飴と傘

ひよく

あの日の幻想

「これあげる」


泣いていた私に、貴方は小さな飴玉を差し出した。


それが2人の出会いだった。

それからは何をするにも2人一緒だった。


貴方の遊びは泥だらけになるような事ばかりで、家の中でばかり遊んでいた私にはとても新鮮だった。


2人でどこまでも遊びに行った。

迷子になって、親が探しに来るまで。


初恋というには幼過ぎて、でも甘酸っぱくなるような気持ちは、やっぱり恋だったのかもしれない。


そんな日々は2人が大人になるにつれて、少しずつ終わっていった。

男女を意識する年齢になると、仲の良すぎる異性の友達は周りから揶揄われる。


それでも一緒にいたい気持ち。

同性の友達の中で遊びたい気持ち。


そんな中、少しずつ距離が開いていく。


そして、中学を卒業する頃にはもう‘ただのクラスメート’になっていた。



あれから何年経っただろう?


私は逃げるように退勤し、当てもなく街を歩いていた。


仕事でくだらないミスをして、会社に損害を負わせてしまった。

上司にはこっぴどく叱られた。

自分は‘できる女’だと鼻にかけていた節のある私は他の女子社員からも総スカンをくらった。


だけど、それよりも何よりも自分自身が情けない。


若いだけですべてが許されてきた時代は過ぎた。

これからは実力が物を言う。

それなのに、私はこの世界で生きていけるの?


我知らず、涙がこぼれていた。

雨が降り始めていた事も、気付いていなかった。


「濡れますよ」


そんな私に後ろから声がかけられた。


雨の中、傘を差し出す貴方。

否、貴方かと思ったのはあの日の幻想。


私を追いかけて来たのは別の男性だった。

私と一緒に企画を立ちあげていた会社の後輩。


年下の男に泣いているところを見られ、悔しさのあまり、私は声も出せずにいた。


そんな私に彼は何を言わず、困ったような微笑みを浮かべていた。



その彼が今の夫。


結婚して母となった今も、私は仕事を続けている。

家庭との両立はそれこそ泣きたいくらいいろいろな試練があったけれど、夫は協力的だったし、私も仕事が好きだった。


貴方の事はたまに風の噂に聞く。

高校を卒業した後、もともと好きだった料理の世界に入ったらしい。

今は奥さんと自分の店も持っているとの事。


よろしくやっているみたいじゃないの。


私の事は覚えていないかもしれない。


まあ忘れていても良いんだけれど、私はたまに思い出している。


泣いていた私に飴玉を差しだしてくれた貴方。

そして、泣いていた私に傘を差しだしてくれた今の夫。

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飴と傘 ひよく @hiyokuhiyoku

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