第26話なぜたたかうの?

 うわばみさんの開いた道は、ちょうどヨコハマ駅の構内につながってた。思った通り、多少の誤差は出たけれど、うわばみさんは魔力のほとんどを失っているのだ。いや、ご指摘のとおりわたしのせいだけど。しかもわたしのセンサーは一切働かない。多分時間が立てば回復するだろうけれど、その時間はない。


 わたしはトウマの手をぎゅっと握り、ぐっと見つめた。


「覚悟は、あるんだな?」


 トウマはそんなことを聞いてくる。


 どんな覚悟が必要かなんて、てんでわからない。


 ただわたしは、自分にできることをするだけ。


 想像を絶する戦いが、待っている。だから、わたしが頑張らなくちゃいけないんだよね? そういうことなら。


「うん」


 わたしは頷いた。


 人間たちがこの世界を回すためだけに存在している、交通網はそのまま。だけど、柱の影や、階段にうずくまる人、人、人――。キレイなスーツを着た男性や、幾層にも重ね着した女性、酔っぱらって人事不省に陥っている若者もいる。


 みんな家を無くしたか、魔族に通達をもらって、おとなしく喰われるのを待っている。そのわきには吐しゃ物や、アンモニアの臭いが充満していた。


 わたしは胸がチクンと痛んだ。もしかしたら、トウマもこの中にいたかもしれないのだ。


 ――魔族のせいだ。


 膝を曲げて倒れている男性がけいれんを始めた。何かの発作――? だけどこの人は病院にかかるお金もない。わたしはほんの少しの魔力をもって、痛みを取り去ってやろうとした。


 しかし、彼はびくんびくんと体をこわばらせながら、歯を食いしばり、気を失った。


 その様子は、わたしの中で、打倒魔族の意気を激しくした。この人間たちが苦しんでいるのは魔族のせいなんだ。本来なら、温かいふとんに包まって、すやすや眠っていられたはずなんだもん。


「トウマ、わたし……」


 人間と友達になりたい。


「大丈夫だ。ボクがついてる!」


 そう叫ぶと、トウマはぐっとわたしの肩を抱いた。


 そのとき、どくんと心臓がとびはねた。魔王の心臓は別。こんなに胸が痛いのに、わたしが魔王になるまで、一日に数回しか拍動しない。その心臓が、なぜかトウマのそばにいると妙にドキドキいいだすんだ。トウマも同じようで、力強い彼の鼓動がシャツ越しに聞こえてくる。


 今まで震えてうずくまっていたうわばみさんが、トウマとの間に踏みこんできた。


「うわばみさん?」


 彼女の行動の意味が、わたしにはわかっちゃいなかった。


「また、おかしなことになってるっすよ。ししょー。如月トウマ」


「いや、おかしいことじゃない」


 トウマが言った。


 そうだよ、わたしたちは恋人なんだもん、ときめいちゃうのはしかたない。


「そういうんじゃないんすよ。これは二人が惹き合っているとかじゃない。魔王の心臓と、勇者の魂が、近くにあることで両方覚醒しつつあるんです」


 わたしが文句を言おうとしたら、即座にうわばみさんの反論が飛んできた。


「十二の魔神の試練をうけて、勇者の魂は光ります。そして、覚醒した魔王の心臓に呼応して持ち主を勇者足らしめるんす」


 え? それじゃあ、魔神を倒してないわたしは勇者になれないってこと?


「魔王は勇者にしか倒せない……って。勇者の技を会得してないわたしでは魔王を倒せないっていうの?」


 そのうえ、わたしは未だに魔王の心臓の持ち主だ。どうしたらいいの?


「手はある。魔王の心臓を、ボクにくれ。そうしたらミリシャは解放される。これまでのラジオでも告知をしてきたんだし、四天王を倒すところも動画で拡散中だ。みんな、キミを勇者と認めてくれるよ」


 なに……言ってるの?


「なにを、言っているのよ!」


 魔王の心臓を?


「トウマに移植なんてしたら、トウマが死んじゃうよ」


 トウマはハッとするほどはかなげに笑った。


「ボクには勇者の魂が宿ってる。実績もあることだし、認めてくれないか?」


「今……わかった」


 わたしの目から反射的に涙があふれていた。


「わたしは勇者にはなれないんだ」


「なれる」


 間髪入れず、即答された。


「キミが、ボクを殺せば……そのために、魔王の心臓を移植してほしい」


 でなければ、どうするというのか。


「キミの許諾無しにも、可能なはずだ」


 え? 譲渡はわたしにしかできないはずでは?


「魅了の呪文で、言うことを聞かせる。キミが抵抗するのなら」


 そんな!


 胸の奥がうずく。けど、まだるっこしいことは嫌いだ。


「ししょ―、そいつは、如月トウマは間違いなく勇者です」


「そんなこと、いわれなくったってわかってる!」


 しかし、うわばみさんはザンバラの髪を振り乱して首を振る。





「そうでなく。今、覚醒したのです。ししょーの中の魔王の心臓が引き金となって!」


「ま、魔王の心臓が!?」


「正確には、その胸にある魔王の心臓が拍動を始めた、それが勇者をかりたてる源なんす」


 トウマが鬼神のように見えた。


「ししょー、逃げて!」


「いや! わたしは……わたしはトウマを信じている!」


「馬鹿な! あなたはこの世から消滅したいんすか!」


「トウマ……!」


 ゆっくりと、破滅と絶望が降ってくる。


「キミは勇者になるはずだったろう?」


「でもできない」


「手伝うよ」


 どういう、意味……?


「早く魔王の心臓をよこすんだ。このボクに」


「なっ!」


「魔王の心臓がその力を放出するとき、勇者は目ざめる」


 なにを……言っているの?


「ボクが魔王になる。君は勇者としてボクを討て」


「そんな!」


「それしかない!」


 間髪入れずにトウマは、激しく言った。


「よこさないなら、奪うまでだ」


「待って、そんなこと……」


 そのとき、トウマは的確にわたしの体内の心臓の位置を、把握していた。


 彼の手刀が魔王の心臓に到達し、えぐり出そうとした。


「トウマ――!」


 トウマは、血に濡れた手でわたしの胸から魔王の心臓をとり出し、喰らう。


「一体、なにを……トウマ!」


 真白になる思考。


「今から、ボクは魔王になる。キミは勇者となって、ボクを滅ぼすんだ。キミならなれる。多くの人々を救う、勇者に……ッ!」


「そんな、いやあ!」


「忘れたのかい? それが、キミの望みだったはずだ……」


「望んでない! トウマが魔王になって、わたしがあなたを殺すなんて!」


「魔王が勇者になるには、それくらいしなくちゃ」


 魔王の心臓がトウマの中で拍動を始める。


 わたしの体が光りはじめる。


 もしかして、これが勇者としての覚醒!?


 悪を退ける者の証……?


「いや、いやああああ!」


 わたしの前に魔剣ガルガンチュアが現れる。


 触れると、その黒い刀身が黄金に変わる。


「これで、討てと……あのひとを、トウマを!?」


 流れる涙。


「ボクが、ボクでいられるうちに……早く」


「無理だよ!」


「できる! キミは世界を護りたい。ボクはキミを殺したくない。利害の一致だ」


「……笑えない!」


 言いながら、わたしは泣いていた。


「それは、かなしいな。キミのために用意したステージなのに」


 トウマは廃墟と化した摩天楼を背にして眉をわずかにひそめた。


「こんなの、うれしいわけないでしょ! あなたのいない世界で、どうやって生きていけばいいの?」


「勇者として、生きていけばいいよ……」


 トウマは、完全に変化した。


 黒々とした螺旋を描く鋭い角を額に生やして、緑のうろこが全身を覆い始める。


 多分、わたしがそうなるはずだった姿に。


 わたしは、絶叫した。


「どんなにつらくとも。孤独でも。勇者になりたいと言ったキミになら、できる」


「だから、無理なんだってば! わかってよ、トウマ!」


「よく見ろ、この世界で……血涙を流さない者が一人としているか? キミが、救うんだよ!」


「やだ、やだやだー! トウマがいなくなっちゃうくらいなら、世界なんて壊れてしまえばいい!」


「キミが救わないなら、そうなる」


「へ?」


「キミが指をくわえて、ただそこで見ているだけなら、世界は壊れる。ボクが壊す」


 その青白い炎は、もはや人知を超えてトウマをくるわせ、暴走せしめようとしていた。


 わたしはまぶたに映る人々の影を見た。


 みんな、おびえたようにこちらを見ていた。


 なあに? わたしに言いたいことがあるっていうの? あんたたちはこんな世界にすがって、生きのびたいの? トウマが、救ってくれないなら、こんどはわたしに救えっていうの? おかしいじゃない! あんたたちの世界でしょ? なんで、なんでわたしが!


「なんでわたしが、あんたたちを救わなくちゃいけないのよ!」


 やめて! やめてよ! そんな目で見ないで!


 娘を思ってわたしに石を打ちおろした女性。多分わたしより若いけど。だから許したけど。娘が無事でよかったね! でもわたしは殺されるところだったね!


 母親に心配されていた娘さん、わたしから見たら、ほんのあかちゃんだけど。だから見逃したけれど。お母さんが魔物殺しになる前に、帰ってこれてよかったね! 殺されるようなこと、わたし、したっけな? 多分、今は思い出せない。


 かなしい。かなしい。この世はかなしいことだらけ。


 そんな世界を護ってなんになるの!?


 好きなひとすら救えないのに、なにを支えに、なにを求めて、なにを信じて!?


 そうか……トウマ。


 そうだったのか。


 だから、トウマは寂しそうだったのか。悲しそうだったのか。


 あなたもだったんだね。


 人は裏切り、奪い、そそのかしあい、自分の手は汚さず腹の中は真っ黒だ。


 だから、あなたは。


 かき消えそうなほどに、美しかった……!


 打ち勝ったから。


 あなたは、あんな人々を裏切らず、奪わず、そそのかされず。魔物の血で手を染め、戦ったから。


 だから、わたしにもそうしろっていうの?


 できない。


 そんなのだめ。


 絶対無理。


「無理よぉ……」


「やるんだ! 自信を持て。最後は自分で決めるんだ」


 思えば、あなたは自分の運命に対して無責任すぎた。その生き方は潔いとも思えたけれど、わたしにそうしろっていうのは、やっぱりおかしい! 


「くだらない、こんな世界のために生きようなんて。恐ろしい。あなたを失うことが! こんなにも!」


 くだらない! こんな世界、なにもかも! 全てが、愚かしく、つらい……。壊れる……。壊れればいい、こんな世界!


 わたしのなかの怨嗟が、黄金のガルガンチュアをまたも漆黒に染めていく。


「そうだ、こんな世界、壊しちゃえばいいんだ……」


 トウマ、ぉおお!


 トウマ、聞いて。


 わたしはね、あなたが好きだった。


 あなたの生きる世界を護りたかった。


 だけど、あなたがこの世界を壊すなら、わたしはとめない。


「壊れろ、こんな世界!」


「ししょー。いけないっす!」


 止めにかかるうわばみさんをガルガンチュアで振り払う。


「ミリシャ・フリージア……!」


 そのとき、黒いスーツを着たこぎれいな男の人が、叫ぶ。


「ミリシャがやってくれる!」


 灰色の背広の男性が、無気力にカバンの上に座りこみながら、ブツブツ言っていたが、無機質な気配をさせて立ち上がり、それを制した。


「無駄無駄無駄ァ! どうせこの世は終わりなんだ、ミリシャがなんだ! 勇者がなんだ! 夢をみてるんじゃない!」


「だって、動画配信、観てたでしょ!?」


「そんなもんを信じるほど、おめでたくできてないんだよ! 勇者だから? この世を救うっていうのか? できるもんならやってみろ!」


「強い魔物をガンガンにやっつけてくれる、それがミリシャなんだよ! 勇者だろ?」


「勝手な夢をみるのはいいが、そのミリシャがどれだけのもんなんだ!? おまえは知ってるのか? 面識があるのか? ここがどんだけ泥沼か、わかってんのか!?」


「そうだそうだ! 今のヨコハマは魔の巣窟だ! 俺たちは食われるのをまつだけなんだよ!」


「だいたい、ミリシャって魔法少女は架空の人物だろ? そんなもんにいちいち心躍らせて暮らせるほど余命はないんだ、こちとら」


 架空の……人物? わたしは首を傾げる。


「勇者は……いるっす!」


 うわばみさんが天使のように体を発光させながら、空から打ちのめされうずくまる人々に告げた!


「ミリシャ・フリージアは、真の勇者っす。必ずやってくれるっす」


 なにを言っているの? それはとりもなおさず、トウマを……トウマを痛めつけるってことなんだよ!?


 できないよ!


「ししょー。今です。今しかないんす!」


 聖剣ガルガンチュアを持ったわたしに、注目が集まる。


 こんなことになるなら、勇者に安易にかかわるんじゃなかった。勇者になりたいなんて、言うんじゃなかった。


「キミの……覚悟を、見せてくれ」


 できない!


「……トウマァ……もう、無理」


「……」


 トウマは血色の悪い頬をひきつらせて悪道な笑いを張りつかせ、肩をそびやかしている。


 それも……演技なんでしょ?


 わたし、疲れちゃった。なんか、両肩が重くてね、ぐったりしてるの。これ、ガルガンチュアが重いせいとかじゃなく、無気力。全身が脱力して力が入らないよう。


 涙が重くて、目があかない……。風が強くて目にしみるの。びゅうびゅう吹いてくる。目の前、真っ黒。もう、見えない。見えなくていい。なにも見たくない。見たく、ないんだ……。


「な! ししょー!」


「思ったとおりね、ミリシャ様」


「おまえは、ジロー! こいつ! おまえが悪い! 謝りなさい!」


「あら、謝るだけでいいのかしら? この状況がどうにかなるとでも?」


「こんのおおお!」


 やめてよ……。こんな三文芝居で世界を救うとか、笑っちゃうから。もう無理。もう、無駄なんだから。わたしは指先一本、力が入らない状態で、うわばみさんたちの声を聞いていた。


「勇者がどれだけかって? ああ、言ってやろうじゃない。命を賭けて、人々を救いたいと思う、それが勇者なんす! 見返りもない、称号があるわけじゃない、それでも! やってくれるんすよ、勇者は!」


「ハハン。笑かしてくれちゃうのね、お兄ちゃん。どうせ魔界に呑みこまれる世界なのに」


「なん、だって……」


 声が、する。


「俺は家庭を置いてきたんだ! 会社がつぶれ、妻にも言えない。まさしく路頭に迷ったんだ!」


「子供がいたんだ……医者にかかっていたんだけれど、現代医療では治せないといわれて家庭もバラバラ……それがなんだよ!? あんな女の子にこの世が救えるのか? そんなんだったら、うちの子を救ってくれよ! 病気、治してくれよ! なんとかしてくれよ!」 


「これはウガンダで起こってる案件じゃないんだぜ!? 今、俺たちが暮らしてる……ほんの目と鼻の先で起こってるんだぜ!?」


「助けてくれよ! ミリシャさまよお!」


「なんとかしてくれよ!」


 なんとか、できるわけないでしょう?


「や……だ……嫌だ!」


 おまえたちの面倒をみるなんてごめんだ。


 勇者がなんだって? あんな女の子がどうしたって? 自分はなんなのよ!? 少しでもこのヨコハマを良くしようと、した? 勝手に絶望して、勝手におちぶれたあなたたちを救ういわれはないよ! だって、わたし、半分だけど、魔族だもんね! あなたたちを喰らう側なんだもんね!


「勇者はこの世を救わない……自分で立ち上がる気力のある奴だけ、文句を言え! そしてわたしにつづけ! 立ち上がらないなら、置いてゆく!」


「しっ、ししょー!?」


「わたしは、魔王の下に跪く……。魔王、如月トウマに」


「ししょー! いけません」


「どうして?」


 目をゆっくりと開く。動揺するうわばみさんが、惑乱して手を伸ばそうとしている。しかしその姿も、渦巻く人々の怨嗟にのまれていく。


「どうしてわたしが、トウマに心を預けてはいけないの? 心を寄せてはいけないの? わたしは誰に言われたわけでもない。自分の意思でここにいる」


 すう、と息を思いっきり吸って吐きだす。


「自分の意思で生きられないなら、このわたしに指図するんじゃない!!!」


「ししょー……それ言っちゃだめです。正論が通用する状況じゃない。やつら、つらい目みて、残酷な運命に絶望してるんす。甘めあまめに言葉、かけてやらないと……」


「もう、いいよ……うわばみさん、人気取りは終わり。おしまいにしよう。わたしは勇者なんかじゃないし、人助けをしたいわけでもない」


 望みはただひとつ。トウマの横にいること。彼の隣で、彼の愛する世界を観ること。


 それがいまのこのヨコハマでないことは、もうわかった。だから。


「無意味だよ……トウマが勇者じゃないんだもん。魔王なんだもん。だからわたしは元の立ち位置に戻るわけ」


 わかった? 無責任なモブは!


「モブはいいよね、責任なんてないから。本当、無責任にわめいてりゃいいわけだから。それがお仕事だから、楽でいいよね?」


 絶句すればいい。このわたしに、犠牲を強いて、ただですまそうって根性が気に入らない。そんな奴にはもう、なにも言わせない。言わせるもんか!


 ところが!


「なにが勇者ミリシャだ!」


「そうだそうだ! あいつをやっつけろ!」


 ――ちょっ、マズイッすよ、ししょー!


 うわばみさんが、テレパシーを送ってきたけれど、そんなものは無視。


 わたしは上空にいる、変容したトウマを見つめて、ふわりと空に舞った。

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