第21話勇者ヨルムガーン!


「ゆ、うしゃだった……の? なのに! 人間界を襲っていたの!?」


「ご名答」


 ひひ、と口角を吊り上げてヨルムガーンは嗤った。不気味に青い瞳が冷然としていた。


「なぜ!?」


「なぜとな。聞くかねそれを。絶望したからよ! 人間はもろい。奇跡を起こすには短すぎる人生だ。だからわたしは魂を捨てたのだ!」


「魔物に喰われてしまえ!」


「ありがとう」


 パンパン、となぜか拍手して、ヨルムガーンは両手を天に掲げた。


「魔界四天王がレ・スパダールよ、来い!」


「なっ!?」


 その名は!


「ふっふふふ。ヨルムガーンよ、おまえごときに指図されるいわれはないぞ」


 雲間から紫の竜巻が現れ、くだる。


「自分で片づける気もないのか。あわれと言うべきか、それとも愚かと言うべきか」


「イヤミなやつよ。レ・スパダール……」


「レ・スパダール、あなたっ」


 間髪入れずにわたしは、その姿にむかって怒鳴っていた。


「裏切者!」


「おやおや。どっちが。こういうことはね、いち早く露見させた方が負けなんですよ。姫君」


「レ・スパダール。いつから、そんな尻軽になったの!?」


「お下品な。尻などと言うべきではありませぬ。姫君」


 ひゅっと、わたしの喉が鳴った。


 ヨルムガーンの顔がゆがむ。しまった! 気づかれたか!


「《ハウリング・リボルト》唸れ、大気よ!」


「《マジック・カウンター》……全部そこな召喚士に」


 あらゆる物質の中でも硬質な部類の響きをなす音楽が、レ・スパダールになだれこみ、はじかれた!


 呪文の効果はすべてヨルムガーンに向かった。


「ぐわう!」


 魔力がぶつかる気配がし、真っ黒な煙が前方に立ちこめた。


 ばさばさっと、ヨルムガーンの呪符が地面に向かって散らばっていく。


 煙が消えると、丸腰になったヨルムガーンが現れた。わたしはまっすぐ、彼に向かって呪文を放った。


「《ハウリング・リボルト》共鳴せよ、地獄の華!」


「くくううっ。こしゃくな! 消え失せろ、魔界の華よ」


「《ゲイジング》その身を縛れ、魔王の目」


「く! レ・スパダールめ! 召喚士に逆らうか!」


「……わたしが貴様の召喚に応じたのはなぜかな?」


「なに?」


 時が止まった。


「こたえてみろ。なぜだ?」


 レ・スパダールは意地悪く口角を耳まで割いてあざ笑った。


「答えは……」


 ヒ・ミ・ツ。しーっと整えて研ぎ澄まされた、そこだけ優雅な人差し指が、唇に押し当てられると、ヨルムガーンは血管を破裂させる勢いでのけぞり、わめいた。


「く、そおおおお! だましたなあああ!」


「《ゲイジング》目と眼と芽をつぶせ、魔王の目」


 その身を縛られた上、眼球をえぐりとられ、ヨルムガーンは血反吐を吐いた。


「ぐわはあー!」


 きったないな、んもー。


「ありがと、レ・スパダール」


 ふっと、レ・スパダールはこちらに向き直り、


「はて。よろこばれるのは早いですぞ。なんのためにわたしが人間界へ来たか……そこな召喚士と同じく、あなたもご存じでない」


「え?」


 それじゃあ、なんのために現れたの?


 問うと、レ・スパダールはすっと視線を上げ――そこにはスポークにしがみついてるジローさんがいた。


 にやり。


 二人は同時に微笑んだのだった。







 どういうわけか、うわばみさんがジローさんから飛び退った。


 わたしはその意味がわからず、ジローさんに寄った。そこからはまるでスローモーションで。


 その白い手がわたしの首から空を飛ぶお守りを、引きちぎっていく。


「ジローさん!」


 それがないと、わたしは飛べないのに―――


「きゃ」


 コスモクロック21のスポークの上で、ふらりとよろめくわたしの足。宙を泳ぐてのひら。


 どういうことなの? ジローさん、わたしは……。


「おいてくなんてひどいじゃない。お姉ちゃん……」


 ジローさんのその目がギラギラと光った。


「アタシはお兄ちゃんよ! ……ちがった、お姉ちゃんだった!」


 コントやってる場合か、うわばみさん!


「あ、でもちょっと待って。歩のない将棋は負け将棋っていうわ。歩兵はいるからお命、ちょうだい? ミリシャ様」


 笑えない――わたしは伸ばしかけた腕をひっこめた。こんながけっぷちの状態で、彼に、ジローさんにのしかかられたら。


「ししょー!」


 風が吹く。どっきん! 飛んできたうわばみさんが、二の腕をつかんでくれたおかげで体が吹っ飛ばずにすんだ。


 まだ湿り気を含んだ風が頬をなでていく。空には紗織の雲が天球を覆っていて……。


「ママが、見えない……」


「は!? あにゆってんですか! 飛べないとか甘えてないで、早く腕をつたって登ってきてください」


 早くはやく、うわばみさんはせかすんだ。いつもの何でもない日常と変わらず。


「に、しても……ジローさん、やるね」


 じ、っと見据えると、ジローさんは頬に手の甲をあてがい、高笑いした。


「油断しきってるんだもの、やっつけるのは簡単! いじめがいがあるわあ!」


「性格、悪かったんだね」


「こういうキャラでいくと、女の子はたいてい、油断するものー」


「信じてたのにって、言ってあげるべきとこ?」


「ふっふーん」


「だけど、今なら思い当たる……外からぶん投げられた石ころ、よく拾い上げにいったなって。あれは、ヨルムガーンの文書を確実にわたしに届けるためだったんだね」


「そゆこと」


 魔界屈指の不気味な男、レ・スパダールにも負けない、冷厳な瞳で見下ろしてくる。


「ぜんぶ、お芝居だったんだ?」


「……死ね」


 っく! だれが死ぬもんか!


「会話を楽しむ余裕もないとは、見下げたもんね。あんたはここでアタシが止める!」


 うわばみさんはそう言うと、真っ向から組みついていった。


 勢いでわたしが足元を崩して慌てていると、素早く察知したうわばみさんが、わたしの手を取る。その掌に、ゴロッという感触がして、気がつくとわたしはうわばみさんにそれを握らされていた。――空飛ぶお守り! ペンダント!


 瞬時に悟った。それが別れだと――


「うわばみさん……!」


 見ているそばから、うわばみきょうだいが、取っ組み合ったまんま、地上へと落ちていく。


 わたしはペンダントを身に着け、追いかけたかったけれど――そこには、四天王の一人、レ・スパダールが待ち受けていた。

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