クソゲー2 第22話  日常の終焉

カタカタカタ。

広々としたオフィスに、キータッチの音が十重二十重(とえはたえ)に鳴り響く。

相当数の人間が居るにも関わらず、誰もが終始無言だ。


それでも時折フロアに『バカ野郎! そんなんじゃ納期間に合わねぇだろうが、死ね!』だの『こんなミスするなんて新卒以下かよ! 給料支払わねぇぞボケ!』といった怒号が響くので、決して静かな環境とは言えない。

彼らが口を開かないのは、会話をするほんの数秒すら惜しいからであった。


そんな最中、一人のアルバイトが席を立った。

とあるゲームのアップデートに関して質問をする為だ。

この職場において、口頭による直接の質問はご法度である。

それを知りつつも、何度もメッセージによる問いかけに回答がないので、業を煮やしてしまったのだ。



「チーフ、ひとつだけ質問いいっすか?」


「……うん」



チーフと呼ばれた男は、手を休めずに答えた。

彼はかなりの巨体で縦もそれなりだが、ともかく横に大きい。

だが、返ってきた声は体に似合わず、消え入りそうなほど小さなものだった。



「今度のアップデートの件っすけど、これって一回データクリアしてから更新でしたっけ?」


「……まま、……で更新」


「すんません。もっかい言ってもらえます?」


「……してから、……で更新」


「あー、はい。了解でーす」



アルバイトの青年は頭を掻きつつ自席に戻った。

そして直ぐ様、同期の仲間にメッセージを送信する。



『やべぇ、豚に聞いてきたけど、何言ってっかわかんねぇwww』


『どーすんの。今日切り替えじゃねーの?』


『いい、やっちまう。残業したくねーし、クリーニングで更新するわw』


『え、ヤバくない? 許可取ってんの?』


『へーきへーき。確かこれで合ってると思うわ、つうかそんな気がしてきたww』


『あっそ。オレは知らねぇぞ。じゃあ今日は定時あがり?』


『おうよ。飲み行くべ』



それからメッセージウィンドウを閉じ、システム画面で2、3の更新作業を行った。

滞りなく対応出来た事をかくにんしてから、デスクPCの電源を落とし、足元のバッグを背負う。



「おつかれーッス」


「……つかれさん」



青年は背中に無言の重圧を感じつつも、振り替えることなくオフィスを後にした。


仕事なんかより余暇が大事。

業務をおろそかにしても、たとえ大きな犠牲を払ってでも、オフの時間は守られるべきである。


彼はそのような事を、心の中で囁くのだった。



ーーーーーーーー

ーーーー



修学旅行から戻り、生徒たちは既に日常を取り戻していた。

ただ一人の例外を除いては。

今だ旅行気分が抜けないのはミナコくらいだろう。

子鹿のキーホルダーを眺めてはヘラヘラと笑うのだ。

早く浮き世に帰ってこいよ受験生。



「おいミナコ。いつまで奈良に魂飛ばしてんだ。気持ち切り替えろよ」


「だって、このキーホルダー可愛いんだもん。買ってくれてありがとうね!」



あれは、帰りのバスに乗る前にお土産屋に寄った時の事だ。

そこでミナコが大量のアイスを買い込もうとしたので、オレが全力で止めた。

そのキーホルダーは説得の材料として買ってやったものだった。



「300円かそこらのお土産にそこまで夢中になるもんかね?」


「嬉しいものは嬉しいんだモン。ねー、シカゴロー?」


「名前まで付けてんのか、よっぽど気に入ったんだな」



一応子鹿のキーホルダーという触れ込みだが、見ただけじゃ分からない。

肥太ったように全体が丸く、へちゃむくれの顔をグニャリと歪めて笑っている、そんな作りなのだ。

これを可愛いと感じ取れるかは、当人のセンスに依存するだろう。



「じゃあリンタロー、私は部活に行ってくるねー」


「大会近いんだっけ。頑張れよ」


「もちろん! 最後の大会だもん。良かったら応援にきてねー!」


「おうよ。行けたら行く」



教室を飛び出したミナコが、やはりモブ生徒に何度もぶつかり、ペコペコと頭を下げている。

走らなきゃもっと早く行けるだろう事は毎度思うが、あいつは学習する気がないらしい。



「さてと、オレも部活に行くか……」



ポツリと呟いた。

まるで誰かに断るように、或いは言い訳でもするようにだ。

ほんの少しだけバツが悪くなるが、構わず話しかけた。

未だに帰ろうとしないエミルに向かって。



「エミル。お前はまだ帰らないのか? 部活とかやってたっけ?」


「リンタロウ君。お疲れ様ーまた明日ね!」


「お、おう。また明日な……」



いつもと同じ顔、大差ない言葉を残してエミルが去っていく。

その後ろ姿を眺めつつ、オレは自嘲めいたため息をついた。



「何やってんだか、オレはさ……」



日を追うごとに、情熱よりも冷静さが勝ってきた。

エミルに執着するのも、単なる逃避なんじゃないかと。

異様なまでに個性的すぎるヒロインの中に、ポツリと現れた普通の女の子。

その安心感や普遍さみたいなのが作用したんだろう。


ーー自我のない、人形と変わらない女性なのに。


だからこそ、なのかもしれない。

余計な性格が設定されていない分、自分の勝手な願望を押し付けられるからだろうか。

居るかどうかも分からない、完璧な女性の理想像のようなものを。



「まったく……オレもマリスケを笑えねえよな。モブに夢中になるのも、人形を愛するのも、大差ねえよ」



部活に行こう。

部室で存分に、感情の赴くままに弾いてみよう。

下手なりにも良い演奏ができるかもしれない。

そんな事を思っていると、それは起きた。


ーーゴゴゴゴゴゴッ!


地響き、そして大きな物音。

まるで天変地異でも起きたかのような、不吉な現象だった。

周りを見るが、誰一人慌てていない。

モブキャラには、非常時でも変わらないようだ。



「行かなくちゃ、行かなくちゃ」


「……え?」



変わらない、事は無かった。

むしろ、注意深く見ていると全くの別物だと分かる。

だがそれは、避難したり慌てたりというような、災害時に見られる行動じゃない。

誰もが無表情になり、目はうつろ、そして口からはうわ言を呟き続けているのだ。


ーー行かなくちゃ、と。



「お前ら、どこに向かってるんだよ!」



答える者は居ない。

それも当然だ。

モブキャラが自発的に喋る事はないから。

元シナリオに記載されているか、マリスケのサポートが無ければ、無駄口ひとつ叩いたりしないのだ。


だからこそ不気味だ。

男女の隔てなく、生徒も教師も全員が、同じペースで呟いている事が。

そして行進でもするかのように、整然と列を為している事が。



「マリスケ、ミナコ、ルイズ! 誰か居ないか? 返事をしてくれ!」



返事がない。

あるのは一定のうわ言ばかりだ。

そして、第二波の地響き。


ーーゴゴゴゴゴゴゴ! ドォン!


建物が再び大きく揺れる。

今度は何かが倒壊したような音まで聞こえた。

地震のせいなんだろうか。

建物が崩れ落ちる程の震度では無いと思うが、あくまで想像の範疇でしかない。

事態を知るにはこの目で確かめるのが一番だろう。



「ともかく、何かが起こってるみたいだな。こいつらの行く先に行けばわかるのかも」



揺れが治まってから、行列をたどってみる。

それは廊下、階段、下駄箱から外へと繋がっていた。

靴に履き替えて外に飛び出す。

すると、そこに広がっていた光景に、思わず言葉を失ってしまった。



「なんだこれ……外が、無い!」



比喩じゃない。

本当に学校の外側が、暗闇に覆われでもしたかのように、何もかもが無くなっていた。

駅まで繋がっている通学路。

道に沿うようにして立ち並ぶ住宅街。

寄り道に最適な公園。

全てが闇に染められていた。


もちろん、夜中には早すぎる。

今はまだ午後の4時なのだ。

実際空は夕暮れ時といった色合いだ。

その赤みのかかった空も、まるで切り取ったかのように、ある領域から先は真っ暗だった。



「何が起きてんだよ……。こんなイベントがあるなんて聞いてねえぞ!」


「行かなくちゃ、行かなくちゃ……」


「おい、お前ら。そっちに行くなよ!」



モブキャラの列は校門を抜け、そのまま闇の世界へと続いていった。

なんら抵抗することなく、一定のペースを保ったままに。



「エミル! エミル、しっかりしろ!」


「行かなくちゃ、行かなくちゃ……」


「よせ、絶対にロクな目に合わねえぞ! それ以上進むんじゃねえよ!」


「行かなくちゃ、行かなくちゃ……」



校門を抜けようとするエミルを捕まえたが、留めることまでは出来なかった。

全力で引き止めようとするが、意に介さずに行進を続けている。

なんて力だ。

とても女の子のものとは思えないほどだ。


腰にしがみついて踏ん張るが、それでも止まらない。

減速させることすら出来ないでいた。

目の前に闇。

無明の世界が広がる。


ーーゾワリ。


途轍も無い恐怖。

心臓を直接握り潰されたかのような、強烈なまでの威圧感。

オレはつい我を失ってしまった。

そして、両手を離してしまう。



「エミル、戻れ!」


「行かなくちゃ、行かな……」


「……何てことだよ」



その背中が完全に向こう側へと消えた。

物音も、悲鳴ひとつ聞こえやしない。

その事実が尚更恐怖心を煽った。



「リンタロー! そこは危険でござる! 早くこっちへ!」


「マリスケ! どこだ!?」


「ここ、ここ! ともかく屋上まで来るでござる!」



振り向くと、本校舎の屋上に何人か居るのが見えた。

大きく手を振っている男がマリスケだろう。



「マリスケ、これはどういう事だ! 何か知ってるのか!?」


「話は後! 急ぐでござるよ!」


「わかった。すぐに向かう!」


「危ないリンタロウ!」



遠くから聞こえる悲鳴。

それはオレの境遇に向けられたもののようだ。


ーーガコォン!


突然地面が割れた。

氷の板が崩れるように、地面が大きく割れて、地滑りが起きた。

やばい……このままじゃ地中深くまで落とされちまう。

手を伸ばしてしがみつこうとすると……。


ーーパシッ!


誰かがオレの腕を強く掴んだ。

頼るには余りにも華奢で、白く小さな左右の手。

それに支えられて、宙にぶら下がる。



「リンタロー大丈夫!?」


「ミナコ! 無事だったのか!」


「もう安心して。今助けてあげるからね!」


「バカ! お前じゃ無理だ、一緒に落ちちまう前に早く離せ!」


「絶対ヤダ! 何があっても離さないんだから! それにもう少し頑張れば、アスカちゃんが来てくれる……」



ミナコが懸命に踏ん張る。

だが、間の悪い事に、三度地鳴りが発生した。

地面が大きく割れる。

必死に耐えるオレたちを巻き込んで。



「キャァァァアアーー!」


「ミナコォ! 掴まれ!」



オレたちは真っ逆さまに落ちていった。

光の射さない闇の中を。

手探りでミナコを抱き寄せ、頭を両手で包む。

それが危険を顧みず助けに来てくれた礼。

そして、巻き込んでしまった事の罪滅ぼしだった。


どれだけ落ちたのか分からない。

だが、終着点はあった。

ドフッという音とともに、凄まじい衝撃が走った。

うめき声をあげる事も出来ない痛みの中で、地下深くまで落ちた事を知るのだった。




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