第8話召喚士ヨルムガーンあらわる


「鎌倉? 鎌倉のどこ?」


「喫茶店っす。ダージリンを飲んで、トンネルくぐって、住宅街を佐助稲荷へ向かってる模様」


「わかった。佐助稲荷ね」


「あ! お一人で突っ走らないでくださいよ」


「そんなこといったって、神社だったらこのへんいくらでもあるでしょ。探さないと」


「大丈夫ですよー。アタシちゃんと見てますから」


 うわあああ! 住宅街に静けさを演出する鳥居の連なりと、苔むした絶壁が見える。シダ植物とかいっぱい生えてそう。


「王子様どこよ?」


「いないですね……」


 ふむ。空から見ても、このへんのはずなんだけど……追い越してしまった可能性あり。


「ちょっと拝んでいこっか?」


「アタシとですか?」


「うん。いや?」


「まさかまさか。でもここって、恋愛成就の絵馬が多いですねえ」


 あたりはうっそうとしている。


 わたしたちの後ろには、長い階段。


「これちょっと、こわいな」


「カイダンだからですか?」


「は?」


「死後の話をします。……あのよー」


「ぷはっ」


 思わず笑って、おさい銭を投げ入れる。


 縁結びの神様かあ。


 王子様と結ばれますように。


 っと、二礼二拍一礼でよかったのかな。


「あれ? だれか登ってきますよ」


 ふーん。


 思って階段の方を見ると、いくつも連なった朱塗りの鳥居をくぐって歩んでくる人がいる。


「見られたらまずいね」


「隠れましょう」


 そこへやって来たのは、なななんと! 王子様だった!


 うっわーい。


「やりましたね」


 うわばみさんがこそっと先に言った。腕を肘でつついてくるので、バランスを崩した!


 あれぇー? どういうことですかー? 


 崖の上にいたわたしたち、大きなシダ植物の影で必死に身を隠している。


 普通なら、よろこんで飛び出して行って、再会を喜ぶところ。


 だが、その実は自己紹介もしてない仲なのだ。


 あれから時間も経っている。


 忘れられてるかも! いや~~ん。


 逆に考えれば、今この瞬間を逃しては、自己紹介など今後、し合う機会はおとずれまい。


 しかし、縁結びの神社である。


 えらくこぢんまりとはしているが。


 彼がそこでなにをしに来たのか、気になる!


 ええ、気にならなきゃ、ウソですとも!


 わたし、恐れ多くも王子様を崖から見下ろしているわけだけれど。


 王子、なにか細かい絵や文字が描かれた板が、ぎっしり集められてるところへ歩いていって、片手をつっこむと、一枚の木の板を引きちぎっていった。


 わたしはその後姿が不器用に階段を下りていくのを見守ってから、王子のいた場所へ舞い降りた。


 表に原色使いの絵。裏に名前らしきものが書かれている。


「彼、恋を諦めたんですね」


 うわばみさんがそんなこというから、わたしはびっくりしちゃって。


 板を一枚失敬してまじまじと見た。


 なんとか太郎となんとか花子、という文字が見てとれた。


「これって、恋愛成就の願い札?」


「エマ、と言います。大体そんな感じですね」


 じゃあ、王子が持って行ったのは……彼自身と誰かの名前が書かれていたりして……。


「彼が恋を、あきらめた? なんで?」


「というよりか、そんな女、いたんですね」


 わたしはうわばみさんが言い切る前に、ふらふらっと真っ赤な鳥居の群れの上を飛んで、王子様を追いかけた。


 そんな、そんな……わたしの他に、彼が想う人がいたなんて! 


 聞いてない!


 初恋だったのに! ひどい、ひどい! 裏切りだ! わたしのときめきを返せ!


 ううん、返せったって無理。


 そんなのわかり切ってる。


 だけど、わたしの目は彼の姿を追いかけ、わたしの心は走り出す。


 王子様、あなたに向けて!


 住宅街を抜けて、水の流れる用水路に渡した橋のような道路を歩いて、彼はどんどん寂しげな道を行く。


 どうしよう。


 どうしようったって、無理。


 わたし、あなたが好き!


 なのにあなたは。


 他の女の肩を抱き、一緒に神社に言って、札をかけてきたんだ。


 恋が叶いますようにと。


 今更、それを撤回しに来たって駄目。


 あなたは、わたしが知る前の人生で、一生懸命人を愛した。


 だから、魔物たちのターゲットになったいま、その人にこっそり別れを告げに来たんだ。


 どうしよう、目がかすむ。


 気がついたら目から涙があふれていた。


『グワア! ガア! ギャア!』


 あ! カラスの集団! な、なに? このわたしに向かって来ようというの? どうしようっ。


「あ! あー! やめてっ、お願いー」


 わたしはあえなく落下。


 落下っていうか、カラスごときにつつかれて落っこちるなんて、はなはだ情けないんだけれど、けれどうん。


 わたし、涙で前が見えなくて、ちょっとバランス崩しちゃって……。


 えへ。


「キミ、どうしたの?」


 王子様の真上だったりしたから、さあ大変!


 つけてたの、バレちゃった――!?


 もう! これは! いくしかない!


「わ――わたし、ミリシャ。あなたのお名前、教えてください!」


「え? ボク? ……え、と。トウマだよ。如月トウマ」


「ト、ウ……マ? トウマ! トウマ、トウマ! トウマ、あなたに逢いたかった!」


「キミ、魔族だね? 空から降りて、いや、落ちてくるなんて。まったく誰かさんに似ている……あれ?」


 どき!


「キミ……どこかで、見たことが。ある……」


 いいえ! 見ただけじゃなくて、だっこされたこともありますう!


「ミリシャくん、ボクはキミと出会ったことがある?」


 あります!


 こくん、と頷いて、わたしは必死で彼を見つめた。


 淡い茶水晶の目、秀でた額付き、しっかりした大人の顎。甘い唇……なんて、なんてすてきなの!


「ああ、これ二回目ね」


「え?」


「あ、いえ。なんでもありません! トウ、マ? わたしをだっこして」


「え、ええー!?」


 なに、その反応。


「わたしがいれば、他の魔物に食べられたり、しないから」


 すっと、彼は蒼ざめた。


「キミもボクを狙ってきたの?」


「わたしはあなたを食べたりしない。わたしを信じて……」


「いや、でもねえ。キミねえ。魔族だろう?」


「そうよ、一度はあなたを狙ったけれど、電柱にダイレクトアタックして、病院に運ばれそうになった前魔王の娘、ミリシャよ」


 なーんてことは言えるはずもなく。


「あなたが今の今まで無事だったほうが、ううん。毛も指もつまみ食いされてない。そちらの方が不思議」


「そうか……やはり、彼女が守ってくれていたんだな」


 わたしは息をのんだ。


『彼女』ってだれ!? なぜポケットを左手で抑えるの!? 『彼女』って、恋人!?


「きっとボクが彼女を思いきるまでの間、身辺整理するだけの時間をくれたってことなんだな」


 それは思いこみよ!


「ボクの女神……」


 だれ? それ! 魔王の娘は女神に劣るっていうの!?


 そんなんだったら、うまれてくるのではなかった!


 いや! いやいや。王子には、トウマにはわたしがいる! だれにも渡したくない!


「どうして、泣くの?」


 そんなやさしい声をしてもだめ。


 あなたはわたしのもの。


 にがさない。


 ぎゅうっと首に抱き着くと、トウマの背中がぐっと抵抗してきたけれど、すぐに力が抜けた。


 わたしじゃ嫌だ、というわけではないのね。


「トウマ……」


「なんだい? キミ、無防備だなあ。危ないよ、男にそんな目をしては」


 かなしいくせに。


 わたしを見てくれた! 一瞬でも、うれしい。


「やさしいひと……」


 わたしはもう一度、彼を抱きしめた。


「悲しまないで。わたしがあなたを守るから!」


「せっかくだけど、ボクはもう、自分の命は諦めなくちゃって思ってる」


「どうして? じゃ、じゃあ、わたしが……食べちゃっても、いいの? 怒らない?」


「いいよ。食べられてからじゃだれも怒れないしね」


 にっこり。


 そんなふうに微笑まれて、わたしはたじたじ。


 えっと、え? 本当に、いいの?


「いいわけないじゃない! 自分ひとり助かるために、他人を犠牲にするのもいとわない、それが人間て生き物でしょう!?」


「……誤解があるね。確かにそういう側面もあるけれど、人間っていうのは……」


 そう言ってトウマは遠い目をした。


「遥かに現実離れした目的を共にする人たちのためなら、自分ひとり犠牲になるのなんていとわない、そんな生き物だよ」


 あなたがそうだから?


 わたしは、人間界に現出した、魔王城に攻め入ってきた勇者団を思い出した。


 血走った眼をしていた。


 恐ろしい言葉を口にしていた。


 だけれど、それはパパの前にあえなく散るものと思い、安心していた。


 パパが勝てないなんて、そんなことあるはずないって信じてた。だってパパだから!


「どうしたの?」


 どうもしない。


「あなたを思い出していただけ」


「いつ逢っていたっけ?」


 そんなふうに、目をきょとっとさせるから、わたしは、彼とわたしがどこでどんなふうにして出逢ったかを話してあげた。


「あ!」


 彼はぽんと手を打った。


「おぼえてるよ、キミ。電柱で頭を打った娘だ」


「ようやく思い出した?」


 わたしはちょっと威張ってみせた。


「そんなに威張れるような事件じゃなかったはずだけど」


 がーん!


「だってずいぶん前の話だし、忘れもするよ」


「たったの二週間よ!」


「まだ、二週間か……」


「そう!」


「うーん、参ったな。ボク、あれから何度も襲われて、死にかけたから」


 そうだったの……。


 だとしても! この超絶美女を忘れるなんて、どういうわけ? って、言えたらいいのに……。


「うん? あ、ピンクのマントを着けてないからかな。他に印象なくて。ごめんごめん」


 むきー! 印象がないって、ピンクのマントしか憶えてないって、どういうことよー!?


「て、はて。わたし、車を出るまではマント、着けてたんだ……」


「だから、ごめんねってば」


「そうじゃなくて。わたし、あの晩以来、マントをなくして困ってるの。何か知らない?」


「そう、そうだ! あのマント、なんていうか、すごい設計だよね!」


「え、ええ。ていうか、わかるの?」


「あの多重構造はびっくりだよ!」


「宇宙服と同じなのよ」


「へえ! すごいなあ」


 えっへん。


 これだけは威張ってもいいはず。


「どこで売ってるの? 生産地は?」


「オーダーメイド」


「やっぱり!」


「やっぱりっていうくらいなら、聞かないでほしい」


「でも、魔物なのに、人間の最先端技術、認めてるんだね」


「ま、まあね!」


「ボク、あのマント、濡れてたし、かびたらいけないと思ってクリーニングに出したんだけど」


「え、えー! ク、クリーニングに?」


「うんけど、特殊素材を使ってるからって、突きかえされたんだよ」


 ほーっ。


「でもまって、じゃあわたしのマント、あなたが持っているってことは……」


「いや、キミが去った後で追いかけてみたら、木の下に落ちていたんだよ。なんにもやましいところなんてないよ」


「でも、それで持ちかえったってことはよ? そ、そーいう趣味でもあるわけ?」


 それでなくても幼女と間違えられるこのわたし。


 その気がなくてもピンクのマントで、ロリコン趣味の人間を惹きつけてしまう、罪深いわたしなのだから。


「そういう趣味って?」


「……」


 ロリコンではないらしい。


「濡れていたからって、別にクリーニングとか! そ、そんなことしなくっていいから、返して」


「さあて、どうしようかな」


「えっ」


「日本の羽衣伝説って知ってる?」


「知らない……」


「ならいいや。あのマントがないとキミはとても困るわけだ」


「現在進行形で困ってる」


「じゃあ、返す。そのかわり……」


「そのかわりってなによ! 落とし物を交番に届けるのに見返りを求めるのはいけずうずうしい。そう、いけずうずうしいっていうの!」


 しかも、交番に届けるどころか私物化してると言えないだろうか。


「そう悪い条件じゃないよ。ボクと、結婚して?」


「えー!?」


「っていうのを前提に、おつき合い、でもいい」


「でもいいってなによ!」


 妥協でおつき合いなの? 冗談じゃない。


 こっちは交際なんて、きょ、興味がないわけじゃないけれど、未経験なのに!


 そんな……そんな。どうしよう。そんな……


 そんな、ラッキーでうれしいこと! 渡りに船じゃない!?


「ゆくゆくはっていうのを前提に、彼女になってほしい」


「はう!」


 は、鼻血が出そうだ。


 彼ってやっぱりロリコンなんだろうか?


 わたしの魅力ってば、対象がロリコン野郎に限定されるのだろうか?


 でもでも、それって返って好都合じゃないだろうか?


 もう、ここは一も二もなく、賛成多数! はい決まりー!


「いいよ。じゃあ、マントを持ってわたしの家へ来て」


 即決して、気をよくしてるのがバレないように、わたしは遠くを見つめて言った。


「それって……同棲するってこと?」


「へ? ドーセイってなに?」


 聞き返すと、かりかり、と頭をかいて、彼、トウマは、


「いや……じゃあ、マントをとりに一旦、自宅へ帰るから」


「うん、それでいいよ。すぐ来てよね」


 言うと彼は耳を朱くして、うんうん、と頷いた。


 場所は……時計がついた小さな塔の下だった。


 ほう、と耳元で音がした。


 その音の出所は、空間に空いた黒い闇。


 ほう。


 その声は聞いたものを死の底へといざなう。


 三つ目のフクロウを杖に止まらせた、召喚士ヨルムガーン。


 やせこけた四肢。血色の悪い肌に真っ赤な唇がてかてかしている。緑のだぶだぶなマントを着て、その上から玉石のタリスマンをじゃらじゃらつけて、嫌な目つきをしている。


「なぜ、なぜいまおまえがっ」


『それはこちらの言うことよ……このおませなロリータプリンセス。幼いのは外見だけにしておけ』


「……! まさか、おまえもトウマを狙って!?」


『ありがとう。奴の名前まで教えてくれてよう。クククッ』


 ヨルムガーンはぎらついた笑みを浮かべ、喉で笑った。


「はっ、しまった!」


『うまい肉をたらふく喰わせてやろうぞ。ゆけ! 竜骨戦士どもよ』


 建物の影のそこここから生まれ出たように、白いあばらときちんとそろった頭骨と……それから武器防具を身に着けた魔界の戦士どもが、ずずい、と距離を詰めてこようとする。


「ヨルムガーン、ここはひきなさい」


『いまさら大物ぶっても無駄むだ。プリンセス、おまえの母が施した術はもう』


「ママのことはいうな!」


 わあん! とうなりのような反響が起こり、ヨルムガーンは硬直した。


 だが、あっという間に元通り。


 ヨルムガーンの杖の上で、黒いフクロウが鳴いて飛んだ。


『いまだ! 竜骨戦士』


 闇よりいでし、武装した骸骨が、カタカタと顎を鳴らし、盾と剣を打ち鳴らす。


「くっ、くらいなさい! 《ハウリング・リボルト》!」


 先ほどの比にならないうなりが共鳴し、奴の耳を撃つ。


 耳を押さえて、頭をふるヨルムガーン。


 しかし……。


 鼓膜のない骸骨の、竜骨戦士どもには、骨が砕け散るほどの威力には至らなかった。


「一体、どうして!?」


『場所がわるかったな、ここは古の聖地……魔に属する者のほとんどが二の足を踏むが、わたしは違う!』


「どうちがうのだ! 召喚士!」


 はっとした。


 すっかり忘れていたけれど、駅へ行きかけたトウマが帰ってきた。


「トウマ、だめ!」


「なにをいう。ボクはキミのために……」


「でもだめ! あなたにはさせられない!」


「ボクだって、キミにあんなやつの相手はさせられるものか」


「あなたを守りたいの!」


「ボクだって……ボクだって!」


 トウマは顔をゆがめてわたしをだきしめた。


 わたしを守ってくれるというの……?


「馬鹿……狙われているのはあなたなのに」


「だからこそ、ボクがやらなくちゃ」


 はっとした。


 トウマのその横顔には決然とした意志がこめられ、次の瞬間、竜骨戦士どもは砕け散っていた。


 それは、その呪文は……。


「《エンペラーズ・オーダー》舞い散れッ」


 激しい音を立てて竜骨戦士は崩れ去り、召喚士は退散。


 わたしはトウマのその雄姿にただただ、見惚れた。


 わたし、勇者だったらよかったのに。


 魔物なんて楽勝で倒して、すきなだけヒーローになって。


 でも、そうだったら、彼にはきっと逢えなかった……。


 トウマが勇者でなかったら、出逢えなかったんだ……。


 わたしを守ってくれたトウマには。


 だから、わたし、魔王の娘でよかった! ふんわりと胸の底からわき上がる感情。


 はちきれそうなこの想い。


「トウマ、わたしを…………勇者の仲間にして?」


「仲間じゃなくて、彼女だろ?」


「ううん、そうじゃないんだ。わたし、勇者になりたい。そして、ママの生きていたこの世界を守るの」


「キミは戦わなくていい」


「どうして?」


「キミは、戦わずしてボクを手に入れた。十分じゃない?」


「トウマは、なにを手に入れたかったの? どうして戦ったの? あのとき、あなたはまだ十歳と少しだったのに」


 震える指で、トウマの袖を控えめにつまんだ。


「戦うために戦うのでは、戦争は終わらないよ」


 はっとして、わたしはうつむけていた顔を上げた。


 わからなかった。


 トウマの言うことがわからない。


「だって、勇者はみんなを守るために戦ったんでしょう?」


「守るため……? 一つにはそうだね。だけど、キミは、ミリシャは、じゃあなんのために戦うの」


「勇者になるため」


 するっと言葉が出てきた。


「勇者に、なりたいの?」


 さっきからそう言っている。


 わたしは顎を上下させて肯定した。


「……ミリシャは、ボクのお嫁さんになるんだよ。戦わなくっていいんだ」


「ううん、わたし、決して戦いが好きなわけじゃない。だけど、護りたいから……戦うの!」


「ミリシャ……キミは、戦うことの意味をまだ知らない。戦うってことは、なにを守るかではなく、何を得るのか、得たいのか。勝ってどうするのかなんだよ」


「え?」


「たとえば、さっきボクは戦いの中で、キミを……キミの心を得るために戦った。それ以外のなんでもない。キミの身を護る、それだけじゃない。男には見栄もある」


「ほえ?」


「ボクは、キミがほしいんだよ」


 まぶたがカッと熱くなり、涙があふれた。


「キミがまぶしいから、キミに背をむけたくないから、逃げたりせずに戦おうって、そういう見栄が男にはあるんだよ」


 どうしてまっすぐわたしを見るの?


「や、やめて! わたしは、戦って得られる賞品なんかじゃない」


 慌てたので吃音になってしまう。


 だって、トウマの目が、少し、こわかったから。


「物と同じなんて、人間界って時代が古いのね!」


 虚勢をはって腕組みなんかしちゃう。


「ボクにとってはあたりまえのことだ。ボクのココロはキミのもの。だからキミは戦う必要がないんだ。世界まで救おうだなんて、それは勇者のすることだし、世界を手に入れようだなんて、魔王みたいなやつのすることだ」


 くす、とトウマは笑う。


 ううん。


 今、彼は認めた。


 勇者は世界を救おうとするものなんだって。


 わたしを言いくるめようったってダメ。


「語るに落ちた!」


「え? 急になに?」


「勇者は、世界を救うものだって、今あなたが言ったの!」


「え……」


 どうやら、自覚がなかったようね。


 言って聞かせてあげる。


「世界までを救おうとするのは、勇者のすることって、確かに言った!」


「あ、言葉のアヤだよ」


「きっこえませーん」


「やだなあ。そんなことでムキになって」


「ムキ? ムキになるってどういうこと!?」


 とたん、空から雨がざああっと降ってきた。


 にわか雨だ。人間界にはこういうことがある。知ってる。


「こっち、屋根の下を借りよう!」


 わたしたちは駅の中へ入って、寒空の下じっとくっついていた。


「巣の中のひな鳥みたいね、わたしたち」


「コタツの中の猫みたいだ」


「コタツってなあに?」


「ボクんちへくる? 見せてあげる」


「うん!」


 わたしは初めて切符というものを買って、彼について行った。


「きゃ!」


 急に鈍色の空でゴロッといった。


「雷、こわいの?」


「だ! だって! 落ちてきたら灰になっちゃう!」


「……そうか。だからか」


「だからってなあに?」


「いや、こっちのこと。雨は止んだし、このままどこかへ遊びに行こうか?」


「コタツを見せてくれるんでしょう? 違ったの?」


「うん、いや、まあ。そうだったんだけどね。さすがに雨、止んだし、男の家に女子を入れるのはあんまりなあ」


「なによ! 雨だったらよくて、晴れてたらダメなの? 変!」


「う、まあ。そう、かな。変か……うー、でもしまいこんだばかりだしなあ……」


「はっきりしなさい! 勇者らしくない!」


 わたしが言うと、勇者トウマはお腹を抱えて笑い出した。


「あはは! そうだね! 勇者は、勇者だもんな!」


「そうだよ!」


「よし! オッケー。行こう!」


 きゃあ! こういうのってドキドキしちゃう!


「楽しみだなあ」


「そんなに珍しいのかい?」


「だってわたし、男の人の部屋って、入ったことないもん」


「うぐ」


 とたん、彼は顔を伏せて口を抑えた。


「どうしたの?」


「今すぐ、帰れ! ボク、送るから。キミんち、どこ? 親御さんに一言、言わせてもらいたい」


「え? パパもママもいないよ。死んじゃった」


 さあっと蒼ざめた顔をして、彼はわたしの肩をぐっとつかんだ。


「ボクが悪かった……」


「え? なに? なんなのよう」


「悪かった。ボクが悪い男だった」


「謝らないで。パパもママも仕方がなかったんだから」


「でもごめん」


 どっか痛めたのかな? しきりと胸を抑えていて、それは苦悶のそれに似ていて……。


「胸が痛いの? 大丈夫?」


「あ、いや。その…‥大丈夫だよ」


 トウマは無理やりって感じで、笑った。


「つまんない」


「え?」


「そんな顔したトウマはつまらない。帰る」


 そうして欲しいみたいだし。


 ふわっと空を目指すと、二の腕をとらえられた。


「また、逢える?」


「……わたしをなんだと思ってる?」


「大切に、思っているよ」


「そうじゃなくて! ……彼女でしょ? あなたの。違う?」


 トウマの顔は血色を取り戻して、赤らんでいる。


「違わない! うん、違わないよ!」


「それでよし!」


 じゃあね。


「わたし以外のだれにも、食べられないでよ?」


「え? それってどういう……」


 意味は言わない。


 そっと唇を寄せて、淡い口づけをかわした。


 空へ舞い上がると、彼は追うように視線を投げかけてきたけれど、わたしは立ち止まらずに、家へと帰った。

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