第16話鳴神の御雷
「ナイスアイデア、ジロー」
「うーん。味覚が破壊されそう……」
「あったまるのが先決っす……!」
「そ、そうだね」
ウロボロスっていうのは、ゲテモノ平気なのか……。
鍋っていう選択はまともなほうだけど……。
何だか内容が闇っぽい。
わたしたちは、無事に明日をむかえることができるんだろうか。
とりあえず、朝は来た。
「わたし、トウマのところへ、行ってくる」
「いってらっしゃーい」
機嫌よく送り出してくれたのはジローさんの方だった。
タローさんはソファの上で毛布にくるまって青白い顔をしていた。
「ししょー……」
うわばみタローさんは上目遣いで訴えてくるから、わたしは簡単に説明した。
「ヨルムガーンのこと、トウマにも相談してくるから」
すると、タローさんはほろりと泣いて、
「朝ごはん、用意できなくてすみません……」
「ん。帰りになにか買ってくるよ。なにがいい?」
「ズブロッカ」
「却下!」
わたしは思わず吹いて、部屋を出ようとした。
すると、うわばみさん、わたしの足にとりすがって、すねた声を出す。
「今、すごく呑みたいっす」
ええ?
「ズブロッカって、ほぼ百パーセントのアルコールで、冷凍庫に入れておいても凍らないっていう、すごいお酒でしょ。そんなの呑んだ日には、依存症になっちゃう」
うわばみ族、正しい名称はウロボロスらしいけれど、それでも平気だという確証がない。
「だって、うわばみさん、呑みすぎれば潰れるし、二日酔いにもなるんだもの。ここは慎重にいかなくちゃ」
「じゃあウオッカ」
「原液で呑むの? 体に悪いよ。焼酎にしておきな」
「いやー。呑まなきゃ眠れないっすー」
「そこまで重症なら、アルコール抜きのビール買ってくる」
いやああ。とうわばみさんの悲鳴があがる。
「アタシはうわばみなんすよ。そんな、呑まなきゃ死にますよ」
「だいたい、一日の大半を呑んですごすなんて、仕事にも差し障るよ」
「ししょーの、いじわりゅうう!」
なんとでも言いなさいよ。
「なるほどねえ」
トウマは言って、吹きだしかけた。
「まったく、うわばみさんたら」
「それより、目録はあったの?」
そうだった。
「うわばみさんがそろえてくれたの。ところどころ魔界語だけど」
「かしてみて」
トウマは、不思議なことに魔界の言葉が読めるらしい。
真剣に読んでいる。
「粛清ってことは、全員、倒すの?」
トウマが言った。
わたしは返答に困った。
うわばみさんがピックアップした魔界の目録は、全て反人間主義。そのほかの魔王主義は除いてある。
これはわたしが魔王に就任したときのため。魔王に協力的な貴族などは除外して、別に列挙してある。逆に、他の魔王が即位したときは、巨大な敵だ。やっつけねば。
「たとえば、これなんか――」
トウマが言いさしたとき、突然雨に降られ、わたしたちは公園の遊具の一つ、土管のトンネルに慌てて飛びこんだ。
どこからか聞こえてくる雷の音にわたしは小さくなって耳をふさいでいた。すると、トウマ、距離を詰めてきて肩を抱いてくれた。
わたしは触れられたところが熱くて、思わず身を引いた。
トウマは上着を脱いで、わたしに着せかけてくれた。
「ごめん」
トウマはそう言って、そっぽを向いた。わたしは、ハッとして、離れていこうとするトウマの袖をひっぱった。お互いの体温すら確かめられない距離に、悲しくなるほど心細くて。
「いかないで……」
わたしがそう言うと、トウマは戸惑ったようで、そばにいるよ、とささやいた。
雨はひどくなっていく。
すれ違って、触れ合えないわたしたちをあざ笑うかのように。
そのときだ!
雨音にまぎれて、トンネルの入り口に何か迫る気配がし、それは……。
「うきゃあああ!」
緑色の粘性のある液体。スライムだ。え? なにがまずいって? 吐きつけてくるの、酸を! それがトンネルの両側から侵入してきて、わたしとトウマをはさみうち!
ひたひたと獲物に近づく彼らには、狩りへの本能しかない。
や、やだ。手荒なことはしたくないのに、向こうからきちゃった!
「きゃ、上着にかかった!」
えらい勢いで、トウマの貸してくれた上着に穴が開いた。
そのときだ。
「《エンペラーズ・オーダー》霧散せよ!」
トウマが素早く呪文を唱えた。
とたん、スライムはぷるぷると震えながら、ひどい臭気をまき散らして、姿を消した。
もとが酸性だから、気体になっても毒性はそのまま。目や鼻にしみるよう!
「げほげほ」
「だいじょうぶ?」
「う、うん。トウマこそ」
「だいじょうぶだよ。ボクにはキミがいるからね」
ぽかーん。
「ねえ、トウマって、本当にジゴロなんじゃないの?」
「げほっ。またその話……?」
トウマは臭気だけにでなく、むせこんだ。
ええい、もお。こうしちゃおれないんだってば!
わたしは英気をもって、トンネルを破壊した。
ごめんね。
子供たちの大事な遊び場を壊してしまって。
でも、外に待ち構えていたのは、天を支配する大きな黒い珠。
中心からなにか赤い炎のような、稲妻のような光が四方へとほとばしっている。
本当に信じられなくて、ぞくっとした。
あれにあたったら、即死、だ……。
「あれは十二の魔神、六番目の鳴神だ!」
へえっ!?
「ト、トウマ、知ってるの?」
おじけて彼の腕につかまると、彼は真剣な顔で頷いた。
「大丈夫だよ。一度は倒したことがある。それに、ボクに力をくれたんだ。その、魔物を倒す、力をね」
今度は味方とは限らないのに! のんびりとソレを見やるトウマ。
「魔神がまだ人間界にいるってことは、誰かが呼びだした!?」
「おそらくな」
まずいじゃん! おそらくな、じゃない。そうとうマズイ!
轟音を立てて、魔神があたりの大気を吸いこんでいる。
草も木も、スライムたちもどんどん上空へ吹き飛んでいく。
だ、だめだ。勝ち目はない。
六番目の魔神といったら、空気中の風雷を操る。対魔物兵器としては最凶だ。
風にまかれてなんにも見えない。思わず、二の腕で顔を庇うけど、一番大切なものが見えちゃいなかった。
「《エンペラーズ・オーダー》……」
「トウマ、あなた戦う気?」
「細切れになれ!」
「トウマ、だ――」
だめ。そう言おうとした矢先。
わたしは魔神がまっぷたつにわれるのを見た。
え――!?
「《エンペラーズ・オーダー》砕けよ、魔神」
そして二つに割れた黒珠は、更に四つにわかれ、さながら細胞が分裂するかのよう。
分裂した分、わずかに小ぶりになった魔神が、十六体。
球体に見えるその中心に青い目玉や黒い目玉が開眼し、こちらを見ている。
もうだめ。目をつぶる。
トウマが手に触れた。
「目をそらすな。最後まで。生き残りたいなら」
誰にそんなことを教えられたのか。
わたしはゆっくりと顔をトウマに向け、目を開いた。
「トウマ……なぜ?」
なぜ魔神を増やしたりしたの? そう訊ねようとしたら――
「敵はああして円陣をくんで囲んでくるだろ? そうしたら、互いを傷つけないように攻撃に加減をしなくてはならない。その力は防ぎやすい」
最後じゃ……ない。
まだ、終れない。
そうだ、ここは道を切りひらくことだけ考えよう。
トウマを信じて。……自分を、信じよう!
「トウマ、わたしは雷や電気に弱いの」
言うと、トウマはふっと笑って。
「おっと、敵さんに弱点を教える必要はないよ」
と、トウマは言った。
「魔神は魔王すら倒すの」
「ボクが、知らないとでも――?」
トウマが言ったから、はっとした。
『いかにして我が前にひれふせしめん』
強大な力を持つ魔神の声が、そのとき聞こえてきた。
「魔神よ、このボクを忘れたか――」
『今生の魔王を倒す力を欲するか』
「おまえの力は、前回の問答で見切ったぜ」
彼は私を背にして両腕を前で交差させる。
「《エンペラーズ・オーダー》……」
だめ! あなたの呪文は……ううん、魔神になまじっかの呪文は効かないのに!
わたしはトウマを止めようと、その背中に腕を伸ばした。
『『『『『『『『『『『『『『『『
「顕現せよ、戦いの剣!」
瞬間、四方を囲む魔神たちの攻撃が見舞った。
トウマは両腕をたかだかと掲げ、その中心に鋭く光る剣をさし上げていた。
「《エンペラーズ・オーダー》わが愛するものを守れ! 鬼神の盾」
たとえようのない、地を這うような轟音と、眩しい光がわたしたちを襲う。
わたしは跪いて、トウマの腰にすがりついていた。
「大丈夫だよ……」
とたん、信じてはいたけれど、信じられないような、やさしい声音が降ってきた。
魔神のいかづちは全て、トウマの頭上の剣に集められ、火花を散らしていたが、完全に無力化されている。
無防備だったわたしの背中には黄金の盾が障壁となって、爆風から守ってくれていた。
これはなに!? これが……魔神と勇者の戦い方なの!?
なんてすさまじい――。
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