episode2 貴族


 入学してから早半年。


 頬を撫でる風が冷たい季節になり、チラホラと冬用の制服へと衣替えしている生徒が見受けられる。


「おーい!レイオスー!」


 大きな呼び声と共に、全力でレイオス目掛けて走ってくるカーリ。


「貴族である俺を呼び捨てにするなと何度言えばわかる。五歳児でも数回で学習して止めるというのに…お前は五歳児以下だな。」


 少し息を切らしながら自分の元へと駆けつけたカーリに、早速呆れ顔で毒づくレイオス。


「そんなことより模擬戦やろうぜ!模擬戦!」


「さっきの実習で散々相手をしてやっただろ。」


「全然足りない!なーなー!模擬戦!模擬戦ー!」


「耳元で喚くな。騒がしい。」


 レイオスの体を揺さぶり、小さな子供のように駄々をこねるカーリを、レイオスは心底鬱陶しそうにカーリの手を払い除ける。


「はぁ…俺はこれから仕事があるから寄宿に戻る。だから邪魔をするな。」


 カーリにそう告げると、レイオスは学園外のすぐ側にある寄宿へと向かって歩き出す。


 この学園では、全生徒が身分関係なく学園側が用意した寄宿に入ることになっており、レイオスも例外ではない。


「仕事?」


 歩き出したレイオスの後ろを付いて歩くカーリ。


 どうやら付いていくようだ。


 レイオスは顔を少し顰めるが、付いてくるなとは言わないようで、カーリの質問に答える。


「当たり前だろ。俺は学生だがフィエルダー家の当主だ。当主としての仕事があって当然だろう。」


「へ~…具体的にはなにするんだ?」


「基本的には事務仕事だな。書類作成とか。」


「つまらなそうだな…」


「確かにその通りだが、これは重要な事だ。貴様のようなド平民では理解出来ていないとは思うがな。」


 レイオスは普段クールなイメージがあるが、学園長お墨付きの戦闘狂であり、そしてかなりの訓練馬鹿だ。


 常に体を動かしてないと気が済まない性格で、そこら辺はカーリによく似ていると言える。


 あまりノリ気がしないだけで、苦手というわけではない。


「おい、道開けろ。」


「ん?」


「いいから早くしろ。」


 唐突にレイオスがカーリの制服をグイッと引っ張り、道の端へと連れていく。


 レイオスの顔がいつもより真剣で、強ばっていたため、カーリもなんとなく察して大人しく従う。


「どうしたんだ?」


「ラティス王女だ。」


 先ほどまで歩いていた道の先へと視線を移すレイオス。


 レイオスの視線の先には談笑しながら、こちらへ向かってくる五人組の女生徒がおり、カーリも視界に捉えたようだ。


「どれが王女なんだ?」


「自分の国の王族の顔くらい覚えておけ。真ん中の桃色の髪をした方だ。」


「めっちゃ綺麗な人だな」


「頭を下げろ。」


「いてっ」


 レイオスにいきなり後頭部を抑えられ、無理矢理頭を下げられ、文句を言いたげにレイオスを見上げるカーリ。


「あら、レイオス様。ごきげんよう」


 ラティスがレイオス達の前を通り過ぎる寸前、レイオスに気づいたラティスが、レイオスに話しかける。


 ラティス=シルフォード。


 この国の第四王女で、王妃の六人目の実子。


 腰まで伸びた枝毛一つない綺麗に整えられた王妃譲りの淡い桃色の髪に、同色の優しい瞳。


 可愛さと美しさを両方兼ね備えた整った顔立ちは、多くの男を魅力する。


 ラティスの周りにいる女生徒と同じ制服を身にまとっているのにも関わらず、隠せない王女としての風格が滲み出ている。


「これはラティス殿下。今日も一段とお綺麗ですね。」


「あら、お世辞がお上手ですね」


「いえ、自分は世辞が言えるほど器用な男ではございません。」


「もう、意地悪なんですから」


 ほんのり染まった頬を、ぷくりと膨らませて拗ねたようにそっぽを向くラティス。


 彼女のあざとらしい表情に、レイオスも苦笑いを浮かべる。


「今日はどこかへお出かけですか?」


「ええ、クラスメイト達と学園街まで」


 先程言った通り、この学園は完全寄宿制なので色々と雑貨などに不便が生じる。


 なので、学園長のヒカルが学園のすぐ外に『学園街』と呼ばれる商工業の通りを作り、多くの店を学園内で所有している。


 まさか生きる伝説であるヒカルの学園で悪事を働くものはおらず、王女であるラティスが出歩いても問題はない。


 余談だが、この学園周りの土地一帯は王国内に存在はするが、ヒカルが褒美として貰った土地なので厳密には王国の領地ではない。


 王国や他国の者が学園に入る時は、他国に行く時と同様の手続きが必要である。 


「それは素晴らしいですね。」


 カーリが出会ってから半年間ですら見たことのない、爽やかな笑顔でラティスに微笑むレイオス。


 カーリが「誰だお前?」みたいな顔をしたので、レイオスは、頭を押さえつけられている手に更に力を入れ、カーリの頭を締め上げる。


 完全な自業自得だ。


「はい、今から楽しみです…おや、そちらの方は?」


「ん?俺?俺の名前はカーリだけど」


「カーリさんですか、覚えておきますね」


「あぁ!よろしくなラティスゥゥゥゥゥゥゥ!?」


 カーリに気づいたラティスが、挨拶のしたのも束の間。


 爽やかに王女の事を呼び捨てしようとしたあげく、握手を求めたカーリは、次の瞬間には土の中に頭を突っ込んで埋まっていた。


 もちろん、レイオスが一瞬で土の中に埋めたのである。


「連れが失礼をしました。」


「い、いえ、気にしてませんので大丈夫ですよ…?」


 頭を下げるレイオスに精一杯の笑顔を浮かべるラティスだが、その笑顔はどこか引きっている。


 これはやりすぎたなと、心の中で反省をしたレイオス。


「それではラティス様。自分達はここで失礼します。」


「あら、付いてきてくれるのでなかったのですか?」


「……その話はどこから来たのでしょうか?」


「年頃の女の子が五人だけで学園街に出かけるのですよ?心配してくれないのですか?」


「いえ、そちらには優秀な護衛が付いているようなので。」


 冗談めかしく笑うラティスに、レイオスは一番右端にいる物静かな女子生徒へチラリと視線を向ける。


「やはりそう思いますか?」


「えぇ、とても。」


「ならば安全に買い物が出来そうですね」


「ええ、楽しんできてください。」


 ニコやかな笑みを浮かべ、そのまま四人を引き連れて学園街の方へ歩いていくラティス達。


 すれ違いざまに右端にいた女子生徒と目線が合い、目で挨拶を交わすレイオス。


 (わざわざ性別変えてまで潜り込むとは…流石王族の護衛ってわけか。)


 先ほど、レイオスが視線を合わせた相手は王族に使えるニブル男爵家の当主であるブルー二=ニブル男爵で、今年三十歳のオジサマである。


 影から王族を守ることを目的としていて、どんな手を使っても王族を護衛すると聞いていたレイオスも、まさか性別や風貌まで変えて中等部女子に変装してるとは思わず、気づいたのは途中からだった。


「ん…ん~!…ぷはっ!」


 レイオスがブルー二男爵の事を考えていると、先ほどまで顔を土に埋めていたカーリが復活する。


「ようやく起きたか」


「ぺっ!ぺっ!死ぬかと思ったよ!」


「土蛇との挨拶は済ませたか?」


「うっかり食べそうになったんだからな!」


 口の中に入った土を吐き出しながら、袖口でゴシゴシとこするカーリ。


 その表情はゲンナリとしている。


「それは災難だったな。」


 カーリからの文句を他人事のように受け流すレイオス。


 なんとも涼し気な顔だ。


「人事みたいに言いやがって……」


「人事だからな。」


「それにしてもさっきの王女様だっけ、凄い美人だったな」


「まぁな。」


「レイオスにしては仲良く話してたけど、付き合い長いのか?」


「許嫁だ。」


「おー!すごいじゃん!あんな美人と結婚できるなんて!!」


 許嫁と聞いて急にテンションが上がり、レイオスの体を揺さぶるカーリ。


 この年代だと、あまり周りで浮ついた話などはあまりないため、物珍しいのだろう。


「許嫁と言っても親が決めたものだ。」


 揺さぶるカーリを鬱陶しそうに腕を掴んで剥がすレイオス。


「え?そんなことがあるのか?」


「お前は本当に無知だな。王国民かどうか疑わしいレベルだ。」


 無知なカーリに、呆れたようにため息をこぼすレイオス。


「貴族の当主が最もやらなければならない仕事がなんだかわかるか?」


「た、たたかう…?」


「…優秀な跡継ぎを残すことだ。貴族は血筋を特に重要視する。魔術を上手く扱えるものや、剣術の優れたものなど、才能ある血筋を少しでも自分の家に引き入れる。」


「へ、へー…」


「フィエルダー家のような、昔からある旧貴族はそうやって血筋を高め、進化し、強くなってきた。それを俺の代で止めるわけにはいかないからな。重要なことだ。」


「な、なるほど?」


 いきなり多くの難しい言葉を使われ、戸惑うカーリ。


 取り敢えず返事はしたが、内容の半分も理解出来ていない。


「理解しているのか?まぁいい。俺は十歳でフィエルダー家を継げるほどの才能を持った天才だ。既に色々と功績を上げているからな、それが認められて、王家の血筋を跡継ぎへと入れられる褒美を貰ったんだよ。」


「恋愛を褒美扱いだなんて、貴族って厳しいんだな…」


「フィエルダー家の長男に生まれた時点で決まっていた未来だ。元々、恋愛などに興味もない。だから、特に苦だと思ったことはない。」


「そっか…なんか悪かったな…」


 レイオスの言葉顔を伏せ、申し訳なさそうにするカーリ。


「さっきも言ったが、元から気にしていないことだ。それに、貴族の間では、爵位が上という理由だけで、一回りも二回りも上と結婚させられたりするからな。」


「え、えーと…」


「貴様が、貴様の母親と結婚するようなものだ。」


「うへぇ…」


 明らかに嫌そうな顔をするカーリ。


 実際、四十の歳の差で結婚した例もあり、十歳差くらいならば、特に珍しくもない話だ。


「だから俺は運がいい方なんだよ。」


「キゾクコワイ……」


「お前の中でこれがおかしいと感じるのは仕方ないことだが、俺の中で貴様ら平民の行動がおかしいと感じるのも一緒だ。身分の差は価値観の差と同じだからな。」


「まぁ、身分の差があっても俺とレイオスは友達だけどな!」


 レイオスの肩に手を置こうとするカーリ。


「馬鹿か。俺がお前と友人になることは未来永劫こない。」 


 心底嫌そうに、その手を払い除けて再び寄宿へ歩き出すレイオス。


「まだ付いてくるのか貴様。」


「暇だしな~」


 再び、レイオスの隣へ自然に並ぶカーリ。


 出会った頃なら「貴族たる俺の横に並ぶな。殺されたいのか」と言ったりしてたのだが、今じゃレイオスもそれを咎めたりはしない。


「そういえばさ、レイオス」


「なんだ?」


「爵位ってなんか色々あんじゃん?レイオスは伯爵だったりとか、あれっていくつあんだ?」


 当たり前の質問ばかりで、流石に頭の痛くなるレイオスだが、寄宿に付くまでの暇つぶしには丁度いいかと思ったのか説明をしていく。


「爵位は上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五つだ。合わせて五爵とも呼ばれる。一応、王家に仕える騎士には子爵とは違って騎爵きしゃくってのがあるが、正式には貴族ではない。」


「こうしゃくが二つ?」


「王族の血縁者。まぁ、王様の親戚にあたるのが公爵。そして、王国領内のそれぞれの土地をおさめる…お前には領主と言った方が早いか、その領主の役割を務めてるのが侯爵だ。」


「よく分からないな…」


「まぁ貴族の間でも王族の方を公爵こうしゃく、領主を侯爵こおしゃくと、分かりやすいように発音で分けている。」


「あ!それなら分かるな!」


 ようやく自分に分かる話が出たため、妙にテンションが高くなるカーリ。


 レイオスも、ようやく理解したカーリを見て少し機嫌が良くなり、饒舌になる。


「ちなみに俺達伯爵は、王族の側近や戦争などの戦いが主だ。子爵は代官などの王国内の重要職。男爵は、王国軍などの軍の取締役とかだな。」


「へー、それぞれちゃんと役割があるんだな」


「この右胸にある貴族の証であるワッペンで貴族かどうかを判断するのは知ってるな?」


「まぁ、レイオスが口うるさく言ってるし…痛い!痛い!耳を引っ張るなよ!」


 また不用意な発言をしてレイオスを怒らせるカーリ。


 耳を引っ張るだけでなく、捻りあげげるレイオス。


 まさに鬼である。


「このワッペンは星型で、それぞれの頂点に意味がある。五爵のトップである公爵が一番上。左に当たるのが侯爵。右に伯爵。左下が子爵。右下が男爵だ。」


「そんな意味があったのか~」


「だから俺の胸のワッペンの星を見てみろ。右側の先が赤く塗りつぶされているだろ?それがその爵位だという証だ。」


 得意気に説明するレイオス。


 心做なしか、レイオスの足取りは軽い。


「おぉ!意外にしっかり作ってあるんだな!」


「お前は貴族の証をなんだと思ってるんだ…っと。」


 少し話に区切りがついたところで、ちょうど寄宿の前に到着するレイオス達。


「話しながら歩くと、時間って早く感じるな~」


「俺はもう行く。お前も自分に必要なことをやっておくんだな。」


「必要なこと?」


「今日、座学の魔術理論で共通の初級属性魔術の基本理論についてのレポートが課題に出てただろ。」


「あっ!」


 レイオスに言われて、ハッとした顔をした後、すぐに絶望した顔をするカーリ。コロコロと表情が変わるカーリを見て、やはり忘れていたのかと呆れるレイオス。


 カーリはレイオスと違い、レポートなどの作業ができないうえに嫌いだ。


「とっとと終わらせることだな。」


「おう!行ってくる!」


 という言葉を最後に学校の方へ走っていくカーリ。


「さて、俺も仕事を終わらせるか…。」


 一人呟き、憂鬱な顔で寮の中へ入るレイオス。


 この後、夜中まで仕事が続き、レイオス自身がレポートの存在を思い出すのは翌朝のことだった。

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