まり、次の瞬間――風が舞い、高い音が鳴った。

 そのことは認識できた。

 しかし剣閃はまったく見えなかった。

 黒い棒は反りの浅い忍刀ニンジャ・ブレードだった。

 音が連続して鳴る。抜刀から納刀までが一連の動きとして完結していた。次第に動きの速度が上がっていく。独特の歩法が踏み込みの音を消している。聞こえてくるのは刃鳴りと、共鳴している鳥の鳴き声だけだった。いや、いまプロメが聞いている音はすべてデルタが生み出している。

 人の動きを超えていた。人であるにも関わらずデルタは、テクノロジーによってプロメに近い存在になっている。

 一連の動作は機械の迅速さと寸分違わぬ正確さで繰り返され続ける。

 しかしそれが、なぜかとても人間性を感じさせた。

 なにかに憑かれたようにデルタは繰り返し繰り返し、刀をふるっている。

 そうやってなにかを忘れようと、あるいは自分に憑いたものを懸命にふり落とそうしている。プロメにはそう見えてならなかった。

 降り注ぐ陽光の中、黒塗りの巨人が刻む舞踏は、とても哀しく、とても美しい光景だった。

 一切が静止した世界のなかで、小鳥がトレイの上のトーストをついばみ、首をかしげた。

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