第14話姫ベッドに予告状


 うわばみさんの弟、うわばみジローさんが来た。


 ジローさんていうからには次男坊、なのかな?


「うわばみさん、ああ、お兄さんがいるの?」


「……」


 うわばみさんが黙るので、ひそかに疑問に思ってきたことを口にする。


「うわばみさんて、本名はなんていうの?」


「そんなこと聞いて、なんになるっていうんすか」


「いやあ……」


 不思議だったんだよね。うわばみさんて、前から見ると女子なんだけど、ときどき背中が逆三角形で男性みたい。


「いいっすよ。もう。気づかれてると思ってましたからね。われわれうわばみ族は別名がウロボロスってんです」


「だから、両性具有なんですよ。しかも単性生殖」


「ジロー、あんまりしゃべりすぎない!」


 え?


「じゃあ、うわばみさんて……」


「うわばみタロー、なんて適当な名前、聞かせたくなかったっす……」


「男なの!?」


「心は女です!」


 きっぱり言い切った。


 ――まあ。そういうことなら、部屋に入れたばかりのベッド、ありがたく使わせてもらうかな。


 半分とはいえ男性と同じ部屋では寝られないよ。


 トウマという彼氏がいるんだから。


 まあ、単性生殖なら……いまさら襲われるってこともなさそうだし。


 明日は軽く剣術の訓練につきあってもらおう。


「嫌だといっても逃さないぞ!」


 思わず知らず、独り言を言っていた。


 うわばみさんは「へえっ!?」と声をあげてキョトーンとしていた。


「なんすか? 独り言多いなあ」


「乙女だって強くならなくちゃ」


「あ、はい……ラジオでネタにしましょう。それ、いけますよ」


 もくもくと口にポテトサラダを詰めこみながら、ビールをあけている。


「うまいす。唐揚げがあったら、もっとサイコー。ジロー、つきあいなさい」


「また、お兄ちゃん……」


「お姉ちゃんてよびなさいよ!」


 こんな魔物が、魔王の娘に襲いかかってきたりしないよね。





 アラー……。


 わたしはうわばみ(タロー)さんが選んだというベッドを一目見て、言葉を無くした。


 なにこれ、天蓋がついてて、脚と枕元がまっピンクの華奢な装飾造りで、リボンやフリルがふんだんについている。


「あのねえ」


「? ししょーのイメージで買いました。リサイクルとはいえ、掘り出し物っすよ」


「いやー……もういい……」


 しょうがないからあきらめるかあ、と思いはしたのだけど……。


「きゃあ! かっわいい。夢みたーい」


 なんと、うわばみジローさんが気に入ってしまったので、譲ることにした。


「わあい! ありがとー。こういうの憧れていたの! お礼はするから、何でも言ってね」


 何でもって言われても、さしあたって思いつかないな。


 まあ、お気に入りのソファをとり返せたんだから、ありがたく思っておこう。


 


 その夜。


 寝ていたら突然物音がして、わたしは現場に駆けつけた。


 階段を降りて一階まで行くと、ジローさんがあわてふためいて部屋から出てきたじゃない。


「どうしたの? 敵襲じゃないでしょうね!?」


「わかんない! わっかんない!」


 それじゃあ、しょうがない。


 ぱち。電気をつける。


「窓からいきなり、なにか飛びこんできたのよう!」


 息せきこんで、部屋へ飛びこむと、ピンクのベッドの上と床にガラスが飛び散っていた。


「窓が……」


 わたしは急に心配になってジローさんに向き合った。


「ケガはない?」


 するとジローさん、あまりのショックで口もきけないというように、両手で口元を覆っていたけれど、やがて震える手で、黒い石ころを包んだ紙きれを床から拾ってきた。


「だいじょうぶ?」


「うん……うん」


 ジローさんは涙ぐんで、それっきり二度と部屋には近づこうとしなかった。


「これは……ヨルムガーン?」


「え!? あいつですか!?」


 なにかの予告状をよこしてきたらしい。


 きったない字でよく読めないから、まずはトウマに相談しよう。


「アタシ、表をみてくるっす!」


 割れた窓を開けて、今にも飛び出していきそうだったから、とっさに止めた。


「あ、いいから。アル*ックに電話するから」


「アル*ックに入会してないじゃないすか!」


 金切り声が返ってきた。


「だいじょうぶ。相手方の用は、これに書いてある。今日のところはご挨拶まで、って」


「そんな……てきとーな。相手は召喚士っすよ!? 恐ろしい魔神を送りこんできたらどうするっすか」


 うわばみさんも恐る恐るのぞきこんできたけど、文末の字は確かにそう書いてあった。


「ずいぶんナメてくれますね。ガラス代、どうするんすか。どこに請求書、送りつけましょうか」


「なんとかなるなる」


「そ……っすか」


 そうして、その日、わたしたちは二階のソファをくっつけて、固まって眠った。


「ししょーは眠ってください。消耗させるのが敵の目的かもしれないっすから」


 うわばみタローさんが、真っ赤に充血した目でそう言った。


「こわい……お兄ちゃん」


「お姉ちゃんてよびなさいって言ったでしょ!」


 ジローさんは震えて丸まってた。


 その日は幸運なことに、魔神も竜骨戦士たちも現れなかった。


 表で雷が鳴っていた。ほんとに不気味な夜だった。


「で、あいつ、なんて言ってきました?」


 ヒソヒソ声でうわばみさんが訊ねてくる。わたしはヨルムガーンの予告状を暗がりで無理やり読んだ。


「……」


 ――魔王の心臓を魔界に返せ。さもなくば命をもらい受ける。半魔の小娘へ。ヨルムガーン――


「言いがかりっすね! 許せないす」


 半魔の小娘……それが、魔界でのわたしの評価……わたしの名前。


「きっと、ギッタンギッタンにしてやりましょう!」


 うわばみさんが、けしからんと肩をいからせて、部屋中うろつきまわって吠えたくった。


 やがて夜が明けた。





 遠雷が夏の到来を告げる。


 わたしは自信がなくなった。


 魔界と人間界をどうこう以前に、自分の立場に。


 どうしよう。どうしたらいい?


 トウマ……。


 半魔以前に、もともとは人間だったヨルムガーンにすら侮られてしまう。


 わたしが、ひ弱な小娘だから。


 百年生きてきて! 力をつけてきたつもりだったのに!


 悔しい!


 とめどもなく涙があふれる。


 悔しいよ!


「ママ……」


 ソファに突っ伏して、その日は過ごした。





 英国風ガーデンに囲まれた小さなおうち。


 日本国神奈川の横浜市の一等地に、ママは住んでいた。


 長年勤めてた仕事をやめて、独りきりで。


 麦わら帽子をかぶって、手には白い軍手をはめて、庭仕事なんかして。


 午後は白いクロスのテーブルでお茶を飲むんだったのね。


 ときどきグレーがかった銀髪を編みこみにして、生成りの日傘をさして、お買い物に出かけたり。


 買うのは季節の野菜やくだもの。今くらいの時期ならグリーンアスパラガス、トマトやとうもろこし。すもも、グレープフルーツやレッド・グローブかなんか。


 夏は隣町の直売場まで行って、大きな青梅をたくさん買ってきて、砂糖漬けにしてたりすることもあったなあ。


 一抱えもありそうなでっかい瓶で氷砂糖と一緒に、いろんなフルーツを詰めて、キッチンの日陰においてあったっけ。


 わたしはそれを見るのが楽しみで、毎年夏近くになるとママのうちに行って、影から重たい荷物を持ってあげたりして、姿を消したまま一緒に歩いた。


 歩いたっていってもねー、てくてく歩くママの肩口あたりでふわふわ浮いてただけなんだ。だって、地上は暑いから! 


 冷血な魔族だけど、半分は人間のわたしは、汗をかくようなこと、一切したくない! 倒れる!


 家につくと、ママは玄関先で日傘を閉じて、必ず、


『ありがとう、妖精さん』


 って肩越しに言った。妖精さんじゃなくって、娘なんだけど……てへへ。


 窓際におかれた小皿のおやつはこっそりいただいた。甘いお砂糖とバターをたくさん使った贅沢なお菓子。ママの手作り。うまいんだよにゃー。もう、味わえないんだなあ。


 ママ……。





 ママは、どうしてあんなに強かったの?


 か弱い人間なのに、独りで。


 わからないな……。


 起き上がって見たら、燕が鳴きながら窓の外を低く横切った。じきに雨が降るな……。





「ししょー、一緒にスタジオいきましょー?」


 うわばみさんが熱心に仕事に誘ってきた。


 あんなことがあったっていうのに、うわばみさんは踏んでる場数が違うなア。


 わたしは、心細くて、心が縮こまってる。とても外に出る気持ちになれないよ……。


 けど、いつになくうわばみさんは強引だった。


 わたしがのろのろとマントを再装着してたら、靴下は、ハンカチちり紙は、鍵は、端末は、とまるでお母さんみたいにかいがいしく荷物をまとめてくれた。


 えっと、泣きはらして赤くなった目に目薬さして、コンシーラーで隈を隠したら即スタジオへ。


 大人だから。


 外見は十八歳だけど、やるべきことがあるから、わたしはこうして仕事へ行く。


 切り替えなくちゃ。大人……なんだから。


 ああ、でも胸の中が重くて不安でいっぱい。


「大丈夫ですよ。ししょーの気持ちはわかります。今日のところはアタシに任せてください」


 うわばみさんはそう言ってくれたけれど、気持ちが浮き立たない。こんなんで、仕事になるのかな。


 わたしはまだまだ泣きたい気持ちを無理に押しこめて、精一杯笑った。


「わたしがやらなきゃ、でも、ありがとう、励ましてくれて」


 言うと、うわばみさんは首を振って、考えがあるのだと真剣な目で言ってきた。


「きっと、今がチャンスです」


「?」


 うわばみさんが言っていることは、半分もわからなかったけれど、それでもコーヒーを持って録音ブースに入った。





「こんばんちわ。ミリシャです」


「うわばみです」


「今日のトークは初っ端からお仕事について。うわばみさんから告知があるんだよね」


「はい。とあるスジの重要な案件です、聞いてください」


「と、その前にコマーシャルをどうぞ」


 コーヒーで口の中を湿す。


 一体なんだろう。打ち合わせの時はなんにも言わなかった。うわばみさん。


 今までに見たこともない表情をしている。


「……最近になって、みなさんのご近所から魔獣の姿が激減したと思うんすよね」


 うわばみさん!? ちょ、待っ……魔獣って! 魔獣ネタなの!? お知らせって。


「それはとある魔界の実力者が、人間界と魔界をつなぐ扉から、彼らを放逐しているからなんす。その実力者とは、ミリシャ・フリージア!」 


 どういうこと、これ!? なんのつもり? わたしはあたりを見回したけど、事情を知っている人間はいないようだった。


「ご存じのとおり、ししょーは魔法少女として、みなさんの暮らしを守るために、魔獣退治に積極的っす。これからさきも、それは変わらない。ししょーがこの先どんなに厳しい立場になっても、それだけは疑いようのない事実で。だから、たとえししょーが魔族の王となっても、そこんとこだけは信じてください」


 わたしがテーブルの向かいで口をパクパクさせていると、うわばみさんは視線を伏せた。


「このラジオは魔獣の被害、出現に関しての情報を集めています。魔獣が出た! という方はご一報ください。ミリシャ・フリージアが人間界の浄化に向かいます。ということで、おたよりお待ちしてるっす」


 コーヒーがもうなくなった。のどがカラカラ。しかしお金をもらってる以上、わたしはプロ。たとえカットされなかったとしても、ここは乗り切らねば。


「えー、うわばみさん、わたしが魔族の王になるとか、いろいろ誤情報を流さないでくださいよ、まったくもう」


 思わず敬語になってるわたし。


 棒読みだけど仕方ない。あたりまえ。


「誤情報でもデマゴーグでもないっす。今のうちに本当のことはいろいろ伝えていかないと」


「えー!? そこまで引っ張るのー?」


 笑えない――笑えなかった。


 現在ですら道を歩いていれば棒にあたるというのに、魔族が歓迎されるわけないでしょー。あまつさえ、わたしが魔王になるとか、可能性の段階でいろいろバラさないで! 魔法少女だってけっこう、いや、あまりにもギリギリなんだし。


 思ったけれど、わたしのテレパシーはうわばみさんの心を素通りして、なんかもう、わたしの知ってることから知らないことまで、あらゆることをばらされてしまった。


「うわばみさんのネタはそれくらいにしてと。それでは、葉書のコーナーもじゃんじゃん来てね。それでは今週も、楽しくいきまっしょう!」


「みなさん、ネタじゃないっすよ!」


「まーたまったく。もう飲んでんの? 困った相方だにゃー。それではコマーシャルです!」


 この回は本当に冷や汗ものだったけれど、社会問題をとりあげていることから、ノーカットで放送されることになってしまった。


 ていうか、わたしが魔族だってばらすんじゃないわ!


 気が付くとマネジャーがいない。


 もう! うわばみさんを、だれか叱って!





 ラジオの収録のことを話すと、トウマはまじめな顔で、


「いや、場合によっては今、手を打っておいてよかったかもしれん。もし人間界のほうで魔界の四天王なんかとやりあうことになったら、結局、人間からしてみればどちらも敵に見えると思うし。そのうわばみ氏の布石は、あとあとのキミのためだよ」


「あとあとの、わたしの、何のためだっていうの!? おかげで近所も歩けなくなっちゃうよ!」


「魔族でも、キミのような人間の味方がいるって、知らない人の方が多いんだよ。少しずつでも認知を広めておいて、いざというとき助け合えれば、勇者への道もぐっと近くなる」


「……勇者への、みち!」


「そう」


 トウマはうなずいて、確かに言ったんだ。


「キミが目指すところに、誰かがいれば、それは確かな道しるべになる」


 道しるべ……。


 それはなんて、暖かい、希望に満ちた回答だったろう。


 わたしは一気に勇気づけられて、大きく頷いていた。


「わかった! うわばみさんは、わたしに味方をつくろうとしてくれてたんだね」


「ミリシャは、賢い」


「ありがとう、トウマ!」


 わたし、頑張れそうな気がしてきた!


「どういたしまして。だけど……」


「だけど?」


「いや……ボクにもそんな頼りがいのある友人がいたなら、って思ってね」


 え?


「なんでもない。少しキミがうらやましいって思っただけだ」


 そういうトウマも、勇者団で徒党をくんでいたじゃない。


 さりげなく、そのことを告げると、彼は、


「徒党を組んでいるのと、その人の未来を真剣に考えてくれる存在がいるのとは別物だよ。思うに、そのうわばみ氏は知将だね」


「ちしょう?」


「頭脳プレーで味方を支援してくれる、そういう人だと思うけど」


「人じゃないのが難しいところなんだけれどね」


「そんなこと言って、キミが頼りにしているのは、ボクなんかより、彼のほうなんじゃない? ちょっと妬けるな」


 ん? ちょっと待って。なんか誤解がある。


「うわばみさんは、女の子だよ? 少なくとも、中身は」


「けど、話を聞く限りじゃ、キミに対しての並々ならぬ気づかいを感じるよ。キミのこと、好き、なんじゃないかな?」


「そりゃそうでしょ。それなりにつきあい長いし。それに、なんだかんだで気が合うんだー」


「なるほどねえ」


 トウマは、それっきり、考えこんでしまった。


「ま、そうこうしてるうちに、状況が変化してきてるし。彼――彼女の行為はナイスプレーだったと思う。これでキミはどんどん自由に動ける。あとはボクの出番だ」


「ん。頼りにしてる」


「キミのために、頑張るよ」


「わたしだって、頼りにしてよね」


「はは、そうだったね」


「ほんとのほんとよ?」


 答える代わりに、トウマはわたしの前髪をそっとなでつけ、そこに口づけた。


 トウマからの、初めてのキス!


 わたしは嬉しすぎて、固まってしまった。


「キミを大切にしたい」


 わたし、胸がドキドキいってる。


「幸せ……」


「ボクも……だよ」


 その日は家に帰らなかった。


 それでトウマとの仲が進展したかというと、それは別のお話。


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