第27話負けない覚悟
右手が重い……聖剣ガルガンチュアはわたしには重すぎた。
どうしてこんなに、事態がおかしくなるまでわたしは気づけなかったんだろう。
トウマはもう、死んでしまいたかったのか。
そもそも、生贄に選ばれたって聞いた時点で気づくべきだった。たとえ魔物に食べられなくても、この人は――トウマは自分で命を絶ちかねない感じのメールを送ってきた。
わたしが近づくと、ずがん! と音がして、次いでめりめりぐしゃりという不可逆的破壊音がした。
トウマだ。駅の構内は商業施設の下にある。構内の天井と一緒に、フロアをぶち抜いて、空まで穴を開けちゃった。そしてトウマはググーンと飛び上がって雲間からのぞく太陽の逆光になりながら、こちらを見ていた。こい、という意味だろう。
わたしは迷わず追いかけた。その直系二十メートルはある穴の中を。
目の前には魔王の姿に変容したトウマがいる。
トウマ、わたし……。
彼は暗い瞳に白い光をともし、わたしを見ている。
わたしは空気に押されるように近づき、そっと目をつぶった。
「ミリシャ……」
トウマがわたしの名を呼んだ!
もうそれだけで、胸がいっぱいになってしまって、わたしは彼の唇にキスをした。
「やっぱり、キス魔なんじゃない?」
こんなときに、またいうから、わたしは状況も忘れてふふっと笑った。
「わたし、トウマとしかキスしたことないよ?」
「男みょうりにつきるな」
「好きって意味だよ」
「ますますキミの望みを叶えたくなった」
ねえ、トウマ。
「あなたの望みってなんなの?」
「今はキミの夢をかなえること」
「じゃあ、全然食い違ってる。この世に、勇者トウマがいないなら、わたしの夢は消えてしまう。あなたの愛する未来を、一緒に見たいから、だから勇者になりたかったんだ」
「それでも、もう、ボクは未来を望むことができない」
そのとき、すうっとトウマの指先が、わたしの胸に風穴を開けた。
わたしは勢いを失って落下。見上げてきていた人間たちの上へ……。
激しく背中を打ち付けて、茫然と穴の向こうを見つめるわたしに、人間たちがのぞきこんできた。
「こいつは魔王の仲間だ。俺たちを殺す気だ!」
ざわざわ。
ち。だから、そういう三文芝居につきあう義理も暇もないんだよね。
「魔物みたいな術を使うじゃないか。空だって飛べる。人間じゃないんだ。むしろ、敵だ!」
ああ、そうだよ。わたし、人間を救う気、なくなっちゃった。だから言う。
「わたしは前魔王の娘。ミリシャ・フリージア。それ以上近づくと殺すわよ」
瞬間湯沸かし器のように、人々はわめきだした。
「俺らをだましてたのか! おまえが魔王の子供なのか!」
「ええ、そうよ。煮るなり焼くなり好きにしたらどう? じゃなくちゃ、わたしがアンタたちを喰らう」
何人かは脅えて退いたっけな。しかし、心身ともに荒れていた人々は、わたしの手足を拘束して担ぎ上げて軽々とエスカレーターまで運ぶ。
「処刑だ」
「……」
「……」
黙り込んでこちらを睨み据える男たち。そんなに元気なら、自分の未来くらいどうにかなるでしょ? わたしと違って。好きな人が魔王になったんじゃないんだもん。
思った瞬間、わたしはエスカレーターの上から突き飛ばされた。
わ! 頭打っちゃう。
思ったのもつかの間。急なエスカレーターの上から下までだからね。
「首の骨が折れた……」
むっくり起き上がると、人間たちがざわめく。
「死なんぞ」
「やっぱりバケモノ……」
なによ、そうだって言ってるじゃない。
そのときうわばみさんが姿を現して言った。
「勇者は常人とは違うッす! 魔王を倒すため、特異にできてるっす」
ざわざわざわ。
騒ぎ始めるモブたち。
「そうなのか?」
「嘘だったらこんどは八つ裂きにするぞ」
おっそろしいこと言ってる。
うわばみさんが人々の黒い群れをかきわけて、そばに来てくれた。苦渋の顔をして。
「あの人間たちにとって、異能を持つ者は魔族か勇者か、どちらかなんす。もう、決めてください! 勇者になると。彼らの勇者になってください。ししょーは与えた希望の分だけ責任をとらなきゃいけないっす」
わたしは、天井にあいた吹き抜けの穴を見つめた。
ヨコハマの中でも廃墟に近いここが決戦地か。
でもわたしは初めから決めている。トウマのいるところがわたしの居場所だ。
わたしはうわばみさんに向かって首をふった。
「トウマと行く」
「その如月トウマが、勇者になれっつってんですよ!?」
「知るもんか」
望まれようと望まれなかろうと。わたしはトウマと行くんだ。
「あの決心は、決意はどこ行ったんすか!」
いや、どの決心? 最初からわたしは言ってるじゃん。
「王子様と一緒でないと……姫は幸せにはなれないの」
「冗談じゃないっす! ここまできて!」
「誰のための命よ!?」
うわばみさんは、何か言いたそうに口を開け閉めしている。本当に、わかってくれてなかったんだね。
「わたしは、わたしの思うままに、生きたいの」
お願い。考えさせないで。人間界のこれからなんて。本当、ガラじゃなかった。
「ししょー、考え直してください!」
そんなの……。
「考えるまでもないでしょう。人間界は魔界に呑まれる。魔王がトウマなら、うまくいくよ、きっと」
「そしたらししょーも魔王によって、殺されるんすよ!?」
「かまわない」
轟音と共に雨が降り注ぎ始めた。瓦礫の向こうから、赤ん坊を抱いた女の人がよろよろと歩いてくるのが見える。
「あなたあ、あなたあ!」
あれは……。
みんな黙っている。舌打ちする者もいる。下を向く者もいる。正面から受け止められる者はいなかった。
「あなたあ……帰ってきてー!」
わたしは眉間にしわが寄るのを止められなかった。
どうして来たの!? あなたの旦那さん、もう……。
「あなたあー!」
必死で泣いている。女のたくましい脚で、うずくまる人々をかいくぐり、押しのけて、きょろきょろしている。
「帰ってきてえ……!」
もう、無駄よ、奥さん。
言ってやりたかったけれど、それは今のわたしと同じだったから。だから、無理だった。
雨の降りしきる中、奥さんは赤ん坊を抱えて、わあわあ泣いている。
あれは……わたしだ。もう一人の。
エスカレーターの下から、傘をポムンと開く音が聞こえた。わたしはそれをひったくって、奥さんの元へ……。傘を、さしかける。
「大丈夫?」
「あのひとは……あのひとは?」
話がつながらない。
「通達が来たんでしょう?」
「あのひとを返して!」
あきらめなさいよ。
「この魔物!」
! わたしは自分の姿を見た。ピンクのマントを着ている。この梅雨のさなかに。言い逃れできない。
「おまえなんか怖くない! あのひとを返せ! 返せえ!」
怒号。恫喝。悲鳴。
……これは。わたしの出る幕ではない。
「この世の勇者に出逢ったら、あなたの旦那さんのことを頼んでおいてあげるから」
「いい加減なことを言うな、この……悪魔!」
悪魔か。わたしは耳を触る。めきょめきょっと音がして、そこから何かが芽生えた。
「角……」
奥さんが息を飲んでいる。
「ああ……これ」
ママが死ぬ前に、封印しておいてくれたの。わたしが人間として生きていきたいって言ったから。でもまあ、もういいや。
マントをばさっと翻したら、尻尾まで生えてた。白い、外骨格の。
正直、動くのに邪魔なんだけど。魔物に戻るんならなんでも念力でできることだし、動く必要性がない。
「もう、いいや…‥」
トウマも魔王になっちゃったことだし。
ぼんやり考えてたら、頭上から雷が落ちてきて、その場にいた全員が悲鳴を上げた。
「ミリシャ……来ないか」
「……」
「かかってこい」
トウマ。
当たる人間、間違えてるよ。奥さん、あっけにとられてるじゃない。赤ちゃん、死んじゃったじゃない。わかっててやったの?
「そんなの、如月トウマじゃない!」
わたしはマントの前を開いて、トウマが魔王の心臓をとり去っていった傷痕に触れた。
そこには青く輝く光があって。それは死んじゃったママからもらった、勇者の魂だった。
勇者の魂は、人を生かすことができる。死んだ者も、一回こっきりなら、生き返らせることができる。
わたしはわたしの、最後の人間らしい光を使った。
赤ちゃんを生き返らせた。その吐息に触れる。雨がやみ、赤ん坊の泣き声が響き渡る。もう、これでいいよね。
勇者になりたいごっこはもう、おしまい。
これで……いいよね。
「異貌の……勇者」
だれかがつぶやいた。
勇者の魂が、魔王の心臓を封じてくれるって、ママは思ったのかもしれないけれど。実際、その存在を忘れ去るほど、魔王の心臓はおとなしくなってたけど。
でも、じゃあ。今、トウマの中で、それは同じようになっているんじゃあないのか?
トウマ、無理してる……? わたしを勇者に仕立てるために? どうして……どうしてよ!?
見上げれば、トウマの長い爪がわたしをさしまねく。
「トウマ……」
かなしい。こんな哀しいことってあるだろうか?
「だめえ!」
わたしは一気にトウマのいる空まで駆け上った。
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